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 腹の奥底でぐつぐつと煮える怒りは消えはしない。しかし一度ゆるんだ空気を再び凍りつかせるようなことはせず、状況を見ながらクオンは思案する。


(彼らが、何の策もなく再び私達の前に姿を現したとは思えませんね)


 ルフィは現状動けないが、クオンは何の枷も負っていない。それに、だ。酒に爆弾を仕込んだのは自分達を狙ったものかもしれないとビビは言いいクオンはそれに表向き同意したが、本当にそうだとは思っていない。
 Mr.5が酒に爆弾を仕込んだのはおそらくウソップとナミがブロギーに酒を渡し、上陸したあと。王女と執事含む麦わら一味よりも、巨人族の2人を狙ったものと考えた方が筋が通った。そのまま潰すつもりだったか、巨人に一味を襲わせるつもりだったかは、分からないが。

 その計画を、彼らが立てたとは思えない。こうして堂々と姿を見せたのがその証拠だ。ナミを攫ったのもMr.5とミス・バレンタインの仕業だとは思えなかった。
 となれば─── もうひとり、否、もうひと組・・・、この島にいる。Mr.5ペアを実働隊として動かせるだけの、人物が。





† リトルガーデン 9 †





「あなた達の目的は何でしょうか」

「あ?」


 今にも得物を手にしそうなほど殺気立っていたビビと倒れるカルーの前に庇うようにして立ち、問いを口にしたクオンをMr.5が見やる。


「我々を消しに・・・来た・・のであれば、わざわざ航海士殿を攫った理由は何です」

「……無駄に頭の回る執事だな」


 カマをかければ簡単に引っ掛かる彼らにナミの無事を悟る。何で分かったんだとルフィ達が驚いたように目を向けてくるのが判るが、とりあえず今は流しておいた。


「こいつらが、ナミを…!?」


 巨人達の件と仲間の危機、ふたつのことに顔色を変えたウソップは衝動のままにパチンコを構え、Mr.5とミス・バレンタインの挙動を窺っていたクオンはそれに反応して止めるのが僅かに遅れた。


「狙撃手殿!」

「食らえ!必殺─── 火薬星っ!!!」


 クオンが声を上げたときにはウソップの弾は撃ち込まれていて、それは真っ直ぐにMr.5へと向かって着弾する。避けることもせずに受けたMr.5の体が炎と煙に包まれるが、爆弾人間の彼に通じるとは思えない。
 ビビだけは決して前に出さないよう、クオンは燕尾服を煽る爆風に乗って空高く浮かび上がるミス・バレンタインを見た。


「キャハハハッ!!いい爆風だわっ」

「!!?」

「お逃げなさい、狙撃手殿!あなたが敵う相手では───」


 ウソップが狙われていることを分かっていて、ビビの前から動けないクオンはウソップに言う。だがウソップはMr.5を仕留めたと思い込み、その注意が空を舞うミス・バレンタインのみに向けられていてクオンの言葉に耳を貸さない。


鼻空想ノーズファンシー


 その声が耳朶を打った瞬間、クオンは指の間に挟んだ針を飛ばそうとして、煙の中からふたつ、鼻クソ爆弾を持つ手があるのを目にして無理やりその軌道を変えた。


「─── キャノンっ!!!」


 ドウンッ!!!


 クオンが放った針が、Mr.5がクオンを狙って放った鼻クソ爆弾と衝突して爆発を生む。だがもうひとつ、ウソップに向けられたものまでは対処できなかった。もろに受けて爆発し、全身を焦がしよろめきながら何とか倒れ込むことだけは耐えるウソップに、今度はミス・バレンタインの追撃が向かう。


「キャハハハ!お気の毒!!」

「ウソップ!!!」

「く───」


 ウソップの前に滑り込むことは、可能だ。だがそれはビビを無防備にすることで、彼女の執事としてそれを選ぶことはできなかった。代わりに針を飛ばそうとして、しかしクオンの方へMr.5が再び腕を構えるさまを目にして動きを止める。


「そこの王女がお前の枷になることはもう分かっている、執事野郎」


 ビビはクオンの背後で息を呑んだ。ウソップを唯一助けることができる執事は、執事であるがゆえに主を庇う役目を放棄できない。
 私のせいで─── ビビの心がずしりと重くなる。
 だが自分に何ができるだろう。今動くことはクオンの邪魔になることだと身に沁みて分かっていて、ただカルーの傍にいることしかできない。


「1万キロブレス!!!」


 ミス・バレンタインがウソップへと弾丸のように降り、地響きと共にその体を地中へ埋める。
 物理的に動けなくなったウソップを見て、死んではいないことを確かめたクオンはMr.5とミス・バレンタインへ視線を戻した。
 彼らを倒すことは不可能ではない。しかし、そうするにはクオンは能力を使いすぎている。ウイスキーピークでの一連の騒動、そしてこのリトルガーデンにて二度、倒れ込むドリーを支えるために。ここでさらに消耗をしたとして、そのあとルフィを助け、しかし彼らの背後にはまだバロックワークスの追手がいる。それにはルフィが相手してくれるとしても、もし敵わない相手であったならば─── 無意識に左手で首を撫でたクオンは僅かに柳眉を寄せた。


「おれ達ァ、まだ・・お前らを殺しゃしねぇよ…ただ攫いに来ただけだ。Mr.3に言われてな…」


 動かないクオンを見て、Mr.5は鼻クソ爆弾の照準をクオンに合わせたまま言う。
 Mr.3の名を聞いたビビが息を呑んだ。


「Mr.3…!“ドルドルの実”の男…あいつがこの島に…!!」

「そうさ。奴は体からしぼり出す蝋を自在に操る、ろうそくキャンドル人間」

「─── 成程」


 Mr.3についてはクオンも知っていた。しかし、そこまで上位のオフィサーエージェントが出張ってくるとは。
 クオンはちらりと密林の方へ視線を送る。静かだ。長年の決闘相手を倒したというのに、ブロギーの声が何一つ聞こえない。喜ぶ声も、嘆く声も、憤る声も、何も。


「……彼ら巨人族をどうするおつもりで?」

「あいつらには懸賞金が懸けられている。社長ボスへの手土産だ」


 成程、とクオンは口の中で呟いた。ドリーとブロギーがこの島で戦い始めたのは100年前。懸賞金はその当時の額だろう。巨人族の寿命が長いことを知っている世界政府は、100年程度で手配書を取り下げたりはしない。
 成程、とクオンは口の中で呟いた。今度は胸の内で燃え滾る火を、宥めるように。
 成程、だから彼らを狙ったのか。だから酒に爆弾を仕込み、彼らの誇りを穢したのか。踏み躙り、侮辱し、せせら笑っているのか。成程、─── そうか。

 クオンは針を放った。


「────ッ!」


 目にも留まらぬ速さで飛んだ針は、その軌跡を追うことができなかったMr.5の頬を掠めて密林へと消える。
 避けたのではない。頬を血が滑る感触を覚えて初めて、執事が敢えて外したのだと気づいたMr.5の背筋に冷や汗がにじみ、遅れてぞわぞわと悪寒が這った。
 どこか愛嬌があるようで間の抜けた被り物を被った執事から放たれる痛いほどの気迫が氷の腕となって全身を搦め取り、喉を締めつけるような圧迫感すら感じた。かた、と膝が震えたことを誤魔化すように顔を青くしたMr.5は奥歯が軋むほどに噛み締める。


「て、めぇ…!!」

「投降します」


 唸るMr.5を無視する形で、クオンはぱっと針を地面に捨てると両手を上げてそう言った。冷徹な気配が霧散する。そこにあるのは恐ろしいほどの静けさを纏う真っ白な執事の姿。先程までの気配がまるで何かの間違いだったかのように、何の威圧感も感じられない。


クオン…!?」

「姫様、申し訳ございません。今の状態で彼らと交戦するのは不利と判断しました。戦えるのは私ひとり、そして航海士殿も戦士殿も彼らの手に落ちた以上、ここで暴れるのは得策ではありません。もしかすると、航海士殿以外も。……ふむ、やはり他にもいるようですね」


 ぴくりと反応したMr.5の反応から悟り、被り物越しに低くくぐもった声でクオンは続けた。


「どうしようもなければ私が何とかしますが、それは今ではありません」





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