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 雪解け水の滝がある付近はひらけており、そこに船を泊めることして、帆をたたみ錨を降ろした。
 おもむろにゾロが口を開く。


「それで?誰が行く、医者捜し。いや…まず人捜しか…」

「おれが行く!!」

「おれもだ!!」


 ルフィが真っ先に手を上げ、次いでナミが心配でたまらないサンジが、クオンも「私も行きます」と手を上げれば、よーし行ってこい、と“島に入ってはいけない病”を発症しているウソップが腕を組んで偉そうに言った。





† ドラム島 2 †





「─── そこまでだ、海賊ども」


 突然かかった低く鋭い声に、空気が音を立てて張り詰める。気配を感じていたためクオンは然程驚きもせず、メリー号を取り囲むように周囲をぐるりと囲む武装した人々を見回した。


「おい、人がいたぞ」

「…でもやばそうな雰囲気だ…」


 ルフィに続いてウソップが言った通り、住民達の顔は皆険しく強張っている。海賊が来たからという理由にしてはひどく警戒している様子に訝りつつも視線を走らせ、先程牽制の言葉を吐いた男を見据えた。


「速やかにここから立ち去りたまえ」


 鋭い眼光の割に丁寧な物言いをする男がおそらく住民達のリーダーだろう。クオンはこつりとブーツを鳴らして一歩前に出た。白い燕尾服をたなびかせた、妙に愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物をした執事に気づいた住民達がその奇妙な出で立ちに身を強張らせる。


「突然の来訪、申し訳ございません。我々はあなた方に危害を加えるつもりはなく、所用があってこの島に参りました」

「おれ達、医者を捜しに来たんだ!」

「病人がいるんです!!」


 クオン、ルフィ、ビビの言葉を、「そんな手には乗らねぇぞ!!薄汚ぇ海賊め!!」と周囲を囲む住民のひとりが剣呑に切り捨てる。他の者達も同意見なのだろう、向けられた銃口を下げることはせず、引き金に指をかけている。下手に刺激をすると問答無用で撃ってきそうだ。


「ここは我々の国だ!!海賊など上陸させてたまるか!!」

「さぁすぐに錨を上げて出て行け!!!さもなくば、その船ごと吹き飛ばすぞ!!!」

「おーおー…ひどく嫌われてんなぁ…初対面だってのに」


 決して脅しではない怒声にサンジが眉を寄せる。それはただ感想を述べたにすぎないものだったが、張り詰めて今にも爆発しそうだった彼らの逆鱗に触れるには十分なもので。口ごたえするな!!とサンジに向けてひとりの男が引き金を引いた。
 ドゥン!!と重い音が響く。紙一重銃弾を躱したサンジだったが、脅しならともなく、実際に手を出されて大人しくしていられるはずもない。ナミが臥し危険な状態の今、取り繕うだけの余裕もないようだった。
 銃を放たれたことに顔色を変えたクオンは振り返り、刀を構えるゾロを目にすると慌てて刀の柄頭を手で押さえた。やりやがったな、と青筋を立てて銃を放った男を睨みつけるサンジに顔を向ける。


「てめぇ!!!」

「コック殿、落ち着いてください!彼らを刺激してはなりません!剣士殿も、お願いですから彼らに手を出さないでください。ここで交渉が決裂しては航海士殿がどうなるか…!」

「待ってサンジさん!」


 クオンがゾロを止め、男に向かって駆け出そうとしたサンジをビビが駆け寄って止める。だがサンジの剣幕に怯えた男が短い悲鳴を上げ、再び銃を構える音がして、はっとして仰ぎ見れば引き金にかかった指に力がこもるのを認めた。その照準が向く先はサンジ。そして、それに重なるようにしているのは。


「─── 姫様!!」


 瞬く間もなく、クオンはサンジとビビを庇うように前に飛び出した。


 ドゥン!!


 重い銃声が響く。白い燕尾服が大きくたなびいて、全身真っ白な執事は甲板に倒れ込んだ。倒れた拍子に被り物が外れて転がっていく。クオンの肩の上から投げ落とされたハリネズミが慌ててクオンに駆け寄って鳴いた。


「「クオン!!」」


 ビビとルフィの切迫した声が重なる。衝動で人を撃ってしまったことに気づいて我に返った男に、そして周囲を取り囲む男達に「お前らあ!!!」とルフィの怒声がぶつけられた。
 向けられた敵意に、男達が号令をかけて殺気をにじませそれぞれ得物を構える。それに怒りに顔を歪めたルフィが向かっていこうとして、慌ててビビがルフィに腰にしがみついて止めた。


「ちょっと待って!!戦えばいいってもんじゃないわ!!」


 ビビの声を聞きながら、クオンは転がる被り物を被り直すこともせず素顔を晒したまま跳ね起きた。左手で首を撫で、ビビにしがみつかれているルフィの肩に手をかける。青白い秀麗な顔を正面に向けたまま、鈍色の瞳に険を宿してルフィを一瞥した。


「やめなさい、船長殿。大丈夫です、私に弾は当たっていません」


 クオン…と名を呼ぶルフィの肩を叩き、被り物の下から現れた美しい素顔を晒す執事に視線を向けられた男達の殺気が呆然と削がれていく。いくつかの銃が雪に落ちる微かな音がして、それでも大半の銃は手放されず、それに構わず男達のリーダーと思しき男を見据えたクオンは真っ白な両膝を折り、甲板に白手袋に覆われた手をついて静かに雪色の髪を揺らしてこうべを垂れた。ざわりと周囲がざわめいたが気にとめないまま口を開く。


「あなた方の懸念ももっともなこと。お騒がせしたことを深くお詫び申し上げます」


 被り物によって削がれた低くくぐもった声ではない、男にしては少し高い声音は硬く、真摯な響きがしみ渡るように広がっていく。
 躊躇うことなく甲板に膝をついて頭を下げるクオンを見て、ビビがルフィから手を離す。床板を見つめるクオンの視界の端に、隣に膝をついたビビが同じように土下座をするのが映った。


「上陸はいたしません。ですからどうか、医師を呼んでいただけないでしょうか」

「仲間が重病で苦しんでます!助けてください!!」


 クオンに次いでビビが決死の声で言い、目を見開いたルフィが2人の名を呆然と呼ぶ。男達に向かって土下座をしたまま、ビビの鋭い言葉がルフィに突き立てられた。


「あなたは…船長失格よ、ルフィ。無茶をすればすべてが片付くとは限らない…!このケンカを買ったら……ナミさんはどうなるの?」


 ケンカを買って、彼らをひとり残らず倒したとして。それで医者が出てくる道理などどこにもない。ましてや助けてくれるだなんて、ありえないと言ってもいい。逃げるようにこの島を去れば、そのあとは?クオンが案内できる島はここしかなく、あてもなくさまようことになれば、高熱に苦しむナミは。

 ビビの言葉を、ルフィは反論することなく黙って聞いて、受け入れた。
 す、と音もなくルフィの纏う空気が変わる。


「…うん、ごめん!!おれ間違ってた!!」


 己の非を認めるはっきりとした声音に、偽りも嘘もない。ビビとは反対側、クオンの隣に膝をついたルフィが勢いよく頭を下げる。勢いがよすぎてゴツン!と大きな音が鳴った。


「医者を呼んでください。仲間を助けてください」


 海賊の、船長が頭を下げた。その事実に男達の殺気が薄れ、戸惑いに気配が揺れる。警戒心はなくなってはいない。けれどいくつか銃口が下がる音がして、強い瞳で床板を見つめるルフィの横顔を横目に見たクオンは、やわらかく目を細めると小さく微笑んだ。
 雪が舞う極寒の中、戸惑いと緊張感をはらんだ沈黙は、長く続かなかった。


「村へ…案内しよう」


 おもむろにそう言ったのは、島の住民達のリーダーらしき男。いいのかと伺うような視線が向けられるが表立っての反対の声は上がらず、「ついて来たまえ」と男はさらに続けて足を引いた。
 男達が持つ銃が下げられる音が響いて、クオンは長い息を吐き出すと膝をついたまま上体を起こした。あらわになった白皙の美貌に息を呑む気配がして、うわ、顔が良い、とどこからが声が上がる。どよどよと男達のざわめきが耳朶を打った。


「ね、分かってくれた」


 同じく顔を上げたビビがルフィに笑いかける。その笑みを甲板に頬をつけながら見て、力強くルフィは肯定した。お前すげぇな、と続けられた声音には感嘆がにじんでいる。そうでしょう、とクオンはビビとルフィを見て目を細め、形の良い唇に刷かれた笑みと優しげな眼差しを見てしまった男達の何人かが顔を真っ赤にしてひっくり返った。
 がぽん、と唐突に被り物を被らされる。顔を上げればゾロがいて、どうやら拾ってくれたらしい。


「ありがとうございます、剣士殿」

クオン、大丈夫か?」

「ええ。先程も言った通り、当たってませんので」


 顔を上げたルフィに問われ、答えたクオンは、ほら、と両腕を広げてみせる。血の痕どころか銃弾が掠めた形跡ひとつないクオンを上から下まで見たルフィがよかったと笑った。銃弾は当たらなかったものの、体勢を崩して倒れ込んでしまったのは無様でしたねぇとクオンが被り物の下で苦笑し、左手で首を撫でる。
 海賊にしては実にやわらかく朗らかな様子を背に、村へ案内するために踵を返したリーダーの男はふと肩越しに振り返った。


「ひとつ…忠告をしておくが…我が国の医者は、魔女・・がひとりいるだけだ」


 意味深なその言葉に、は?とその場にいる海賊達の声が重なった。





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