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「あわわわわわ」

「狙撃手殿、こちらへ。お手をどうぞ」

クオン…!!」


 とりあえず捨てるべき男を海に蹴落としたクオンは、ぎゃーぎゃーと喚き立てる周囲の男達に毛布を広げて針を投げて縫いとめることで一時的に動きを封じ、その間に怯えて震えるウソップへ手を差し伸べた。
 目を輝かせて助けてもらえると笑みを広げてクオンへと駆け寄るウソップだが、クオンの白手袋に覆われた手はウソップの伸ばされた手を過ぎて手首を掴み、反対の手は首根っこに伸びてがっしりと掴み上げる。
 きょとんと瞬いたウソップがクオンを見て首を傾げると、クオンもまた首を傾げ、被り物の下でにっこりと笑った。顔は見えていないだろうに同じようににっこりと笑い返したウソップの頭にぴょんとクオンの肩からハリーが飛び移る。瞬間クオンは腕を思い切り振りかぶり、ウソップを見張り台へと放り投げた。声にならない絶叫を上げて飛んでいき、ぼすんと見張り台にカップインしたウソップを見て満足げにクオンが頷く。


「よし」

「鬼かてめぇは」


 目の前の男達を斬り伏せながら呆れたように言われ、これが一番手っ取り早かったので、と飄々と返した。





† 執事の指針 8 †





「それでは剣士殿、後は任せました。私はコック殿とあちらを護ります」

「ああ、さっさと行ってこい」


 周囲の敵を適当に針で仕留めて時に船の外へ蹴り落とし時に放り捨て、元々3人を囲んでいたため敵の数は多いがゾロなら問題ないだろうと早々にその場を離れたクオンは、瞬きの間もなくラウンジ前の手すりに足をつけると船を食べ続けるワポルに向かうルフィを狙う男のひとりを針で貫いて仕留め、女部屋へ続く船室の前に立ちはだかるようにして戦うサンジの近くに飛び降りた。
 固く締まった肢体から繰り出される強烈な蹴りはクオンとまるで違う。能力で補助したとしても、脚技に長けたサンジには到底及ばない。船室のドアを護るようにサンジとは反対側に立ったクオンが向けられた銃口に針を投げて弾き飛ばすと、ちらとサンジからの視線を覚えたが、彼は何も言わなかった。
 クオンも特に話すことはないので会話はなく、互いに淡々と敵を仕留めていくと、何だか物言いたげな視線がちらちらと戦闘の合間に送られた。
 やはり自分が近くにいるのは気に食わないのだろうか。だが万が一船室に敵がなだれこみ、ビビやナミに危害が及ぶ可能性を考えるとここを離れるわけにはいかず、どこか険しい顔をしたサンジに申し訳ないと思いつつクオンは敵の銃弾を針で作った盾で防いだ。盾をひとつ叩けば針の先端が敵を向き、そのすべてが降り注ぐ。あっという間に沈む男達をクオンは視界に入れることすらしなかった。


(いえ、まだコック殿は私の食育をするつもりであるようなので、心底嫌われているわけでは……ないと…思うのですが……)


 けれど、それもビビが言い出したようなものなのだし、彼女のためだからと反発する感情を抑えている可能性もありますよねぇ、と少しだけ肩を落ち込ませたクオンは、その場で跳躍すると飛びかかってきた男の頭を踏みつけた。ゴッ!と非常に痛そうな音が響き、どうやら考え事をしていたため能力を強めすぎたようだ。ご愁傷様である。反省は特にしない。左手で首を撫でたクオンが小さく息をつく。


「おい、お前っ!!」

「んん?」


 齧り取った船を咀嚼するワポルへルフィが怒鳴り、ゆらりと振り返った男に向かいながらルフィが後ろへ腕を大きく伸ばす。しかし真正面から突っ込んでいったため、“バクバクの実”を食べたワポルに敵うかと既にボコボコにされた男達が嘲笑った通り、大きく口を開けたワポルがルフィを迎え撃ってバクンと口の中に入れた。

 嘲笑っていた男達をクオンの針が貫いて沈め、それを最後にこの船で立っている敵はワポルのみとなった。あとはもう大丈夫だろう、とクオンも船の外まで伸びた腕を一瞥して構えを解く。転がる男達を蹴り転がしてどけ、とんと船室のドアの横に凭れかかれば、勢いよく開いたドアからビビが飛び出してきた。


「やあ、ビビちゃん。ナミさんに異常は?」

「…え…これは……!?あっクオン!!あなた浮気したでしょう!!!」

「非常時に顔を合わせての第一声がそれなんです?」


 倒れ伏す男達に驚き、しかしすぐ傍に立つ真っ白執事に気づくと同時にがばりと抱きついてきたビビを受けとめる。戦闘が終わると悟ったか、怖々と見張り台からウソップが降りてきてクオンと目を合わせるとそっとサンジの陰に隠れた。あの場から助けてあげたというのにつれない狙撃手である。当の本人は「確かに助かったけどもっとやり方があっただろ…!」とサンジのスーツを握り締めながら何やら呻いているがクオンには届かず、クオンもまたきゅいきゅい鳴きながら戻ってきたハリーを撫でることに気が逸れていた。


「ぬ…なんて噛みにくい奴だ…」


 口を動かして何とかルフィを飲み込もうと咀嚼するワポルだが、ルフィはゴム人間なので飲み込むことは難しいだろう。こんのぉ、とワポルの口の中から低いルフィの声がして、勢いよく腕が戻ってきた。


「吹き飛べぇ───っ!!!」


 反動をつけ威力を増した掌打がワポルに叩き込まれる。言葉通り空高く吹き飛んだワポルが空の彼方に消えていくのを見送り、クオンの腕の中でワポルを見て目を見開くビビに気づいて小さく首を傾げた。


「姫様、どうかされました?」

「え…ううん。何だかあの人、どこかで見たことがあるような気がしただけ…」


 記憶を手繰るように視線をさまよわせるビビだったが、どよよと敵船がざわめいたことで意識が逸れた。


「おいまずいぞ!!ワポル様がごぶっ飛びあそばされた!!」

「なーんということだ!ワポル様はおカナヅチであらせられるというのに!!!」

「こうなってはワポル様がお沈みあそばされる前に、ご救出して差し上げなければお死にたてまつっちまうぜ!!!」

「貴様ら覚えていろ!!必ず!!!報復してやる!!!」

「リメンバー・アス!!!」

「覚えていろ───っ!!!」

「プリーズ・リメンバー・アス!!!」


 矢継ぎ早に妙な敬語で言い放ちながら素早く甲板や海に沈んだ男達を回収し撤退してワポルが消えていった方へ慌てて船を動かす彼らを見送り、撤退速度は80点、と抜かりなく評価して左手で首を撫でたクオンはしかし、すぐに彼らから興味を失った。










「気候は今のところ安定していますし、船の修繕は明日にしましょう。今からでは夜になってしまいます。ですが、すぐに取りかかれるように準備はしておきましょうか」


 ワポル達の船が完全に見えなくなった頃、静寂を破ったクオンの言葉で一同は動き出した。ウソップがいの一番に声を上げる。


「じゃあおれも手伝うぜ!明日の修繕はいいから、準備だけはゾロも手伝ってくれよ!」

「ああ」


 準備といっても、倉庫から木の板を運んで道具を揃えるくらいだ。手先が器用なクオンとウソップが修繕組、事前の手伝い要員はゾロだけで十分となり、残りはナミを看ることになった。もう少しすればサンジは夕食の準備をしなければならないし、ルフィに病人の世話は期待できないので、実質ビビが看ることになるのだが。
 特に言葉なく二組に別れ、クオンはウソップとゾロと共に倉庫へ向かった。






 汚れひとつない真っ白な燕尾服を翻して船室へ消えていったクオンを振り返って、ビビは浮かない顔で眉を寄せると自分の手を見下ろした。真っ先に女部屋へ駆けていくルフィに騒ぐなよと釘を刺すサンジがビビの様子に気づいて声をかける。


「どうしたんだい?ビビちゃん」

「あ…その……クオン、冷たかったなって…」

「冷たい?そんなふうには見えなかったけど」


 急に文句を言いながら抱きついてきたビビをいつものように受けとめていた様子を思い出して眉を寄せるサンジに、違うのそうじゃないわとビビが慌てて首を横に振る。


「体が、冷たかったなと思って。いつもはもう少しあたたかいんだけど、氷みたいだったから。ずっと外にいて冷えちゃったのかしら」


 雪が降る前も、降ってからも吹雪いている間も甲板に佇み続け風を浴びていたのだ、体が冷えてもおかしくはない、とは思うが。
 それでも何となく、どことなく漠然とした違和感があるような気がしてならない。だがそれが何なのかが分からなくて首を傾けるビビはつい足を止めて後ろを振り返った。しかしそこに捜した真っ白執事の姿はなく、抱きついたときに触れた冷たい感触が拭えなくて眉間のしわが深くなる。


「……ビビちゃん、あの執事野郎は、多少のスパイスは平気かい?」

クオン?ええ、大丈夫なはずよ。あ、でも紅茶は飲まないわ」


 サンジの唐突な質問に頷けば、そっか、とぽつりと返される。何かを考えるように宙を見つめていたサンジがふいにぱっとビビに笑顔を見せた。煙草の火を消して携帯灰皿に入れ、新しい煙草を取り出して火は点けずに咥える。


「夕食は体があったまるものにするよ。それとスパイス入りの特製ドリンクでも飲ませれば体の冷えも吹っ飛ぶはずさ」

「サンジさん……クオンのためにありがとう」

「別にあいつのためじゃねぇ」


 むっとぐる眉を吊り上げたサンジが顔を背け、クオンが調子悪いとビビちゃんが心配するからとぼそぼそと続ける。だがクオンはスパイスは平気かと訊いた時点で何の言い訳にもならない。にっこりと笑えば気まずそうに視線を逸らされた。別に、本当にそういうんじゃ、ないんだ、と小さくこぼされて、少しだけ第六感が引っ掛かる。


「もしかしてサンジさん、クオンと何かあったの?」


 ぎくぅ!と思い切りサンジの肩が跳ねる。その大変に分かりやすい反応にビビは思考をめぐらせた。クオンと何かがあったとすれば、ナミが倒れて女部屋へ運ぶときに離れていた間だろう。ちらりとサンジを見上げれば視線が泳いでいた。
 ふぅん、成程。事情はまったくもって分からないし、訊いたところで話してはくれないだろう。訊く気もなかった。こういうことは当事者同士で解決するものであるからして。
 別にとりなした結果クオンの浮気癖が出てしまうのが嫌というわけではない。そんなことをしなくともクオンを相手にしたら時間の問題なのだし。サンジ側からどうにかするという意味で。クオンから動くことは絶対にないと確信しているし、何だか良心を痛めているらしいサンジの様子から、彼も現状をそのままにはしておけまい。
 それまでクオンのよそ見の機会はできるだけなくしておいてもいいだろうとビビは思って、結局何も言わずに止めていた足を再び動かして女部屋へ向かうサンジの隣に並びながら小さく笑う。


「優しいのね、サンジさん」

「……?あり、がとう?」


 脈絡のない言葉をかけられ、疑問符を浮かべながらも一応礼を言うサンジにビビはにっこりと笑ってみせる。
 どうせ結論と結果に重きを置くクオンが言葉少なの説明不足をやらかしてサンジの感情を逆撫でしたことは簡単に予測ができて、それでクオンのそういうところが気に入らないと怒るのではなく良心を痛めた上でクオンの体調を気遣うのだから、優しすぎるほどに優しいひとだ。
 まあ、だからってクオンはあげないけど。内心でそう呟いたビビは、特に最近執事の浮気癖がひどいこともあり、どちらにも塩を送るような真似は絶対にしてやらないのだった。





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