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 ひどくざわつく気配を島中から感じる。ワポルが、かつてのこの国の王が帰ってきたという一報は瞬く間にこの島に点在する町村へ伝えられ、誰もが武器を手にして戦わんとする。それほどまでに忌み嫌われた、誰もが望まない王の帰還。真っ先に駆けて行った男に続けと殺気立っている。

 沸き立つ国の道なき道を、ヤギのような立派な角を持った動物2頭が引くソリに乗って手綱を握るクオンは駆け抜ける。目指すはココアウィードよりさらに北の町、ギャスタ。この国唯一の医者がいるかもしれない町をひたすらに目指す。


「……なぁビビ、クオンの奴、さっきめっちゃ怖かったんだが」

「うん…実はクオン、ワポルみたいな悪い王様とか指導者とか上司とか、そういうのが大っ嫌いなのよ」


 狭いソリの端に寄ってひそひそと交わされるビビとウソップの声はしっかり聞こえていたが、否定できない事実なのでクオンは無言を貫いた。





† ドラム島 8 †





 魔女の異名を持つドクターがいる町へ向かいながら左手で首を撫でたクオンの右隣、ココアウィードの住民が描いてくれた地図を持つビビを後ろからウソップが覗き込む。


「おいビビ、クオン!本当にこっちで合ってんだろうな、魔女のいるギャスタって町は」

「そう言われるとちょっと自信ないんだけど…」

「自信ないじゃダメじゃねぇか。いいか!?もしナミ達がやっとの思いで城に着いて、医者がいなかったらあいつらオイ何やってんだ?ってことになるわけだ!王女だろ、何とかしてくれ」

「関係ないじゃないそんなこと!だったらウソップさんが見てよ、地図」

「バカ言えっ!一面雪だらけなんだぞ!おれはまったく分かりません!!」

「狙撃手殿」

「ごめんなさい!!」

「……まだ何も言っていないのですが」


 あと、別にビビに対する軽口めいた口論を咎めるつもりもない。ビビも特に気を悪くしたふうもなくしっかり応戦しているわけだし、それくらいお互いに気を許し合っているのなら止める方が無粋だ。それに、自信たっぷりに言い切るウソップの潔さはいっそ好ましいと思う。


「この道の途中にギャスタへの看板があるはずなので、それを見落とさないでください。私は慣れない手綱を握ることで忙しく、姫様だけでは見落としがあるかもしれません。狙撃手としての目に期待しています」

「OK!任せろ!!」


 ぐっと親指を立てて笑うウソップに顔を向けていたクオンと地図を見ていたビビは、たった今通り過ぎた道の脇に降り積もる雪に覆われている何かに気づかず、ソリを引く動物達が立てる僅かな振動によって雪が落ちて、まさしくクオンが言ったその看板があらわになったことに当然気づくこともなかった。残るハリーは静かにクオンを見上げているだけで、やはり看板には気づかない。

 ソリはそのまま雪道を駆け、真っ直ぐに進んでいたが─── いつの間にか雪深い道、というか、山へと入り込んでいた。
 さすがに自分達ほど高さのある雪道は進めないのか、ソリを引いていた動物達が足を止める。ふむ、とクオンは被り物の下で微かに眉を寄せた。


「道を間違えましたね。戻りましょう」


 おそらくどこかの道で看板を見逃してしまったのだろう。これだけの雪だ、慣れていない者しかいないのだからそれも仕方がないとクオンが一旦ソリを降りようとすれば、ふと地響きを感じて顔を上げた。ビビとウソップも気づいて「なに?この地響き…」と訝しげに周りを見回す。
 クオンの背に戦慄が駆け抜けた。跳ね上げた視線の先、山の上の方から、白い何かが迫ってきている。─── 雪崩だ。


クオン!……まさかこれって…!」

「ソリは捨てて逃げますよ」


 言うが早いか、手綱を外してソリを引いてくれた動物2頭を自由にしたクオンは、ビビを抱えるとすぐさまソリを降りた。ウソップも慌ててソリを降りる。
 深い雪の上を足を沈ませることなく駆けるクオンは、迫る雪崩の勢いを見て小さく舌打ちした。このままでは間に合わない。腕に抱えたビビだけなら雪崩が届かない位置まで避難させることは難しくないが、ウソップやここまでソリを引いてくれた動物達も抱えてとなるとさすがに無理だ。隠す余裕もなく乱暴に左手で首に針を刺すが、迫る雪崩に気を取られている2人はそれに気づかなかった。


「だだだ大丈夫だクオン心配すすんな!!呑み込まれてもおれが必ず助けてやる!!!」

「……本当に、あなたは」


 自分の命が危ういというのに、必死になって雪道を駆けながらも他人を気にかけるウソップに被り物の下で苦笑する。ねぇ、もしかしてルフィさん達、と肩越しに迫りくる雪崩を見たビビが言う通り、おそらくルフィ達もこの雪崩に巻き込まれている可能性が高い。だが今それを気にする余裕はなかった。彼らなら大丈夫だと、きっと何とかして山の頂上に辿り着けると信じるしかないのだ。


クオン…!雪崩がもうそこまで!!」


 焦燥に満ちたビビの声が耳朶を叩く。首に回された腕に力がこめられ、背後を一瞥したクオンは言葉なく隣を走るウソップの襟首を引っ掴んで雪の地面に引き倒した。突然のことにウソップが目を見開く。それに構わずビビもその場に落とし、傍らを走る動物達を能力を使ってその場に留めて同じく伏せさせたクオンは、羽織っていた防寒着を広げて彼らの上に被せた。


クオン!?何を…!」

「おいクオン、逃げねぇとまずいだろーが!!」

「このまま逃げたとしてもどうせ呑み込まれます」


 そうして体力を無駄に消費するくらいなら、今こうした方がマシというだけの話。
 地響きと共に雪崩が迫る。ハリネズミを肩に乗せたままひとり雪の上に膝をついて体を起こしたクオンは覆い被さるように僅かに上体を傾けた。


「大丈夫。私が何とかしますから」


 いつもの口癖をいつものように紡ぎ、低くくぐもった声が彼らに伝わる。息を呑んだビビが声を上げる間もなく、彼らは白い波に呑み込まれた。










「─── クオン!おいクオン!!」


 どこか遠くからかけられる声と共に体を強く揺さぶられ、意識の浮上を自覚したクオンはうっすらと開いた瞼をひとつ瞬かせ、雪に覆われた地面が視界に入って─── 瞬間、跳ね上げるように体を起こした。


「姫様!!!」

「大丈夫、クオン!ここにいるわ!!」


 血相を変えたクオンが叫ぶと同時に顔を掴まれてビビの方を向けられ、ビビの傷ひとつない顔とその手の感触を感じないことに被り物が取れていないことに気づいたクオンが長く深い息を吐く。ゆっくりと強張っていた肩から力を抜く執事の顔を包む被り物から手を離し、お怪我は、と問われたビビが苦笑する。


「誰も怪我なんてしてないわ。クオンのお陰でね」

「雪崩に呑まれたと思ったんだが、気づいたらかまくらみたいになっててよ、クオンが倒れると同時に崩れちまって、慌ててみんなで雪を掘って外に出たんだ」


 腰に手を当てて言うウソップに、そういえば先程自分を呼んだ声は彼のものだったことを思い出す。ちらりと視線を走らせれば少し離れたところに元は半円状の盛り上がりだっただろう崩れた雪の山があり、そこからいつの間にか気を失ったクオンをここまで運んでくれたようだ。クオンは無意識に左手で首に触れようとして、そこにハリーがいることに気づく。ハリー、と呼べば小さな鳴き声が返ってきた。
 と、ふいに被り物を小突かれて顔を上げれば、ヤギのような立派な角を持った動物が2頭、つぶらな瞳を向け鼻をクオンの被り物に押しつけてくる。


「わ、わ、どうしましたあなた達」

「ありがとう、だってよ」


 慌てるクオンにウソップが笑い、被り物の下で目を瞬いたクオンはぽすぽすと今度は額を優しく当ててくる彼らの頭を撫でる。


「さぁ、あなた達はお帰りなさい。村へは戻れますか?」

「きゅきゅーい、はりり」


 クオンの言葉を通訳するようにハリーが言い、それが通じたのか、彼らはすっと身を引くと踵を返す。さくさくと雪に足跡をつけて進み、振り返り、クオンがひらりと手を振ると顎を上げ、そしてもう振り返らずに林の奥へと消えていった。





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