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 ブロギーの家にあった包帯を借りてドリーの体─── 針で塞がれた箇所を巻き終え、針はそのうち体内に溶けて消えるからそれまでは決して外さないようにと言い聞かせたクオンは、ブロギーの方をウソップに任せるとくるりとゾロの方を向いた。


「次はあなたですよ、剣士殿。足を出してください」


 被り物越しに低くくぐもった声で言われ、削がれた声音は淡々としていたが有無を言わせない響きがあって、あとで自分で適当に縫うつもりだったゾロはしかし、固持することでもないとすぐに頷いた。





† リトルガーデン 18 †





 一同から少しだけ離れた場所に腰を下ろし、ブロギーの世話が焼けることを嬉しそうにしながら包帯を巻いていくウソップをちらりと見たクオンはすぐに目の前に差し出された足に目と意識を向けた。
 ブーツを脱がせてまずゾロの左足を持ち上げ傷口を観察する。斬れ味が鋭い刀と持ち主の腕前のお陰できれいな傷を晒すそこからはいまだ血が滴っていた。相当な痛みだろうに顔色を悪くするでもなく平然とするゾロの精神力に感嘆すればいいのかそれとも呆れたらいいのか。どんな顔をすればいいのか分かりませんね、と内心ひとりごちる。
 ハンカチは燃えてしまったので胸元のタイを解いて血を拭い、すぐに真っ赤に染まったそれを横に置いて懐から取り出した手の平サイズの箱を開け、中に収められた細く半透明な針を手にする。長さにして3cmもない短いそれは、ハリーが巨人達に刺したものと同じだ。

 クオンの白手袋に覆われないなめらかな白い手に持たれた針が傷口を縫い合わせるように皮膚を刺す。麻酔も含まれたそれは最初こそ少し痛んだが、そのうち足の傷ごと痛みが薄くなる。
 慣れた手つきでさくさくと一本一本丁寧に針を通していくクオンの被り物をした頭を、ゾロの静かな目がじっと見ていた。


「あとで船に戻ったらきちんと縫わせていただきますよ。私は医者ではありませんが、それくらいならできます。多少動きにくいかもしれませんが、この針は抜かないでくださいね」


 言って、左足の応急処置を終える。次に右足へと手を伸ばして持ち上げた。半透明の針を手にする。


「─── この針、お前が時々首に刺してるやつと同じか」


 ぴたり。クオンの手が止まる。


「刀傷だろ、それ」


 首の、左側。
 大きくはない声だ。僅かに潜められた声音は、癒えない傷を抱えていることをビビに隠し続けているクオンに配慮したのかもしれない。だがそれならそもそも突然切り込まなくてもいいのにと、緑髪の剣士からの不意打ちをまともに食らったクオンは顔を上げ、被り物の下で形の良い唇を僅かに歪ませる。


「きれいな傷だな。ぱっと見じゃ分からねぇ」

「……なぜ気づいたのです」


 観察眼に優れたゾロがそう言うのなら他の人間には誤魔化せているはずだ。そこには少しだけ安堵し、止めていた手を再開させたクオンはゾロの右足に針を刺した。


「見てりゃ分かる。と言いてぇが……いや、確かによく首に触る奴だなとは思ってはいたが」


 そうしてよくよく観察してみれば首に触れるたびに指は僅かに動いて、けれどそれが何をしているのかははっきりとは判らなかった。それが判ったのは風呂場でだとゾロは言う。


「体温が上がるとな、傷が浮かび上がる」


 なんてことないように、当然のことを当然のように話す語調で言い、ゾロは自分の首の左側を指で叩いた。つ、と滑った指が首の裏から表へ滑る。半円ほどではない。首の少し後ろ、時計で言うなら1時から4時まで、角度にして90度程度をなぞり、正確に傷の大きさを測られていたクオンはため息を被り物の下にとかした。
 風呂場であれだけ近くに寄ったのだ、言われた通り風呂上がりで体温は上がっていて、被り物もなく、多少観察眼に長けていれば見抜かれるのも当然だった。


「お前にそれだけの傷を負わせるような奴はそうそういねぇだろうよ。余程の腕前なんだろうが……そいつは誰だ?」


 聞いたことのある問いだな、と思って、すぐに思い出す。ゾロの胸を走る大傷を目にしたクオンが向けたものだ。ゾロはその問いに、鷹の目と答えた。そして今回、クオンは何と答えるかを目の前の剣士は待っている。


「……」


 クオンは問いに答えず、顔を伏せると無言でゾロの足に針を刺していく。最後のひと針を刺し終え、軽く包帯を巻いて、それでも問いの答えは口にしなかった。
 男の足から手を離す。ゾロは問いに答えないクオンに何も言わず礼だけ述べるとブーツに足を入れて立ち上がった。
 その、問うたくせに答えを期待していないようなあっさりとした態度に、答えを口にする気はないクオンは何だか不満にも似た感情が湧いたことを自覚する。随分と勝手なことだとは分かっているが。
 なんとなく憮然とした思いで針が入った箱を懐に仕舞い、眉を寄せた顔を被り物で隠すクオンをゾロが見下ろす。


「言いたくなきゃ別にいい。けど、話してもいいと思ったら教えろ」


 あと、吹聴するつもりもねぇ、と続けられて初めて、顔を跳ね上げたクオンは自分が抱えた傷のことをビビに告げ口されるとまったく考えなかった自分に気がついた。
 ゾロは他人の秘密を知っても自分の胸に仕舞い込み、そう簡単に口を割るような男ではないと短い付き合いで分かってはいた。が、ゾロが黙っているとクオンに言うよりも前に、自分がそれをもはや疑いもしていなかった事実に驚愕する。

 そして、胸に湧いていた、不満にも似たものが消え失せたことにも遅れて気づく。
 別に答える義理も道理もない問いだ。けれどその答えをゾロは知りたいと思っていて、クオンから話すのを待つと言う。
 消えた感情の代わりに新たに湧いたものは何なのか。自分の感情なのに、自分を置いていって胸の内で騒ぎ立てるからたまらない。
 被り物の下で当惑した表情を複雑に歪めながら、クオンはルフィ達のもとへ戻るゾロの背を呆然と見送った。

 何だろう、これは。胸の内でぐるぐると渦巻くものは何なのか。クオンはその答えが分からない。それが何なのか知らない。けれど本当は分かっているような、知っているような気もして、だからこそどうしたらいいのか分からない。
 ただ─── ただ、そう。ひとつだけ確かなことは。

 クオンは、あの剣士にまたひとつ、許された。








 ゾロに少し遅れてクオンがみんなのもとへ戻ると、どこから手に入れたのかせんべい片手に「クオンもせんべいパーティーやろうぜ!」とルフィをはじめとしてウソップやカルーが盛り上がっており、賑やかですねと被り物越しに低くくぐもった声で返したクオンはせんべいを丁寧に断ってビビのもとへ歩み寄った。
 騒ぐルフィ達を見つめるビビは頬に手を当てており、どうしたのかと首を傾けて見れば赤くなっていて、クオンの視線に気づいたビビは穏やかに笑った。


「大丈夫よ。私がバカなことを言っただけ」

「そうですか」


 きっと、Mr.3達がこの島へやってきたのは私のせい、とでも言ったのだろう。真実そうだったとしても、この場にいる人間は誰もビビを恨んだりはしていないことくらい、見れば分かる。クオンの肩に駆け登ったハリーがきゅいきゅいと鳴いて気にするなと言わんばかりに前足を振った。


「しかし…次の島への“記録ログ”が1年ってのは深刻だな」


 倒木の上に腰かけたゾロが真面目な口調で言い、現実問題を前にした航海士がそうよと力強く頷く。ルフィは適当に船を進めるのもありだと笑っていたが、本当は笑い事ではない。
 何とかしてくれよおっさん達、とルフィがドリーとブロギーに言うが、“記録ログ”ばかりはどうにもできないとドリーが返す。それはその通りだった。どうにもならないから、“永久指針エターナルポース”があるのだ。


「っは────!!!ナミさ~~~ん!!!ビビちゃ~~~ん!!!ついでのクオンとオマケども!」


 唐突に浮かれて蕩けた声が耳朶を打って、振り返れば密林の奥からサンジが現れた。そういえばこの男の姿をまったく見ていないことを思い出して、まぁ無事だったならよかったことにする。
 無事だったんだね~~~と間延びした声を上げながら駆け寄ってくるサンジに「よーサンジ!」とルフィが朗らかに声をかけ、騒動の中助けに来ず今頃現れやがってとウソップが憤る。


「ンなんじゃこりゃァ!!!お前がMr.3か!?」

「おや、コック殿はMr.3のことをご存じで?」

「あ?それには答えてやるとして……なァんでナミさんがてめぇのジャケットを着てるんだこの野郎!!ナミさんの刺激的なお姿が見えねぇし羨ましいだろうが!!!」

「あなたも大概己の欲望に素直ですよね…」


 ぐる眉を吊り上げて掴みかかってくるサンジに被り物越しでも分かるほどの呆れがクオンの声ににじむ。
 「ナミさんそんな真っ白執事野郎のじゃなくて是非おれのを!」「いらないわ」なんて会話を挟み、浮ついたサンジを嫌そうに見て立ち上がってクオンの傍に寄ったゾロが座っていた倒木に腰かけ、単独行動していた間のことをサンジは語る。

 曰く、密林の中で妙な家─── バロックワークスの追手のアジトを見つけ、そこに置かれた電伝虫が鳴ったものだからつい取ればMr.0と名乗る男からのもので。言葉を交わしているとその途中また妙なメガネざる・・・・・巨大・・ニワトリ・・・・に襲われ、なんとか撃退したあと、電伝虫で今の今まで話し込んでしまっていたと。


「…じゃあ、さっきまで……Mr.0ボスと話を…?」


 サンジの話を聞いて、ビビが呆然と繰り返す。サンジの言うメガネざるや巨大ニワトリというのはアンラッキーズだろう。Mr.0ボスと話している相手がバロックワークス社員でないから襲撃したが返り討ちに遭ったというところか。
 左手に持った煙草を揺らし、サンジはビビにああと笑ってみせる。


「おれをMr.3だと思い込んでたみたいだぜ」

「じゃあ私達はもう死んだことになってるの!?」

「ああ…!そう言っといた」


 力強く頷くサンジにビビがほっと安堵の息をつく。クオンも内心でやりますねぇとサンジを称賛した。
 突然バロックワークスのボス、クロコダイルと電伝虫越しとはいえ相対し、慌てることなく冷静に言葉を重ねて麦わら一味の死を偽るとは。元々よく気が利く男だとは思っていたが、頭の回転も随分早い。

 そうしてサンジが欺いてくれたというのに、肝心の自分達が“記録ログ”の関係でここを動けないと嘆くウソップに、サンジは訝しげに眉を寄せた。


「動けねぇ?まだ何かこの島に用があんのか?せっかくこういうもんを手に入れたんだが…」


 言いながら、サンジはポケットからひとつの“永久指針エターナルポース”を取り出して掲げた。木枠には確かにアラバスタの文字が刻まれていて、巨人以外の全員がぎょっと目を剥いてサンジの持つ“永久指針”を凝視する。その異様な雰囲気に、え、なに?とサンジが肩を震わせて戸惑う。次の瞬間、その場がどっと歓喜に湧いた。


「アラバスタへの“永久指針”だァ!!!」

「やった───っ!!」

「出航できるぞぉっ!!!」


 諸手を挙げて喜ぶ面々に、サンジがぽかんと口を開ける。事情はよく分からないが、自分の戦利品がみんなを喜ばせたと悟って嬉しそうに口元をゆるめていた。

 クオンも喜ぶ彼らを見ながら、そっと感嘆の息をつく。
 サンジが偶然Mr.3のアジトを見つけ、クロコダイルと話し、アラバスタへの“永久指針”を手に入れたのはまったくの偶然なのか、それとも必然なのか。
 結果的には“永久指針”を手に入れる算段だったが、手間が省けたことは純粋にありがたかったので、どちらでもいいかとクオンは静かに微笑んだ。





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