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クオン!やった、やったわ!これでアラバスタまで行ける…!!」


 興奮気味に笑って抱きついてくるビビに、クオンもええと頷いて微笑み返した。よかったですねと背を優しく叩けば、こくこくと何度も頷いてビビが腕に力をこめる。


「さぁ、コック殿にもお礼を言ってあげなくては」

「うん!─── ありがとうサンジさん!!」


 促され、子供のように笑ったビビがサンジへ駆け寄った勢いのまま抱きつくと、突然の美女の抱擁にサンジがでれっと相好を崩した。





† リトルガーデン 19 †





「よーし、みんなせんべいパーティーだ!!」

「そんなことやってる場合じゃないでしょ、行くわよ船長キャプテン!!ぐずぐずやってる暇はないの!」


 こちらの戦利品であるせんべいを手に笑うルフィを切り捨てながらも、渡されたせんべいをルフィが持つそれと小突き合わせるのだからナミはいい女だ。


「そうだ、おいお前。“狩り勝負”のこと忘れちゃいねぇだろうな」

「ああ…それならおれの勝ちだ。こんなでけぇサイを獲った」

「サイだぁ!?てめぇ、そりゃ食えるんだろうな」


 どうやらゾロとサンジは食糧調達で勝負をしていたらしい、と会話を聞いたクオンは察する。それにしても、ゾロ曰くサイとは、まさか普通のサイであるはずもないだろう。
 サイといえば鼻の辺りにあるツノが特徴的で、つまりはツノのある、恐竜。トリケラトプスあたりだろうか。それを狩ったのか。そしてゾロに張り合うサンジもおそらく負けじと大きなものを獲ったのだろう。……食べられるのでしょうか、とクオンは考え、ブラキオサウルスみたいな恐竜をルフィがもりもり食べていたことを思い出し、まぁコック殿に頑張ってもらいましょうと流して、睨み合う2人を振り返り肩の上のハリーに囁いた。


「剣士殿とコック殿、狩った獲物はどちらが大きいのでしょうね」

「「おれのに決まってんだろうが」」

「「あァ゛!!?」」

「仲良しですねぇ」


 クオンの大きくはない声を耳聡く聞いたゾロとサンジが異口同音に言い、同じタイミングでお互い顔を見合わせてガンつけ合う。心なしか先程よりもずっと形相が恐いが、自分に向けられたものではないし、その程度で怯えるような可愛らしい性格ではないクオンはほのぼのと被り物越しに小さな笑声をこぼした。


「じゃあ、丸いおっさんに巨人のおっさん!!おれ達行くよ!」


 ルフィがドリーとブロギーにそう声をかけ、何やら記憶を辿るように宙を見ていた2人の巨人は思考をやめてルフィへ視線を戻した。


「そうか…まぁ、急ぎの様子だ」

「残念だが止めやしねぇ…国が無事だといいな」

「ええ、ありがとう」


 優しくビビに笑いかけたドリーへ、ビビも笑顔を返す。
 船長が出航すると言うことだし、あまりここに長居する理由もない一同はそれぞれ声をかけて踵を返した。ルフィとウソップ、カルーが声をかけ、惜しむように巨人達を振り返ったビビを急かさずクオンが先に行けば、一応落ち着いたゾロとコックが「まぁ見てろ、絶対おれの方がでけぇ」「ハ、言ってろ」と穏やかな会話を交わしている。穏やかか?と肩の上で相棒の心情を正確に読んだハリーが首を傾げたが、相棒がそう思っているのならいいか!とすぐに考えることをやめた。どうでもいいことなので。






 そうして、賑やかな海賊達が去っていったあとで。
 ドリーはふと、傍らの親友へと視線を向けないまま問うた。


「ブロギーよ、あの白い執事の顔を見たか?」

「ああ、見た。美しい顔だった。目にしたとき、一瞬状況も忘れて見入ってしまったくらいには美しい、他人を容赦なく堕とす美貌。そして、あの雪色の髪は……」

「だが、瞳の色が違う・・・・・・

「しかし、あれはそう・・だろう」


 ブロギーの確信を持った言葉に、ドリーは低く喉を鳴らして笑った。


「あれが執事とは、これ以上ないほど似合わんな。何があってあいつらの船に乗っているのかは分からんが……あれが共に行くのなら」

「応えてやらねばならない。それに何より、友の船出だ」

「ああ…放ってはおけん。東の海には魔物がいる」


 エルバフの戦士は静かに言葉を重ねる。お互いに思っていることはひとつだ。
 彼らを、先へ。ずっと先へ。友の進む先に障害があって、それを自分達がどうにかできるのなら。
 道を切り拓いたそのとき、100年以上共に戦った、摩耗し朽ちかけた己の得物の生き様は、それはそれは見事なものだったと誇って笑うことができるだろう。





†   †   †






 巨人達と別れ、メリー号へと戻った一同は早速出航準備を進めていた。ナミはまず着替えに行き、クオンもまた汚れた燕尾服を着替えるために一旦男部屋へ入った。
 ゾロとサンジは船の横にそれぞれ自分達が狩った獲物を並べ、鼻先から尾の先まできっちり揃えて己の獲物の上で睨み合う。


「よく見ろよ、おれのトカゲの勝ちだ!!」

「てめぇの目は節穴か。おれのサイの方がでけぇ」


 お互いまったく譲らない姿勢に、2人の“狩り勝負”の行方を見守っていたルフィは「いいじゃねぇか、どっちもうまそうだ」と言って「てめぇは黙ってろ!!!」と声を揃えて怒鳴られた。


「おいクオン!どっちがでけぇ!?」


 見張り台を仰いだゾロが言う。名を呼ばれたクオンは、公平を期すために上から見てジャッジしろと船に乗る前にゾロとサンジに言い渡されていた。汚れた燕尾服を脱ぎ、予備に着替え終わったあとからずっと見張り台から下を眺めていたのだが、双方甲乙つけ難く、というかどちらも同じだ。体長も厚みも同等。よくここまで同じ体格で違う恐竜を狩ってこられたなと感心したくらいだった。


「引き分けですね」


 見張り台から飛び降りて軽やかに甲板に降り立ったクオンが言うが、負けず嫌いの2人は眉間にしわを寄せて納得がいかない様子だ。勝負に引き分けはねぇだろ、とゾロが言うけれど、クオンは無言で肩をすくめただけだった。


「あんたらクオンを巻き込んでいつまでやってんの!どうせ全部は載らないんだから、必要な分だけ切り出して。船出すわよ!!」

「はーいナミさん♡」


 着替えを終えて戻ってきたナミの、鶴の一声ならぬ航海士の一声によって“狩り勝負”は打ち切りとなり、ナミに従ってさくっと意識を切り替えたサンジがゾロに「こことこの部位を斬れ。こっちはここな」と指示を出しては文句も言わずゾロがスパスパと斬っていく。やっぱり仲が良いですね、と思いながら「タン塩…」とクオンがぼそりと呟けば、偏食執事のリクエストを受けたコックはトカゲの方の舌を斬らせようとしてサイの方がうまいだろ、と言い返されまた睨み合いを始めた。


「あ、そうそう、航海士殿」

「いやクオン、あんたのせいで後ろの2人がまたケンカ始めたんだからどうにかしなさいよ」


 何事もなかったようにくるりと振り返って近づいてくるクオンに呆れたナミがそう言えば、量が質がと言い合いをしている2人をちらりと見て「食べ比べがしてみたいですね」とこぼした途端、じゃあ半分ずつなと2人は瞬時に矛を収める。ナミは隠さず大きなため息をついた。


「うちのクルーを誑かすのやめてくれない?」

「彼らが甘いのでしょう。聞いてくれるとは正直思ってませんでしたし」


 こてりと被り物を被った頭を傾けるクオンは、背中に突き刺さるビビの「またそうやって誰彼構わず気を持たせることを」と言わんばかりのじっとりとした視線を全力で無視した。気を持たせるも何も、クオンが口にしたのはタン塩の一単語のみだ。食べてみたい部位を口にしただけなのになぜ、と若干の理不尽さすら感じる。

 クオン越しに見えるビビの表情と視線、それをきちんと分かっていて無視しているだろうクオンの、むむ、と被り物の下で不可思議そうに眉を寄せているさまが容易に思い浮かんでナミは苦笑する。サンジは偏食執事が少しでも胃に収める量が増えるのならと食育活動に余念がないし、ゾロはゾロで何だかんだとクオンを気に入ってるのかもしれない。いや、でもあれは単にサンジに張り合った可能性がある。


(んー、でも前にクオンの代わりにチョコプリン食べてあげてたのよね)


 それも乗ってすぐ、何ならいつの間にか町で一戦やり合ったあとで、そんなことをする男だろうか。厳つい外見と粗野な物言いに反して存外情が厚いことはそこそこ付き合いを重ねれば分かるが、それをクオンに向けるのはあまり想像ができなかった。
 やっぱり顔が良いからか。超絶顔が良いこの執事、ミス・バレンタインを即堕ちさせたと思えば実はMr.3も堕としていて、その美貌を前にすればあの朴念仁にも動く心というものがあったのかもしれない。


「あんたも罪な男よね、クオン

「……? なぜいきなり姫様のようなことを言うのです?」


 言われてるんだ、そうでしょうね。思わず心の底から納得してしまったナミだった。


「まぁそれはいいとして、どうしたの?私に何か用があるんでしょ?」

「ええ。あなたにこちらを」


 話を変えたナミに特に突っ込むこともなく、クオンは薬包紙に包まれた何かを差し出してきた。


「航海士殿は虫除け剤を浴びなかったでしょう。これはそのときのために後から服用するタイプの薬です。とはいっても、簡単な虫下しと免疫力を上げる効果しかなく、もし何らかの病気をもらってしまっていれば多少軽減する程度のものでしかありませんが。とりあえず1回分飲んでいただき、それで何もなければよし。これを飲んだにもかかわらず熱や咳、吐き気などの症状が現れた場合はもう少し強い薬に変えて症状を抑えながら医者に診てもらわねばなりません」


 つらつらと言葉を並べていたクオンは、ぽかんと口を開けて見上げてくるナミに気づいて首を傾げ、はっとしたように動きを止めるとそろそろと薬包紙の乗った手を引く。


「……いえ、すみません。出過ぎた真似をしました」


 同じ船に乗ってはいるが、仲間でもないただの同乗者にすぎない人間にいきなりこの薬を飲め、などと言って即座に頷けるはずもない。虫除け剤に抵抗をしなかったルフィやゾロあたりならすんなり受け入れそうだからついナミにも同じように接してしまったが、普通は警戒して然るべきだ。クオンの厚意は余計なお世話と言ってもよかった。
 しかし、薬包紙を握り締めてなかったことにしようとするクオンの手を、ナミが掴んで止めた。


「分かった、もらうわ」

「航海士殿?」

「別に、今更クオンが私をどうにかするかもなんて思ってないわよ。あんたがビビのことを大好きなのはもう分かってるし、ビビのためにアラバスタへ行きたいんなら、私にだけは手を出しちゃダメでしょ?だったらそれが悪いもののわけがないじゃない」


 言い、クオンの手から薬包紙に包まれた薬を取り上げる。人差し指と中指で挟んで掲げ持ち、ナミはにんまりと猫のように笑ってみせた。


「それにあんた、それなりに私のこと好きでしょ」


 この言葉は賭けみたいなものだ、とナミは思う。この執事は誠実で正直者で浮気者で無節操で、たぶん、おそらく、私は気に入られている。
 そうでなければビビよりも先に紅茶を淹れてくれなかったし、ティーポットから身を挺して庇ってもくれなかった。それに被り物や燕尾服のジャケットを貸してくれた。こうして薬も差し出している。どうでもいい存在と思われていないのは分かるし、無下にはされていない自信があった。だが好かれているかどうかは分からなくて、ゆえに賭けに出たのだが。

 少しだけの沈黙を挟み、低くくぐもった、抑揚のない感情が削がれた声音が紡いだ短い言葉に、ナミは自分が賭けに勝ったことを知る。


「否定は、しません」





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