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正直言って巻き込みたいが、それはつまり彼らを危険に晒すことと同義で、主のためならば表情ひとつ変えずに実行することはできても本音では躊躇う部分もあった。
麦わらの一味は“
偉大なる航路”へ入ったばかり。他人を気にすることなくこれから大いに思うがまま冒険を楽しんでもらいたい、と思う気持ちは確かなもので、揺れる心がなかなか定まらない。定まらないからこそ彼らを気に入っているのだと自覚して、どうしたものかとこぼれたため息は被り物の中に消えた。
† ウイスキーピーク 8 †
「おい黒幕の正体って誰なんだ?」
「
社長の正体!?それは聞かない方がいいわ!!聞かないで!!それだけは!!!言えないっ!!」
ルフィがビビに問いかけ、
クオンのジャケットから手を離したビビが慌てて体の前で両手を振る。あなた達も命を狙われることになる、と言って出会ったばかりのルフィ達の身を案じるのだからビビは
クオンが好ましいほどお人好しで、主がそう言うのであればと
クオンも口を閉ざした。
ナミも「それはごめんだわ」と
社長の名前を聞かないことに同意する。一国を乗っ取ろうとする奴などとんでもなくやばい奴に違いないと続けられ、
クオンもまたその方がいいでしょうと無言で頷いた。
そして
クオンは忘れていた。この主、ぺろっと口を滑らせるきらいがあるのだと。
「あなた達がいくら強くても、王下七武海の1人“クロコダイル”には決して敵わない!!」
言ってしまいましたね、と被り物の下で
クオンは笑う。
慌てて両手で口を塞いだところで吐き出した言葉が元に戻るわけでもなし、顔色を蒼白にするビビとナミ、口を大きく開けるルフィ、「言ってんじゃねぇか」と呆れるゾロをそれぞれ一瞥して、まぁ誰にも聞かれていなければまだ取り返しが、とフラグを立てた
クオンはふいに感じた気配を辿り民家の上を見て、そこにハゲタカとラッコ─── 仕置人兼伝達係のアンラッキーズがいるのを認めて即時フラグ回収した。
クオンの視線に気づいた全員が無言でそちらを向き、悟り、ラッコがハゲタカに乗って飛んでいくのまでをただ見送った。あ、撃ち落とせばよかったですね、と
クオンが思い至ったのは影も形も見えなくなった頃である。この執事もどこか抜けている。
「ちょっと何なの!!?今の鳥とラッコ!!!!あんたが私達に秘密を喋ったってこと報告に行ったんじゃないの!?どうなのよ!!?」
我に返ったナミが目を剥いて憤怒の形相でビビに飛びつき胸倉を掴んで揺さぶる。さすがにナミの気持ちが分かる
クオンはそれを止められず、ごめんなさいごめんなさいと謝罪を繰り返すビビを見てせっかく整えた髪型が崩れそうだと思うだけにした。
「はりゃりゃ」
「いやぁ喋ったところを見られてしまったものは仕方ありませんね」
「七ブカイだってよおい!!」
「悪くねぇな」
「おっとこちらはやる気満々ときましたか」
怒り狂うナミをよそに、目を輝かせるルフィと口の端を吊り上げるゾロは大変好戦的だ。
クオンがひとり心を揺らしていたというのに呑気なもので、じゃあ巻き込んでしまいましょうかと逆方向へ舵を切ることに決めた。つまりは、たぶん追えるだろうアンラッキーズを見逃そうというわけだ。
ナミは
クオンがそんなことできると知らないし、知っているビビはそれどころではないし、
クオンならどうにかできると予想がつきそうなゾロはそもそもとしてアンラッキーズをどうしようとも思っていない。
「ほ…ほんとにごめんなさいっ!!!つい口が滑っちゃって」
「“つい”で済む問題か!!そのひと言で何で私達まで道連れにされなきゃなんないの!!!」
涙目で怒鳴りながらビビの胸倉を掴んで揺さぶっていたナミが、“
偉大なる航路”に入った途端王下七武海に命を狙われるなんてあんまりだと泣くのも、さもありなん。ご愁傷様である。しかし航海士の心情をよそに、船長と剣士は「どんな奴だろうなー」「早速会えるとは運がいいぜ」と前向きで、「黙れそこ!!!」とナミの怒りの矛先が仲間に向いた。
ナミに放り出されたビビが何とかしてほしいとばかりに
クオンに抱きついて縋るが、巻き込む方向へシフトした
クオンは無言で首を横に振るだけだった。
「
クオン!!」
「諦めが肝心とよく言いまして」
ナミが振り返って名を呼ぶがやはりあっさりとかわし、絶望の表情を浮かべたナミは踵を返してこの場を立ち去ろうとする。
「短い間でしたけどお世話になりました」
「おい、どこ行くんだナミ」
「顔はまだバレてないもん!!逃げる」
「……そういえば」
ナミとルフィの会話をよそに、
クオンがぽつりと呟く。視界の端でアンラッキーズがナミの前に降り立つのが見えたが口にはしない。
「あのラッコことMr.13、とても似顔絵がお上手なんですよ」
「わっ、うまーい」
この場にいる4人───
クオンの場合は被り物をしたままの似顔絵が描かれた紙を見せるラッコを、ナミが手を叩いて褒める。
ラッコはきっちり4人分を描き終えるとそのままハゲタカに乗って空高く飛び立っていき、「これで逃げ場もないってわけね!!!」とブチギレたナミが踵を返して戻ってきた。
面白いなーあいつ、とルフィは飛び去っていった1匹と1羽に笑い、ゾロはそもそもどこへ逃げるつもりだったのかとナミに呆れ、無理やり巻き込む形になってしまったビビが申し訳なさそうに「ご…ごめんなさい…」と謝罪を口にして、
クオンはビビの髪型が崩れていないことを確認した。ハリーが
クオンの肩の上でやれやれと肩をすくめる。
「何はともあれ、これでめでたく我々4人はバロックワークスの抹殺リストに追加されたわけですが」
「いい性格してやがるな、
クオン」
「あなた方が少しでも不安そうな顔をしたならば、多少気を利かせましたとも」
クオンの言葉に、飛ぶ鳥をいとも簡単に針で撃ち落とした実績のある執事を見やってゾロが笑う。やはり気づかれたが特に気にせず返した
クオンにゾロは不敵に笑みを深めた。
ぞくぞくするなー!と朗らかに笑うルフィにそれでこそ、なんて思った
クオンは、絶望に膝を抱えて蹲るナミを宥めようと「わ…私の貯金50万ベリーくらいなら」と声をかけるビビに被り物の下で苦笑する。ナミには悪いが、こうなった以上10億ベリーは諦めてもらおう。
さて、後は追手をどう振り切るか。ルフィとゾロの顔があちらに知れた以上、麦わらの一味の海賊船は分かりやすすぎる。都度蹴散らすのも悪くはないが、Mr.4以上のエージェントがかかってはさすがに手こずるかと思案している
クオンはふと見知った気配を感じて視線を滑らせた。同時に目を見開いたが、やはりそれは被り物に隠されて誰の目にもとまらなかった。
「ご安心なされいっ!!!」
クオンの視線の先、そう声を張り上げたのは、アラバスタ王国護衛隊長のイガラム。自慢の巻き毛をといてつむじの辺りで結い上げた彼を上から下まで見つめ、
クオンは成程と頷く。
着ていたスーツを脱いで渦巻模様を描いたシャツをビビがまとう服に似せ、上着もまた似たようなもの、短パンまで穿いてしっかり口紅まで塗ったイガラムは左右の腕に4つの縦に長い布の塊を抱え、独特の咳払いをすると「私に策がある」と切り出した。
「いいですか、よく聞いてください。バロックワークスネットワークにかかれば今すぐにでも追手はやってきます。“Mr.5ペア”没落となれば、それは尚のこと…!」
「そうそう、参考程度に覚えておいてください。政府公認の海賊“王下七武海”であるクロコダイルには現在懸賞金はかかっていませんが、彼にかつて懸けられていた額は8千万ベリー。船長殿、あなたの約3倍ですね」
「んん?じゃあおれより3倍強いってことか?」
「どうでしょう。弱いつもりがおありで?」
「ンなわけあるか!!」
「その意気です」
むきっと歯を剥くルフィに恐れ知らずだなと思いながらも気は悪くならず、むしろ上向くのだから不思議なものだ。
懸賞金は強さの目安にはなるが、強さだけが額に現れているわけではない。それはルフィにも言えることで、今でこそルフィは懸賞金3千万ベリーだが、これから先どんどん額は上がっていくだろう。特に王下七武海の一角、クロコダイルを落としたなら─── それはさすがに期待が過ぎるか。“
偉大なる航路”では何が起こるか分からない。アラバスタへ着く前に刺客にやられてしまう可能性も十分にあるのだから。
クオンは思考を流した。自らが立てた自覚のないフラグに相棒のハリネズミだけが気づいたが、ハリネズミは人の言葉を操ることはできないのできゅぅいとひと鳴きするだけに留める。
「ところで王女をアラバスタへ送り届けていただく件は……」
「ん?何だそれ」
「こいつをウチまで送ってくれとよ」
「私からもお願いできますか?船長殿」
「あ、そういう話だったのか。いいぞ」
「8千万ってアーロンの4倍じゃない断んなさいよ!!」
あっさりぽんと頷くルフィに復活したナミが怒鳴るが、麦わらの一味船長はまったく気にした様子もない。
一方、
クオンは被り物の下で鈍色の瞳を見開いて驚いていた。ナミの口振りからすればわざわざ対比として出したアーロンと一味が関わりがあったのは明白で、まさか魚人で占められたあの一味と仲良しこよしなわけもないだろう。
そういえば、と
クオンは思い出す。
ルフィの手配書が出回り出したと同時期、“
東の海”でアーロン一味が海軍に捕縛されたと新聞で読んだが─── 成程、彼らだったか。
新聞に書かれていたことがすべて真実だなんて
クオンはまったく思っていないし、情報操作など政府からすればお手の物だということも知っている。
何がどうしてアーロン一味にこの5人が手を出すことになったのかは分からないし詳細を聞く気もないが、
クオンは推論にすぎない自分の考えに確信すら抱いた。
「では王女、アラバスタへの“
永久指針”を私に」
ビビに似せた格好をするイガラムに意図を悟ったのだろう、促されたビビは硬い表情でイガラムを真っ直ぐに見つめる。
クオンに縋ろうとはしない。自分の意思で、彼をどうするかを決めなければならないと分かっているからだ。それが彼女の、王族としての責務だった。
だから
クオンもビビの一歩後ろに控えながら、ビビの覚悟が定まるのを待った。それが許される時間が残り少ないことも、分かっていながら。
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