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クオンが常に被るそれは、上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物だ。どこか愛嬌があるようで間の抜けた顔をするそれの下にある素顔を晒せとミス・オールサンデーは言い、そして
クオンは即答する。
「嫌です」
被り物越しに紡がれた声は低くくぐもり、声音に乗る感情は削がれて抑揚も失せていたが、確かな拒絶の色だけは残して伝えられた。
† ウイスキーピーク 12 †
クオンの明確な拒絶に、ミス・オールサンデーはこたえた様子もなく首を傾ける。
「どうしてかしら?別に減るものでもないでしょう、顔くらい。少し確かめたいことがあるだけなの」
「ダメダメダメよ絶対にダメ!
クオンの顔は私以外には見せちゃダメなんだから!!」
慌てたように血相を変えて
クオンに抱きついて叫んだのはビビだ。まあ剣士殿は知ってるんですけどね、と
クオンがちらりと見やればゾロもこちらを見ていて、ばちりと目が合った、気がした。しかし顔は向けずにいたのでそのやり取りは誰にも気づかれることはなく。
ゾロがここで口を出せば面倒なことになっただろうが彼は口を噤んだままで、正直それがありがたい
クオンはついとビビへ視線を戻してその背を撫でて宥めた。
「まさか、この世のものとは思えないほど不細工なの?だから被り物をして隠しているのね?」
「なっ…!」
微笑みながら煽る言葉を吐いたミス・オールサンデーにまんまとのせられ、
クオンに関しては感情の箍を自ら破壊しているビビは、カッと頭に血を昇らせてミス・オールサンデーを眼光鋭く睨みつけた。
ビビの意識が完全に
クオンから逸れたのを見て、「あ、まずい」と
クオンはこのあとの展開を悟る。だってこの主、実はと言うまでもなく
クオンガチ勢なので。
「
ふざけないで!!この世にクオン以上に美しい顔をした人なんていないんだから!!どんな男も虜にして、絶世の美女だってこうべを垂れて跪くほどなのよ!!肌だって日焼け知らずに白くてなめらかでつるつるでもちもちだし、短くてさらさらできらきらしてる雪みたいな白い髪も一本一本が輝くほどに綺麗で枝毛なんてひとつもないし!!表情が変わると動く眉は細くて可愛いし、睫毛だって長くてふさふさのふわふわだし、高い鼻は
クオンの顔をきりりと更に格好よくさせるし、唇なんてつやっつやのぷるぷるで、涼しげな目許がやわらかくゆるんだら可愛すぎてキレそうになるし、宝石なんかよりもずっと澄んでて煌めく濃い灰色の瞳なんかもう、そう、
色々堪らないのよ!!!!」
最後は頬を染め恍惚とした表情で言い切ったビビに、全部言っちゃいましたねぇ、と胸中で呟いた
クオンはもはやツッコむ気にもなれなかった。
擬音多めに褒めちぎりながらさっくり容姿をバラすビビの言葉に、
クオンの斜め後ろでゾロが「確かに」とひとり頷いていたが、全員の視線がビビと
クオンへ注がれているので誰にも気づかれなかったのは幸いか。慰めるように肩に乗ったハリネズミが被り物に前足を当てた。何の慰めにもならなかったが少しだけ癒された。
しかし現実はあっさり主に容姿をバラされたということであり、しかも鼻息荒く力説したビビはどう見たって嘘はついていないし今更取り繕うこともできない。ミス・オールサンデーがそっと笑みを深めて目を細めた。
「美しい顔に、雪色の髪、灰色の瞳……成程ね」
「……はっ!!!」
「姫様、私は今、あなたが私を好きすぎるのもどうかと思いました」
「仕方ないじゃない大好きなんだもん!!!
クオンの顔が良すぎるから!!!!」
「これは見事な逆ギレ」
ここまで理不尽なこともなかなかない。胸に飛び込んできたビビを抱きとめてぽんぽんと背を撫でるように叩く
クオンは、それでも「仕方ありませんねぇ」と被り物越しでも判るほどやわらかな言葉を落とした。そして顔を上げ、ミス・オールサンデーとその隣に佇む
ユダを見上げる。
ビビがつらつらと話している間は当然のように
ユダは表情を変えることなく、今もまた静かに
クオンを見下ろしていた。
「ご満足いただけました?」
「ええ。本当は実際に目にしてみたかったけれど、十分だわ」
頷いたミス・オールサンデーは手すりから下りて立ち上がり、
クオンからルフィへと視線を移す。
「私は威勢のいい奴は嫌いじゃないわ。生きてたらまた逢いましょう」
「いや」
すぱっと切り返したルフィに笑みをもらし、ミス・オールサンデーはそのまま背を向けて船の端へと向かうと船べりから飛び降りた。
いつの間にか船の横に並んでいた大きなカメの背にはやわらかなソファと日除けの屋根が設えられていて、随分と快適そうだ。うおおカメだ!!!とルフィが興奮ぎみに叫ぶ。
「……」
ふと、ミス・オールサンデーへ続こうとしていた
ユダが足を止めて振り返る。顔の上半分を覆うゴーグルがこちらを向き、
クオンは静かに被り物越しに見返した。
お互いに目は合わない。それどころか顔を隠している者同士、視線すら本当に向けられているかも定かではなかったが、2人は互いに見合っていると確信していた。
ユダに敵意はない。害意も。だから
クオンもただ、静かに見つめる。
「
ユダ?どうしたの」
「……別に」
ミス・オールサンデーに声をかけられた
ユダは低い声で返し、顔を背けて歩を進め船から巨大カメへと飛び移った。物言いたげに横目で見てくるミス・オールサンデーを無視し、
ユダが決して口を開かないと悟った彼女は何も言わずに顔を前に向けてカメへと声をかける。
「行くわよパンチ」
ウィ、と鳴いて海を泳いでいくカメを麦わらの一味と主従が見送り、その姿が見えなくなった頃。
ふいにがくりと膝を折ったビビが床に座り込んだ。
クオンの容姿を褒めちぎっていたときは気が紛れていたようだが、バロックワークスの
社長のパートナーの突然の襲来に気が張り詰めていたのだろう。
クオンがビビの横に片膝をつくと、震える手を伸ばしたビビが
クオンの膝に凭れて低く呻く。
「あの女…!!いったい何考えてるのかさっぱり分からない」
「ミス・オールサンデーには何かしらの意図があるのかもしれませんが…今は考えるだけ無駄でしょう」
「
クオンの言う通りね」
「
そういう奴ならこの船にもいるからな」
クオンの言葉にナミが頷き、ゾロが目線でルフィを示す。確かに、と思わず頷いてしまった
クオンである。
ルフィはルフィで考えがあるのだろうが、猪突猛進型のトラブルメーカーなのは短い付き合いで読み取れた。ルフィと上手く付き合うなら深く考えずに彼のやりたいことをさせるのが一番良いのだろう。つまりは盛大に巻き込まれていけ、というわけだ。
ルフィを止められる気がしないのでそれも仕方ないのかもしれない。止める気もあまりないが。
段々と思考が染められてきている気がしてならない
クオンは、別段悪い気もしないのだからまぁいいかと流した。
「おい、状況説明しろぉ!わけ分かんねぇよ!」
横からウソップが言い、そういえばウソップやサンジからしたら、目を覚ましたらいきなり出航だしビビと
クオンがこの船に乗っていたりよく分からない女と男がいきなり乗り込んできたと思えば話をしてこれまたいきなり帰っていったりと、混乱するのも当然だ。
何となくビビと共に行くことを察したサンジが「ミス・ウェンズデーもしかして仲間に!?」とビビに対して目をハートにし、
クオンを視界に入れて「チッ、お前もかよ」と舌打ちするので大変正直な男である。
クオンはその正直さが嫌いではなかった。
暫くお世話になります、と言えばへいへいと口に咥えた煙草を揺らしてウイスキーピークに入る前に見せた警戒心をすっかり解いてみせるのだから、賢い男だと思う。状況の判断が早く、本質を見抜いて的確に事をなそうとする。
ローグタウンで見た脚技も素晴らしいものだった。実力共に剣士殿と良いコンビになりそうですねと、本人達が聞いたら間違いなく盛大に嫌そうに歪めた顔を見合わせたあとに互いに罵り合ってケンカを始めそうなことを
クオンは思い、思っただけで口にはしなかったのでそんな状況にはならなかった。
「………私、本当にこの船に乗ってていいのかしら……みんなに迷惑を…」
弱気なことを言って肩を落とすビビを見下ろし、「なーに言ってんの」とナミが呆れたように言う。人差し指でビビの額をつついて目を据わらせた。
「あんたのせいで私達の顔はもう割れちゃってんのよ!!迷惑かけたくなかったらはじめからそうしてよ!!」
「う……ごめんなさい」
ナミに責められて気まずそうに顔を歪めたビビが
クオンの膝に顔を埋める。返す言葉がありませんね、とナミの正論を受け入れた
クオンは被り物の下で微苦笑を浮かべると無言でビビの背を撫でた。
クオンの肩から飛び降りたハリーが
クオンと同じようにぽんぽんとビビの肩を叩く。慰めているつもりらしい。
ビビがうっかりぺろりとクロコダイルの名前を出してしまったから追われる羽目になった麦わらの一味だが、特に船長であるルフィはあまり気にしていないようで、「そうでしょ?ルフィ」とナミに水を向けられた本人は、
「朝だ───っ!!サンジ朝メシー!!!」
あまりどころかまったく気にしていないようだ。どうでもいいのかもしれない。まぁもっとも、ここで気にするくらいならルフィは“
永久指針”を砕いたりはしないだろう。
朝陽が昇り、島を囲うように辺りを覆っていた霧が晴れていく。
クオンはおもむろに立ち上がると東の空へ顔を向けた。ビビの肩から下りたハリーが器用に
クオンの体を伝って肩へと登り、同じく太陽が昇る方向を見つめる。
陽はとうに昇っていて、ミス・オールサンデーがやって来たことで朝焼けを見逃したことを少しだけ残念に思う。もっとも、ミス・オールサンデーが現れずとも、霧が立ち込めていたから結局は見えなかったのだろうが。
「
クオン、サンジさんが朝食作ってくれるんですって。行きましょう」
ビビに手を引かれ、「いえ、私は」と遠慮しようとすれば、「ついでにウソップとサンジ君に状況の説明しときたいのよね」とナミに言われては頷くしかなく。
小さなため息を被り物の中に溶かした
クオンは、ビビに再度手を引かれて足を進めた。
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