「その死刑待て!!!」


 唐突に広場へ轟いた声に、ようやく仲間の到着かとクオンは顔を向けた。遠目に見えるのは、刀を三本持った剣士と黒スーツを着た金髪の男。

 おや、と被り物の下で目を瞬く。
 あの刀三本の男は、まさか。いつだったか、“東の海イーストブルー”から入った“偉大なる航路グランドライン”の海賊達から聞いた噂の男があれならば、確か彼は海賊を狩る立場ではなかったかと首を傾げる。
 だがここへ来てバギーによる少年の死刑を止めたがるということは、彼は少年と同じく海賊なのだろう。随分若いのに海賊とは、なんて、被り物の下にある顔は彼らと同じ年頃のものであるくせに、クオンはそんなことを思った。





† 東の海 3 †





 さて、今にも首を斬られそうな黒髪の少年の仲間が広場へ入ってきたが、地上にはバギーとアルビダの部下達がひしめいている。それを突破して死刑台を壊すには、圧倒的に時間が足りないことは火を見るよりも明らかだ。部下達を秒で斬り捨て、蹴り倒し、真っ直ぐに向かってくる2人は凄まじい強さだが、やはりまだ足りない。

 “道化のバギー”が、楽しそうに剣を振り上げた。クオンは無言で静かに左足に力をこめる。視線は死刑台へ。死刑台の2人越しに、雷雲が広がっているのが見えた。
 死刑台に固定された少年が再度口を開く。ゾロ、サンジ、ウソップ、ナミ。紡がれた名が4つ。彼の、仲間か。



「わりい おれ死んだ」



 笑う。少年が、男が、モンキー・D・ルフィという海賊が。
 拘束された死刑台の上で、剣を振り下ろされながら、己の人生の終わりを─── 死を、受け入れて、覚悟をして。

 笑った。


(なぜ)


 なぜ、笑えるのだろう。死ぬのだ。ここで終わり。海賊王になると言ったその口で、彼は己の“死”を受け入れた言葉を吐いた。
 助からないだろう。だって仲間は間に合わない。剣は振り下ろされ、助けてくれる誰かがいるわけでもない。クオンにはその力があるなんて、彼が知るはずもない。クオンに助けてもらえる義理もない。道理だって、何も。

 死ぬと悟った人間は、それでもそれに反抗して泣き喚き命乞いをするものだ。クオンが狩ってきた海賊達はそうだった。
 己が助からないと理解した人間は、青褪めて恐怖と絶望の表情を浮かべるものだ。クオンが狩ってきた海賊達はそうだった。

 なのになぜ笑う。なぜ笑える。
 22年前、この町のあの・・死刑台で処刑された海賊王ゴールド・ロジャーと同じように、なぜ笑えたのだ。


 ─── 瞬間、クオンは光を見た。


 それは空から降る一条の稲妻だった。バギーがルフィの首に剣を振り下ろしきるより早く。クオンが死刑台の上へ登るために足を踏み出すよりも尚速く。

 その光が、死刑台へと─── 墜ちた。

 閃光が目を灼く。次いで鼓膜を破るような轟音と息を呑むような衝撃。

 クオンは呆然と死刑台を見つめた。肩に乗ったハリネズミもぽかんと口を開けている。
 雷が落ち、炎を上げた死刑台がゆっくりと崩れていく。時を同じくしてぽつりぽつりと雨が降り出し、すぐに大雨の様相となった。

 ひらり、視界を麦わら帽子が掠める。空から降るように落ちてくるそれが彼のものだと理解すると同時に、地面に崩れ落ちた死刑台のあった場所に立つ、ひとりの男に気づいた。服は少々汚れているが、体には傷ひとつない。あの落雷を受けておいて、彼はまったくの無傷だったことにもはや驚くことすら忘れた。


「なはははやっぱ生きてた。もうけっ」


 地面に落ちた麦わら帽子拾って被りながらそう言い、朗らかに笑うルフィをクオンは呆然と見つめる。その被り物の下が笑みに彩られていることに、自分自身では気づかぬまま。

 薙ぎ倒したバギーとアルビダの部下が倒れ伏す中、おいお前、神を信じるか?とルフィの仲間である金髪の男が言う。バカ言ってねぇでさっさとこの町出るぞ、と頭に巻いていた黒い手拭いを取り、刀を腰に納めた緑髪の男が言う。彼がもうひと騒動ありそうだと続けた通り、確かに広場周辺には既に海軍が張り込んでいて、すぐに彼らを捕らえにくるだろう。特にこの、天が味方したとしか思えないような、麦わら帽子の男は決して見逃されまい。


「なぁ、そこの白いのっ!」


 ふいにぐるんとルフィの首が回ってクオンを向いた。白いの、と言われた通り頭から爪先まで全身真っ白執事に仲間2人は驚き、けれどもっと驚いたのはクオン自身だった。いきなり声をかけられて驚かないはずがない。けれど見開いた目も驚きから引っ込んだ笑みも被り物の下に隠れ、ルフィが目にすることができたのは小さく首を傾ける動作だけだった。


「お前がさっき言ってた肉!どこにあるんだ!?」

「ンなこと言ってる場合か!!!」

「逃げるんだよバカ!!!」


 クオンへ駆け寄ってきらきらと目を輝かせるルフィにぐるりと巻いた眉を吊り上げた金髪の男が怒鳴り、緑髪の剣士がルフィの首根っこを掴む。同時に「海賊共を追い込め!!!」と海軍の部隊が広場になだれ込んできて、さすがに肉どころではないと判断したルフィを含めた3人は一目散に広場を逃げ出していった。


「……肉」


 ぽそり、被り物の下でクオンが呟く。もうルフィ達の姿はどこにも見えない。
 意識を取り戻してルフィを追おうとするバギーやアルビダが唐突に現れた白い煙・・・に捕まる様子を見ながらも意識は遠くに馳せ、肉、ともう一度小さく呟いた声は被り物の下に消える。


「…………買って行きましょうか」


 自覚なく呟いて、自覚なく呟いたことを自覚して、クオンは被り物の下でゆったりと笑みを浮かべてくつりと喉を鳴らした。
 死刑台は焼け落ちてしまい、海軍によるバギーやアルビダの捕り物劇には興味なく、もはやここにいる理由を失くしてしまった広場を後にするために踵を返す。
 いまだ衝撃が抜けきらず広場に呆然と立ち竦む民衆がのろのろと我に返るのを横目に歩き出したクオンはふと、鼻に丸いピアスをつけた、オールバックの緑色の髪をした男に目を留めた。あの三刀流の剣士と似た色だなと思いはしたがそれだけで、ぽかんと口を開けて死刑台があった場所を見つめる彼の目の奥ににじむ熱の方が記憶に残った。


「そこのあなた」

「……あ、あァ?なんだべてめぇ」


 はっと我に返ってガラ悪く口調を荒げる男へ、クオンは無言でジャケットの内ポケットから出した紙を押しつけた。反射的に受け取った男が不審げにクオンを見下ろす。


「差し上げます。私には必要のないものですから」

「はぁ?」

「捨てるなり使うなり、どうぞご自由に」


 “引換券”の文字と船の番号、そして老人の名前らしきサインが小さく書かれていた紙を未練なく渡して、クオンはそれきり何も言わずに男に背を向ける。男も何も言わず、渡された紙を無言で見下ろしていた。


「きゅーぅ」

「ええ、いいんですよハリー」


 肩の上で「いいの?」と言いたげに体を傾けるハリネズミにやわらかく返し、強くなってきた雨と風を被り物越しに感じながらクオンは港から反対方面、自分が確保していた宿屋へと向かう。
 彼らは逃げ切れるでしょうか、とふと思ったが、まぁ何とかなるでしょうと思い直した。確かこの町には海軍本部の大佐─── 先程バギーやアルビダを捕らえた悪魔の実の能力者の男が詰めているが、ここで捕まるような男なら、あの死刑台で死んだ方がマシだったろう。

 ふいに突風が吹く。風に飛ばされないようハリーをジャケットの下に入れて、「あのおじいさんの言う通り、嵐がきましたね」と何となしに呟いた。

 この嵐は、彼らにとっての追い風になるだろう。島を出さえすれば、海軍はそうやすやすと追ってはこれない。
 ああ、往くといい。“偉大なる航路グランドライン”への入口はもうすぐそこだ。そこから始まるのだ。海賊王になると明言した男の船出に相応しい天気だろう。


「ハリー、私は光を見ました」


 歩みを止めないまま、胸元に抱えた相棒に話しかけるようでいてひとり言のようにクオンは言葉を紡ぐ。
 海賊王を目指す男の笑った顔を思い出す。目を灼いた閃光を思い出す。五感全てを奪うような強烈な光が、この胸をも灼いたのだ。


「モンキー・D・ルフィ……ああ、とても良いものを、見ました」


 クオンはどこか夢心地にそう呟く。けれど被り物は静かな声をくぐもらせて感情を削ぎ、嵐の中に溶けた声はひどく淡白な色をしていた。それでも、聞いている者は胸元に抱えられたハリネズミ1匹。ハリーと名付けられた相棒のハリネズミは、被り物越しに届くクオンの声を決して誤解しない。だからハリネズミのハリーは、きゅぁーう、と少しだけ高く長く鳴いた。それはとてもよいことだ、と優しく微笑むように。






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