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 唐突に現れた女を「ミス・オールサンデー」とビビが呼び、敵だと察したナミが今度はどの序列のパートナーなのかと問う。


Mr.0ボスのパートナーよ…!実際に社長ボスの正体を知っていたのはこの女だけ。だから私達はこいつを尾行することで、社長ボスの正体を知った…!!」


 その尾行も、実にあっさりと上手くいきすぎたのだから当然彼女にはバレていると悟っていた通り、「正確に言えば…私が尾行させてあげたの」とミス・オールサンデーは笑う。それを聞いてなんだ良い奴じゃん、とこちらを見るルフィへ、思わずクオンは被り物の下で苦笑した。





† ウイスキーピーク 11 †





 ミス・オールサンデーがビビ達を尾行させてあげた、ということは当然ビビやイガラムも気づいており、そしてMr.5とミス・バレンタインが刺客として来た以上、ビビ達が社長ボスの正体を知ったことを告げたのもミス・オールサンデーだとしか考えられない。ビビの言葉を否定しないミス・オールサンデーへ、なんだ悪ぃ奴だな!とルフィが意見を翻す。

 クオンは油断なく、静かにミス・オールサンデーを見つめた。追手として来たという割には彼女には殺意も敵意もない。イガラムの乗った船を爆破したのは確かに彼女だろうが、ビビをも始末しようという気配がないことが何となくすわりが悪かった。
 そもそも、敢えて自分を尾行させてトップシークレットである社長ボスの正体を掴ませたり、正体が知られたことを社長ボスへ告げたりと、彼女の意図するところが分からない。


「あなたの目的は?ミス・オールサンデー」


 ビビを背に庇いながら、クオンは厳かに問う。まともな答えは期待していなかったが、意外にもミス・オールサンデーは「さぁね」と笑いながらも口を開いた。


「あなた達が真剣だったから…つい協力しちゃったのよ。本気でバロックワークスを敵に回して国を救おうとしてる王女様が…あまりにもバカバカしくてね……!」


 せせら笑うような嘲りに満ちた、美しい微笑みだった。笑わない瞳には冷ややかな侮蔑がにじんでいる。
 クオンの脳裏に、ひとりの男の姿が浮かぶ。ビビと同じく祖国を想い、そこで暮らす民を想い、無事に祖国で会おうと一時の別れを告げた、護衛隊長の姿を。
 胸の内に灯った火が勢いを増す。ごうと燃えた炎は胸を焦がすように揺らめき、クオンの纏う剣呑な空気がいや増した。被り物の下で、鈍色の瞳が煌めく。

 ああ、これは怒りだ、とどこか遠いところでクオンは思った。
 胸の内で燃える怒りとは裏腹に頭はどこまでも冷えていき、冴え冴えとした思考が、冷徹に研がれた感情が、殺しておきましょうか、と冷静な結論を出した。
 社長ボスである王下七武海のひとり、クロコダイルのパートナーだ。ただ者ではないことは分かっていて、ただ者ではないからこそ、ここで仕留めておいた方がいい。

 ビビを庇う体勢から獲物を狩る姿勢に入るために足を一歩踏み出す。その後ろでミス・オールサンデーの言葉に悔しげに奥歯を噛み締めたビビが「ナメんじゃないわよ!!」と吼えると同時、一斉にミス・オールサンデーへ海賊達各々の得物が向けられた。
 ゾロは鯉口を切って刀を抜き、ナミが棍棒を構え、ミス・オールサンデーを挟んで左右からサンジが銃を、ウソップがパチンコを構える。ルフィだけは、拳を構えることなくただ女を見上げていた。
 それを視線をめぐらせて一瞥したミス・オールサンデーは小さく嘆息して目を伏せただけで、「そういう物騒なもの」とおもむろに口を開く。


「私に向けないでくれる?」

「え!!?」

「わ!!!」


 ミス・オールサンデーが呟いた瞬間、突然サンジとウソップが宙を舞った。正確に言えば、何かに引き倒されたかのように体勢を崩して中央甲板へと落ちてくる。悪魔の実、とクオンが口の中で呟いた。
 サンジとウソップが甲板に叩きつけられるのとほぼ同時、ゾロの刀とナミの棍棒もふいに弾かれて床に落ちる。クオンも手に違和感を覚えた瞬間、手の甲を叩かれたような衝撃を受けて両手の指の間に挟んでいた針を落とされた。軽い金属音が重なり、床に転がる針を見下ろして成程と理解する。
 少なくとも今の一手から、ミス・オールサンデーの能力が自然ロギア系ではないことは確かだ。動物ゾオン系でもない。となれば、残るは超人パラミシア系。
 それならばクオンに分がある。能力を使う暇も与えず、海へ叩き落とせばいい。
 ぐ、と足に力を入れてミス・オールサンデーへ飛びかかろうとしたクオンは、


「油断するなミス・オールサンデー。執事が牙を剥いている」


 ふいに割って入った男の声にぴたりと動きを止めた。ついとミス・オールサンデーが視線を横に滑らせる。


ユダ。待っててくれてもいいと言ったのに」


 コツコツと軽い足音がして、いつの間に船に乗っていたのか、ミス・オールサンデーのもとへ、黒に近い濃灰色の短い髪を揺らしながら褐色の肌をした男が歩いてきた。
 ユダと呼ばれた男は黒い七分丈のTシャツを纏い、その体躯は細身ではないが大柄というわけでもなく、しかし身長は高かった。180後半はありそうだと目算したクオンの目に、彼が右手に持ったこれまた身の丈ほどもある大きな槍が映る。柄が赤く、穂─── 刀身の部分はクオンの被り物を余裕で貫いて余るほどに長い。相当な重量だろうその槍を軽々と持ち歩くユダの腕は鍛えられ、筋肉に覆われているのが見えた。


「その白い執事が見えたからな」


 顔の上半分を大きなゴーグルで覆ったユダの言葉に、ミス・オールサンデーが目を瞬かせてクオンを見下ろしにこりと笑ってみせる。


「こ、今度は誰なのよ…!?」

「分からない……見たことがない人よ」


 間違いなく敵側の人物がひとり増え、声を震わせてナミが問うが、ビビは冷や汗を浮かべながら首を横に振った。
 まるでミス・オールサンデーを護るように彼女の隣で立ち止まった男は、顔の半分は見えないものの、それでも判るほどに端整な顔立ちをクオン達へ向けて鼻を鳴らす。その目の色や浮かぶ感情は濃い色をしたレンズに覆われて見えず、しかし薄い唇から発された低い声は不機嫌さをにじませていた。


「勘違いするな、おれはバロックワークスの社員じゃない。目的があってクロコダイルと手を組んでるだけで、お前達には何の興味もない。今回はこの女の護衛という理由をつけてきたからな、口実程度の仕事くらいはしているだけだ」


 でないとお前、あの執事に海へ投げ込まれてたぞ、とクオンの行動を見抜いていたユダが面倒くさそうに言った。それを聞いたミス・オールサンデーが刷いた笑みはそのままに「あら怖い」と肩をすくめる。


「ふふふ、そう焦らないでよ。私は別に何の指令も受けていないわ。あなた達と戦う理由はない」


 そう言った通り、ミス・オールサンデーも<ユダも敵意はまるでない。武器を構えられればそれを弾き落としはするが、こちらに害をなそうという意思は感じられなかった。
 彼女の言葉をそのまま信じるわけではないが、クオンは獲物を狩る姿勢から主を庇う体勢へとゆっくり移行させる。
 と、ふいにルフィの麦わら帽子が跳ねてミス・オールサンデーのもとへと飛んでいった。それもまた彼女の能力だろう。


「あなたが麦わらの船長ね、モンキー・D・ルフィ」


 ルフィの名を紡ぎながら自分のもとへと引き寄せた麦わら帽子を手にしたミス・オールサンデーに、今まで静観していたルフィが「あ!!」と顔色を変えて眼光鋭く彼女を睨んだ。


「お前、帽子返せ!ケンカ売ってんじゃねぇかコノヤロー!!!!」

「船長殿?」


 いきなり激昂したルフィにクオンが驚いて被り物の下で目を瞬く。確かに彼はいつも麦わら帽子を被り決して手放さずにいたが、そんなに怒るほどのものだったのか。ルフィに紛れてメインマストの裏から出て行けコラァ!と吼えるウソップのことはとりあえず無視だ。
 ミス・オールサンデーはルフィの怒声も睨みもまったく意に介さず、自分の帽子に麦わら帽子を重ねて憐れんだ目でルフィを見下ろす。


「不運ね…バロックワークスに命を狙われる王女を拾ったあなた達も、こんな少数海賊に護衛される王女も……ああ、そこの執事さんは、多少マシなようだけど」


 一瞥をもらって微笑まれるが、クオンは言葉を返さない。ミス・オールサンデーの横で静かに佇むユダもまた、唇を引き結んだままゴーグル越しの視線を据えるだけだった。


「…そして何よりの不運は、あなた達の“記録指針ログポース”が示す進路。その先にある土地の名は“リトルガーデン”。あなた達はおそらく、私達が手を下さなくてもアラバスタへも辿り着けず…そしてクロコダイルの姿を見ることすらなく全滅するわ」

「するかアホーッ!!!帽子返せ!!コノヤロー!!!」


 はてリトルガーデンとは、とクオンが考えようとするも、隣でルフィがミス・オールサンデーの言葉を無視するように叫ぶし、それに便乗してウソップが「コノヤローがお前はーっ!!アホーッ!」と叫ぶしで、「ガキか…」と呆れたゾロの呟きに思わず同意してしまい思考が進まなかった。
 そういえば今までウイスキーピークの“記録ログ”をためて次の島に行こうと思わなかった─── それはクオンなら海図を使用せずある程度海を駆けて・・・行けたからで、どうやら横着してきたツケが回ってきた気がする。


「遠吠えは結構。虚勢を張ることなんて誰にでもできるわ。困難を知って突っ込んで行くのもバカな話」


 微笑みを浮かべたまま冷ややかに言い、麦わら帽子を指で弾いてルフィの頭へと戻したミス・オールサンデーは、同時にひとつの“永久指針エターナルポース”をクオンへ投げてよこした。片手で受け取ったクオンが“永久指針”に刻まれた島の名前を読む。聞いたことのない島だ。ひょいとビビが後ろからクオンの手元を覗き込む。


クオン、それ“永久指針”?」

「ええ。聞いたことのない島の名前ですが」

「それで困難を飛び越えられるわ。その指針が示すのはアラバスタのひとつ手前の“何もない島”。うちの社員も知らない航路だから追手も来ない」


 親切とも言えるミス・オールサンデーの言葉は、正しければ彼女のボス、クロコダイルへの背信行為だ。
 彼女の横に佇むユダはやはり何も言わず、表情ひとつ変えない。もっとも、顔の半分がゴーグルに覆われているので、もしかしたら眉と目くらいは動いたのかもしれないが。

 クオンは手の中にある“永久指針”を一瞥してミス・オールサンデーへ視線を据えた。
 何でこんなものをとビビが驚き、どうせ罠だろとゾロが言う。クオンはゾロに同意したいが、ミス・オールサンデーが嘘をついているとも思えなかった。不信と疑惑の目を受け、どうかしら、と嘯く彼女の意図はまったく読めないが。


「……ふむ」


 小さく呟き、クオンは“永久指針”を指で転がして手遊び、ぽんと指で跳ねさせたそれを肩に乗ったハリネズミが前足を伸ばしてつつこうとする。
 ちらりとビビを横目に見やれば、何やら考え込んでいる様子だ。大方、ミス・オールサンデーからこんなものを受け取りたくはないが、この船に乗せてもらう以上安全な航路を取った方がいいとでも考えているのだろう。まったく、甘いことで。そういうところが好きなのだが。

 被り物の下、唇だけで笑ったクオンは、けれど、と今度はルフィの方へ視線を滑らせた。
 たとえビビが何と言おうと、ミス・オールサンデーがどれほど信憑性のある航路を提示しようと、それが罠の可能性があったとしても、最終的に決定を下すのはこの船の船長なのだ。


「船長殿」

「ああ。そんなのどっちだっていい」


 クオンは指で跳ねさせた“永久指針エターナルポース”をルフィの方へ放る。弧を描いたそれを受け取ったルフィは、次の瞬間、何の躊躇いもなく割り砕いた。
 でしょうね、とクオンは納得したが、「アホかお前───っ!!」とナミは怒りからルフィの顔面に蹴りを入れた。ヒールがめりこんで痛そうだ。
 楽に行ける航路を教えてくれたミス・オールサンデーを指差し、「あの女がいい奴だったらどうすんのよーっ!!」と叫ぶナミをよそに、ルフィは睨むように“永久指針”をよこした女を見上げて言い切った。


「この船の進路を、お前が決めるなよ!!!」


 それでこそ船長殿、とうんうん頷くクオンが笑っていることに目敏く気づいたビビが「何でそんなに嬉しそうで満足げなの……?それに何で声かけただけで意思疎通ができるの…?それって……浮気以前の問題よね……これは…謀反…?」と光のないくらい目をしながらぶつぶつ呟いてさすがに慌てた。
 今このタイミングでいきなり闇堕ちしないでほしい。クオンはいつだってビビひと筋なのだし、ビビ以外に膝を折るほど尻軽でもない。ただちょっと、眩い光に目が吸い寄せられただけで。「知ってる?クオン。それを浮気って言うのよ」心を読まないでほしいなァ、とクオンは両腕を掴んで下から上目遣いに凄んでくる主に遠い目をした。被り物を被っているから表情なんて判らないはずなのに、この主はクオンに関してだけは異常に鋭い。

 なんて主従がいちゃいちゃしている間に、ミス・オールサンデーは“永久指針エターナルポース”を砕いたルフィに残念ねとこぼし、ナミはもう!と怒りながらもルフィの行動を結局は許すようで、ルフィはルフィで「あいつはちくわのおっさんを爆破したからおれは嫌いだ!」と言い切っていた。


「ところで、ねぇ、白い執事さん」


 ふいにミス・オールサンデーから声がかかり、宥めて褒めて讃えて私にはあなただけと浮気男みたいな台詞を散々吐いて何とか主の闇堕ち回避を成功させたクオンは、ビビの頬に白手袋で覆われた手を添えながら振り仰いだ。ミス・オールサンデーがにっこりと微笑んでクオンを見下ろす。


「あなたの素顔、見せてもらえないかしら」





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