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「……ハッ!おれは何を」

「おや、おかえりなさいませ狙撃手殿。意外と洗脳解けるの早かったですね」

「おう、ビビのクオン。何かビビと話してたあたりからちょっと記憶が飛んでる気がするんだが……まあお前はビビのものだから気にしなくてもいいか」

「おっと完全には解けてませんでしたか」


 正気に戻ったかと思ったがまだ目の奥がぐるぐると渦巻いている。小さな笑みを被り物の中にとかしたクオンはおもむろに両手を上げ、パァン!!と高く鋭い音を浴びせてウソップを完全に正気に戻した。





† ドラム島 10 †





 道なき雪道を4人で歩くこと暫く、左肩に乗るハリーを指で撫でていたクオンはふと白くけぶる視界の先に人だかりが見えてひとつ瞬いた。何やら騒いでいる多くの人と、そして見覚えのある円錐形の屋根をした建物。クオンに少し遅れてビビも気づいたようで、見てあれ!と人だかりを指差して声を上げる。


「人が騒いでる…!」

「あの建物には見覚えがあります。ここはビッグホーン、どうやら最初の村に戻ってきてしまったようですね」


 そしてビッグホーンといえば確か、ワポルが現れドルトンが向かったはずの村ではなかったか。あちこちが雪で埋まっているのが見え、どうやらこの村も多少雪崩に呑まれてしまったようだ。
 クオンは無意識に足を速めて村へと進み、一番近くにいた村人へと声をかけた。


「どうしました、何の騒ぎです」

「あ、あ!?って、あんた達は海賊の」

「おいどうしたんだ」

「どうしたって君がどうしたんだそんな格好で!!!」


 愛嬌があるようでいてどこか間の抜けた被り物をした奇妙な真っ白執事に驚いた村人が横から声をかけてきたゾロを見てぎょっと目を見開く。その反応は当然だが、とにかく今は状況を教えてほしかった。ざっと見たところこの村にいるはずのドルトンとワポルの姿が見えず、そして何やら見覚えのある服装をした武器を携えた者達が固まっていて、その周りに村人達が囲むようにして立ち、騒いでいるようだが。


「ドルトンさんが雪崩の下敷きになってるんだ!!だがあいつらが邪魔して雪を掘ることができない!!」


 クオン達に気づいた別の村人が囲みの中心を指差して教えてくれ、クオンは被り物の下で目を細めた。一歩足を踏み出すと同時、村人が「あいつら」と呼んだ中心部にいる男達の耳障りな嘲笑が耳朶を打つ。


「下がれ下がれ、ドルトンはもう死んだ!!」

「ドルトンさんがあれくらいで死ぬもんか!お前達元部下だろう、何とも思わないのか!!」

「おれ達は国王ワポルの家来だ!ワポル様の敵に回れば命はない!!」


 成程、内心がどうであれ、ワポルに付き従うのが彼らなりの生存戦略であることは理解した。しかし、だからとあっさり護るべき国民に武器を向けるのであれば─── それはやはり、滅んだ国の元国王ワポル同様「いらないもの」だろう。
 クオンの鈍色の瞳が奇妙に凪ぐ。しかしその瞳に宿る光だけは凄絶に煌めき、意識の端でウソップとゾロが何か話しているようだがその会話は耳に残らなかった。冴え冴えと白刃のように冷たく鋭くなるクオンの気配に気づいたビビに小さく名を呼ばれて少しだけ意識がそちらに向く。


「文句がある奴は遠慮なくかかってくるがいい!!ドルトン抜きじゃ、そんな勇気もないか!!ハハハハ!!」


 瞬間、囲いの中からふたつの人影が躍り出て嘲笑する男へと飛びかかった。
 石を握り込んだ緑の男の左手がワポルの家来である男の顔を横殴りにし、一瞬遅れて真っ白執事の踵落としが傾ぐ体に落ちる。こめかみに叩き込まれたそれは男を雪の地面に深く沈め、勢いよく舞い上がった雪がまるでカーテンのように人々の目から緑と白の人間を覆い隠した。


クオン、Mr.ブシドー!?」

「誰だ!?」

「おい君達やめろ!!そいつらに手を出すと…」


 驚くビビ、突然の闖入者に身構えるワポルの家来達、そしてどよめく村人達など外野の声を無視し、ビビにだけは軽く手を振ったクオンは倒れた男の服を剥いで着込むゾロを振り返ることなく問うた。


「剣士殿、どうですか着心地は」

「うっはっはっは!!あったけぇ!これ返すぜクオン、ありがとよ」


 場違いなほど朗らかに笑ったゾロから左手に持っていた石を投げ返され、それを見ることもなく受け取って懐にしまう。お前そのために、とウソップの呻く声が聞こえて、どうやらゾロは服を奪うために飛び出したようだ。それもそうだろう、ドルトンと話したこともないゾロには真っ先に飛び出していく理由がない。


「奴らを殺せ!!」


 仲間のひとりが倒されたことで殺気立ち怒声を上げてこちらへ向かってくるワポルの家来をクオンは無感動に眺めた。船で一戦交え、そして今もまたひとり瞬殺されたというのに2人を倒せると思えるのはなぜなのか、クオンには分からない。数なら勝てるとでも思っているのだろうか。だとしても、満足な統率も取れていないような及第点以下の烏合の衆に勝てると思われるというのは、少々癪だった。


「ほぉ…懲りないねぇ諸君」


 にやりと不敵に口角を吊り上げたゾロが向かってくる男達の方に体を向ける。売られたケンカは全力で買って叩きのめすタイプのゾロは寒中水泳のために刀は外していたために丸腰だが、まあ武器は今から捨てるほど手に入るから間に合わせとしては十分だろう。
 クオンは軽く左手で首を撫で、瞬間、その姿を音もなく消した。


「は!?消え───」

「どうぞ、剣士殿」

「ああ」


 突然消えた真っ白執事に驚いた一同の前に、数秒も経たずに再び姿を現したクオンの手には二本の刀。ゾロの実力であれば彼らに三本は過剰だろうと二本に留めたそれを驚くことなく隣に佇むゾロに渡せば当然のように受け取られた。
 すらりと鞘から抜いてあらわになった刀身が鈍く光る。そうして初めて、ワポルの家来達の中から2人、おれのがない!?と騒ぎ出した。くっとゾロが低く喉で笑う。


「ナミと同じくらい手癖悪ぃな、クオン

「称賛として受け取りましょう」


 飄々としたクオンにゾロは僅かに笑みを深め、否定はしなかった。真っ直ぐに斬るべき敵を見据え刀を構える。


「一度手ぇ出したんだ、お前も手伝え」

「ハッ─── 手伝うのは、あなたの方ですよ、剣士殿」


 被り物の下で、形の良い唇を歪めてクオンは笑う。細められた鈍色の瞳は奇妙に凪ぎ、しかし宿る光は心臓を射抜くほどに鋭く、美しい秀麗な顔は凄絶な色をにじませている。吐き出された声音は軽やかなようでいて低く、そのすべてを被り物で覆い隠した真っ白執事と「言ってろ」と鼻で笑った緑の剣士は同時に雪を蹴った。

 白と緑がはしり、進路上にいた敵がゴムボールのように跳ね上げられては雪に沈む。舞い上がった雪の欠片は紙吹雪のように降り注いだ。
 クオンはひらめかせた指の間に挟んだ針を飛ばして急所を貫き、何とか倒れずにいた者を脚や拳を使って確実に飛ばしては沈めていく。向けられた銃口から飛び出た銃弾を白手袋に覆われた手の平で受け止めれば愕然とする男の顔は見る間に恐怖に染まり、瞬く間もなく視界に広がる猫を模した被り物をした執事に意識を刈り取られていく。
 クオンは男達の命は取らなかった。しかし、きっちりと丁寧に心をへし折っていく。

 クオンはゾロの位置を常に視界の端に捉え、巻き込まないよう意識したのは数秒だけで、すぐにそれも考えなくなった。あの剣士ならばクオンが下手を打っても適当にいなしてくれるだろうと思ったし、実際、敵に飛ばした針が偶然かまぐれか弾かれてゾロの方に向かい、けれどそれは僅かに横にずれることでいとも簡単に避けられた。ほんの一瞬クオンを向いた瞳には戯れが多分に含まれた嘲笑がにじみ、ぴくりと目許を引き攣らせたクオンはゾロの剣戟に吹き飛ばされてきた男を視界に入れることなく空へ蹴り上げ、クオンをうっかり巻き込みそうになったことに遅れて気づいたゾロを被り物の下で鼻で笑った。被り物越しだというのにクオンが笑ったことに敏く気づいたようで、ゾロが剣呑に笑い、敵に囲まれ少し距離をあけた2人の間にピリリとした空気が漂う。
 けれど、ああ、と無意識のうちにクオンは笑みを深めていた。見ずとも分かる、ゾロも笑っている。言葉なきやり取りを物騒な気配と共に交わしながら、それでも、それが、─── たのしいな、と思った。

 「いらないものを消す」という作業が「共闘」へと塗り替えられる。凪いだ鈍色の瞳が温度を宿していくさまは誰にも見えず、そして自分自身でも気づかなかった。

 雪の絨毯を踏みしめ、銀世界の舞台で踊る2人はその中心で背中を合わせる。敵をいくつも沈めたというのに落ち着いた呼吸を繰り返すクオンは、同じくいくつも敵を斬り捨てたというのに常と変わらない呼吸を繰り返す男の、厚い生地越しに伝わる背中の温度に火傷しそうな熱を覚えた。じりじりと背中から己の心臓へ忍び寄る熱を感じながら左手で首を撫でたクオンと背中合わせにゾロが白い息を吐く。

 互いに示し合わせたわけではない。言葉ひとつなく、目線のやり取りすらもなく。けれど白と緑は同時に駆け出し、残り少ない敵へと己の得物をそれぞれ振るった。
 クオンの手が針に足を貫かれた男の頭を地面に叩きつけ、ゾロの一閃が最後のひとりを斬り捨てる。それでこの舞台は幕を下ろし、共演者である執事が燕尾服の裾を捌いてツバメの尾をひらめかせるのを横目に見たゾロは刀の峰で肩を叩いた。


「なんだ…終わりか。張り合いのねぇ奴らだ…!」


 不敵に笑って刀を投げ捨て、至極つまらなさそうに吐き捨てるゾロの声に、でしょうねぇと内心頷いたクオンは被り物の下で苦笑する。見回せばワポルの家来である男達は全員雪に伏しており、いくつか木に引っ掛かっていたり屋根に頭から突っ込んでいたりするが気にせず左手で首を撫でた。手を離せば戦闘中左肩に乗ったまま離れなかったハリーがさらに身を寄せてきて、小さく鳴くハリーの顎に指を滑らせる。

 時間にしてはほんの数分。真っ白執事と緑髪の剣士の共闘は圧倒的な戦力差をもってして男達を瞬く間に下し、その事実に村人達が限界まで目を見開いて驚愕している。すごい、と呆然としたビビの声がクオンの耳に届いた。


「よし!!よくやったゾロ、クオン!!おれの指示通りだ」


 唖然と停滞した空気はウソップのひと言で破られ、我に返った村人達がわっと囲いを解いて飛び出す。


「ド…!ドルトンさんを捜すんだ!!」

「急げ!!掘りまくれ!!」

「雪を溶かせ!!」


 次々に村人達がスコップを手に駆け出し、雪に突き立てて急ぎ掘る様子を横目に「……で?何なんだこの騒ぎはいったい」とウソップに顔を向けるゾロの肩をありがとう!とひとりの男が叩いて通り過ぎていく。クオンもまた、ありがとうな!と礼を言われ、返事を待たずに雪を掘りにかかる村人を見送って倒したばかりのワポルの家来達をぽいぽいと村の外へと投げ捨てた。


「剣士殿も片付けを手伝ってください。さすがに量が多いので」

「そうだな、ゾロはそっちを頼む!」

クオンもお願いね!!」


 言い、ウソップとビビが駆け出していく。何だかよく分からないまま自分が倒した男達をクオンと同じように村の外へ投げ捨て、ゾロは左手で首を撫でるクオンを振り返った。


「あいつらが必死になってるドルトンってのは誰だ」

「この滅びた国の、かつての守備隊隊長殿ですよ。現在はこの名もなき国の民間護衛団団長とのことですが」


 ワポルの家来、国の守備隊の上司であるならそういうことだ。己を罪深い人間と称し、憂いを帯びた目をしていたことにも説明がつく。民間護衛団団長というのはギャスタへ向かう前にココアウィードの町で耳に入った彼の地位だ。


「彼は『良いもの』です。死なせるには惜しい」


 何より、この名もなき国の人々が必要としている人間だ。ドルトンの名を呼び、急ぐんだ、急げ、生きててくれ、と祈るように希望を口にして雪を掘る人々を見回したクオンはまたひとり、雪に伏せる男を村の外へと投げ捨てた。





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