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 ナミが薬を飲んだことを確認し、何かあれば─── 少しでも体調不良を覚えたら隠さず教えるよう念を押し、確かな頷きを得てその場を離れビビのもとへと戻った。すると不意打ちのようにひっしと抱きつかれ、けれど体勢を崩すことなく受けとめて背中を軽く叩く。きゅ、と回された腕に力がこもった。


「大丈夫ですよ、姫様。私がいるのですから案じることは何もありません。……彼らも、いるでしょう?」

「……うん」


 自分以外に心を開きかけているビビの頷きに、自分で問いながらクオンは、被り物の下で少しだけ寂しそうに揺れた目を、それでも胸に湧く確かな喜びの微笑みで誤魔化した。




† リトルガーデン 20 †





 上陸する際に進入してきた川は別の河口に繋がっているようで、真っ直ぐ進めば島の東へ出られるとあらかじめ聞いていた通りに船を動かす。
 切り分けて積み込んだ肉は相当なもので、いくらかを冷蔵庫に、それ以外を早速保存食にするために肉に手をつけるサンジの手伝いを終えたクオンは、サンジと共にラウンジを出て、ふと進行方向に見えたものに目を瞬いた。
 前方甲板に集まるクオンとサンジ以外の中、ルフィが河口を挟んで立つ巨人2人に気づいて「お!あれおっさん達だ」と指を差す。見送りに来てくれたんだな、と笑うルフィの声を聞きながらビビの近くに寄れば、気づいたビビがすすすと近寄ってクオンの腕に自分のそれを絡める。後方で羨ましそうにぎりぎりと歯を軋ませるサンジのことは無視しておいた。


「この島に来たチビ人間達が…」

「次の島へ辿り着けぬ最大の理由がこの先にある」


 ブロギーとドリーの言葉に、クオンはきょとんと目を瞬く。他の者達も突然の言葉に疑問符を浮かべているが、巨人達はルフィ達の疑問には答えず、背筋を伸ばして大海原へとそれぞれ己の得物を手に向かい合う。


「お前らは決死で我らの誇りを守ってくれた」

「ならば我らとて…いかなる敵があろうとも」

「友の海賊旗ほこりは決して折らせぬ……!!」

「我らを信じて真っ直ぐ進め!!たとえ何が起ころうとも、真っ直ぐにだ!!」


 ドリーとブロギーが交互に言葉を連ねる。ただの見送りではないことを察し、黙って聞いていたクオンは無意識に彼らの言葉に頷いていた。おそらく、これから何かが起こるのだろう。この島を出た人間達が、海の藻屑となって消えていった原因が。
 正体の知れぬ不安に、ビビの腕に力がこもる。肩の上でハリーがいつでも動けるように身構えた気配がした。


「……分かった!!真っ直ぐ進む!!」


 何が何だか分からない、という顔をしながらも、しっかりとドリーとブロギーに応えるルフィに彼らは「お別れだ」と返した。


「いつかまた会おう」

「必ず」


 ドリーとブロギーがそれぞれ得物を構える。100年戦いを共にし、もはや朽ちかけた武器だ。それが、陽の光を浴びて鈍く輝いた。
 巨人達を振り返っていたクオンは、ふいに海面が揺らいだことに気づいて前を向いた。同時にナミが「見て!!前っ!!」と叫んで前を指差す。

 海が、盛り上がっている。否、海の下にいる巨大な生物が海面に顔を出そうとしているのだと気づき、そのあまりの大きさにさすがのクオンも目を見開いて動きを止めた。青く透き通った海の下から巨大なヒレが覗き、メリー号と同じくらいの大きさをした目がぬらりと光る。


「出たか、“島食い”」

「道は開けてもらうぞ。エルバフの名にかけて!!」


 後ろからドリーとブロギーの声が耳朶を打つ。が、クオンの意識は目の前の巨大生物に向けられていた。
 ザバッと大きな波を立てて現れたのは、大口開けてこちらを茫洋と見据える魚。覗く歯は丸く、鋭さはないがメリー号を噛み砕きすり潰すのは容易いように思われた。


クオン…!な、な、何これ!?」

「海王類……でしょうね、おそらく。見た目は完全に金魚ですが」


 腕にしがみついて顔を青くするビビに冷静に答えながら、これを相手取るのはなかなか厳しそうだと被り物の下で眉を寄せた。しかし、自分が動く必要もないかと思い直す。なぜなら自分達には、エルバフの戦士がついているのだから。


「舵切って!急いで!!食べられちゃう!!」


 ナミが慌ててラウンジ前にいるウソップに指示を出すが、目の前の巨大な金魚に怯えながらもウソップは動かない。早く、と急かすナミにやはりウソップは動かず、冷や汗を流し震えながらもダメだ!と強い意思でもって言い返した。


「真っ直ぐ進む!!そ…そうだろ、ルフィ?」

「うん。もちろんだ」


 内心不安が渦巻いているだろうに巨人2人の言うことをただ信じるウソップに、ルフィは静かな笑みを浮かべて返す。
 クオンは被り物の下でそっと微笑んだ。肩の力を抜いてぽんぽんとビビの腕を優しく叩く。不安げに見上げてくるビビにゆっくりと頷けば、ちらと島の端に立つ巨人達を一瞥したビビが唇を引き結ぶ。それでも腕は離さずさらにぴったりくっついて頬をすり寄せてくるのだから、どうやらクオンを堪能する余裕が取り戻せたようで何よりである。

 そうして緊張感をどこかへ追いやってのんびりする主従をよそに、今回はラブーンのときとは違うのよ!?とナミはルフィに詰め寄った。だが説得しようにも、ルフィは分かってるよ騒ぐなよと呑気なもので、さらに最後だと言うせんべいを渡され、それどころではないナミがはっとした顔でクオンを振り返ったが、当の本人は「おや、喉ちんこ」「クオンその言葉二度と使っちゃダメよ」「なぜ…?」「ダメなものはダメ」「では口蓋垂こうがいすい」「それならOK」とビビと子供のような賢いようなよく分からないやりとりをしていて、あっちはあっちで動く気配がまるでなかった。


「ナミ、諦めろ」


 揺れる船の上、壁に背をつけて腕を組んだゾロも傍観の構えで、ナミはルフィに渡されたせんべいを齧りながら涙を流して呻いた。


「ルフィ!巨人達あいつらは信頼できるんだろうな!!」

「うん」


 サンジの切羽詰まった問いにもあっさりと頷くルフィは本当に動く気配が微塵もない。
 そんなやりとりをしているうちに巨大金魚の口が目の前に迫り、ナミの悲鳴と共にメリー号は巨大金魚の口内へと迎え入れられた。巨大金魚がぐわりと天を向き、バクンと口を閉ざす。途端に暗闇の中に放り出され、クオンはぽつりと文句をこぼした。


「生ぬるい、生臭い」

「す───……」

「私を嗅いでも生臭いことに変わりはないのでは?」

「ううん、クオンのやわらかい風の中にほのかな甘さがとけた匂いはたとえ周りがどんなにおいだとしても嗅ぎ分けられるわ。クオンの匂いに集中すると落ち着くのよね」

「匂いソムリエこわい」

クオン限定よ?」

「おや、これはまさしく曇りなきまなこ」


 そのうち匂いだけで私がいる位置を把握できそうですね、と言いかけてクオンはやめた。言ったら最後、本当にそうなるかもしれなかったからだ。別に嫌だとは思わないが、それってひととして、というか一国の王女としてどうなんだと思ってしまったので。おそらくビビとしてはむしろそうなりたいくらいだとは、分かっていて考えないことにした。

 2人の会話の外では真っ直ぐ、真っ直ぐと呪文のように繰り返すウソップとルフィの声が飛び交っている。真っ直ぐ、とは言ってももう食べられてしまったし、このままでは巨大金魚の胃の中へ真っ直ぐドボンである。

 ふ、とクオンは息を詰めた。ぴりりと肌を刺すような気配が音もなく迫る。
 瞬間───


 ドゴォン!!


 凄まじい音を立てて、巨大金魚ごと海が・・斬れた・・・
 衝撃波はメリー号を一切傷つけることなく、暗闇から光に満ちた外へと飛び出させる。
 振り返らずとも分かる。おそらく背後の巨大金魚の腹には、大きな風穴があいている。それをなした戦士達にクオンは心から驚嘆し、被り物の下で、ゆったりと美しく微笑んで鈍色の瞳を煌かせた。


「う───っほ───っ!!!飛び出た────!!!振り返るなよ!!行くぞ真っ直ぐ───っ!!」


 沸き立つルフィの歓声が耳朶を打つ。クオンは前を見据えたまま、背筋を伸ばしてエルバフの戦士の猛る声を聞いた。


「さぁ行けぇ!!!」


 心底楽しげに、誇らしげに、満足そうに大きく笑う2人の声が、海を往く船の背を押す。
 その声の余韻が波の揺らぎにとけていくまで、クオンはただ、真っ直ぐに前を向いたまま聞き入っていた。



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