46





 クオンが「何とかする」と言ったとき、その過程を語ることはほとんどない。すべて結論のみを口にし、そして結果を出してきた。「何とか」してきた。
 ゆえに、ビビもどうやって「何とかする」のかを訊くことはない。クオンが「何とかする」と言うのならそうなるだろうし、今ではないと言うのなら、そうなのだろう。
 無条件にただ信じるだけのビビを背に、クオンは真っ直ぐにMr.5とミス・バレンタインへ向かい合う。

 しかし、クオンが投降を口にしつつ結局は「何とかする」つもりであると明言したことで、己がクオンの気迫に呑まれた事実に対する苛立ちも加算して額に青筋を浮かべたMr.5がクオンへ駆け出し、そして右足を振り上げた。





† リトルガーデン 10 †





 ボゥンッ!!と爆発音と共にクオンの真っ白な肢体が炎に包まれる。悲鳴じみた声でビビがクオンの名を呼び、爆発の衝撃と炎に包まれたクオンが答えるよりも先に、二度三度Mr.5の足がクオンの胴へと叩き込まれた。


クオン!!」


 ルフィの声が響き、無抵抗に攻撃を受けたクオンががくりと膝を折る。その被り物を被った頭に向かって足を振り上げもう一度爆発を起こしたMr.5は、忌々しげにぐらりと傾くクオンの被り物を掴んでその顔面に拳を叩きつけた。ひと際大きな爆発音と衝撃に、それでも被り物をしたまま燕尾服を焦がした執事が地面に倒れ込む。


クオン…!」


 倒れたクオンに顔を真っ青にしたビビが駆け寄ろうとして、素早くビビの後ろに回り込んだミス・バレンタインはビビの腕を後ろ手に捻り上げて動きを制した。
 痛みに呻いたビビの視線の先、倒れたクオンがぴくりとも動かないのを見たMr.5が乱れた息を整え、今度はルフィへと視線を据えて近づいていく。そして睨むことしかできないルフィへ向かって右足を振りかぶった。
 連続する爆発音と上がる炎に、見ていることしかできないビビの顔が歪む。何とか逃れられないかと身をよじるが、そう簡単にミス・バレンタインの拘束を解くことはできなかった。


クオン、ルフィさん……!!あうっ!!!」

「キャハハハ、大人しくなさい。あなたごときが……本気でバロックワークスの追手から逃げ切れるとでも思ってたの?」

「……!!」


 悔しげに歯を軋ませ、地に伏すクオン、カルー、ウソップ、そしてルフィを順に見やる。
 クオンは何とかすると言った。けれど今ではないとも。だから投降を示唆して、なのに地に伏せさせられた。
 ビビはクオンを信じている。だからきっと何とかしてくれると信じている。けれど、でも、そんなに傷付いてしまえば、どうにもできないのではと不安がビビの心を覆い尽くそうとしていた。

 ビビが今、クオンに呼びかけて“命令”をすれば、きっとあの白い執事は立ち上がるだろう。けれどクオンは今ではないと言った。まだ、その時ではない。不安に苛まれながら、それでもビビはクオンの言葉に縋った。
 今ではない。なら、今は何もするべきではないと、無駄な抵抗をやめて現状を見守ることを選択する。たとえどれだけ悔しかろうと、腸が煮えくり返りそうだろうと、クオンがそう言ったのだから。

 ぐっと耐えるビビの意識の端で、ミス・バレンタインとMr.5の会話が聞こえる。ウイスキーピークでの礼ができて嬉しいと笑うMr.5に、覚えておきなさいよと唇を噛んだ。
 ルフィを見下ろしながら、“相棒の剣士”と“もうひとりの女”─── ゾロとナミも捕獲してあると告げるMr.5に、じゃあお前ら斬られるぞとルフィが掠れた声で返す。


「ほぉ…まだ口が利けたか。おれの足爆キッキーボムを顔面に受けといて…」


 感心すら抱いたMr.5が言い終わる前に、ルフィはべっと舌を出した。Mr.5の靴に唾を吐く。
 呆れた、とミス・バレンタインが笑い、唾を吐かれたMr.5は青筋を浮かべて見下ろし、瞬間右足を振り上げてルフィの顔面に叩き込んだ。動けないルフィはそれをまともに食らうしかなく、三度、四度と続けて叩き込まれたルフィは力なく手を地面に投げ出して動きを止める。


「ケッ、バカが」

「ルフィさん…!!」

「行くぞミス・バレンタイン」


 動かなくなったルフィに背を向け、ミス・バレンタインを促したMr.5は地面に転がっているクオンに近づくと燕尾服の襟首を引っ掴んだ。はっとしたビビが顔色を変えて身を乗り出す。


クオンに何する気!?」

「これも連れて来いとMr.3が言うんでな。何をする気かは知らん」


 冷たく言い捨て、クオンを引きずって歩き出す。その場に残されたウソップ、カルー、ルフィを見て思わず目を逸らしたビビもまた、ミス・バレンタインに引きずられるようにして連れ去られた。

 その一連の様子を、被り物の下、理性を有して凪ぐ鈍色の瞳でじっと見ていたクオンは、すぅと細く息を吸った。


 ────、────────…………


 クオンの口から吐き出され、被り物を通して人間の可聴領域を外れた音階が響き渡る。それは高く長く響き渡り、今どこかにいる相棒のハリネズミのもとへと、空気を震わせて意図を知らせに走った。





†   †   †






 クオンのもとを離れて密林を駆け、地面を掘って地中にいた虫を食らい、木を齧って樹皮を咀嚼し、にじんだ樹液をすすり、木の実に歯を立て、恐竜の鱗をもぎ取り、肉を多少抉り、水を飲むついでに水中の魚を丸呑みし、葉をすり潰して汁を吸い、岩を噛み砕いて、火山の火口に飛び込み風呂を済ませながらマグマをつまんだ“偉大なる航路グランドライン”生まれ育ちのハリネズミは、悠々と自然を満喫すると噴火と共に火口からあふれる火砕流を踊り食いしたあとに満腹になった腹をさすってげふ、と小さくゲップをした。

 ここまで食べたのはいつぶりだろうか、と思考をめぐらせようとして、どうでもいいかと思い直す。
 マグマに濡れた腹を舐めて毛づくろいをする。足と手先もきちんと舐めて、最後にぺろりと口の周りも舐め取った。


「きゅ、きゅーぅ」


 満足そうにひと鳴きしたハリーは、きっと相棒はハリーがたくさん食べたことを喜び優しく撫でてくれると思い、はたと食べることに夢中になっていたせいで結構な時間が経っていることに気がついた。
 しかし、相棒が己を呼ぶ“声”は聞こえない。ならば大した問題はないのだろうと、先程から巨人族が争っていたり妙な気配があちこちにあったりすることを知りながらハリネズミは我関せずを貫いた。なぜなら自分はクオンの相棒なので、クオン以外は割とどうでもいいのである。


 ────、────────…………


 ぴく、とハリネズミの小さな耳が震える。
 “声”。“声”だ、相棒の“声”が意図をはらんでハリーへと届く。

 ハリーはくるんと首を回して“声”がした方を向いた。小さなハリネズミにとっては遥か彼方、しかし異常な生態を持つハリネズミの脚力であれば、然程の時間もかからずに届く場所。

 ハリーは全力で駆け出してその場を離れ、瞬く間に後ろへと流れる景色を見ることもなくひたすらに駆けていく。木を飛び移り、恐竜を踏みつけ、地面に降りてひた走る。

 やがて、密林を抜けて拓けた場所に出た。きょろりと辺りを見渡しても相棒の姿はなく、けれど確かにあの“声”は「ここへ」とハリーを呼んだ。指示までは届けられなかったことをみると、ここに来たらあとはハリーの意思に任せるという意味だろう。
 すんすんと鼻を鳴らして相棒の残り香を嗅ぎ、血を流すような怪我はしていないようだが少し焦げくさいことに首をひねる。


「はりゃ」


 さて。今まで敢えて無視をしていた、地面に倒れ込む2人と1羽を視界に入れ、小さく鳴いたハリーはとてとてとルフィに近づいた。
 相棒お気に入りの若い人間は、なぜだか骨によって地面に縫い留められている。生きてはいるようだがひどい怪我をしていて、何があったのかはどうでもいいが、おそらくこの人間を手助けするか否かを選べばいいのだろう。敵と相対したのだろう相棒の負担を考えれば、助けてあげるのが正しい。

 ハリーは無機質な光を宿すつぶらな瞳を人間に向けた。ハリーの気配に気づいたか、黒い瞳がハリネズミを映して「ハリー」と声をもらした。視界の端に、これまた怪我だらけのカルガモがよろめきながら体を起こす様子が映ったが、ハリーはそちらを振り向かなかった。
 ルフィはハリーを見上げ、強い光をその目に湛えると地面に埋まるウソップを見ずにその名を呼ぶ。


「ウソップ…あいつら許せるか?」

「いィや!!許せねぇ……!!」


 げほ、と咳き込み掠れた声で鼻の長い人間が返す。人間2人、散々にやられたのは見て取れるが、それでもなお消えない闘志にハリーは目を細めた。
 ふと、ハリーの隣にやってきたカルガモがルフィの目の前の地面をザクザクと嘴で掘り始める。無心に地面を掘るカルガモを骨に圧し潰された人間が見上げた。


「お前…悔しいのか…!」

「クエッ!!!」


 涙をにじませたカルガモの相棒は、自分の相棒の主だ。時々カイロ代わりになってあげてる、この普通ではないハリネズミにも分け隔てなく優しい女だ。ビビという女だと、ハリーは連れ去られたのだろう女のやわらかい手を思い出した。


「ハリー。お前も力を貸してくれ、クオンの相棒なんだろ」


 名を呼ばれ、ハリーはじっと少年といって差し支えのない男を見下ろす。真っ直ぐにこちらを見つめる、あの死刑台の上で笑った、相棒が「良いもの」と定めたそれを。ハリーにはまったくもってどうでもいい、けれど固い意志を湛えて燃える目で射抜いてくるモンキー・D・ルフィの諦めの悪さは、嫌いではなかった。


「きゅぁ、はりーぃ」

「よし…!じゃあ4人で行くかっ!!あいつら叩き潰しに……!!」


 本能からか、ハリーの意図を正確に読み取ってにぃと笑うルフィにハリーは肩をすくめる。威勢よく啖呵を切るのはいいが、まずはこの状況をどうにかしてからだ。
 ルフィを助け出そうとカルガモが必死になって地面を掘っている。それでもいいが、手助けをしてやると決めたハリーは地面に短い前足を置き、高速で動かし勢いよく掘って瞬く間に地面に穴を開けると小さな体を潜り込ませた。驚いた声が3つ聞こえたが無視をして、ざくざくと地中を掘り進め、ルフィの体の下まで到達すると腹部から頭にかけて斜めに土を掻く。

 ルフィが骨の下から這い出ることができたら、今度は鼻の長い人間の方だ。まったく世話の焼ける奴らだと内心でぼやいたハリネズミは、きゅるきゅると愛らしいハリネズミの皮を被った割と冷徹で口が悪い、“偉大なる航路グランドライン”生まれ育ちの普通ではないハリネズミだった。





  top