「うまかったー!!」

「お粗末様でした。結局ほとんど船長殿が食べてしまいましたねぇ」

「これ本当にうまかったな。どこの店のだ?おれも行けばよかったぜ」

「町の外れにあるお店なので、またいつか立ち寄ることがあればご案内いたしますよ」

「なあクオン!ハリーの奴追いかけてくるんだけど!?」

「ぐがァアアるるる!」

「食後の運動に鬼ごっこがしたいようですのでお付き合いくださいませ」

「ねぇクオン、ルフィが頷いちゃったから船に乗せるのはいいんだけど、まさかハンバーガーだけが船賃ってわけじゃあないでしょうね?」

「もちろん。前金でこちらをお納めください」

「話が分かる奴は好きよ!!」

「………………はぁ」


 すっかり馴染み始めたおかしな被り物をした真っ白執事に、緑髪の剣士ことロロノア・ゾロは額を押さえて深いため息を吐いた。





† 東の海 5 †





 頭から爪先まで真っ白な執事が懐から出した小袋には宝石が入っていたようで、目をベリーに変えたナミは満面の笑みでクオンの乗船を歓迎した。まぁそもそも船長が是と言ってしまったので誰も今更否やは言えないのだが。


(得体の知れねぇ野郎だ)


 現在ルフィにそれぞれ仲間を紹介されている執事は、己をクオンと名乗った。あの町─── ローグタウンの死刑台の近くに立っていたのはあの騒動のさなかに目にしたが、それもルフィが声をかけて初めて認識した程度だ。すぐに海軍が押し寄せてきたことで意識の外に追いやられ、それから思い出すこともなかった。まさか再会するとも思わなかったその白い執事が今、この船に乗っている。

 被り物のせいで正確な身長は分からないが、おそらく自分より少し低いくらいだろう。猫を模したような妙な被り物越しに聞こえる声は低くくぐもっていて感情がうまく読み取れない。どんな顔をしているのかは当然分からない。ジャケットはもちろんシャツもウェストコートもスラックスも何もかもが白い執事の体躯はお世辞にも体格がいいとは言えず、いっそ禁欲的なほど肌が見える部分がないため筋肉のつき方も判らない。少し低めの声と執事だということから、男であるという情報くらいしか読み取れなかった。それと、ふとしたときに見える首元と手首の色から肌が白いことくらいか。

 この執事がどうやってこの船に降り立ったのか、ゾロにはまったく分からなかった。後部甲板で昼寝をしていれば唐突に近づいた気配を感じて反射的に目を開いて刀を手にしたが、そのときにはもう、クオンは船の上に飛び上がっていたのだ。
 近くにメリー号以外の船らしきものはない。見渡す限りの水平線だ。では真下か、と覗いてもやはり何もなかった。
 まさか最初から乗っていたわけではないだろう。あの荷物を抱えて潜伏していたとは考えられない。ルフィ達に振る舞われたハンバーガーはまだ温かかったようだし、ドリンクの氷も溶けていなかったから、本当にあの町からどうやってかこの船へやって来たらしい。


(悪魔の実の能力者か)


 海賊王になると言うルフィに半ば脅される形で仲間へ加わり海へ出てから出会うようになった、海に嫌われる代わりに異能を得た者達と同じだと考えた方がいい。
 どんな能力なのかは今のところ何も判らないが、糸口くらいは掴めるだろうかと油断なく執事を観察するも、クオンからは敵意がさっぱりない上にルフィ達と気の抜けた会話をするのでどうにも緊張感が保てず時々肩の力が抜ける。耳朶を打つ声の調子と言動がまったく噛み合ってないのがまた、違和感じみた不協和音がした。


「で、あいつがゾロだ!すっげー強ぇんだぞ!!」

「ええ、私もあの広場での活躍を見ていましたので分かります」


 嫌味か、と思わず口に出そうになってゾロは唇を引き結ぶ。あの広場で、死刑台の上でバギーにあわや船長の首を斬り落とされそうになったところに間に合わなかった自分をそう評されるのは、業腹とまでは言わないが、心を逆撫でされるようで気持ちのいいものではない。
 思い切り眉を寄せて眼光鋭くクオンを睨むが真っ白執事は意に介さず呑気なもの。やはりただ者ではないことは明らかだ。

 執事と聞けば、どうしたって思い出すのは元海賊で船長だったらしいあの執事だ。ウソップは自分の大切な友人を殺されそうになった記憶がまだ新しく、それゆえの警戒をクオンに向けたが、静かに返された言葉に嘘偽りの響きは一切なく。ウソップもゾロも思わず警戒が緩んでしまったくらいに、被り物越しでも判る、ただただ真っ直ぐな声音だった。


「ねぇクオン!あんた“偉大なる航路グランドライン”から来たんでしょ?ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」

「ええ、何なりと」


 海図を手にクオンへ歩み寄ったナミが本当に“偉大なる航路”の入口は山なのかと問い、クオンはあっさりと首を縦に振った。ナミが広げた海図を横から覗き込んで白手袋に包まれた指を伸ばす。


「ここからもう暫く行けば、いずれ山─── リヴァース・マウンテンへ向かう海流に乗ります。運河があるのは分かりますね?それに乗って山を登り、そして下ると、“偉大なる航路”へと流れ出ます」

「やっぱりそうなのね」

「海流に乗りさえすれば、あとは舵次第です。誤って運河に入り損ねるとこの船は大破して海の藻屑ですが」


 いつの間にかクオンとナミの周りにルフィとウソップも集まっているのが見える。先程ハリネズミと鬼ごっこをしていたウソップは頭の上にハリネズミを乗せていて、早くも懐かれたようだ。─── 否、すぐにクオンへ向かって跳び、するすると肩の上へと登ったから、単に踏み台にしただけのようだった。ハリネズミは海図を覗き込んだままのクオンに撫でられてご満悦な顔をしている。


「ははーん、要するに“不思議山”なんだな?」

「まぁそういうことです」


 自信満々に笑うルフィにクオンが頷く。その何とも緊張感のない会話にため息ひとつ。ゾロは何だか警戒するのがバカバカしくなってきた気がしつつも一応刀の柄に手を置いたたまま口を開いた。


「聞いたことねぇよ、船で山越えなんて」


 別にクオンの言葉を疑っているわけではない。海図があり、ナミが元々予測していたことを肯定されたのだ、嘘ではないだろう。しかし今までの人生経験において、運河があるとしても船で山を越えるとは常識外れにもほどがあった。ゆえにこぼれたひとりごとじみた言葉に、サンジから「おれは少しあるぞ」と返ってきて不思議山の話か?と水を向ける。いや、とサンジは口を開いた。


「“偉大なる航路”ってのァ…入る前に半分死ぬ・・・・と聞いた。簡単には入れねぇと分かってた」


 そう言って笑うサンジに、この中で一番詳しいだろうクオンは何も言わず、何の反応も示さなかった。それがサンジの言葉の肯定なのだとは、何となく読み取れたが。


「……何にせよ、この先は自分自身の目で見た方が確かでしょうし、何があろうともそれもまた楽しみというもの。知りたいと言うのでしたら詳細をお教えしますが?」

「うんにゃ、いらねぇ」


 クオンに顔を向けられたルフィが即座に首を横に振る。だろうな、お前はそういう奴だとゾロは小さく苦笑した。クオンもそれにひとつ頷きを返しただけでそれ以上は何も言わず、くるりと踵を返すと後部甲板へ続く左の階段へ向かって足を進める。


「私は“偉大なる航路グランドライン”へ入りさえしていただければそれで十分です。船長自慢の航海士殿もいらっしゃるようですから、後ろの方でのんびりと待たせていただきますね」

「おう!おれの航海士は優秀だからな!任せとけ!!」


 揶揄するような、どこか皮肉じみているようにも聞こえるクオンの言葉だが、全力で肯定して胸を張るルフィを見ると特に含みは何もないように思えるのだから不思議だ。クオンが静かに上げてひらりと振られた手の仕草が存外やわらかく見えたからかもしれない。

 床に置いていたアタッシュケースを手にし、コツコツと足音を立てて階段を上り後部甲板へ向かうクオンを見送り、ひとつ鼻を鳴らしたゾロも遅れて後部甲板へと足を向けた。
 どうもルフィは既にあの執事に気を許しているようだが、どうしたってあれは得体の知れない人間だ。今は大人しくしているのかもしれないが、本当に何もしないでいる確証はどこにもなかった。
 医者に縫ってもらったばかりの鷹の目に斬られた胸の傷がまだ痛みはするが、何かあればあの執事を斬るのは自分だと刀の柄を握る手に力をこめる。


「なーナミ!不思議山にはいつ頃着くんだ!?」

「このまま行けば、あと1時間もしないうちに見えるはずよ」


 ルフィとナミの会話を背に後部甲板に座り込んで手すりに寄りかかる。正面向かいには手すりに腰かけるクオンがいて、アタッシュケースを床に置き、右手に乗るハリネズミを左手であやすようにじゃれつかせながら撫でていた。くるくるひらりと踊るように動く手袋に包まれた指を小さなハリネズミの手と口が追い、時折甘えるように鳴く。

 ゾロに警戒され見張られていることにはとっくに気づいているだろうクオンは、おもむろに仰向けにひっくり返したハリネズミの腹に手を当てて高速で撫でると相棒を悶えさせ、微かに肩を揺らす。声は聞こえなかったがどうやら笑っているらしい。
 その光景はなんとも平和なことで、あの妙な被り物をした全身真っ白執事が得体の知れない人間であり、相棒のハリネズミは人の指なら簡単に食いちぎれる歯を持っていることを忘れそうになる。
 無意識に深いため息を吐き出したゾロは、ふいに船長の声が聞こえて振り返った。


クオン───!!」

「ん?」


 徐々に近づいてくるルフィの声に嫌な予感を覚えたゾロの視線の先で、真っ白執事の名を呼んで弾丸のようにルフィが飛んでくる。どうせ不思議山に着くまで暇だから遊び相手になってほしいのだろう。
 またあいつは、とゾロが呆れを隠さずにいれば、クオンは被り物をした頭を自分に迫ってくるルフィに向けてその存在を認識し、手すりから腰を上げて立ち上がると、

 ひょい、と。

 避けた。


「あ」「あり?」「は?」


 ゴムの反動を使って飛んできたルフィを見事に紙一重で避けたクオンが思わずといった声を上げ、伸ばした両腕が空を掻いて不思議そうな声を上げたルフィがクオンがいた場所を通り過ぎ、呆然と口を開けたまま船から海へ飛び出していくルフィをゾロが見送る。
 ルフィは船から然程距離をあけずに海へと落ちていった。バシャーン、と水しぶきが上がる。


「うわぁあああ助けごべぶぶぶぶぶぼぼぼ」

「何やってんだてめぇは!!!!」

「なんかすみません」


 能力者ゆえに浮かび上がることができずもがきながら沈んでいくルフィに青筋立てて怒鳴ったゾロが海へと飛び込む。
 申し訳なさそうに身を竦めたクオンが「やはり船長殿は能力者なんですね」と呟くのを聞いて海へ潜り、ルフィを回収したゾロは怒りのままに後部甲板へと放り投げた。


「うええありがとうゾロ~~~」

「お前はちったぁ後先考えて飛べ!」


 甲板に転がり、情けない声で礼を言うルフィに怒声は返しつつもやめろと言わないあたり、船長の無茶に相当慣らされていることを察して被り物の下でおかしそうにクオンが笑うが、あまりに小さいそれに2人が気づくことはなく。
 クオンに海へと垂らしてもらったロープを伝ってゾロは甲板へと戻った。


「いきなり飛んできたものですからつい避けてしまいました、すみません船長殿」

「ゾロが助けてくれたから気にすんな!」

「いや気にしろよ」


 なぜか胸を張るルフィにゾロがツッコむが、この自由気ままにゴーイングマイウェイな船長はまったく何も聞いちゃいない。
 「次からちゃんとゾロに向かって飛ぶからな!」と朗らかに笑うルフィにゾロが「ふざけんな」と鋭いチョップをお見舞いした。ゴムなのでノーダメージだったが。


「とか何とか戯れている間に、そろそろ見えてくる頃ですよ」

「ホントか!?」


 ひらりとクオンが前へ手を向け、そちらを向いて目を輝かせたルフィが駆けていく。「ちょっと、何であんた濡れてんの!?」「海に落ちた!」「何やってんだおめぇはよー!」と賑やかな会話が前の方から聞こえ、いきなりやって来てすぐに去っていった嵐のような船長にもはやため息すら出ない。
 ゾロは海水を吸って重くなったシャツを脱ぐと思い切り絞った。じゃばじゃばと水が滴り落ちる。


「……その傷」

「あァ?」


 ふいにクオンの声が聞こえ、シャツを絞りながら振り返ったゾロはじっと左胸から右脇腹にかけて袈裟懸けに走る大傷に視線が向けられていることに気づき、随分なものですね、と囁くように続けられてふんと鼻を鳴らす。何やらこの傷に興味を引かれたようだ。


「この“東の海イーストブルー”にはそこまでの傷をあなたに負わせるような方はそうそういないでしょうに。余程の腕前をしていたのでしょうが、どなたかお聞きしても?」

「鷹の目」


 言うと、ぴたりとクオンは口を閉ざした。ゆるりと頭が僅かに上がって、おそらく傷からゾロの顔へと視線を移したのだろう。
 ゾロは気にせずシャツを絞って水気を切り、一度広げて皺を伸ばすと頭を通した。鷹の目につけられた傷がシャツに隠れて見えなくなる。
 わざわざ答えずともよかったことを口にした理由は、正直ゾロ自身にも分からない。クオンの腕を買うような評価が過大に聞こえたからかもしれないし、単純にこの、声の調子を含めた言動が違和感だらけの執事の反応を見たかったからかもしれない。
 ゾロはちらりとクオンを一瞥して再度口を開く。


「背中の傷は剣士の恥だ。だからここに受けた」


 そうして、生かされた。言外の言葉も読み取ったか、クオンは何も言わずにひとつ小さく頷くと左手で首を撫でただけだった。
 ゾロはじっと観察するようにクオンを見つめたが、それ以上の反応は何も見えない。だが静かにその場に佇み、肩に乗せたハリネズミを構うでもなく目線を落とすように頭をほんの僅か、前へ傾けているだけだ。
 その様子に、これ以上は何も引き出せないと悟ったゾロはクオンから前方甲板へと視線を移す。水平線の先、ちらりと赤い何かが見えてそちらに意識が逸れたために、クオンが被り物越しにこちらを見ていることには、ついぞ気づけなかった。



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