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「どうなってんだ!!?何で酒が爆発するんだ!!だって、この酒はおれ達の船にあったやつなんだろ!?」

「腹の中から爆発しています。内臓が焼かれているのでしょう、動かさないように」


 クオンはドリーの胸元に飛び乗って叫ぶルフィを見ずにガフッと血を吐くドリーの顔を覗き込む。相当な痛みに苛まれているのだろう、顔色はひどく悪く、だが脈は確かにあった。少し弱いが、命に別状はない。巨人族の頑丈さが幸いした。
 手袋が血に濡れることも構わず、クオンはドリーの口元を拭ってやる。荒いが、呼吸もしっかりしている。戦士殿、と呼びかけると虚ろな目がこちらを向き、意識もちゃんとあることに細く安堵の息を吐いた。





† リトルガーデン 6 †





 突然酒が爆発したことに、まさかあの相手の巨人がお酒に爆薬を、と口走るビビに「お前いったい何見てたんだ!!」とルフィが怒鳴りつけた。びくりとビビの体が震える。


「100年も戦ってきた奴らが、こんなくだらねぇことするか!!!」

「船長殿、姫様とて本気でそう思って口にしたわけではありません。あなたも落ち着きなさい。姫様も、憶測を軽率に口にしないように」


 ぴしゃりとルフィとビビをたしなめ、クオンは内心で舌を打つ。上陸は様子見程度で済ませる予定だったから、治療道具の類など持ってきていない。精々が簡単な痛み止めと止血用の細い針くらいだ。外傷ならともかく、内臓となれば医者でもないクオンができることはほとんどなかった。


「戦士殿、気を確かに。相当な痛みでしょうが今気を失ってはなりません」


 声をかけながら、クオンの意識はこの島の全体へ鋭く向いた。
 誰かが、いる。麦わらの一味以外の誰かがこの島にいて、酒樽にこっそりと爆弾を仕込んだとしか思えない。そんなことができる存在に、クオンはひとりだけ心当たりがあった。


(あのサングラス、絶対に叩き割りましょう)


 クオンの腹が決まった瞬間だった。


「……、……」

「喋らないように。痛み止めくらいならありますから、それを……戦士殿? ─── ッ!!


 虚ろな眼差しでクオンを見ていたドリーがまとう空気が変わったことを敏感に察知し、伸びてきた大きな手にわし掴まれたクオンが声を上げるより早く、巨体を起こしたドリーが傍に転がる大剣をクオンを掴む手とは逆の手で握る。


「戦士殿!今動いては…!」


 クオンを掴む手は力がこめられているが、握り潰すほどではない。けれどそう簡単に逃げられるほど軽くもない。能力を使えば抜け出すことは難しくないが、びりびりとした殺気を放つドリーを刺激したくはないため声をかけることしかできなかった。
 自分の身長よりもずっと高い位置に持ち上げられ、地上ではルフィに向き合うビビの姿が見える。


「じゃあいったい誰が…」

「─── 貴様ラダ…」

「!!!」


 地の底から響くような低い声に、耐え難い屈辱と憤怒がにじむ。はっとして振り返ったルフィとビビが、ドリーの左手に握られたクオンに顔色を変えた。


「ゴフ…!!ブロギーじゃナい、オレ達は誇り高きエルバフの戦士なンダ…お前ラの他ニ誰を疑う…!!!」

「戦士殿、落ち着いてください!それに、あなたは今動ける状態では…!」

「あア……そうダ、お前は、オ前は違ウ。雪色ノ髪、美しイ顔、そう、少しダケ思い出した……」


 爆弾に焼けた喉から絞り出す声が、僅かに優しさを帯びる。左手をゆっくりと下ろされて庇うように後ろへ下がらされた。
 何を、とクオンは呆然と呟く。地に足がついて、太い指が被り物を撫でるようにぼふりと押される。


「お前ニ偽りハない、お前達・・・は、そういうモノだ」

「っ、ならばお聞きなさい!姫様は、船長殿は、彼の仲間は!酒に爆弾を仕込むような卑劣な真似はしません!!」


 クオンが叫ぶ。被り物にいくらかの感情を削がれていたとしても、強い声には必死さと実直さがあった。しかしドリーには届かず、左手に盾を持って立ち上がった巨人はルフィとビビを敵と見なして殺意を迸らせる。


クオン…!」


 ドリーの体を挟んだ向こうで、顔を青くしたビビが立ち竦む。今のドリーには何を言っても無駄だ、できることなら一旦逃げ出したいのだろう。しかしクオンを置いていくことはできずにいる彼女に、逃げても無駄だと分かっているクオンは何も言えなかった。ルフィも同じく分かっていて「逃げてもたぶんムダだよこりゃ」とドリーを見上げる。


「お前、ちょっとこれ持って下がってろ」


 被っていた麦わら帽子をビビに預けて準備体操をするように伸脚するルフィに、「無茶よ、戦う気なの!!?体格が違いすぎる!!」とビビが叫ぶ。そうだろう、巨人族にただの人間が敵うはずがないと、この島のあちこちに転がっている骨達が証明している。
 しかしルフィは悪魔の実の能力者だ。その強さをクオンは知っている。ドリーが手負いである今、敗ける要素はないと判じていい。が、しかし。


「船長殿」

「分かってる、クオン。おっさんにゃ悪ぃけど、ちょっと黙らせるだけだ」


 指を鳴らしてドリーを真っ直ぐに見つめるルフィに、クオンはそれ以上何も言わずに後退った。ドリーがクオンをどうにかするとは思わないが、巻き込まれる可能性は十分にある。
 荒い呼吸を繰り返し、時折がくりと体を震わせるドリーは血を吐きながらルフィを正面から血走った目で睨みつけた。ルフィもそれに応えて真っ直ぐに見返す。


「ドリーさん聞いてよ!私達は何も知らないの!!爆発したお酒のことなんて……だから暴れないで!!じっとしてなきゃあなたの体の中はもうぼろぼろなのよ!!?」


 何とか止めようとビビが声をかけるがその声も届かず、既に正気を失ったドリーは剣を振りかぶった。


「貴様ラよクも…!!!小癪な真似をォ!!!」


 ルフィに向かって振り下ろされた剣が地面に叩きつけられ、ドゥン!!と凄まじい音が響く。自身の一撃の反動すら耐えられないのだろう、ドリーはがくりと首を揺らして血を吐いた。その隙を突くように、重い一撃を跳ねて躱したルフィは剣に飛び乗って駆け出し、巨人の懐へ飛び込んだ。


「ゴムゴムの…」


 だがルフィが振りかぶった右腕は、ドリーに叩き込まれる前に薙ぎ払われた盾によって撃ち落とされた。流石は100年も命を賭けた決闘をしていただけあって、手負いでもそう簡単に倒されてはくれないか。クオンは血に濡れた左手を固く握り締める。


(バロックワークス……)


 ことごとく、神経を逆撫でする連中だ。被り物の下で鈍色の瞳を苛烈に輝かせたクオンは内心で吐き捨てる。
 ひとまずドリーを止め、そのあとこの島に潜んでいるだろう彼らを引きずり出さなければ。
 戦う2人を見てざわつく感情を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸をする。ふと、ビビが心配そうにこちらを見ていることに気づいて軽く手を振った。


「ゴムゴムのォオ!!」


 ルフィの声が聞こえて意識を戻す。背の高い木に手をかけ、長く腕を伸ばすことで強い反動を生みながらルフィはしっかりとドリーに狙いを定めていた。その口が、ごめん、と動く。


「─── ロケット!!!!」


 ドゥッ!!!


 勢いよく弾丸のように飛んできたルフィがドリーの懐に入る。内臓をやられているのだ、その衝撃は凄まじいものだろう。事実、剣を手放して後ろへ体を傾かせたドリーは血を吐きながら胸元を押さえて苦悶に満ちた絶叫を上げた。
 それでも、ドリーは止まらなかった。ぐんと体勢を立て直して左脚を振り上げる。宙に浮かんだままのルフィを踏み潰し、地響きがするほどの衝撃と轟音が辺りを包んだ。


「カッ…ハ…!!!」

「ルフィさん……!!?」

「悪魔の実の…能力者、だったカ……!!!」


 胸元を押さえ、がくがくと体を震わせながら血を吐きながら唸るドリーが「侮った……!!!」と膝をつく。さすがに体力の限界だ。
 クオンはドリーが膝をつくと同時に駆け寄る。重力に従い地面に倒れ込むドリーの肩に手をかけ、その転倒を一度止めてゆっくりと下ろしていく。さすがに体勢を変えることはできなかったため、そのまま横たわらせた。


「……は、……」


 うつ伏せに倒れ込むドリーの傍らに立ち、小さな呻きを被り物の中にとかして左手で首に触れようとして、白いはずのそれが血に濡れていることに気づいて外した。防水性の手袋はクオンの白い手までは汚さず、まっさらな指で首を撫でるように動かして長く細い息をつく。
 新しい手袋を懐から取り出してはめ直し、今日だけで2つ捨てなければならないことにため息をこぼした。





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