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 蝋で閉ざされていた視界が赤く染まり、はたと瞬けばそれが燃え盛る炎だと気づいたゾロはすぐさま蝋で固められていた腕を動かした。
 動く。炎の熱によって溶けた蝋がまとわりつく腕を薙いで振り払い、首を右に向けて蝋でできた箱を見やる。厚く塗り固められた蝋はどろどろと流れ落ちてどんどん壁を薄くし、その中に収められていた執事の気配をにじませた。
 これだけやわらけりゃいけるか、とゾロは目を細めて蝋の箱を逆袈裟斬りに一閃する。すっぱりと斜めに斬れた箱は一瞬その形を保ったままずれ、しかしすぐに炎の熱によって溶け落ちる。

 顔に手を当てて俯く白い執事の姿が見えて目を瞠った。てっきり涼しげな顔で佇み、おや剣士殿、ありがとうございますとのんびりあっさりとした微笑みを浮かべると思っていたのだが。


クオン


 自分で脱出することもできただろうクオンがゾロの呼びかけに肩を震わせる。目許を覆う指が少しだけずれ、指の合間から鈍色が見えた。焦点が合わず怯えたように揺れる目がゾロを映して瞬く。そうして、己を呑み込んでいた闇を斬り裂いた男を認識した瞳が、ゆるりと安堵をにじませて細められた。





† リトルガーデン 16 †





「おや、剣士殿。ありがとうございます」


 肌を焼く熱気を感じた瞬間、唐突に光が射して視界が赤く染まり、ゾロに名前を呼ばれて蝋の箱を斬られたことに気づいたクオンは顔から手を離して微笑んだ。


「どうやら船長殿がうまくやってくれたようですね」

「ウソップとあの鳥もな。……どうなるかと思ったが」


 疲れたようにため息をつくゾロの様子に、やはりただ救われただけではないらしいと悟って苦笑したクオンは反対を向いてビビに顔を向けた。


「姫様、大丈夫ですか?」

クオン!ええ、この被り物のお陰で息は普通にできてたから……」


 被り物に手を当てて頷いたビビがぐっと足を動かして何とか蝋の土台から抜け出そうとする。クオンが軽く右手を持ち上げれば、ビビとナミの頭にはめられていた被り物が外れてクオンの手に収まった。


「あいつら、絶対に許さない…!」


 ごうごうと燃え盛る炎の中、ひとつを被り、もうひとつを懐にしまったクオンは、勢いよく蝋の土台から足を引き抜いて肩を怒らせるナミを振り向いた。箱から解放されたクオンを見て「ありがと、クオン!」と被り物の礼を口にした彼女はキッと炎の壁越しに敵を睨む。


「私も許さないわ、特にあの女、ミス・バレンタイン…!!クオンは私のなのに!クオンのこと何にも分かってないくせに、あんなこと!」

「気持ちはよーく分かるわ!!よし!行くわよビビ!」

「ええ、ナミさん!!」


 炎に負けじと怒りに燃える強く逞しい女2人は、クオンが何を言う間もなく、それぞれの得物を手に駆け出して行った。ぽかんとそれを見送り、ふと、そうだ私もあのサングラスを片側32分割にしなければ、と行うべき報復を思い出す。
 

「おい、あの野郎はおれの獲物だ」


 声をかけられて振り返れば、頭に黒い手拭いを巻いたゾロが刀を抜きながら譲らぬ瞳で見ていて、軽く肩をすくめたクオンは左手で首に手を当てるとどろどろになった土台から足を引き抜いた。
 クオンが動かないと悟ったゾロは刀の一本を口に咥え、両手に刀を携え炎をまといながら駆け出して行く。その背に少しばかり遅れて、いつまでも炎に焼かれる趣味はないクオンが続いた。
 左手を首から離せばべっとりと赤い血で汚れた白手袋を外し、炎にくべて燃やした。ついに替えがなくなったが、船に戻れば持ち込んだ荷物の中にあるので構わない。右手を首に伸ばしてそこに滲む血を拭い取り、右手の白手袋も同じく炎にくべたクオンは小さく息を吐いて地面を蹴った。


やきおに─── り!!!!」


 ゾロが裂帛の気合いと共に振るう、炎をまとった刃がMr.5へ叩き込まれる。避けることもできずに正面から斬撃を食らい、Mr.5の肉体もまた炎に包まれた。
 瞬時に意識を刈り取られて地面に倒れ込むMr.5を背に、刀がまとう炎を払って鞘に納めたゾロが「燃える刀ってのも悪くねぇ」と呟く。クオンはそれを跳び上がった空中で見下ろして、勢いよく着地点であるMr.5の顔に降りると思い切り靴底で踏み潰した。ごぶしゃばりん、と鈍く高い音と共にMr.5のサングラスが32分割を過ぎて粉々に割れる。


「よし」

「容赦なさすぎて引く」


 満足げに頷いたクオンに顔を引き攣らせるウソップである。


クオン!!クオンのことを狙う不埒者は私がやっつけたから安心してね!」


 がばりと抱きついてくるビビを危なげなく支え、心強いことですと背を叩いたクオンは傍らの巨人が動いたことでそちらに目を向けた。鮮血が流れる手を地面について体を起こしたブロギーを見上げてゾロが口の端を吊り上げる。


「命あって何よりだ」

「……ああ」


 短く低く言葉を返したブロギーの横で、彼の親友はぴくりともしない。師匠、とウソップが気遣うように声をかけたが、ブロギーは何も返さなかった。それよりも、まだ終わってはいないと密林の奥へ視線を据える。
 手拭いを腕に巻き直したゾロもまた、ルフィとカルーが向かっていった方を向き腰の刀に手を添えて油断なく見つめる。


「残る敵は、あと2人か」


 ルフィが敗けるとは思わないが、最悪の事態は想定しておくべきだろう。クオンはビビを離すと警戒をゾロに任せ、ミス・バレンタインとMr.5を縛り上げて拘束した。その周りを針で囲むようにしてやれば、目を覚ましたからといってそうそう余計なことはできないだろう。
 作業を終え、そういえばハリーはどこへ、と思ったクオンは、


「はりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!!!」

「ぐわああああ!!?」

「ハリーお前師匠に何やってんだ!!!」

「ああ……」


 勢いよくブロギーの両手両足に小さな体を回転させながら背中の針を突き刺す己の相棒を見て頭を抱えた。初見だといきなり攻撃を仕掛けているようにしか見えないだろうに。


「おいクオン、ハリーを止めろよ!」

「いえ、あれはハリーなりの治療ですよ」

「治療ぉ?」


 クオンの言葉に訝しげに眉をひそめるウソップだが、ハリーが回転し通り過ぎるたびに傷痕が針で塞がれていくのを見て目を見開いた。


「ハリーは体内にストックした素材から多種多様な針を作り出すことが可能なのです。私が使っている針も、ハリーが作ったものですよ」

「じゃあ、あれは…」

「鎮痛剤が仕込まれた針ですね。簡易的なものですが、暴れなければそうそう傷が開くことはありません」


 敵はまだ残っているが、こちらにはまだまだ元気なゾロやクオンがいるのだ、彼は退場させてもいいだろう。
 ぱっと顔を輝かせたウソップがほっとしたように笑い、ハリネズミが通り過ぎるたびに傷が塞がれていくことに気づいたブロギーがじっとしてハリーの好きにさせる。
 両手両足の傷を塞ぎ終えたハリーは空中で回転し、ぽすんとクオンの被り物へダイブして疲れたようにきゅぅと鳴いた。


「お疲れさまでした、ハリー」

「そういや、こいつのお陰でルフィも助かったんだ。地面を掘ってくれてよ」

「そうですか。ふふ、どうです。私の相棒はできる子でしょう」


 ハリーを抱えて胸を張るクオンが被り物の下でドヤ顔をしているのが、その場にいる全員の目に見えた気がした。





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