70





 ナミをルフィが背負って山を登ると決まり、早速ドルトンに肉をねだるルフィに困惑しながらも律儀に用意してくれるドルトンを眺めていたクオンは、「よし、おれも行く!!」と同行を決めたサンジを振り返り、ギンッと鋭く睨まれて肩を震わせた。瞬時に距離を詰めたサンジがどこからか取り出した大きな水筒をクオンに押しつける。


「いいかクオン喉が渇いたらこれを飲め渇かなくても飲め定期的に飲めおれ達が戻ってくるまでに飲み干せ」

「コック殿、ここまでそれを持ってきたんです?」


 おそらく中身はクオンのために作っていたあのスパイス入り特製ホットドリンクだろうと想像はつくが、よくもまあわざわざ用意してきたものだ。
 早口で捲し立て押しつけられた水筒を受け取り、いいな、と怖い顔で念を押されたクオンは、被り物の下で唇をゆるめ、分かりましたと頷いた。





† ドラム島 5 †





 ドルトンに用意してもらった肉を主に詰め込んだリュックをサンジが背負い、おれがおぶってくと言ったためにルフィがナミを背負うことになった。クオンはルフィとナミをしっかりと紐で縛り、これでよしと屈めていた腰を伸ばす。


「では、船長殿、コック殿。私はここで待っていますので、お気をつけて」

「私もここで待たせてもらうわ。かえって足を引っ張っちゃうし」


 クオンとビビに続き、おれもだ!となぜか胸を張るウソップに分かったと返したルフィが、肩越しにしっかり掴まってろよとナミに声をかけ、ナミは掠れた声でうんと小さく返事をする。いつもの元気がまるでないその声に、ナミの顔をじっと見ていたクオンは「きゅ、きゅぅい」と被り物に手を当てて鳴くハリーを軽く撫でて懐から手の平サイズの長方形の小箱をルフィに差し出した。


「船長殿、こちらを魔女殿に渡してください」

「ん?何だこれ?」

「私が航海士殿に投与した薬と、使用した針です。主な成分、服薬回数、時間、病状の経過など、中に納めた紙に詳しく書きましたので、おそらく医者なら分かるでしょう」


 そして医者なら、クオンの手持ちの薬の成分と調剤方法が異質なもので、秘伝のそれと判るはずだが、クオンは情報を開示することを躊躇わなかった。医者ではないこの場にいる人間はそのことには気づかず、一番紛失しにくいだろうナミの防寒着のポケットに小箱を入れるクオンに用意がいいなと感心するだけだった。


「…本気なら…止めるつもりはないが。せめて反対側の山から登るといい。ここからのコースには“ラパーン”がいる…!肉食の凶暴なうさぎだ。集団に出くわしたら命はないぞ!」


 最短コースとは逆を指差し、真剣な顔で忠告をくれるドルトンに、しかしルフィは耳を貸す様子を見せない。


「うさぎ?でも急いでるんだ…平気だろ。なぁ?」

「ああ。蹴る!!」


 ルフィと顔を見合わせたサンジが何の逡巡もなく力強く返す。ラパーンという動物の恐ろしさを知っているドルトンが蹴る!?と驚愕するが、時間が惜しい2人はすぐに駆け出して行った。


「じゃ、行くか!サンジ!!ナミが死ぬ前に!!」

「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇ!!このクソ野郎!!!」


 そんな会話を残して、2人とナミの姿はあっという間に見えなくなった。流石の脚力に感心したクオンだったが、さて、航海士殿はもってくれるでしょうかと心配は残る。
 本当に大丈夫かね、と既に姿が見えなくなった2人の行った先を見ながらドルトンが言い、あの2人・・・・は心配ねぇが、とウソップが返してナミさんの体力がついていけるかどうかとビビが不安を口にした。無事に着けるといいのですが、とクオンが小さく言葉を落とす。
 しんしんと雪が降り積もる中、くっと唇を引き結び、白い息を吐いて眉を寄せたビビがクオンを見上げる。


「ねぇクオン、ルフィさんが疲れてるだろって言ったのは…」

「やはり見逃してもらえませんか。……まさか船長殿に気づかれているとは思いませんでしたが、ご安心を。ここ数日気を張っていたものですから、そのせいでしょう」

「大丈夫なのよね?」

「ええ。航海士殿が元気になっていただければ針路を返し、休むつもりでしたので。さすがに少々、疲れていることは自覚しています」


 言い、肩をすくめて被り物の下で苦笑するクオンをじいと見つめるビビをクオンも静かに見返す。何も心配はいらないとビビの頭に積もる雪を払えば、手袋越しにも分かる手の冷たさにビビの眉がひそめられ、唇は物言いたげに歪み、けれど震える声音を発することなくクオンの腕に抱きついた。
 この島の雪景色にとけて消えてしまいそうな真っ白い燕尾服をまとうクオンの腕は冷たい。氷のようだ。体温を分け与えるように抱きしめながら、唇を引き結ぶビビを見下ろして、クオンは困ったように眉を下げた。






「………」


 クオンとビビのやり取りを静かに眺めていたドルトンはひとつ目を瞬き、踵を返して家へと歩み寄り玄関のドアを開ける。だが後ろに続く気配はなく、訝って振り向けば、3人と1匹はその場に佇んだまま動こうとはしない。


「…どうした君達。中へ入りたまえ。外は寒い」


 ここは冬島、極寒の国。外から来た者にはこの寒さはこたえるだろうと勧めるが、ビビが振り向きはしたものの、やはり彼らは動かない。


「…いいです、私は…外にいたいから…!」

「おれも」


 熱に苦しむ仲間を想い、仲間のために躊躇わず山を登ることを決めた彼らを想い、寒さに震えながら、ウソップの方は長い鼻を真っ赤にしてまで決して動こうとはしないその姿勢に、おそらく何も言わず静かに佇む真っ白い執事も同じなのだろうと察したドルトンは腹の奥が熱くなる思いだった。

 彼らは海賊。真っ当ではない、略奪と破壊の限りを尽くす蹂躙者。この国を・・・・滅ぼした・・・・者達・・と同じ─── 否、否、否、とドルトンは否定する。
 そんなわけがあるだろうか。丁寧に言葉を尽くそうとし、銃弾の前に立ちはだかって真っ先に床に膝をつき頭を下げた執事、怒りに震える船長を体を張って止め、執事と同じように頭を下げて窘めた年若い少女、そして海賊の船長である少年は素直に己の非を認め、躊躇うことなく同じように膝をついて叩きつけるように頭を下げた。叩きのめすことなど簡単にできるだろう、人間に向かって。病気に苦しむ仲間のために。


(ああ)


 その心の欠片でも、あの男・・・にあればと思わずにはいられない。仲間を想うように、民を想う心が僅かにでもあったなら。
 やるせなさに苦いものがこみ上げるかと思ったドルトンだったが、胸に湧き上がったのはやわらかくあたたかな感情だった。ただ仲間を想う彼らが眩しく、海賊だというのに、自分の中の海賊という存在が塗り替えられていくような。彼らのような者も確かにいるのだと、救いを見たような思いだった。


「……そうか…」


 胸に湧く万感の思いは短い言葉となり、自然とゆるんだ頬が笑みを形作る。
 ドアを閉め、ドルトンはどさりとその場に腰を下ろした。


「では…私も付き合おう」


 笑みを浮かべて紡いだその言葉に、驚いたように3人が顔を向けてくる。その中のひとつ、愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物を見て、そういえば真っ白執事の素顔は大変に美しく、目にしたときに思わず世界の時が止まったかのような衝撃を受けたことを思い出した。
 降りしきる雪と同じ色の髪は短く、なのに一本一本が輝いているように煌めいて、緊張にか硬く強張った青白い中性的な顔は絶美と評して尚足りない美しさで、思わず武器を落とした男達が何人もいた。被り物をしているときは低くくぐもり淡々とした声音であったというのに、素の声は男にしては少し高く、耳朶をすり抜け脳へ直接響かせる声音には確かな感情があった。頭から爪先まで真っ白な執事の唯一の色である鈍色の瞳は、その気になれば蠱惑に濡れ、きっとその瞳に映るためなら金だろうが国だろうが何でも差し出す者が列をなすだろう。けれどのその瞳には胸を貫くほどの真摯さを宿していたから、道を踏み外す者はいなかっただけのこと。

 クオンという名の執事は素顔を晒してすぐに頭を下げ、顔を上げたときの微笑みと優しげな眼差しに撃ち抜かれた者は多かったが刀を腰に差した男によって被り物を被らされて素顔を隠されたため長くひとの目に触れなかったのは僥倖だったと思おう。一致団結して町村の復興をしなければならない今、たったひとりの執事のために足並みを狂わせるわけにはいかない。
 だからドルトンはクオンに被り物を被せて鋭い視線を走らせた男に感謝をするし、できればこの島では二度と素顔を晒さないでほしいと思いながらクオンを見て─── 突然何の躊躇いもなく被り物を外した真っ白執事にぎょっと目を剥いた。


「な、な、な、何をしている!?」

「……?お茶を飲むだけですが…」

「ダメだダメだ、飲むなら家の中で飲め!いやその被り物をつけたまま飲め!!」

「そうするとコック殿に怒られます」


 ドルトンの怒声にも似た指示に、美しい執事は困ったようにへにょりと眉を下げる。まるで親に叱られるのを嫌がる子供のようなあどけなさがにじんで、おいやめろその顔をやめろ、先程海賊船の上で見せたときの凛々しい顔はどこへいった、可愛い顔をするな、と出かかった言葉を喉奥に何とか留め、ぐぅぅと低い唸りをもらす。
 クオンは被り物を傍らのビビに預け、すんすんすんすんと被り物の中を嗅ぐビビの方を見ず軽くチョップを入れたあとに水筒を開けて中身をフタに注いだ。
 はっとしたドルトンは慌てて周囲を見回す。幸い人の気配はなく、だがいつ誰が通りかかるかも家から出てくるのかも分からない。


「そこの執事、こっちへ来い、そこではダメだこっちだ」

「なんです、まるで爆発物を前にしたような態度ですね」

「似たようなものだろう!!!」

「えぇ…?」

「分かるわドルトンさん、クオンは歩く危険物」

「あ~~~そっか、クオンの顔を見慣れてなきゃ、まあそうだな」


 散々な言われように困惑するべきか怒るべきか拗ねるべきか、そんなふうな表情でお茶をひと口飲んだクオンは白いため息をついてドルトンの傍に寄る。


「座れ、いいかここだ、絶対に動くな」

「お尻が冷えそうですね」

「今上着を持ってきてやる!!というかなぜ君はそれしか着ていないんだ寒いだろう他に着るものがないのか?ないならそれも貸してやるからいっそそれを被ってなさいそれか被り物を」

「ありがたくお借りします」

「今持ってくる!!!」


 勢いよく家の中へ入って行ったドルトンを見送って、開かれたままのドアと呑気にお茶を啜るクオンを交互に見たウソップはちらりとビビを見る。


「これはセーフ?それともアウト?」

「セウト」

「ほんっと罪深い男だよなぁクオンはよぉ……」


 あと貢がれ上手、とこれまた勢いよく戻ってきたドルトンの上着を尻に敷き、もう1枚を頭から被ってサンジ特製ドリンクに舌鼓を打つクオンに深々とため息をついた。





  top