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クオン!ルフィさんが…!」

「……船長殿なら大丈夫でしょう、彼はゴム人間、ただ踏み潰されただけなら然程のダメージはないはずです」


 駆け寄ってきたビビに向けたクオンの言葉を証明するように、ドリーに踏み潰されたはずのルフィが「うぱっ」と声を上げて上体を起こす。土で多少汚れているが、外傷は見えない。
 驚きつつも安堵の息をついたビビは、預かった麦わら帽子を手にルフィのもとへ駆け寄っていった。





† リトルガーデン 7 †





 平気なの!?と問われながら麦わら帽子を返され、ビビの問いには答えず、ルフィは「おっさんは…」と倒れ込んだドリーを指差した。


「大丈夫ですよ。命に別条はありません。意識は朦朧としていますが、すぐにまた暴れ回ることは無理でしょう」


 ドリーの首に手を当て、顔を覗き込みながらクオンが答える。同意するようにビビが頷いた。


「おれは怒った!」


 戦闘の余韻で少し呼吸を荒くし、帽子を被りながらルフィは言う。え、とビビがルフィを振り返れば、座り込んだままドリーの顔がある方に向き直ったルフィが続ける。


「あの酒は、このおっさんの言う通り、もうひとりの巨人の奴の仕業じゃねぇし…!!おれの仲間はこんなくだらねぇ真似絶対しねぇ!! ─── 誰かいるぞ、この島に」

「ええ。私も船長殿と同意見です」


 クオンはルフィを振り返って頷く。


「おそらくは、バロックワークス。……Mr.5とミス・バレンタインがいることは確実でしょう」


 クオンが低い声でそう言った、そのときだ。


 ─── ドオオ…ン!!


 “真ん中山”の火山が噴火した。
 はっとした3人の目がそちらを向く。


「あ…!?」

「え……あの山は確か…!?」

「決闘の、合図」


 ルフィが驚きに目を見開き、ビビがまさかと絶句して、クオンが被り物越しに低く抑揚のない声で呟く。
 ゆら、と視界の端で動くものを認め、クオンはドリーへ向き直った。火山の噴火音を聞いたドリーが、虚ろに瞳を揺らしながらも強い光を湛えて体を起こそうとしている。
 真っ先に声をかけたのはルフィだ。


「おい…!!待ておっさん!!行くな!!」

「戦士殿、お待ちを。あなたは今、戦うどころかまともに動ける状態ですらないのです」

「そうよ!ドリーさん、安静にしてなきゃ…!無理すれば死んじゃうわ…!!」


 地面に手をついて体を起こそうとするドリーの腕に触れたクオンが被り物の下で眉を寄せる。
 無理やり引き倒して動けなくすることは、可能だ。しかし─── しかしそれは、彼の、エルバフの戦士たる矜持を踏み躙ることと同義だと、分かってもいた。
 命あっての物種だ。理屈はそうで、止めるべきだと理性が言う。だが、戦う理由さえ忘れ、ただ誇りを胸に決闘を繰り返す戦士を止めることは、あの巨人達の戦いに圧倒されたクオンができるはずもない。


「我ここにあり、戦士ドリー!!…せめテ…エルバフの名に恥じぬ戦いを…!!!」

「────、……」


 血を吐きながらも爛々と熾烈に燃える瞳をひたりと据えるエルバフの戦士から、クオンはゆっくりと手を離した。それでも宙に手を浮かせたまま見上げるクオンを、やはり彼はどこか優しい眼差しで見下ろした。だがそれはすぐにドリーを止めようと言葉を重ねるルフィに向けたことで霧散し、一転して厳しい顔になるとぐっと足に力をこめて立ち上がる。
 剣と盾を手にするかと思われた彼はしかし、おもむろに巨人よりも尚巨大な骨─── ドリーの“家”を持ち上げると、唖然とするルフィへ向けて落とした。
 砂埃が舞い上がり、鈍い地響きが耳朶を打つ。“家”によってうつ伏せに地面に縫いとめられたルフィが叫んだ。


「あ───っ!!!何すんだこの野郎!!この家をどけろォ!!!」


 ばんばんと地面を叩いて抗議するルフィへ向かって、武具を構えたドリーが剣の先を突きつける。


「止まれねぇのさ。100年も前の話だが…戦いを始めち・・・まった・・・…。一旦始めた戦いから逃げることは、戦士という名からも逃げることだ」


 呼吸は荒く、それでもしかと地面を踏みしめて、ドリーは己を唯一止める力を持つルフィへ真っ直ぐな目を向けた。あまりに澄んだ目だった。


「戦士でなくなれば、おれは、おれでなくなるのだ」


 ゆっくりと背を向け、悪かったな、とドリーは謝罪を落とす。お前らを疑った、と。
 だがルフィは歯を食いしばり顔を歪めてその背を見つめる。疑われたことに怒りはない。そんなことはどうでもいい。ただ、エルバフの戦士の決闘が穢されたことに怒りを滾らせていた。


「これは、戦いの神エルバフの下した審判だ…!おれには加護がなかった…それだけのこと…!!」

「神とか…カゴとかあるとかないとか、そんなの関係あるかァ!!!お前は神が死ねって言ったら死ぬのか!!!」


 ルフィが叫ぶ。


「この決闘は邪魔されたんだ!!!邪魔が入った決闘なんて、決闘じゃねぇぞ!!!!」


 地面に拳を叩きつけ、「おいクオン、見てねぇで止めろ!!!」と勢いのまま怒声を叩きつけられたクオンは、それでも動かなかった。手は体の横に力なく垂れ下がりながらも固く握り締められ、ただ被り物をした顔を上げてドリーを見ている。
 ルフィの気持ちは分かる。痛いほどに。だが、それよりもドリーの誇りを優先させたかった。このまま戦えばどうなるかなど、分かりきっていて。
 被り物をしているから表情が見えないクオンの沈む気持ちが分かるはずもないのに正確に読み取り、ルフィから庇うように剣をクオンの前にかざして「黙れ!」とドリーは吼えた。


「たとえ加護がなかろうとも、これ・・の選択こそがおれに力を与える!それに…たかだか10年や20年生きただけのお前らなどに、エルバフの“高き言葉”が聞こえるものか…!!」

「知るかそんなもん!!大体お前がクオンの何を知ってるってんだ!!!これをどかせ!!!」


 骨の家を殴りながらルフィが怒鳴るが、ドリーはそれ以上何も言わずに歩き出した。先程の決闘よりもだいぶ足取りは重く、顔色も悪い。だがそれでも、彼は決して歩みを止めなかった。
 視線の先で、巨人2人が向かい合う。久しぶりの酒は格別だったろうと笑うブロギーに、神の味がしたとドリーは笑った。


「ウゥ…!!!う゛ーっ!!!………!!!う゛う゛う゛う゛っ!!!


 何もできずに地面に這いつくばることしかできないルフィが地面に拳を叩きつけ、骨の家を殴り、歯を軋ませて唸る。


「……船長殿。決闘が終わればそれを何とかしてあげますから、今は大人しくしていてください」

「うるせぇっ!!!」

「ルフィさん……」

「せっかくすげぇ戦士に会ったと思ったのに…!!!誰だ!!こんなことすんのは…!!」


 悔しさをあらわにルフィが吐き出し、ドリーを止めなかったクオンの背をギッと睨み上げた。


「何で止めなかった!!お前なら止められたんだろ!!?」

「ええ、可能でした。けれど私は止めません。止められません」


 クオンは戦士達の決闘を見上げながら答える。
 ルフィを説得しようなどとは思わない。ドリーを止めたいのがルフィの意思でエゴならば、ドリーを死地へ向かわせるのもクオンの意思で、エゴなのだから。


「一度戦うと決めたのならば、それを私が良しとしたのであれば、私はその意志を尊重します。私は『良いもの』がいっとう輝くさまを見たいのです」


 ルフィの顔が納得できないとばかりに不満げに歪む。その顔を、僅かに振り返って目にしたクオンは言葉を続けた。被り物越しに、低く抑揚のない声で。


「けれど─── この“決闘”さえ終われば。そこから先は、私の意志で動きます」


 基本的に温厚な執事が吐き出した絶対零度の低く冷たい声は、決して被り物のせいではなかった。音を立ててクオンの放つ空気が凍りついていく。
 肌を刺すほどに強い気迫に呑み込まれ、ぞわりとビビは総毛立たせた。無意識に震える体を自身で抱きしめるようにして初めて、クオンがひどく激昂していることに気づく。被り物の下にある秀麗な顔は心臓が凍りつきそうになるほど冷徹なそれだと、見ないでも分かる。


「………」


 互いの得物をぶつけ合う戦士達の決闘へ顔を戻したクオンの背を、少しだけ落ち着いたルフィは、それでも拗ねたような色をにじませた仏頂面で見つめていた。




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