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 ひとまず全員がラウンジに集まり、朝食を作るサンジとお茶の給仕を手伝うクオン以外がイスに腰を据えたところでナミが口を開いた。順を追って説明を始め、つまりそういうわけでアラバスタ王国にビビを送ることにしたから、と話を締める。


「はぁ…そりゃ惜しいことをしたが…。まだおれにも活躍の場は残ってるわけだ。大丈夫!!この眠れる騎士が目覚めたからには君の安全は保障する。だがクオンは知らん。おれは男は護らねぇ」

「は~~~~~~~~っ、寝ててよかった~~~~~~~~~~っ」


 サンジとウソップそれぞれの反応に、頼りにしていますよとクオンは被り物の下で笑った。





† しろいひと 1 †





 ルフィがサンジにねだって出された朝食はサンドイッチだった。シンプルなタマゴ、ツナマヨ、ハムやウイスキーピーク前でクオンが狩ったライフルマガンなどの肉類、ナミやビビ向けだろうジャムなど、多種類のサンドイッチが大皿に盛られたそれをサンジが中央に置き、早速ルフィが手を伸ばす。各々も手に取って、サンジがイスに腰かけたところで佇んだままのクオンにビビが気づく。イスが足りない、というわけではない。実際にクオンの席もビビの隣に用意されている。


クオン、どうしたの?」

「いえ、私は結構です。どうぞ皆様でお召し上がりください」


 ひらりと手を振るクオンに、「あァ?」とサンジがぐるりと巻いた眉を吊り上げる。


「てめぇ、おれのメシが食えねぇってのか?」

「そういうわけでは……単純にお腹がすいていないだけで。あ、ハリーには食べさせてあげてください」


 被り物を指で掻いたクオンが肩に乗ったハリネズミを差し出し、嬉しそうにひと鳴きしたハリーはクオンの手からテーブルへと飛び乗ると手前のサンドイッチに手を伸ばして小さな口で齧りつく。
 その愛らしい様子に頬を緩めたクオンは、そこで全員の視線が自分に向いていることに気づき、サンドイッチに伸ばす手を止めないルフィですらこちらを見ていることに気まずそうに肩をすくめた。
 強がりではなく本当に空腹を感じていないのだが、このまま隅に立っていれば彼らの気が散りそうだから一旦外へ出ておくか。しかしそれではビビの護衛が、だが彼らを信用してみるのもありか、とつらつら考えたクオンが3秒で結論を出す間に、すぅと目を据わらせたビビがサンドイッチを手元の皿に置き、ガタンと音を立てて立ち上がる。


「ねぇクオン

「……はい、姫様」


 ビビが立ち上がればクオンとの距離はたったの3歩程度だ。その間合いを素早く詰めたビビがにっこり笑ってクオンを見上げる。
 口は笑っているのに目がまったく笑っておらず、冷ややかな空気を纏う、いつになく気迫に満ちたビビに名前を呼ばれて反射的に背筋がぴんと伸びた。嫌な予感を覚えて足を引こうとするが、愛らしく小首を傾げて覗き込んでくるビビの美しい微笑みがそれを許さない。被り物の下で口元に描いた笑みの端がひくりと引き攣る。


「あなた、最後に食事をとったのは、いつ?」

「………」


 殊更ゆったりとした主からの問いかけに、クオンは無言を返した。ビビの笑みが深まって凄みを増す。わあ怖い。
 被り物の下で目を逸らせば「クオン」とさらに低い声で名前を呼ばれてビビの笑顔に目を戻した。何で分かったんだろう。


「言っとくけど、あのクソマズイ完全栄養食とかいう紙粘土は食事にカウントしないわよ」

「………………」


 カウントして誤魔化そうとした内容をにべなく先に却下され、いよいよ言葉に詰まったクオンに、麦わらの一味の目も据わったのが何となく気配で判る。
 気づけばルフィ以外の食事の手が止まり、特にサンジの顔は般若の形相だ。じりじりとした怒りがクオンの肌を刺すようだった。コック怖い。クオンは心に刻み、でも目の前のビビの笑顔が一番怖くてさっと両手を胸の前に掲げる。


「安心してください、姫様」

「ウイスキーピークで飲んだミックスジュースを食事だと言い張ったら怒るからね。コップ半分なのも分かってるのよ」

「……………………」


 何でバレてるんですかねぇ、とクオンは天を仰ぎたくなった。
 誰だ密告したの。ミス・マンデーあたりだろう、ビビとMr.9を家に置いたあとに再び会った彼女の前で飲んだのだから。


クオン?」


 こてりと小首を傾げて凄絶に笑う主の据わった目に射抜かれ、ビビには決して嘘をつかないと決めているクオンは嘘をつけないからこそ固く口を閉ざして、


「泣くわよ?私が

「昨日の明け方に」


 あっさりと口を開いた。つまりは丸1日ほぼ何も口にしておらず、


「へぇ?その前は?」

「…………一昨日の、昼過ぎに」

「それが、あのクソマズイ紙粘土ね」


 笑みを消して無表情になったビビに完璧に見抜かれてクオンは項垂れた。確かにあの完全栄養食は紙粘土みたいなもそもそぱさぱさした食感だが、携帯食料としては悪くはないのだ。
 味は人間に必要な栄養を詰め込むために犠牲になったに過ぎない。飲み込んで腹におさめれば問題なかった。かつてビビにひと口食べさせたら「マッッッッッッ」と最後まで言いきれずに瞬時に口を押さえてものすごく顔を歪めて青くしていたが、クオンからすれば全体的ににが酸っぱく後味は吐き気がするほど人工的に甘ったるい、噛んだ瞬間舌の上で辛みとえぐみと渋みが暴れて刺激的なエレクトリカルパレードを開催し唾液をすべて持っていかれるほどぱさぱさしているくらいで、毒をそのまま食べるよりはマシな代物だった。それを素直に口にすればさすがにどうなるか目に見えていたので何も言わずにおいたが。

 そして、クオンは前々回の“食事”を一昨日の昼過ぎ、とは言ったがあの死刑台周りのいざこざがあったので正確に言えば夕方に近かった。昼過ぎでも間違いではないので時間帯を少しずらしたが、とりあえずそのあたりまでビビは追及する気はないようでそっと安堵の息をつく。だが無表情のビビにずいと顔を寄せられてびくっと肩を震わせた。そのままクオンに苦言を呈すと思えば、ビビは別の人間へと声をかける。


「サンジさん」

「任せてくれビビちゃん。このアホ執事、みっちり食育してやる」


 ビビの呼びかけに即座に応えたサンジにぎょっとクオンが目を剥いた。もちろん被り物をしているのでその表情は誰の目にも映らなかったが、僅かに被り物をした顔がキッチンに立つサンジに向けられたのでクオンが驚いたことは伝わったようだ。
 あんたが悪い、と全員の目が言っている。相棒であるはずのハリーですら首を左右に振って諦めろと意思表示している。ルフィが「クオンお前、それでよく平気だな~おれなら死ぬぞ!」と呆れ、あんたでなくてもおかしいわよ、とナミが冷静にツッコんだ。


「私の燃費がいいことは姫様もご存知でしょう?2,3日食事を抜こうが死にはしません」

「燃費がいいことと食事を疎かにすることは違うでしょう!クオンは私にきっちり3食とるように言うのに、自分のことだといつもこうなんだから!!!」

「ふぅ~~~ん、その執事野郎いつもそうなんだ、ビビちゃん」

「そう、いつもよ!!目を離すとすぐにこれ!!!」

「姫様勘弁してくださいコック殿の顔がものすごいことになっています」

クオンが悪いのよ」「てめぇが悪いな」「クオンが悪いなそりゃ」「クオンが悪いわよ」「クオン、サンジのメシはうめーぞ!」「3食デザートまで食わなきゃ満足できねぇ体にしてやる」「はりーぃ!」


 なんてこったい四面楚歌。まさかの相棒にすら裏切られたクオンは何でこうなったと頭を抱える。
 十分な補給が難しい船の上で食料が貴重なことは分かっているし、自分はまだ平気だからと遠慮したのがまずかったか。ひとつくらいつまんでおけば何も言われなかっただろうかと、そう考えるクオンは普段の食生活が大変にまずくて悪いと思わないあたり、食事の価値観の矯正は難しそうである。コックの腕の見せ所だった。


「そういやてめぇ、あのときおにぎり食わなかったな…?」

「今それを思い出すのやめていただけます?」


 “偉大なる航路グランドライン”一本目での航海途中でのことをサンジに持ち出されて頬を引き攣らせる。ビビですら慌ただしくて忘れていたことだろうに、火に油を注がないでほしい。


クオン。あの紙粘土出して」

「はい……」


 もはやクオンの食事を食べ物として認めず、真っ直ぐに見上げてくるビビに手の平を向けられ、項垂れたクオンは逆らえずに胸ポケットから紙粘土と称された携帯食料を出した。手の平で掴める程度の棒状に固められたそれがビビの手の平に乗る。
 いつもとは逆ね、とナミがけらけら笑っているが何も言い返せない。クオンはビビを好ましいと思っているからあなたに私の食事事情など関係ないなどと冷たくできるわけがないし、ビビとて心からクオンのことを思っているから怒ってくれているわけで、大人しく叱られることしかできなかった。


「ルフィさん、これあげるわ」

「おっ、ありがとうな! うわマッッッッズ!!!!!!!!!!!


 包装をといた紙粘土携帯食料をぽいと投げられて上手に口で迎えたルフィが目を剥いて叫ぶ。うげぇ、と舌を出して顔を歪め、口直しと言わんばかりにサンドイッチを口に詰め込んだ。


クオンこれ毒じゃねーのか!?」

「いいえ、ちゃんとした食べ物ですよ、味は最低ですが栄養は満点。私もいつも重宝していて」

クオン?」

「すみませんでした」


 ビビに凄まれ、ついに正座になったクオンが頭を下げる。ぺろりと口が滑るのは主に似てしまったらしい。
 お前アホだなとゾロの呆れた声が飛んできて、クオンは悔しげにうぐぅと喉の奥で小さく唸った。





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