当然と言うべきか、死刑台のある広場は人であふれていた。クオンもその中のひとりに紛れながら死刑台へと足を進める。
 妙に愛嬌があるようで間の抜けた猫を模した被り物をした全身真っ白執事はこの群衆の中でも少々目立ち、それでも死刑台に近い人はそちらに視線を奪われているので然程注目はされなかった。

 世界政府の管理化にある特別死刑台、海賊王ゴールド・ロジャーが処刑された場所。クオンは死刑台のすぐ近くで足を止めて被り物の下で目を細める。
 彼は最期に、ここで何を見たのだろうか。何をもって、ここで大観衆の中、あの言葉を言い放ったのだろうか。


「……」


 うず、と体を小さく揺らす。少しだけ、ちょっとだけ、登ってもいいでしょうか、ダメでしょうか、ダメでしょうねぇ、と死刑台を見上げて吐息のようなため息をひとつ。はりゃ~、と肩に乗ったハリネズミが処刑台を見上げて呆けたような声を上げた。




† 東の海 2 †





 正面からも見てみましょうか、とクオンが小さくハリネズミに囁き移動しようとしたところで、死刑台の足元にいる誰かが死刑台の上へ手を・・伸ばした・・・・のが見えて思わず目を点にする。


「は?」


 被り物の下でぱちりと瞬きひとつ。思わず目で追えば、それは少年と言ってもいい年頃の、麦わら帽子をかぶった若い男だった。手が、というか腕が伸びましたね、今。
 死刑台に手をかけた彼が地を蹴って跳び上がり、そのてっぺんに足をつけた黒髪の少年は満面の笑顔を浮かべた。


「うっっっっは────!!!これが海賊王の見た景色!!!そして死んだのか───っ!!!」


 死刑台の上で、少年が嬉しそうに叫ぶ。ふと、手で額にひさしをつくったその顔に見覚えがある気がしてクオンは瞬きをもうひとつ。
 つい最近の記憶だ、どこで見ただろうか。一歩近づいて見れば麦わら帽子に加えて左目の下の傷が特徴的で、それを目にして思い出す。そう確か、先日発行されたばかりの手配書に書いてあった名前は。


「モンキー・D・ルフィ?」


 思わず口に出して呟くと、小さくもないその声が聞こえたのか、少年の顔がぐるんとこちらを向く。ばちりと目が合った、気がした。こちらは被り物をしているので少年からは分からないはずだが、それでも確かに、彼と目が合った気がした。
 少年がクオンを見てぎょっと目を剥く。


「白っ!何だお前!!何だその頭!!!変な奴だな───!!」

「あらあら」


 随分と率直な少年に思わず被り物の下で小さく笑う。だがその笑声はくぐもり、被り物を通して少年の耳に伝わることはなかった。
 少年の声につられて被り物をした真っ白執事に周囲の視線が向けられるが、それは次いで響いた警官の声で散らされた。


「コラ、君っ!!今すぐそこから降りなさい!!」


 クオンから拡声器を使って注意をする警官へと顔を向けた少年が「何で?」と聞き返す。この死刑台が特別なものであることを知らないのだろう。あまりに悪気なく無垢なその様子に、どっと周囲が沸いた。クオンも被り物の下で笑みを浮かべる。ただし、周囲の人間とは少し違う笑みを。これで懸賞金3000万ベリーとは、いったい何をやったらそんな額になるのだろうか、という思いが多分に含まれていた。
 警官は少年がまさか高額賞金首だとは思っていない様子で、慌てて死刑台の説明をしつつ再度降りるよう注意しかけたところで、ふいに後ろから誰かに金棒で殴られて吹っ飛ばされた。


「まぁ、そう固いこと言わなくてもいいじゃない、おまわりさん」


 探したよルフィ、と言いながら金棒を手に現れたのは、なんともまあ麗しい美女だった。長い波打つ黒髪、涼やかな目許、紅をひいた赤い唇が艶やかな笑みを浮かべている。
 さて、どうやら少年の知り合いらしいが、誰だろう。誰であれ、海軍が常駐するこの町で警官に問答無用で殴りかかるとはまともな人間には思えないが。何だか面倒事の気配を察知したクオンはそろそろと足を引く。

 少年は死刑台の上から女を見下ろし、女に知らないと言った。「誰だお前」と訝しげに発された声音に嘘はないだろう。そも、この少年は到底嘘をつけそうにない人間に見えた。見知って数分、目が合ったのは一度だけだが、何となく。

 群衆に紛れて傍観に徹すると、どうやら少年は過去女の顔を殴ったらしい。そのときの激しい拳に何やら感じ入ることがあったようで、右頬になめらかな手を当てうっとりと少年を見上げている。よく分からない世界ですねぇ、とクオンは肩の上のハリネズミと一緒に首を傾けた。

 女は自分に見惚れる周囲の人間に自分の美しさを讃えさせ、この世界でアタシに跪かない男はいない、そしてアタシは強い男が好き、あんたはアタシのものになる、とクオンにはよく分からない自論を展開させ、


「うるせぇ いやだ お前誰だ」


 とバッサリ気持ちよく切り捨てる少年に両手を叩いて大笑いしたくなった。しなかったが。しかし笑みは抑えられず小さく肩が震える。
 完全他人事として見れば、まったく面白い2人である。まだ分かんないのかいっ!!と声を荒げてツッコむ女が少々憐れではあるが。
 と、そこでようやく警官隊が到着し、先程の警官─── どうやら警部らしい男に危害を加えた現行犯で逮捕する!と息巻いた。が、女の美しさにすっかりやられている警官隊は目をハートにしながら銃を構えることもできていない。警部補らしき男は、涙を流す目をハートにしながらも「美女がどうした捕まえろ!!」と職務をまっとうしようとしているので見込みは多少なりともあるようだが。


「ハデに死ねぇ───!!!」


 そう男の声が響くと同時、突如として大きな音を立てて噴水が爆発し警官隊を薙ぎ払う。
 次から次へ、何だこれ。うーん、控えめに言って修羅場。海賊同士の騒動は海でやってほしいものです、と内心ぼやいたクオンはさらに一歩後退りながら気配も消す。正直言ってとても関わりたくない。

 爆発と共に吹き飛んだ噴水の一部が女に向かって飛んでいくが、女はそちらを見ることもせずその場に立ったままだ。逃げられないわけではない、逃げないのだとクオンは悟り、成程能力者ですか、と察すると同時に噴水の一部は女の体を滑って・・・広場の後方にある建物へ激突した。

 女に直撃したはずの噴水が別方向へ吹っ飛んでいったのを見て周囲がざわめく。当の女は「危ないじゃないか、あんた!」と爆発を起こした誰かに片眉を跳ね上げていた。それにハデにすまんと言いながら、爆発の後の土煙から布を被った誰かが現れ、それに同じく布を被った十数人が続く。海軍はまだですかねぇ、職務怠慢ですよまったく、とクオンは少し遠い目をする。はーぁーりぃ…とクオンの肩に乗るハリネズミもやれやれと肩をすくめた。

 女の近くに寄った、声から察するに男が、女のことを「麗しきレディ・アルビダ」と呼ぶ。アルビダ?とクオンは被り物の下で目を瞬かせた。
 レディ・アルビダといえば確か、そばかすの目立つ横に太い女海賊だったはずだ。分かりやすい風貌にそこそこの賞金額だったから、会えば狩ろうと思っていたのだが。
 ダイエットでもしました?と思うが口に出る前に本人から“スベスベの実”を食べたと言われて納得する。本人は実を食べたところで自分の美しさが大して変わっておらず、そばかすが消えたことくらいだと言うが、そここそ大した問題ではない。そこは大した問題じゃねぇよ、と死刑台の上で全力で手を横に振る少年にうんうんと頷いて同意しておいた。

 ところで、正直言ってそろそろ飽きてきた。海賊同士の小競り合いにはあまり興味がない。明日の買い出しもあるし、嵐もくるそうだし、でもこの騒ぎでは店どころじゃないかもしれない、いや確か通りを数本挟んだ向こうにも雑貨屋があるからそこならこの騒ぎでも開いているか、とクオンは思考を飛ばす。視界の外で少年に吹き飛ばされた過去を持つらしいデカッ鼻の男が何やら叫んでいるが、名乗りを聞いてああ道化のバギーですか、とぼんやり思った程度である。


「ハリー、お腹はすいていませんか。お昼食べ損ねてましたね、そういえば」

「はりぃ…」

「確か、宿屋の近くにあるバーガーショップにはぐれ海王類の肉厚ステーキが入ったとか」

「肉ぅ!?」

「うわこっち見た」


 こっち見ないでほしいですねぇ、と耳聡く肉の気配を察知したらしい少年に小さく呟く。目がきらきらと輝いているから、どうやら余程肉に目がないらしい。育ち盛りですからね、たくさん食べるのはよいことです、と思いはするものの心からこちらを見ないでほしかった。
 あァん?とバギーとアルビダの目がクオンに向く。が、妙に間抜けな被り物した真っ白執事が両手を上げれば、ただの変な一般人と思ったようですぐに視線を外してくれてほっと息をつく。心底巻き込まれたくない。

 海賊“道化のバギー”の登場に、広場に集まる民衆はパニック状態に陥った。一目散に逃げ出そうと慌てる人々に、しかしバギーは部下に民衆へ向かって銃を向けさせ行動を止めさせる。これからおれ様の恐怖を見せてやる、らしいが、さて。
 とりあえず、彼ら海賊の目的は因縁のある相手モンキー・D・ルフィ一択であり、いたずらに民衆を傷つける気はないらしい。海軍もいるのでさっさと事を済ませてしまいたいのだろう。ならばここは、大人しくしておくのが無難だ。海賊達が撤退したら昼食を買って宿屋で食べよう。

 そういえば、とふと思う。バギーとアルビダの部下はこの広場に集結しているようだが、少年の仲間はどこにいるのだろう。海賊で、あの賞金額で、まさかたったひとりというわけではないだろう。彼がただのクルーなのか船長なのかは分からないが、クオンは何となく船長ぽいなぁと思った。どこがって、何だかとても自由そうなところが。

 いまだきらきらと目を輝かせてこちらを見てくる少年にあちらに集中しろと手を振ってやるが、少年の上に男がひとり跳んだのを見て「あ」と思わず声がもれる。被り物越しの目線と小さな声は、残念なことに少年には届かなかったようだが。


「うっ!!?えっ、な、何だ!!?」

「あら、何ともまぁ」


 ひとりの男が少年の首と両手首を板で抑えつけて死刑台に拘束する。板には4本の大きな刃がついており、死刑台に食い込んでいて簡単には抜けない代物だろう。そしてバギーが叫ぶ。これからてめェの“公開処刑”を始める、と。
 ふむ。クオンは被り物の下で唇を引き結び、腕を組んで少しだけ考えた。助けてやろうか、否かである。


「うーん…」


 ここで少年に手を貸せば、まあ彼は無事逃げおおせるだろう。だがしかし、そうすれば当然、バギーとアルビダの目はこちら─── クオンへ向く。
 彼らから逃げることは難しくない。この騒動だ、海軍もすぐ近くまで来ているはずなのでそれに紛れればいい。しかし、しかし。おそらくこれから“偉大なる航路グランドライン”へ入るだろう彼らに目をつけられるのは、少しだけ都合が悪かった。クオンはあくまで執事であるからして、主のことが最優先なのである。
 けれど、あの少年をここで死なせるのはどうしてだか、惜しいな、と思った。懸賞金3000万ベリーの立派な海賊だというのに笑う顔はあまりに邪気なく純粋そのもので、大して交わしていない言葉には何一つ濁りがない。今までに海賊を少なくない数狩ってきた自分にとっては見たことのないタイプの人間だった。
 クオンは思考をめぐらせるようにちらりと空を見た。雨雲─── 否、あれは雷雲だろうか、黒い雲が徐々に広がってきているのが見える。


「罪人!!!海賊モンキー・D・ルフィは“つけ上がっちまっておれ様を怒らせちまった”罪により、『ハデ死刑』~~~~~っ!!!」


 クオンがうんうん悩んでいる間に、どうやら展開は少し進んでいるようだ。広場から死刑台へ登った道化のバギーが高らかに声を張り上げ、少年は「おれ死刑って初めて見るよ」とのんびりしていて肝が据わってるなと思いきや、てめぇが死ぬ本人だよ!!!と言われてやっと自分が死刑にされるのだと危機感を持つ始末。
 どうしましょう、あれ助けてもいいんでしょうかね?と少しだけ不安になる。一度関われば一生振り回される予感しかしない。はりゃぁ…と肩の上のハリネズミが呆れたように声をもらした。


「……まぁ、とりあえず。暫くは傍観ですかね」


 さすがに少年の仲間もこの騒動には気づいているだろう。どれくらい仲間がいるかは分からないが、彼らが間に合えばクオンが動く必要はないのだ。とりあえず死刑台さえ壊せればどうにかなるだろうし。
 傍観の姿勢に入った時点で行動は決まったようなものだと自覚しつつ、クオンは「ごめんなさい、助けてください」「助けるかボケェ!!!」とコントのようなやり取りを交わす2人を見上げた。


「最期にひと言何か言っとくか?せっかく大勢の見物人がいる」


 自身の有利を疑わないバギーの余裕綽々な声に、少年は不貞腐れたような顔をする。けれど絶望はしていない。しかし希望があるようにも見えなかった。


「おれは!!!!」


 ふいに、少年が声を張り上げる。声は真っ直ぐに届いてクオンの耳朶を叩いた。被り物をしていたとしても、向こうからの声はよく聞こえていた。



「海賊王になる男だ!!!!」



 その、声を。濁りの一切がない、ただただ信念の強さを現すような真っ直ぐな声を。被り物をせずに聞きたかったと、初めて思った。


「────……」


 被り物の下で目を見開く。この町で、かつて海賊王が処刑されたこの場で─── その死刑台でそんな大それたこと、大笑いされたっておかしくはない。確かに今は“大海賊時代”ではあるけれど、それからもう22年、そんな夢を語る者は少なくなってきた。


「モンキー・D・ルフィ…」


 海賊王になる男。ならば、ならば、ならば。あなたが本当にそれを目指し、それになり得るだけの“何か”を持っているのなら。

 絶体絶命の今を、お前はどうやって切り抜けるというのか。






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