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「いた!!!」

「ドルトンさんを見つけたぞ!!!」


 ふいに村人の叫ぶ声が聞こえて、ワポルの家来である最後の1人を村の外へ投げ捨てたクオンは被り物の下で小さく安堵の息をついた。





† ドラム島 11 †





 ドルトンを掘り起こし、その周りに集う者達のもとへとざくざくと雪を踏みしめて近づく。途中でビビとウソップと合流したクオンは輪の外側から中心部を覗き込み、被り物の下で目を見開く。
 この村─── ビッグホーンにワポルが現れたと聞き飛び出していったドルトンが彼らと対峙して無傷だとは思っていなかった。雪崩に呑まれたこともあり多少の怪我は当然だろうと思っていたが、果たして、太い矢をその身に3本も受けたその男の顔色は既に血の気を失くして白くなり、口元を汚す赤はその流れを止めている。何てことだ、と誰かが呻く声が聞こえた。


「手遅れだった……ドルトンさんの心臓はもう…止まってる!!!」


 凍りついたドルトンの体に手を当てた村人のひとりが絶叫する。クオンもその言葉を実際に確かめるまでもなく同意した。あれほどの怪我に加え、雪崩に呑まれどれくらい雪の下に埋まっていたのかは分からないが、人間は呼吸ができなければ窒息して死ぬ。それに何より、僅かにも動かない胸は既に呼吸機能を停止しているのが見て取れた。


クオン…」


 名を呼び袖を引くビビに青褪めた顔で見上げられ、けれどクオンは何も言葉を返せなかった。医者でもない自分が何とかするなどと言えない。しかし、ただひとつ、吹けば飛ぶほどの小さな可能性が残されていることは知っていた。


「……失礼」


 ドルトンを囲む人の輪を掻き分けて進み、ざわつく村人達の声を無視して横たわるドルトンの傍らに膝をつく。胸に手を当てればやはり心臓の鼓動はなく、肺の動きも当然感じられない。首に触れれば氷そのものの冷たさだった。


(やはり、凍っている)


 人間としてのやわらかさのない肉体は凍りついている。つまりはまだ、消えかけた命のが、その氷の肉体の中に閉ざされている可能性があるということ。頑強な肉体だ、たとえ恐ろしく太い矢に貫かれたとしても、それだけでは簡単にこぼれ落ちるような命ではないことくらいは分かる。
 医者ではない自分ではまともな治療などできない。医者のいないこの国で頼れるものは己の生命力と生きたいと願う強い意志のみ。

 クオンは小さく息をつき、懐に手を入れてひとつの石を取り出した。内側で赤く燃える、ゾロに貸していた炎の石を。
 石を口元に当てて強く吹けば、ドルトンを中心に炎の息吹が辺りを包むだろう。それでドルトンの冷凍は解ける。矢を引き抜き、あふれた血潮がドルトンの命を削りきる前に傷を焼いてでも無理やりに止血をして、あとはドルトンの生命力に賭けるしかない。
 命を狩り取ることは難しくないのに、命を救い上げることはこうも難しい。だからこそ医者がいる。だからこそ、医者は必要なのだ。


「待ってくれ」


 石を被り物越しに口元に当てたクオンにひとつ、確かな意思がこもった声がかけられる。クオンは被り物の下、目だけで声がした方を見た。はっとしたように周囲の人間もそちらを向き、両手を掲げた、薄い色の手術服をまとう男達を見る。


「ドルトンは生きている。体が冷凍状態にあるだけだ…!我々に任せてくれないか…!!」


 イッシー20トゥエンティ!!と誰かが叫び、ざわりと人々がざわめいた。見るからに医者の様相をした男達は、成程20人いる。さて、医者はこの国にいなかったのではとクオンは思い、あの男─── ワポルが国を逃げ出す際に自分のために連れ出していたのだと確信して、鋭く目を細めた。
 信用するか、否か。さて、彼らは「いらないもの」か、否か。鈍色の瞳で見定める。


「待て、信用ならねぇぞ!ワポルに…!王の権力・・・・に屈したお前らにドルトンさんを任せろだと!?」


 村人のひとりが怒りをにじませた声で叫ぶ。クオンは立ち並ぶ医者達の顔をひとつひとつ見た。眼鏡をかけ、マスクに覆われた顔は医者の個性を消し、その内面を隠す。だがクオンが被り物をしていてもにじみ出るものがあるように、医者達の顔にはひとり残らず確固たる意志が浮かんでいた。
 いったいドルトンさんをどうする気だ、と続けて怒鳴ろうとした男に、医者は鋭く一喝した。


「彼を救いたくば言う通りにしろ!!」


 その声には、頬を張るような衝撃があった。はっとしたように男達が肩を竦める。
 イッシー20と呼ばれる医者達はおもむろにかけていた眼鏡とマスクを外し、その素顔をあらわにして震える瞳で男達を見据える。口髭を生やした老医が白い息を吐きながらドルトンを見下ろして激情のにじむ声を絞り出した。


「おれ達だって医者なんだ……!奴らの“強さ”に捻じ伏せられようとも、医療の研究は常にこの国の患者達のために進めてきた!!」


 クオンはそっと口元から石を離した。懺悔のように、あるいは腹に据えた覚悟を吐き出すように言葉を紡ぐ老医と固く頷く医者達に目を伏せる。


「……とあるヤブ医者・・・・に……『諦めるな』と教えられたからだ…!もう失ってはならないんだ!!そういう…“バカな男”を…!!!」


 彼らが何を思い、何があって服従の意思が揺らいだのか、クオンには分からないし知ろうとも思わない。けれどワポルに反逆したドルトンを助けたと分かればこの国にいるはずのワポルの専属医師である彼らとてただでは済まないことは確かで、それでも救おうと決めた医者に預けることを、クオンは決めた。


「お願いします」


 立ち上がり、被り物越しに低くくぐもった声でクオンは告げた。奇妙な被り物をした執事にその場すべての視線が集まり、考えるように散り、そしてゆるりと目の前の医者に向けられる。そろそろとドルトンを囲んでいた人々の輪が崩れて医者に道を譲るのが答えだった。クオンがぱしんと白手袋に覆われた手を打って音を響かせる。


「さぁ、皆様。お手伝いくださいませ。医者は多数あれど手はいくらあっても足りないものです。ドクター、まず我々は何をすれば?」

「ひとつ、家をあけてほしい。そこに彼を運び入れてくれ」

「医療道具は我々のものを使う。だが清潔な布や包帯、水と湯が必要だ」

「分かった!!」


 クオンの号令と共に医者それぞれが指示を出し、すぐさま頷いて身を翻した村人達が雪崩に呑み込まれず無事だった家のひとつに駆け込んで中のものを外へと放り出す。他に必要な物資を聞いて駆け出す者、手術室にした家へとドルトンを運ぶ者、一度は消えたと思われた希望の火を再び熾そうと駆け出す者達を眺め、医者でもなくこの国の住民でもないクオンはもはやできることなど何もないと静かにその場を離れ、住民達の輪の外に佇むビビ達3人のもとへと戻った。










 ドルトンが医者達の手によって治療を施されてから暫く。家の脇に積まれた木箱に凭れたゾロ、柵に寄りかかるウソップ、そわそわと落ち着かない様子のビビの傍らに佇立するクオンは左手で首を撫で、そのまま左肩に乗るハリーに指を伸ばして顎を撫でた。ハリーがくすぐってくる指に顔をすりつけて小さく鳴く。
 手術は無事成功した、と先程村人達が歓喜に湧いていたからそろそろドルトンは目を覚ましそうだと思っていれば、ふいに顔を上げたビビが強い眼差しでクオン達を順に見やる。


「山を登りましょクオン、ウソップさん!!Mr.ブシドー!!じっとなんかしてられないわ!!さっきの雪崩のことだってあるし……ワポルが後を追ったことも、Dr.くれはが城へ戻ったかどうかも分からない…!何よりナミさんはすごい高熱が…」

「その上、ドルトンも心配でアラバスタも心配か?」


 身を乗り出すビビに反し、ウソップは静かな口調でビビに返した。図星を突かれたビビがはっとする。


「ビビ、落ち着けよ。お前は何もかも背負いすぎだ」

「!」

「ナミにはルフィとサンジがついてる!何とかやってるさ。あいつらなら大丈夫!!おれはあいつらを信じてる!!」


 きっぱりと言い切るウソップの言葉にビビが目を瞠り、良いこと言いますねぇ狙撃手殿、とクオンは感心した。たとえその内心がワポルも向かった山を登りたくない恐怖からのものだとしても、己の船長を信じる心は本物だろう。
 クオンだけではない、不安なときこそ彼らを信じることも大切だと気づかされたビビがゆっくりと息を吐いて「ありがとうウソップさん」と礼を口にしてさらに何かを言いかけるが、「おめぇは山を登るのが恐ぇだけだろ」とウソップの額を小突くゾロと雪男だの熊うさぎだのがいるらしいと生まれたての子鹿のように足を震わせて怯えるウソップを見て呆れた様子で言葉を詰まらせた。はじめからそう言えよ、とさらにツッコむゾロに大丈夫あいつらなら何とかするさと言い切り恐ぇもんは恐ぇんだ文句あんのか!と叫ぶウソップと、まるで締まらない彼らの会話に、クオンは被り物の下で小さな笑みを描いて笑った。


「ドルトンさん!!!無茶だ!!」


 と、ふいに誰かの制止の声が聞こえてクオン達は全員声がした方を振り向いた。手術室に整えた一軒の家の扉が開き、中からひとりの男が転がるようにして飛び出してくる。


「…そこをどけ!!今戦わずにいつ戦う!!」

「ドルトンさん!!」

「おっさん!!」


 ビビとウソップが名を呼んだ男は全身に包帯を巻き、血の気が失せた顔を憤激に燃やしている。しかし、立って歩くだけの力もなく己の武器を支えにしてかろうじて体を起こしているだけの満身創痍だ。一命を取り留め目覚めたばかりだというのに随分と無茶をする。ふむ、とクオンは被り物の顎を撫でた。


「無理やりにでも止めた方がいいのでしょうか」

「やめてやれ」


 クオンの無理やりは文字通り問答無用の遠慮なしだと分かっているゾロが呆れたように窘める。クオンは軽く肩をすくめてみせた。
 荒い呼吸を繰り返すドルトンは眉間に深いしわを刻み、燃える瞳で行くべき先を睨みつける。その目に映る倒すべきの姿に、血反吐を吐くように吼えた。


「国の崩壊という悲劇の中にやっと得た好機じゃないか…!!!今這い上がれなければ永遠にこの国は腐ってしまうぞ!!!」


 それは、魂の慟哭のような叫びだった。国を想い、民を想い、行く末の幸福を願う男はやはり「良いもの」だとクオンは思う。彼が王であったならこの国には笑顔があふれ、そしてたとえ一度滅ぼされたとしても絶望に染まりきることなく前だけを見て立て直しができた。─── 否、王があり、民があり、そしてこの地が残されているのであれば、どれだけの爪痕が残されようとも国は決して滅びはしない。

 クオンはついと煙突のような山を仰ぎ見た。その山の頂上にある城をおそらくワポルは目指している。王権を復古するためにはかつての居城を取り戻す必要があるからだ。そしてそこにはこの国唯一だった医者が住み着いていて、ルフィ達がいるはずで。

 確かにビビが言った通り、ルフィ達は雪崩に呑み込まれていて道中力尽きているかもしれないし、医者は城にいないかもしれないし、ナミは病魔に命を食い尽くされているかもしれない。
 けれどクオンは。彼らが医者のもとへと辿り着けていないなどと、まったくもって思えなかった。だからまぁ、大丈夫だろう。それに、ワポルが城に乗り込んできたとして、はいどうぞと通すような者達ではない。戦闘になったとしてもそう簡単にやられるほど弱くもない。
 だがそうして言葉で説得したとしてもドルトンは聞かないと分かっているから、クオンは「良いもの」の命の灯火を消さないために尽力してやろうととうに決めている。





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