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 エルバフの戦士達の偉大さに心を射抜かれたウソップがエルバフの戦士の村へ絶対に行くんだと騒ぎ、それにルフィが必ず行こうとノッて肩を組み合いはしゃぐ様子を背に、クオンは「元気ねあいつら…」とメインマストに疲れたようにして凭れ座り込むナミと、その傍に同じように座り込むビビを前に佇立していた。
 ぐるりと被り物を被った頭をめぐらせて周囲を見回し、天候・海王類共に喫緊の問題がないことを確認する。

 しかし船の上にあと2人ほど姿が見えないことに気づき、無言で気配を追う。ひとりはラウンジ、おそらくこちらはサンジだろう。気の利くコックは何か作ってくれているのかもしれない。
 ではもうひとり、そういえば船に乗ったら改めて足の怪我を縫うのだと言っておいたゾロの気配を探れば、どうやら後部甲板にいることをが判って、指針を見ててくれないかとアラバスタへの“永久指針エターナルポース”をビビに預けるナミの声を聞いて踵を返した。





† 執事の指針 1 †





「何をしているのですかあなたは」


 後部甲板、そこで巨大な重りをいくつもつけた棒─── バーベルを刀のように手にして汗を流し素振りをするゾロを目にしたクオンは、被り物越しにでも判るほどの呆れを隠さずにバーベルの先端へ降り立った。
 抵抗もなく白い痩身がバーベルをどしゃりと沈ませる。ちらりと足下にあるバーベルにつけられた重りを見れば、100kgと印字されたものが5つあって深いため息を隠せなかった。

 対してゾロは、裸体から察するに然程重量があるわけでもない体にバーベルを押さえられ、それがびくともしないことに眉間のしわを深めた。血管が浮くほど腕に力をこめても、やはりバーベルはぴくりともしない。
 重い。甲板の床に張りついたように微動だにしないそれに、能力か、と小さく舌打ちをした。バーベルを見下ろしていたクオンの被り物をした顔がゆるりとゾロの方を向く。


「鍛錬に熱心なことは良いことですけれど、せめてその足の傷が塞がるまでは控えてください」

「……あの蝋さえ斬れてりゃ、誰も手間取らせることもなかっただろ」


 おれが甘かったと言外に告げるゾロに、クオンは被り物の下で微かに眉を下げた。能力者対非能力者、さらに相性の問題もあり、反省しきつく自戒するゾロを甘かったとは思わない。
 足を斬ってまで戦って勝つつもりだった彼の気迫にMr.3は呑まれていたようだし、そう焦らずとも伸びしろはいまだ十分にあり、傷を開いてまで鬼気迫って鍛錬をする必要はないだろうに。だがそれを伝えてもゾロが納得するとは思わないので口にしなかった。

 無言のままバーベルを己の体で押さえつけるクオンを睨むように見て、シャツと腹巻を脱いだ上半身に汗を垂らしながらゾロが苦々しげに唇を歪める。


「強くならなきゃならねぇ。鉄ぐらいぶった斬れるように」


 ぐ、とバーベルを握る手に力がこめられて再度持ち上げられようとしたが、クオンはそれを許さなかった。既にバレているので隠さず左手で首に針を刺し、いまだ塞がらず開こうとする首の傷を留める。


「あなたならいずれ鉄程度、簡単に斬れるようになるでしょう。しかしそれと傷を開いてまで鍛錬をするのとは話が別です」

「っ!」


 クオンが能力を強め、突然桁外れに強くなった負荷に耐えられずゾロの手からバーベルの柄が滑り落ちる。それが甲板の床に叩きつけられる前に行儀悪く足で掬い取ったクオンはくるりと回転させて柄を掴み、そのまま流れるようにして肩に担いだ。重さなど微塵も感じさせない動きで500kgもの重りがつけられたバーベルを奪い取ったクオンが、何をすると怒りをにじませて眉を吊り上げたゾロへ、傍らに置かれていたダンベルをやはりボールを扱うような軽い動作で投げ渡して口を塞ぐ。


「足を縫いますので、座ってください」

「…………」


 足に負担をかける筋トレを封じられ、100kgの重りが両端につけられたダンベルを一瞥したゾロは眉を寄せたまま渋々どっかりと腰を下ろした。次いでバーベルを脇に置いたクオンも足を投げ出すゾロの前に膝をつく。ブーツを脱いであらわになった裸足を掴み、巻かれた包帯に血がにじんでいるのを見て被り物の中に嘆息をとかした。


「別に、痛くねぇぞ」

「針の麻酔が効いているから当然ですよ」


 ダンベルをゆっくりと上下に動かしながら言うゾロにぴしゃりと返せば、少しだけばつが悪そうに顔が逸らされる。その表情が存外に幼く見えて、クオンは被り物の下で目を瞬かせると苦笑した。
 燕尾服のポケットに突っ込んでいた簡易縫合セットを取り出す。包帯を解いてにじむ血を拭い、傷口を洗って縫い糸を通した針を手に取った。先に刺しておいた針は既に溶けかけていて、それごと縫っていく。


「傷口が開きさえしなければ、あなたがいつどのような鍛錬をしようが私は口を出しません。言ったでしょう、私はあなたの見目を気に入っているのです。無駄に損なわせるような真似は好まない」

「……きれいな体の方がいいなら、おれに構うな」

「おや、伝わりませんか」


 傷口を縫う手を止め、聞き分けのない子供に向けるような声はしかし被り物越しに低くくぐもったものになり、それでも丁寧な手つきでゾロの足に触れるクオンの雰囲気はやわらかかった。


「きれいな体が好みであるなら、そもそもとして胸に大仰な傷をこさえたあなたは対象外でしょう。今更剣士殿がどのような傷を負おうが気に入ったものであることに変わりはありません。ですが伝わらなかったのなら、そうですね…言い方を変えましょう。私はただ─── あなたが傷つくさまを見るのが、嫌だと思うのです」


 思うままを言葉にして、クオンはひとり、満足げに頷いて止めていた手を再開させた。
 そう、そうなのだ。「良いもの」の輝くさまは見たい。けれど傷ついた姿が見たいわけではない。傷を負っても尚敵に立ち向かわんとする姿勢は大変に好ましいものだが、その肌を滑る血潮はきっと好きになれない。相反するような思いは少しだけ複雑で、だからこそこうした平時においてはできるだけ血を見たくなかった。

 素直で正直者な執事は、言葉にすることで自分の心を理解した。が、臆面もなく本心を紡いだ言葉を受け取った人物がどう思うかまでには気が回らず、足の傷に意識を向けて丁寧に縫っていたために、ダンベルを動かす手を止めたゾロがどんな表情をしてクオンを見つめていたのか、気づくことはなかった。










「はい、終わりです」


 やがて両足の傷を縫い終わり包帯を巻き終えて手を離し、道具を仕舞ったクオンがはたとゾロが不自然なほど静かであることに気づいて顔を上げようとしたそのとき、鋭い叫びと共に背中にやわらかな衝撃がかかって僅かにつんのめる。


クオンの浮気者ォ───!!!」

「おや、姫様。私は剣士殿の手当てをしただけですよ?」

「ううん、立派な浮気だわ。また無自覚に口説いたでしょう、私には分かるんだからね!クオンの素直さと正直さは美徳だし私も大好きなところだけど、そうやって誰彼構わず振り撒くと厄介なことになるのよ!?」

「言うほど誰彼構わず、というわけではないのですけれど…」


 なにせクオンは素直で正直者なので、己が「良いもの」と思うもの以外に必要以上の言葉を重ねることはしない。つまりは割と狙い撃ちタイプなので口説いているつもりはあまりなかった。思うままを口にしただけで。

 ぺしぺしと被り物を叩いてそんなんだからクオンから目が離せないのよ、とぼやくビビが背中に乗り上げるようにしてのしかかっているため、自然被り物をした頭は下を向く。視界に投げ出されたままの裸足が映って、医者ではないなりにうまく縫えた傷口に笑みを浮かべた。ぎゅうと首に回されたビビの腕に力がこめられるが、首の傷に障るほどではない。

 背中にビビを張りつかせたクオンは、気づいていなかった。いまだぶつぶつと文句を言いながらクオンに抱きつくビビが、決して穏やかではない、牽制するような燃える目でゾロを睨んでいることに。それを受けたゾロが眉を跳ね上げて真っ向から見つめ返す様子を、強制的に下を向かされたクオンが知るすべはなかった。


クオンの浮気者。クオンは私の、なんだからね」


 きつく抱きついてくるビビに慣れた様子で分かっていますよと返したクオンは、宥めるようにビビの腕を優しく撫でた。すると、するりと腕がほどけてクオンの腕を引く。


「終わったのなら行きましょう、クオン。Mr.ブシドーだけじゃなくて私にもちゃんと構って!」

「私なりにきちんと構っていたつもりなのですが…まったく、仕方のないひとです」


 頬を膨らませて拗ねるビビに苦笑し、被り物の下でゆるりと目を細めて微笑んだクオンは促されるまま立ち上がる。
 正直、麦わらの一味に出会ってからというもの、「良いもの」を見つけては目移りしている自覚はある。ビビの可愛いわがままくらいは叶えてあげたかった。

 すっかりゾロのことを頭から追いやって歩き出したクオンを見上げ、ぎゅうと白い腕に抱きついて顔をうずめるようにしてこちらから視線を外さないゾロを目だけで振り返ったビビは、その体勢のままゾロに向かってべっと舌を出した。浮気者な己の執事に向けるあからさまな独占欲を見せ、ゾロの反応を見る前にぷいとそっぽ向いて片方の腕をクオンの背中に回す。歩きにくいですよ、と笑み混じりに言われたが、わざと体重をかけてもクオンの足取りは軽かった。


「さて姫様、どう構ってほしいのです?」


 被り物越しに問いかけてくる声は低くくぐもり、にじむ感情は判然としない。けれどビビは知っている。被り物の下で美しい顔をゆるめて優しく微笑み、かけられる声は甘くやわらかい。これはビビのものだ。ビビだけに向けられるもの。─── 今は、まだ。


クオンの浮気者)


 胸中でなじり、唇を噛みたかったが何とか耐える。それをしてはさすがに気づかれそうだった。
 無言で手を伸ばせば意図を察した白い腕に膝裏を掬われて抱き上げられる。愛嬌があるようでどこか間の抜けた被り物に頬を寄せて目を細めた。
 狭い船内だ、すぐに他のクルーに見つかって騒がしくなるだろう。それでもきっとクオンはビビが望まない限りは抱き上げたまま好きにさせるだろうから、それで今は心を鎮めておくことにする。

 アラバスタへの“永久指針エターナルポース”を手に入れた。バロックワークスの追手を気にする必要もない。
 もうすぐ、もうすぐだ。国へ帰って、父に会って、真実を話して。我々が争う必要はないのだと、愛する民に伝えなければならなかった。
 けれどその前に、一国の王女ではあるけれどひとりの少女として、ビビはクオンがまとう、やわらかな風の匂いを吸い込みながら伝えるべき言葉を紡ぐ。


「好きよ、大好き。愛してるわ、クオン


 静かに愛を紡ぐビビの声音はどこまでもやわらかく、唯一の己の従者に向けたものは親が子に与えるような、あるいは子が親を慕うようなそれに似ていて、恋情の一切が含まれていない穏やかな告白に、クオンも慣れた様子で心から同じものを返す。


「ええ。─── 私も愛していますよ、姫様」





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