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 ゾロを止められそうなクオンが黙らされ、血相を変えたナミは自分の足を斬り落とそうとするゾロに冗談やめてよ!!と慌てて止めに入った。何言ってんのこんなときに、と続ければ、こんなときだから言ってんだろと即座に返される。
 お前らどうする?と訊かれても、どうするもこうするもない。たとえ自分の足を斬り落とせたとして、この場を下りることができてもそこには4人も敵がいる。すぐにまた捕まるに決まっているとビビは声を荒げた。
 しかし必死で止めに入る2人を気にせず、ゾロは黙り込むクオンを一瞥して口端を吊り上げた。


「そんなもん、やってみねぇで分かるかよ。ここにいちゃどうせ死ぬんだ、見苦しく足掻いてみようじゃねぇか。どうにもなんなきゃ、後はクオンがどうにかすんだろ」


 それに、とゾロは続ける。


「こんなカス相手に潔く死んでやる筋合いはねぇ。そうだろう?」


 最後は倒れ伏すブロギーに向ければ、両の手足を封じられて虚ろにさまようエルバフの戦士の眼に、火が点いた。




† リトルガーデン 14 †





 ゾロの発破に応え、ガバババババババ!!!と大きく声を上げて笑ったブロギーは、呻くように生意気な小僧だと言ってゾロを見据える。


「おれとしたことが、もう『戦意』すら失っちまっていたようだ…─── 付き合うぜ、その心意気!!!」


 体の半分を蝋に固められながらも、燃える瞳には戦意が煌めく。
 クオンは無表情にそれを見て、ほんの僅か、くっと口の端を歪ませた。
 大人しくしてれば、最終的にクオンは誰一人死なせるつもりもなく自分でどうにかするつもりだった。それができると思っているし、確信もしている。

 けれどゾロはそれを望まない。クオンの背に庇われることを業腹として前に立ち、さらにはおれをよく見とけとのたまう始末。
 まったくもって愚かしいと、理性的な部分がゾロを判じる。命を無駄に投げ打つような真似のどこを良しとすればいいのか分からない。なのに、苛立ってもおかしくはないのに、感情的な部分がゾロを肯定するのだからよく分からない。よし行けいいぞそれでこそ、なんてやんややんやと囃し立てる己がいるのも事実で、自然クオンの眉が寄せられ眉間にしわができた。


(いいえ、いいえ。私は分かっています。『良いもの』が輝くさまを見れるから喜びが湧く)


 けれどその「良いもの」の一部が今から損なわれようとしているから、理性の一部がゾロの行動を愚かしいと吐き捨てている。
 いいえ違う、とクオンはさらに否定した。理性だと思っていたそれは、感情的な衝動だ。損なわれることを嫌がっているのなら、それは感情論でしかない。
 ぐ、とクオンの眉間のしわがさらに深まった。美しい顔に苦渋がにじみ、それでもその美しさに翳りはない。
 殿を任された。出会ったその瞬間からウイスキーピークで船に乗るようになるまでずっとクオンに警戒を抱き続け、乗ってからも表向きの警戒はなくとも信用も信頼もまったくされてないと思っていた男が託すことを、許されてしまった。


「う…嘘でしょ!?本気なの!?両足を失って…どうやって戦うのよ!!クオンが何とかしてくれるんだから、あんたもブロギーさんも大人しく…!」

クオンは『本当にどうしようもなければ』つったんだろ。まだどうしようもなくなってねぇだろうが」


 クオンに被らされた被り物越しに届くナミの声は低くくぐもっていて、それでも必死さが分かる。それに淡々と返したゾロはクオンを見ることもなくもう一本刀を引き抜き、凄絶に笑って続けた。たとえクオンが何とかするとしても、その前に足を斬り落としたおれが。


「勝つつもりだ」


 ────……!


 ふいに、クオンの頭に直接響き渡る“声”があった。音もなく震えるそれは玲瓏たる気配を消し、ひたすらにクオンへと剥き出しの“声”を投げつけてくる。この場で唯一、その“声”を明確に聞き取ることができる人間へ。


 ────!!


 “声”が強くなる。聞こえているのだろう、となじるような響きに、聞こえていますとも、とクオンは胸の内で応えた。
 鈍色の瞳が“声”の方を向く。ゾロの左手に握られているもの─── ひと振りの妖刀。その銘を、クオンはまだ知らない。

 “声”の強さがいや増す。だがクオンはゾロに任されてしまった。見ておけと言われてしまった。それを受け入れてしまった。ならばゾロの行動を止める権利を持たないはずだと、誰にともなく内心で言い訳する。
 けれどその“声”は、的確にクオンの心の隙に斬り込んできた。


 ─── お前だって、嫌だろう


 損なわれるのは、嫌だろう。あの美しい太刀筋を生み出す肉体が欠けるのは、筆舌に尽くしがたい悔恨を生むだろう。なぜならクオンはゾロを「良いもの」とし、その見目を、肉体ごと気に入ってしまっているから。


(本当に、妖刀というものはお喋りで困ります)


 秀麗な顔を歪めたクオンが八つ当たりのように胸の内で唸るのと、ブロギーが両の手足に刺さる短剣に構わず体を起こそうとするのと、ゾロが両手に持った刀を己の足首目掛けて振り下ろすのは、同時だった。一瞬遅れてクオンが左手をひらめかせる。


 バキバキバキ───


 ふいに、木々が折れる音が響いて。


「おりゃあああああああ!!!!!」


 密林の奥から、2人と1羽と1匹が、飛び出してきた。


「お前らァ!!!ぶっ飛ばしてやるからな~~~~~…………」


 勢いよく飛び出してきた彼らは、勢いのまま、Mr.3達を通り過ぎてさらに奥へと吹っ飛んでいく。
 それを呆然と見送ることしかできなかった4人が、奥の密林にぶつかって止まったもの達を凝視する。静寂が流れ、そして土埃を払って現れたのは、クオンが待っていたルフィとウソップ、カルー、そしてルフィの頭の上に華麗に着地を決めてポーズを決める可愛らしいハリネズミだった。


「やるぞウソップ、ハリー!!!鳥ィ!!!」


 ルフィの号令に、ウソップとカルーが応えて吼える。ハリーははりゃぁ、と可愛らしく鳴いたが、ガッチンガッチンと人間の指くらいは簡単に食いちぎる歯を噛み合わせて威嚇した。
 おや、とクオンが目を瞠る。どうやら基本的にクオン以外の人間などどうでもいいと思っているあのハリネズミ、ルフィのことを気に入ったようだ。


「ルフィ~~~~~~っ!!!ウソップっ!!!」

「カルーっ!!!」


 安堵からか、涙混じりの笑みを含んだ声を被り物越しに上げたナミと驚きがにじむ声を上げたビビをよそに、クオンは左手の指が持つ、あまりに長い、刀ほどもある長さの針を軽く払ってゾロの足首に食い込む刀身を弾いた。キィン、と小さく甲高い音が鳴る。


「……何で止めた」


 ナミがルフィにMr.3達をぼこぼこにしてぶっ飛ばすよう頼むナミの声に紛れかねない静かな声だったが、クオンの耳は確かにその問いを拾った。眉間にしわを寄せたまま眇めた鈍色の瞳を向ける。
 完全に止めることはできなかったが、それでも肉を断たんとした白刃をまだ傷が浅いうちに止めた針を苛立ち紛れに頭上へ投げて半円状のかぼちゃ頭へ突き刺したクオンの、恐ろしいほどに整った秀麗な顔が不機嫌そうに顰められた。


「嫌だったからですよ。あなたの意志は尊重したいのですが、私が気に入ったものを無駄に損なわれるのは嫌だと思ったから止めました。それに…その子達が斬りたくないものを斬らせるような真似は、やめてあげてください。可哀想です」

「は?お前何言って……」


 訝しげに眉を寄せたゾロは、クオンの視線が自分の左右の手に持たれた刀に向いていることに気づいて口を噤んだ。手元の刀に視線を落とすが、妖刀である鬼徹の気配は何となく分かるもののそれ以上の機微を感じ取ることができないゾロには何も聞こえないし分からない。けれどクオンが嘘を言っているとも思えなかった。

 斬りたくないものを、斬らせたのか。
 それが己の足だと分かって、ゾロの眉間にもつられたようにしわが寄る。


「……悪かった」


 クオンにではなく己の刀に言葉を落とせば、刀は何もゾロに伝えないが、隣の張り詰めた気配が僅かにゆるむ。横目に見れば眉間のしわが取れて元の美しい顔がそこにあった。

 短いが本心からの謝意を告げて刀の背を肩に置き眼下のルフィ達へ視線を落とすゾロに、クオンはため息を噛み殺した。次いで微苦笑する。先程までずっと騒ぎ立てていた妖刀から放たれる“声”は、すっかり鳴りを潜めていた。


「その前にルフィ!!この柱を壊して!!私達、今蝋人形なりかけなのよ!」

「うわっ、ナミそれクオンの頭じゃねーか!!いいなおれも被りてぇ!!」

「話を聞けぇ!!」


 被り物によって声は低くくぐもっているというのにはっきりと分かるナミの怒声に、ん、とルフィは表情を改めてゾロ達を見た。


「なんだ、やばかったのか?」

「いや。問題なかった」


 ルフィの問いにあっさりと答えるゾロの足元を見たナミが被り物の下で眉間にしわを寄せる。


「ちょ…ちょっとあんた、足から血が…!」

「ああ、3分の1くらいはイッたかな……途中でクオンに止められた」

「止められて当然だわ!大体、そこまでやっといてどこが問題ないのよ!」


 自分で斬った足からどくどくと血を流しながらも平然とするゾロにビビが目を見開いて絶句する。クオンはまったく仕方のないひとだと苦笑を深めて体の陰で右手を動かし、さりげなく蝋の霧をゾロの足元に追いやって固めることで無理やり止血させる。能力を発動し続けているため蝋の霧がまとわりつくだけでその白い体を固めるまでは至っていないクオンの意図に気づきながら、それには言及せずゾロはルフィへと不敵な笑みを見せた。


「とりあえずルフィ、この柱ぶっ壊してくれるか?後は任せる」

「よしきた」


 ゾロに応えて笑うルフィを見下ろし、まぁあとは何とかなるでしょう、と長く細い息を吐いたクオンは左手で首を撫でた。





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