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クオン……」


 無意識にこぼれた、弱々しくクオンの名を呼ぶビビの声に我に返ったクオンは、ゆっくりと肩の力を抜いた。
 凍りつくような張り詰めた空気がゆるむ。失礼しました、と顔を向けずに謝罪し、勢いをつけて腕に抱きついてきたビビを見ないまま、クオンは白手袋に覆われた手を伸ばして優しく水色の髪を撫でた。





† リトルガーデン 8 †





「ルフィ~~~~~~っ!!!」


 ふいにウソップの叫びが轟き、焦燥に満ちた声に決闘を見つめていたクオンはちらと被り物の下で声がした方に目をやった。
 密林の奥から勢いよく飛び出してきたウソップが岩に足を引っかけてその先にある大きな岩に頭から突っ込んで止まる。だがすぐにルフィのもとへと涙を流しながら駆け寄ってきた。


「大変だ!!!ナミが、恐竜に食われた!!!!」

「本当かぁ!!?」


 ウソップの言葉に怒りも忘れてルフィが目を剥く。
 ルフィが家の下敷きになっているところをツッコむ余裕がないウソップがさらに続けた。


「恐竜から逃げるために一緒にジャングルを走ってたら突然いなくなって…!どうしよう、おれは仲間を見殺しにぃ!!」

「落ち着きなさい、狙撃手殿」


 頭を抱えるウソップについクオンが口を挟む。


「突然航海士殿が消えたということは、恐竜に食べられたところを実際に確認したわけではないのですね?」

「確認なんて恐ろしくてできるかぁ!!恐竜じゃなけりゃ猛獣だ!!他に何がいるんだ!!」

「恐竜や猛獣の可能性もゼロではありませんが……その状況なら、それよりもバロックワークスの追手の可能性が高いでしょう。あなただけが無事で、航海士殿が狙われたのだとしたら納得がいきます。狙撃手殿はバロックワークスの暗殺リストに載っていませんから」

「それにお酒だって…本来私達を狙ったものだったのかもしれないわよね、クオン

「……ええ」

「酒…!?酒って何のことだ…!?」


 状況がよく分からないウソップが疑問符を飛ばし、クオンはビビに説明を任せて再び決闘の方へ目をやる。
 ウソップとナミがブロギーに渡してドリーへ分けられた酒。それがドリーの胃袋で爆発したとビビが説明すれば、ウソップは驚愕に目を見開いた。


「何ぃ!?胃袋で酒が爆発……!?じゃあそんなボロボロの体で…決闘場に!?でも、あの2人は100年間…!! 全力で・・・ぶつかって互角の戦いをしてきたんだぞ!!たぶん…世界で一番誇り高い戦いなんだぞ!?」


 感情のままに言葉を募らせるウソップに、ああ、とルフィが頷く。


「そんな勝負のつき方があるかよ!!!」


 ウソップの叫びは、正しく怒声だった。尊敬したエルバフの戦士達の誇りを、神聖なる決闘を穢した者に対する怒りがクオンにも届いた。
 思わずクオンはウソップを振り返ろうとして、「とったぞドリィイ~~~!!!」と高らかに上がるブロギーの声に引き戻された。次いで重く鈍い音が大きく響く。密林の向こうから噴き上がる、真っ赤な血しぶきが見えた。
 誰もが息を呑む。ルフィもウソップもビビも、その光景に絶句して目を見開いていた。恐竜達の声でうるさい島が、一瞬すべての音を消す。

 ドオオ、と重い地響きがして、クオンは巨人が倒れたことを悟る。倒れたのは、ドリーだろう。
 ルフィもそれが判ったのか、眉を寄せて唇を噛み、どうにもならない骨の家の下敷きになりながら額を地面に打ちつけて呻いた。


「誰だァアア!!!出て来ォオオオ~~~い!!!」


 怒りに満ち満ちた声が響き渡る。びりびりと肌を震わせるほどの怒りに、クオンは被り物の下で鈍色の瞳を伏せた。
 くるりと踵を返したクオンが無言でルフィに歩み寄る。先程言った通り骨の家を何とかしてやろうと手で触れれば、ふいにウソップが口を開いた。


「よし…ルフィ…どこの誰だか分かんねぇが…!!おれが行って仕留めてきてやる!!!」


 そう啖呵を切るウソップを思わず振り返る。がくがくと足を震わせる彼は内心とても怖がっているだろうに、エルバフの戦士の決闘を穢されたことへの怒りで自分を奮い立たせている。随分と立派なことだ、とクオンは皮肉なく評価した。


「私も行くわ!」

「よし!ぜひついて来てくれ!!心強い!!クオンも頼むってかお願いします!!!」


 勇ましいビビにすかさず頷いて骨の家に手を当てるクオンに頭を下げるウソップへ言葉を返そうとしたクオンは、ふいに密林の奥から近づいてくる気配に気づいてそちらを振り返った。それと同時に「その必要はねぇ」と聞き知った声が耳朶を打つ。
 密林から抜け出てきたふたつの人影に気づいたルフィが、できる限り上体を起こして彼らを睨んだ。


「お前らかァ!!!」

「!!?」


 ルフィが怒鳴り、ビビが目を見開く。その人影がMr.5とミス・バレンタインだったから、というだけではない。Mr.5がゴミのように打ち捨てたカルガモが、己の相棒だったからだ。


「こいつは返す。…必要ねぇ…」

「カル───ッ!!!」


 クオンが止める暇もなく、ビビは青褪めた顔で一目散にカルーへ駆け寄る。血を流し、あちこちに怪我を負ってところどころ焼け焦げた様子は、Mr.5にひどく痛めつけられたことを如実に表していた。
 ビビはカルーに手を当ててギッとMr.5とミス・バレンタインを睨んだ。


「…クオンが言った通り、やっぱりあんた達が…!カルーには関係ないじゃない!!」

「おい…あいつら誰だ…!?」

「前の町にいた奴らだ」

「敵ですよ、狙撃手殿」


 骨の家から手を離し、Mr.5とミス・バレンタインを注視しながらクオンはルフィに続いてウソップの疑問に手早く答える。指の間に針を挟み、いつでも動けるように身構えた。
 クオンが鋭く見つめる先、Mr.5はサングラス越しの視線を倒れるカルガモに向ける。


「そうとも、この鳥には一切関係ねぇ…!ただおれ達が危険視していたのは、その麦わらの男、そしてそこの真っ白な執事。そいつらと一緒にいる王女をひとりおびき寄せるために、この鳥に鳴いてもらおうと思ったんだが……何とも強情な奴でね…!!」


 密林で見つけたカルーが思惑通り鳴かなかったことを思い出して苛立った様子で語調を荒げるMr.5を見て、クオンは倒れるカルーを一瞥した。
 カルーもまた、ウソップと同じくらい怖がりで、自分では敵うはずもない彼らを前に逃げることもできず恐怖に震え上がっただろう。それでも決して、王女を呼べと迫る彼らには従わなかった。己がどんな目に遭おうとも。


「だが、まぁ…見てみりゃ“麦わら”は勝手に動けなくなってた。だからもうこいつに用はねぇのさ…」

「……!!カルー…!!」


 カルーの献身を知ったビビが絞り出すように名を呼ぶ。
 クエ、と小さく鳴いて応えるカルーにミス・バレンタインが甲高い声で笑い、その哄笑が少しばかり、耳障りだ。


「お前らなのか!!酒に爆弾を仕込んだのは!!」

「ん?ああ、そうだとも。てめぇ誰だ…リストにいたか?」

「いいえ。でもきっと仲間よ。消しておきましょ」

「お前らが巨人達の決闘を……!!」


 ウソップの詰問に何てことないように答えるMr.5と笑うミス・バレンタインにウソップの顔に怒りがにじみ、クオンの横で骨の家から抜け出そうと暴れはじめたルフィがぶっ飛ばしてやると息巻く。
 さらに、今にもMr.5とミス・バレンタインに向かって飛び出しそうなビビを見て、クオンは被り物の下で鈍色の瞳を細めた。





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