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 ルフィ達が医者のもとへと行って暫く経った。段々と風が強くなる中、ルフィ達を案じてラパーンに出遭わないといいんだが、とこぼすドルトンに、肉食っつってももうさぎだろ?とウソップが軽く言い、ラパーンという生物をよく知らないクオンもまぁ船長殿やコック殿なら大丈夫そうですが、と思いはしたが、「そう…うさぎの機敏さに熊の体格を持ち合わせ集団で襲ってくる」と言われてはちょっと考えた。それでもまぁ戦闘力的には大丈夫だろうが、病人であるナミへの負担が大きそうだ。


「だとしても、この私に何とかする・・・・・と言ったのだから、大丈夫でしょう」


 あれはやると決めたのならやり遂げる男だ。こっそりドルトンを「良いもの」認定したクオンの浮気心を敏感に察知したビビに背中から抱きつかれながらクオンが言い、軽くもう一杯飲んでおこうかといそいそと水筒を取り出した。





† ドラム島 7 †





 ラパーンの生態を聞いたにもかかわらず自然と落ち着いた様子の執事にまぁ確かにとウソップとビビが頷き、クオンが被り物を外して雪にとけるような白い肌をした秀麗な顔を晒すと同時、


「ドルトンさんドルトンさん」

「!!!」

「ぅぎゅ」


 唐突にかけられた声に驚いたドルトンに勢いよく被り物を無理やりに被せられ、雪に覆われた地面に引き倒されたクオンが小さく呻く。
 ドルトンに声をかけてきたのはウソップとルフィがハイキングベアと勘違いした大柄な女性で、またもや勘違いしたウソップが一礼するのはとりあえず流しておいて、何の用かと思えばドルトンがドクターを捜してると聞いてやって来たらしい。


「ええ、その通りですが…しかしたった今病人は…」

「ちょうど今ね!隣町に下りてきてるらしいわよ!」

「な……!!?何ですと!!?」


 思いがけない言葉に目を見開いてゴゴーン!!と驚くドルトン、ビビ、ウソップと同じように、引き倒されたままクオンもまた、何とまあ、とぱちくり目を瞬かせ、いきなり己の相棒に無体を働いたドルトンの指に噛みつこうとガチガチ歯を鳴らすハリーを両手で握り締めて止めていた。










 ドクターが下りてきている町の名はココアウィードというらしい。ドルトン、クオン、ビビ、ウソップは急ぎその町へ向かうことにして、ヤギのような立派な角を持った動物2頭が引く大きなソリに乗って雪道を駆ける。
 手綱を持つドルトンにいまだぷんすかと肩を怒らせるハリーをよしよしと撫でて宥め、出発するならと防寒着を返したらそのまま着ておくようにと1枚を再び渡されて羽織るクオンが流れていく景色に目をやる。
 どこもかしこも銀世界、しかも林立する木々の連なり方も似ていて、地元民でなければ方向感覚が簡単に狂いそうだ。その中を迷う素振りもなく駆けるドルトンが前を睨むように見ながら唐突に「すまん、私のミスだ…!」と声を発した。


「昨日ドクターが山を下りてきたという情報があったもので、もう数日下山はないと踏んでいたが…!読み誤った……!!」

「気にすんな!あんたのせいじゃねぇよ!!問題はあの2人の異常な脚力だ。おれ達が今更雪山を追いかけたところでとても追いつけねぇ」


 ウソップがフォローした通り、ドルトンは急ぎナミを連れた2人を追いかけようと言ったがクオン達は声を揃えて首を振り、私ならいけますが、と動こうとして「ダメ、絶対」とビビにしがみつかれたので断念した。


「そのココアウィードって町にドクターが現れたんなら、頼んで至急城へ帰ってもらうまでだ」

「ええ…それ以外に方法はないわ。クオンは絶対行かせられないし」


 ぎゅうとクオンに抱きつくビビに内心で過保護ですねぇと呟く。厚い生地越しに伝わるぬくもりは僅かで、こちらの冷えが伝わらなければいいのですがと思いながら左手で首を撫でた。先程ドルトンがソリの準備をしている間に飲んだサンジ特製ホットドリンクのお陰もあり、体温はいくらかマシになっているはずだが。
 ぼんやりと流れる景色を眺めていたクオンは、ふと、許してくれと懺悔するようにこぼすドルトンの声を聞きとめて振り向いた。


「医者すらままならん、この国を」

「そ…そんな、ドルトンさんが謝ることじゃないわ!」


 すぐにビビが声を上げるが、ドルトンは何も言わず俯き、少しして真っ直ぐに前を向き直して「急ごう!」と声を上げた。
 クオンはその大きな背中を無言で眺める。この国を心から想うには、何かを躊躇うような素振り。この国の新しい王になる資格がないと言い、国民からの選挙で選ばれるには罪深いと沈痛に瞳を揺らす。何かがあるのだろう。否、あった、が正しいか。それがこの男を足踏みさせている。心に深い陰を落としている。その理由が、かつてのこの国の王であるのなら。


(やっぱり、あれは)


 いらないな、と被り物の下で凪いだ鈍色の瞳を瞬かせた。










 隣町、ココアウィードには然程時間を置かずに辿り着いた。
 町の前にソリを停め、ドルトンが町の人間にドクターの居場所を聞いて先導し向かったのは一軒の酒場らしき店。
 上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物をしている白い燕尾服を着た執事の異様さにすれ違う住民はぎょっと目を剥いたが、ドルトンが一緒にいるのならば大丈夫かとちらちら振り返りながらも通り過ぎていく。
 なぜか壊れている出入口のドアを横目に最後尾のクオンが店へ入ると、ドクターの居場所を訊いたウソップが「え!?もうこの町を出た!?」と声を上げた。


「何てこった、すれ違いかよ!」

「さっき僕の病気を治してくれたんだ」


 頭を抱えるウソップに、足に包帯を巻いてソファに寝ていた少年が上体を起こして教えてくれる。すると、店主らしき男が「ドクターを捜しているのかい、ドルトンさん」と声をかけてきた。


「急患なんだ、ドクターの行き先を知らないか?」

「ギャスタの方へ向かったと誰かが言ってたぜ」

「ギャスタへ?」


 店内にいた客のひとりが答え、ドルトンが目を瞠る。どこだそれ?とウソップが訊いた。


「この町からさらに北へ向かうとある湖畔の町だ。そうだな、あと…スケートが盛んだ」


 最後の情報はいるのでしょうか、と思いながらハリーを肩に乗せたクオンはビビを振り返る。ビビはひとつ頷いてドクターの後を追うことを決めた。


「行きましょう!ここまで来たら迷ってる暇はないわ」


 クオンも同意見である。そして単身向かうことは許されないだろうからまたソリにお邪魔することに決め、再びドルトンに世話になろうと思えば、店の外がざわついている気配に気づいた。一瞬遅れ、直されたばかりのドアが勢いよく開かれてひとりの男が血相を変えて入ってくる。


「ドルトンさん!!ドルトンさんはいるか!!?」


 その緊迫した声に、ドルトンがすぐさま振り返って男と向かい合う。


「どうした、君は確か今日の見張りでは…」

「おれ以外の見張りは全員やられちまった…!!突然、海岸から潜水帆船が浮上うかんできて、みんなあいつらにやられたんだ!!ドルトンさん助けてくれ!!!おれ達の力じゃ…」

「落ち着いて話せ。いったい誰にやられたんだ」


 焦りから言葉少なになる男を努めて冷静な口調で落ち着かせるドルトンを視界に入れながら、クオンは自分の頭が恐ろしいほど冷えていくのを自覚した。思考が冴え冴えと研ぎ澄まされ、ひとつの言葉が脳裏に響く。
 潜水帆船。昨日出会った海賊船。この国を目指していた、あの男。滅びた国の、かつての王が。


「ワポルの奴が、帰ってきやがった!!」


 いらない・・・・ものが、そこにあると言う。
 ワポルの名を聞いてざわりとその場がひどくざわめいた気配はどこか遠く、どこまでも凪いだ鈍色の瞳を煌めかせてクオンは無意識に一歩踏み出した。ワポルの名を聞いて顔色を変えたドルトンがおもむろに動き出した執事に気づいて振り返る。


「それは、どこに」


 被り物越しの低くくぐもった声が男を詰問する。氷よりも冷たい白刃のような気配を放つ執事は落ち着いていて静かだが、あまりに剣呑なそれにびくりと肩を震わせた男にさらに一歩詰め寄れば、「ド、ドルトンさんの村だ、ビッグホーンが今、大変なことに……」と怯えた顔で告げられてクオンの被り物をした顔が来たばかりの方角を向く。─── そうか、そこか。


クオン!どこに行くの!?」

「いらないものを消しに」


 慌てて声をかけるビビに返す冷徹な声音と態度は主に向けるそれではない。だが今はビビに意識を割くこともなく店の外へ出るために歩を進めようとすれば、ふいにぼすんと被り物に手を置かれて足を止めた。


「君は何もしないでくれ」


 降ってきた言葉に目だけ上げて見やる。覚悟に満ちた強い光を目に宿すドルトンの姿がそこにあった。


「この国を護るのは、この国の人間がなすべきこと。まだこの国の人間である私がするべきことだ」

「……」

「すまないが、これだけは譲れない」


 知っている、とクオンは冷静な部分で呟いた。
 時間が1秒でも惜しいだろうにまずクオンを止めることを選択したドルトンの意志を汲み、剣呑に張り詰めた空気を霧散させたクオンに一瞬だけ笑みを見せたドルトンは表情を固くさせるとすぐさま身を翻して店を出て行った。
 店の外に繋がれていた馬に跨っていったのだろう、馬の嘶く声が聞こえて、ドルトンの気配が追えなくなるまで黙り込んでいたクオンは、ドルトンと奇妙な執事とのやり取りに静まり返った店内に構うことなく振り返り、低くくぐもった声で頼む。


「どなたか、ギャスタへの地図を描いてくれませんか」





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