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「はっ…!!クオンが浮気してる気配がする……!!!」

「ビビちゃんの対クオン浮気センサー、どうなってんだろなぁマジで」

「クワー……」

「ずるいわずるいわ何だかとってもずるい気配がするわ。浮気?クオン浮気???この大変なときに浮気するだなんて本当節操無しなんだから……」

(ここで同意したらたぶん怒られるんだろうなぁ…)

(クエ…)

「もう!ウソップさんはまだ大丈夫だと思ったのに!!!」

「へぇ」


 思わぬ名前が出てきたせいで瞬時に相手を把握したビビに驚くこともカルーのようにドン引くことも忘れ、今夜はキノコシチューにしようとサンジは決めた。





† 執事の指針 7 †





 わちゃわちゃとひとりの真っ白な執事を中心に2人と1匹が戯れていると、ふいに「おい」と見張り台から声がかかって3人と1匹は揃って顔を上げた。


「医者が見えたか?」

「医者が見えるかバカ!」

「見えるなら島だと思うのですが」


 ルフィにウソップがツッコみ、水平線に目をやってクオンが呟く。そんな3人を気にする余裕もないようで、双眼鏡を一度目から離したゾロは呆然としたように口を開いた。


「おい、お前ら……海に……人が立てると思うか…?」


 思わぬ問いに、立てますけど、とクオンは内心で答えた。己の悪魔の実の能力を使えば、海に立つことなど造作もない。
 しかしただの人間が立てるわけもない。雪と風で視界が白くけぶる中、クオンは見晴るかすようにゾロの視線の先へ目を凝らした。ウソップが怪訝そうにゾロを見上げる。


「人が海の上に立てるかだと?ゾロ、お前いったい何を言い出すんだ」

「……じゃあ…ありゃ何なんだ」


 自分でも信じられないものを見たような声音で言われ、じっと前を見ていたクオンは、ふいに海の上にぽつんと立つ人影を見て被り物の下で目を瞠った。肩の上でハリーが僅かに身を乗り出す。
 クオンの肩から降りたルフィとウソップもまた前を見て、海の上の人影を認めると思わず真顔になった。何事もないように海面に佇むのは、武装したひとりの男。背に大きな弓と矢筒を背負い、しっかり防寒具を見につけた男にルフィとウソップが目をこするが、幻覚や見間違いなどではない。
 暫し無言で互いに見つめ合い、しんと物音ひとつない静寂を破ったのは、海面に立つ男の方だった。


「よう冷えるな今日は」


 突然話しかけられ、びくっと体を揺らしたルフィとウソップを視界の隅に入れながらクオンは無言で男を見つめる。今のところ敵意はないが、ただ者ではないことは確かだ。いつでも動けるように身構える。


「……うん、冷えるよな今日は」

「あ…ああ、冷える冷える。すげえ冷えるよ今日は…」


 半ば呆然としたままルフィとウソップが答え、答えたことに「そうか?」と返した男に一同が息を呑んで、つられたように男も息を呑む。そして落ちる静寂に、何なんでしょうかこれ、とクオンは首を傾けた。

 と、突然ぐわりと船が縦に揺れる。メリー号が船首を大きく上げて傾き、同時に海の下から大きな物体が浮上してクオンは被り物の下で目を見開いた。丸いドームのような形のそれには、ヤードとたたまれた帆、そして見張り台がついている。男は見張り台に立っていたから海面に立っているように見えたのだろうと遅れて理解した。

 船─── 潜水帆船が浮上したことで海が大きく荒れて波が立ち、メリー号が傾いたことで後ろへ転がり落ちていくウソップをクオンは鼻を掴むことで助けた。ルフィは船を見上げながら手すりをしっかりと掴んでいるから助ける必要はない。


「いだだだだだ!!」

「失礼、掴みやすかったもので」


 鼻を掴まれれば当然痛い。手すりを掴むこともなく傾き揺れる甲板に両足をつけて立つクオンは、ひと息にウソップを引き寄せて腕を掴み直す。た、助かった、と鼻を赤くしたウソップが呟いて目の前の船を見上げ目を見開く。
 クオンは油断なく目の前の船を見つめた。まだ波がおさまらない中、船の外装がぱかりと割れる。鈍い駆動音を響かせながらゆっくりと変形していくさまはなかなかに面白いが、甲板に勢揃いする武器を構えた男達と、メインマストに掲げられた海賊旗に剣呑に目を眇めた。


「まはははははははは!!」

「!?」

「驚いたか!!この大型潜水奇襲帆船『ブリキング号』に!!!」


 波がようやく落ち着き、静寂を不作法に揺るがす哄笑が響き渡る。ウソップの腕を離したクオンは指の間に針を挟んだ。海賊旗を見上げたウソップが顔を引き攣らせてクオンの背に隠れる。


「やべぇ!!…か…海賊船…!!?」

「すげぇ…」

「……この忙しいときに…」


 突然現れて変形した船に感嘆するルフィと、鬱陶しそうに吐き捨てるゾロが何だか対照的だ。ゾロがすぐさま見張り台から飛び降りてクオンの傍に立った。


「……さて、どうしましょうかねぇ」


 メリー号へ橋をかけて相対する海賊船から男達がなだれ込んでくるのを眺めて、ちらとルフィを見やれば特に動く様子がないのでクオンも構えは解かないまま佇立する。同じことを思ったか、ゾロも腰の刀に手をかけてはいるがそれだけだ。
 この船で暴れ回るようなら容赦なく叩き出すことを決め、クオン達を取り囲み銃を突きつけてくる男達の動きを眺めた。


「40点」

「あ?」

「無駄な動作が多く、統率は取れていますが粗削り。配置は悪くありませんが、この船を襲うには人数が多すぎます。それと単純に、弱い。まぁ、先手の一撃を与えず乗り込んできたということは何かしらの意図があると思われるので、そう考えたら及第点でしょうか」


 クオンの採点を聞きとがめたゾロにつらつらと答えれば、自分達を取り囲む男達をざっと見渡したゾロが鼻を鳴らして不敵に笑う。
 そもそもとして、ルフィが動く様子がなかったからクオンもゾロも身構えているだけで、最初からその気だったら制圧される間もなく海に叩き出していただろう。麦わらの一味の船長が無駄な争いを好まないことを喜ぶべきだが、それが相手に伝わるはずもない。


クオン!たしゅ、助けて…!!」

「はいはい、こちらへいらっしゃい狙撃手殿」

「おい、勝手に動くな!」

「失礼致しました、以後気をつけます」


 青褪めて震えるウソップを自分とゾロとの間に呼び寄せれば周りを取り囲む男のひとりが銃口をクオンの被り物に突きつけて怒鳴り、被り物によって削がれた低くくぐもった声音で返すと、瞬時にクオンとゾロの間におさまったウソップはいくらか安心感を抱きながら絶対心にも思ってない、とクオンの内心を読んだ。まったくその通りで、暴れていいなら真っ先にこの男を海に捨てようとクオンは決めた。肩に乗ったハリーが同情するような眼差しで男を見る。


「おい、どうした!!」


 大きな揺れを不審に思ったサンジが船室から甲板へ飛び出てきて、船室のドアの前を陣取っていた男達にすぐさま銃を突きつけられたが、彼は特に慌てる様子もなく状況を察するとマッチを擦った。そのまま女部屋では我慢していた煙草に火を点け、煙草を吸って紫煙を吐きながらどこかのんびりとした様子で問う。


「…で?…どうしたって…?」

「襲われてんだ。今、この船」


 サンジの問いに簡潔にルフィが答え、まぁそんなとこじゃねぇかと思ったけどな、見た感じ…とサンジが返す。ルフィは自分に銃を突きつけてくる男に「おい、おれ達急いでるんだ」と面倒くさそうに言うがそれで撤退してくれるわけもなく。


「フム……これで5人か…」


 気配は感じていたので特に驚くこともなくクオンは声がした方を見やり、ナイフに刺した肉を貪る、シルエットで見ればやや正方形寄りの長方形をしたふとましい男を視界に入れた。マントのような毛皮があったかそうだ。欲しいとは思わないが。
 この場の誰よりもふてぶてしい態度に、おそらくは彼が船長か、それに準ずる立場の人間だろう。


「たった5人ということはあるめぇ」


 言い、ボキン!とナイフごと肉を口にして噛み砕いた男はまぁいい、とりあえず聞こう、と何かしらを問いたいようで、そのために制圧してきたのだとしたら随分と血の気が多すぎるが、問いが何であれ結果はろくなことにはならなさそうだ。

 ルフィが男がナイフごと肉を食ったことにナイフも食いやがったと顔を顰め、ゾロは何も言わないが男がただ者ではないことを悟って目許を険しくし、ウソップはこそこそとクオンとゾロの間に身を隠しながら痛そうに顔を歪めて舌を出した。
 クオンは被り物の下で嫌そうに眉を寄せる。うちのハリーでしたらもっと上品に食べるのに、と思いはするが、クオンの前ではハリネズミなのに猫を被りたがるハリーはクオンの目がなければ同じようなことをする。
 さて、男がナイフすら噛み砕いて胃におさめられたのは元々そういう男なのか、それとも悪魔の実の能力者なのか、どちらだろうとクオンは思考をめぐらせる。どちらにしたとしても、


「見てるだけで食欲が失せますね……」

「……!! おい、うちの偏食執事の食育に悪いだろうが、何の用だてめぇ!」


 ぽつりとした呟きを耳聡く拾ったサンジが怒鳴る。だが気にしたふうもなくナイフの柄すらも口の中に放り込みながら男は言った。


「おれ達は『ドラム王国』へ行きたいのだ。“永久指針エターナルポース”もしくは“記録指針ログポース”を持ってないか?」


 ぴくりとクオンの眉が跳ねた。ドラム王国は、今まさにクオンが目指している国の名だ。なぜそこに、海賊が。彼らも医者を捜しているのかと思うが、それにしてはどうにも泰然としすぎている。


「持ってねぇし、そういう国の名を聞いたこともねぇ」


 腕を組んだサンジが答える。医者のいる島を目指しているとは言ったが、そこにある国の名前までは告げなかったことは、もしかしたらこの場においてはよかったのかもしれないとクオンは思う。おれ達もそこを目指していると答えていれば何かと面倒なことになりそうな気がした。現在進行形で面倒くさい事態だが。


「ほら、用済んだら帰れお前ら」

「はーあー、そう急ぐな人生を…持ってねぇならお宝とこの船をもらう」

「なに!?」


 海賊らしい言葉にルフィの目に険しさが宿り、よしやりますかと真っ先に海に叩き込むと決めた男に向かい合おうとしたそのとき、男が小腹がすいてどうもと言いながら大きく、それはもう、人間ひとりくらいは簡単に口に放り込めるくらい大きく口を開いてメリー号の船べりの一部に食らいついたことで動きを止めた。ベキッ!と鈍い音を立てて齧り取られた一部が咀嚼し飲み込むたびに男の口に消えていく。
 まるで少し固めのビスケットでもつまむような気軽さで文字通り食われ・・・、悪魔の実の能力だと察したクオンは纏う空気を一変させた。
 大食らいの男にメリー号の一部を食われて目を剥いたウソップが叫ぶ。


「何だあいつァア!!?」

「おれ達の船を食うな!!!」


 ルフィの怒声に、今度は錨綱に手をかけた男はまったく気に介した様子もなく麺をすするように食べ続ける。このままでは本当に船すべてを食い尽くされそうだ。


「貴様、動くな!ワポル様はお食事中だ!!」

「うるせぇ!!!」


 今にもワポルというらしい男に飛びかからんとしたルフィに銃を突きつけながら制す男をルフィが殴り倒す。途端、反抗を始めたルフィに「あの野郎やりやがった!!!」「撃て!!!」と周りを取り囲む男達が叫ぶ。剣を抜く男もいて、それはクオン達も同じだ。


「はじめからそうすりゃよかったんだ」

「何だ、やっていいのか?」


 毛布を脱いで鯉口を切るゾロと、好戦的に笑いマフラーを外すサンジの声を聞き、クオンは真っ先に狙いを定めていた男にノーモーションからの重い蹴りを叩き込んで船の外へと弾き出した。




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