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「……どういう状況だ?これは」

「おや、戦士殿。お帰りなさいませ」


 背中に麦わら帽子の少年が張りつき、前に水色の髪を揺らした少女を抱えて、決して体格がいいとは言えない痩身の真っ白執事は酒樽を手に戻ってきたドリーを見上げて至極当然のようにそう言う。
 たとえどこか愛嬌があるようで間の抜けた被り物によって抑揚と声音に乗る感情が削がれていたとしても、執事の素の声を既に知っているため存外やわらかな声で言ってくれたのだろうと疑うことはなく。久しくその言葉を言われていないことを思い出したドリーは、胸に湧く照れくささを隠すように笑った。


「ゲギャギャギャ!!おう、ただいま!!」





† リトルガーデン 5 †





 また愉快なことをしていると笑ってドリーに見下ろされたクオンは、小さなため息を被り物の中にとかすと睨み合う2人へ意識を戻した。
 甘やかされたいと言ったルフィが何を望んでいるかは分からないが、このままでは会話もままならない、というかルフィのことだからこのまま会話を始めそうで、それはさすがに遠慮したいから早々にこの妙な口喧嘩をおさめるとしよう。

 クオンはおもむろに左手を上げ、クオンの肩に顎をのせるルフィを麦わら帽子の上から撫でた。乾いた麦わらの感触が手袋越しに伝わる。その下にある黒髪の感触まではさすがに分からなかったが。
 数秒ほど撫でて最後にぽすぽすと軽く叩いて終わりにすれば、ルフィが自ら麦わら帽子を外して離れようとしたクオンの手に頭を擦りつける。仕方ないですねぇと被り物の下で苦笑して望まれた通りに撫でると、優しい手つきで髪を梳かれながらゆっくりと撫でられる感触にひたるルフィの口元に笑みが浮かんだ。


「さ、満足しましたか」

「ああ!!」


 もういいだろうと手を離せば満足げな満面の笑みが返ってきて、先程までビビとの口喧嘩はどこへいったのか、ありがとうな!と礼を言うとあっさりと背中から降りた。
 甘やかされたいとは、どうやら撫でられたかっただけのようだ。そこには何の下心もなく、本当にただ撫でられたいと思っての言動だったんでしょうねぇと何となく察したクオンが苦笑すると、今度こそ主の機嫌を取るべく、ぶすくれた顔でルフィを恨みがましげに見つめるビビに向き直って頬に指を滑らせた。


「まずは座りましょう、姫様。私の膝をお貸ししますよ」

「それはつまり膝に乗ってもいいのよね?」

「許しましょう。機嫌を直していただけますか?」

「直す直す秒で直すわだから膝ちょうだいクオンの膝!!!!早く!!!!!!!

「鼻息が荒い」


 ダダ漏れが過ぎる欲望に目を爛々と光らせるビビの勢いに軽く引くクオンだが、撤回をすることはなくその場に腰を下ろして胡坐をかいた。その上にビビが乗ってクオンの首に腕を回して抱きつく。気づかれないよう匂いを嗅いでいるが、ふんすふんすと鼻息が首元にかかってくすぐったく、ばっちりしっかり気づいているクオンはしかし何も言わずに自由にさせた。また闇堕ちされても面倒だし、ここでガス抜きくらいはさせてあげたかった。ぽんぽんと背を叩いては撫でてやる。

 仲の良い主従にドリーは面白げに笑い、決闘が始まる前に座っていた岩に腰を下ろすと樽の蓋を割って呷った。ただの人間からすると大きな樽も、巨人族が手にすれば小さいコップのようだ。
 そうして、もう1人の巨人─── ブロギーという彼のもとにルフィと同じような人間の男女がいたと話せば、「それはおれの仲間だ!」とルフィがぱっと笑みを浮かべる。思わぬ偶然にドリーが大口を開けて笑った。


「ゲギャギャギャギャギャギャ…!!そうか!向こうの客人もてめぇらの仲間か!鼻の長ぇのが1人と女が1人いたが」

「ウソップとナミだ!なんだあいつら!船から下りねぇとか言っといて、やっぱり冒険好きなんじゃねぇか!」


 快活に笑うルフィだが、いやぁそれは違うと思いますけどね、とビビの髪を梳きながらクオンはブロギーと共にいるだろう2人を思い出す。あれだけ上陸を嫌がっていたのだ、おそらくブロギーと出会ってしまい、なんやかんやあって上陸せざるを得なくなったのだろう。


「なら、この酒はおめぇらからもらったことにもなるな!」


 そうドリーが言うから、ナミ達はブロギーに酒をねだられたか、メリー号の前に現れた巨人に酒を差し出して命乞いをしたか。何にせよ、無事であるならそれでいい。
 もそもそと腕の中で身じろぎしたビビが正面を向いて座り直し、クオンに背を預けてドリーを見上げた。


「ところでドリーさん。さっき言ってた“記録ログ”がたまるのに1年もかかるって話、本当なの?」

「その辺にてめぇらチビ人間どもの骨が転がってんのに気づかなかったか?この島に来た奴らは大抵“記録ログ”がたまる前に死んじまうのさ」


 ドリーの言葉に、成程とこの島に上陸してからちらちらと視界を掠めていた人間の骨を思い出す。この島で骨となった彼らは、ある者は恐竜のエサに、ある者は暑さと飢えに、ある者は巨人達に攻撃を仕掛けたために死んでいったとドリーは続けた。そうだろうとクオンは頷いた。ただの人間にとっては、この島での1年は長すぎる。

 納得するクオンと違い、ビビはどうしようと頭を抱えた。麦わらの一味なら、クオンもいることだしこの島での1年の滞在は決して不可能ではない。けれどそれだけの時間が経過すれば、アラバスタ王国はどうなることか。
 ビビの心情を正確に汲み取ったクオンはビビの頭を撫で、ルフィは「そうだなー飽きるしなー」と呑気なものだ。ここで焦らないのが彼らしいと思う。
 なんかいい方法はねぇのか?と訊くルフィにドリーが答える。


「“永久指針エターナルポース”ならばひとつある。ただし行先はおれ達の故郷エルバフ。おれ達ァつまり…その“永久指針エターナルポース”をめぐって、今戦っているわけだ。強行に奪ってみるか?」


 試すような物言いに、ルフィはけろりと返す。


「それじゃダメだよ。おれ達が行きてぇのはそこじゃねぇんだ。ここの次の島に行きてぇだけなんだよ。なぁ」

「ええ…アラバスタへ続く航路を見失うならば、進む意味がないわ」


 水を向けられて頷くビビに、ほら、とルフィはドリーを見やる。あっさりとした返しを気に入ったか、ドリーは再び呵々大笑した。


「ゲギャギャギャギャギャギャギャ!!ならば適当に進んでみるか!?運が良ければ行き着くだろうよ!!」

「だっはっはっはっはっはっは!そうすっか!?あっはっはっはっは!!着いたりしてなぁ!!」

「それか、ひとまずは十分に腹を満たし、眠り、起きてからまた考えましょう。果報は寝て待てと言いますし」

クオン、いいなそれ!!また恐竜の肉食ってみてぇしよ!!!」

「ゲギャギャギャギャ、本当面白ぇチビどもだ!!ゲギャギャギャギャギャギャギャ!!!」

クオンまで何言ってるのよ───!!?」


 さらりと会話に混ざったクオンにルフィとドリーが笑い、己の執事はまともだと信じていたビビがまさかの発言に目を剥く。クオンはそっとビビの顎に指を添えた。


「おや、この島ではしがらみなど無関係、姫様とおはようから次のおはようまでお傍にいれますが…?」


 この島には文化などない無人島だ。だから気ままに起きて、その傍にはクオンがいて、きっと添い寝も素顔でしてくれて、昼近くまで寝ていたって怒られなくて、適当な時間にその辺の恐竜を狩って得た肉を食らい、日が暮れるまでに2人で洗濯だとか野草の採取だとかちょっとした狩りだとか保存食作りだとかをして、夜になれば眠くなるまでお喋りをして、その隣にはやはりクオンが優しい顔で自分を見つめている姿を一瞬で脳裏に描いたビビは、きりっと真顔で己の欲望に従った。


「採用」

「おいビビ、アラバスタはどうした」

「いいじゃないちょっと夢見たって!!クオンとおはようからおはようまで一緒だとか一度くらいは夢に見るでしょ…!?」

「いや見ねぇよ」


 ルフィの何言ってんだこいつと言わんばかりの冷静なツッコミに、ビビは何言ってんだこいつと言わんばかりに眉を寄せた。
 その2人の様子がまったくもって、大変に面白い。クオンはくつくつと喉を鳴らし、肩を震わせて被り物の下で笑った。
 ビビの好意はとても心地が良い。少しどころかだいぶ度が過ぎているところがあるが、そしてたまに闇堕ちするが、その程度クオンにとっては些事だ。何の問題もない。
 ひとつふたつ呼吸をして息を整え、手遊びにビビの髪に指を通したクオンは、3人のやりとりを楽しげに笑って見ていたドリーが酒を呷り、喉を通って、瞬間。


 ─── ドゴオン!!!


 ドリーの内側から爆発したことに、大きく目を見開いた。


「酒が─── 爆発した!!!」


 ルフィが驚愕の声を上げ、クオンはすぐに立ち上がると爆発に驚いて身を竦ませるビビを後ろに立たせてドリーを見上げた。同じく突然の爆発に驚いたカルーがパニックを起こして密林へと駆け出していくのを視界の端に収めながら、止める暇はないためただ見送る。

 ぐらりと揺れた巨体の口から、もうもうと白煙が上がっている。腹の中に収めた酒が爆発したことでさしもの巨人族といえども内側から凄まじいダメージを負わされ、背中からくずおれる巨体を前に、クオンは考えるより先に駆け出して地面と彼との間に滑り込んだ。
 頭上に迫る大きな背中に左手を翳す。悲鳴のような声でビビが自分を呼ぶのを無視した。
 左手がドリーに触れ、背中から地面に倒れ込まんとした体がクオンの身長分地面と距離をあけてぴたりと動きを止める。真っ白執事を潰さんとのしかかる巨体を腕一本・・・支えた・・・クオンは、しかし被り物の下で秀麗な顔を歪めた。


「─── ぅ、く…!」


 さすがにこの巨体を支え続けるのは無理がある。ドリーを支えながらゆっくりと足を運んで脇に避け、同時に少しずつドリーと地面との距離を近づけて何とか最小限の衝撃で地面に横たえさせたクオンは、大の字になったドリーの横に立つと膝に手を当て肩で息をした。
 左手を首に手を当てて撫でるように動かし、「巨人のおっさん!!!クオン!!」と血相を変えて近づいてくるルフィを振り返る。その後ろで、顔を真っ青にしたビビもまた、叫ぶようにして2人の名を呼んだ。





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