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 クオンは被り物の下で、鈍色の瞳を虚ろに遠くさせながらその場に佇んでいた。
 ルフィの攻撃をゾロが避け、その隙を突いてMr.5とミス・バレンタインが飛びかかってきたが「いい加減にしろてめぇ!!!」とキレたゾロが蹴っ飛ばしたルフィに巻き添えを食らってルフィごと民家に飛ばされたのも、いち早く復活して空中へ高く跳び上がったミス・バレンタインが何やら喋りながらゾロを狙い、ビビが忠告を飛ばすもゾロが「うるせぇ!!!」と切り捨てるのも、今はそれどころではないと鋭い眼光で見つめる大穴が空いた民家から気絶したMr.5を引きずりながら現れたルフィがなぜか元の体型に戻っているのも、そんなルフィに事情を説明しつつミス・バレンタインをまるっと無視するのも、敵がメシ食わせてくれるかと怒鳴り返すルフィも、必死に自分の能力を説明して実際に重くした己の身をゾロへ叩きつけていとも簡単にひょいと避けられるのも、ルフィに何を言っても無駄と悟って腕の手拭いを頭に巻き刀を三本構えるのも、上等だと吼えるルフィも、全部視界に入れながらクオンはハリネズミのハリーをひたすらに撫で回す。構ってもらえてきゃっきゃとご満悦なハリーがかぷかぷと指を甘噛みするものだからやわらかな笑みをこぼし、さて、とようやく現実へ思考を戻した。


「どうしましょうか、これ……」


 どうにもならない気がしてきましたねぇ、と全力をぶつけ合うルフィとゾロを見て、もう一度思考を飛ばしたくなった。





† ウイスキーピーク 7 †





 武闘と剣術、どちらが強いかはっきりさせようと互いに全力を放つ2人に、いやはやどちらもお強い、と現実逃避をやめていっそ観察することにしたクオンは感心しっぱなしだった。おそらくナミあたりになら「あんたそれも現実逃避よ」とツッコまれただろうが実際は誰にツッコまれることもなく、クオンは互いをぶっ飛ばして道の両側の民家に飛んでいったと思えば同時に飛び出して真っ向からぶつかり合う2人を目で追う。拳と刀が奏でる鈍く重い音が夜空に響いた。


クオン~~~何なのよこいつら!?」

「ご覧なさい、姫様。船長殿は頬を斬られたというのに臆するどころか一歩も引かずに一発入れましたよ。素晴らしい。剣士殿も左目を殴られたのに振るう刀にぶれはありません。刀の振るい方が体にしみついているのでしょうね。こちらも素晴らしい」

「呑気に品評している場合じゃないでしょ!?あと褒めるなら私も褒めて!!」

「そういう欲望に素直なあなたを大変好ましく思います」

「私も大好き結婚して」

「しません」

「あんた達状況分かってる?」


 まるでコントのような主従にミス・マンデーが冷静にツッコむが、真顔で求婚するビビもすぱっと切り捨てるクオンもいつものことなのでため息をつくだけに留めた。
 己の執事への求婚はビビ曰く、あふれた愛が口を滑らせただけで半分冗談みたいなものらしい。もう半分は本気なのか、と慄いたのは記憶に新しい。

 苦笑したミス・マンデーを横目に、ルフィにぶん殴られて気絶していたMr.5がよろめきながら立ち上がるのとゾロにすべてをまるっと無視されたミス・バレンタインが怒りに顔を歪めるさまを眺める。どうやらルフィとゾロが互いに争っている隙を突いて2人に仕掛けようとしているようだが、やめた方がいいですよ、と心からの忠告は口から出ることはなかった。自滅してくれるのならば万々歳であるからして。

 案の定、ルフィとゾロに飛びかからんとした2人は、おもむろに互いに得物を下ろしたルフィとゾロに「ゴチャゴチャうるせぇな」と声を揃えて殺気立った眼光に睨まれたことで恐怖に身を竦ませて足を止めた。ルフィがミス・バレンタインへ、ゾロがMr.5へとそれぞれ拳を振りかぶる。


「「勝負の……邪魔だァ!!!」」


 そうして拳一発でMr.5とミス・バレンタインがぶっ飛ばされたのをクオンは素晴らしいと手放しで褒めて拍手した。
 ここまでの実力差は天晴としか言いようがない。これならば、Mr.5よりもさらに上ですら相手をするに不足はないだろう。となればやはり、ルフィとゾロの無益な戦闘は止めた方がいい。仕方ありませんね、とクオンは小さくため息をついた。


「…そんなバカな……!なんて強さ…こんな奴らがまだ“偉大なる航路グランドライン”の入口にいるなんて…」


 あっさりオフィサーエージェント倒した2人を目にして呆然と呟くビビに、ちょっとだけ誇らしいような気持ちが湧く。そうでしょう、すごいでしょう、と宝物を自慢をする子供のような。彼らのことはよく知らないし、仲間でもない自分にそんな資格などどこにもありはしないというのに。
 瞬きひとつで思考を振り払い、ケリをつけようかと睨み合うルフィとゾロが再び己の得物を構えて振りかぶるのを見たクオンは足を踏み出そうとして、その向こうに揺れるオレンジ色を見た。


「やめろっ!!!」

「ハぶっ!!」


 怒声ひとつ、拳はふたつ。今まさにぶつかり合おうとしたルフィとゾロそれぞれの顔を殴って止めたナミを「いい拳です」と臆せず2人に割り込んだ度胸も含めて称賛する。突然現れたナミにぽかんとビビが口を開ける。
 ナミは殴られて地面に倒れた2人を見下ろし、いったい何やってんのと眉を吊り上げた。一応あの子を護れたから結果良かったものの、とビビに視線を向けて続けたナミはルフィとゾロの胸倉を掴んで2人を怒鳴りつける。


「危うく10億ベリー逃すとこだったのよ!!?分かってんの!?」


 成程、その金でビビの護衛を買おうというわけか。いち兵隊にどうこうできる金額ではないし、イガラムのことだから即座に頷くことはせずまず先に王女の身の安全をと交渉したのだろうが。
 ふむふむと内心で頷いてあちら側の事情を把握したクオンは、ナミが何の話をしているのかが分からず、どうして私を助けてくれたのかと訊くビビの声を聞きながら、ナミに首根っこ掴まれたまま闘志を消さず今度はお互い足や手で殴り合う2人を眺めていた。まるで子供のケンカのそれが大変に面白い。
 煽るように肩の上でハリーがきゅいきゅいと鳴き、こちらを見ながら契約をしないかと持ちかけるナミがいい加減暴れることをやめない2人に痺れを切らして「暴れるなっ!!」ともう一発ずつ後頭部に拳を振り下ろす。非常に痛そうな音が響き、ゴムだからダメージが入らないはずのルフィが地に沈み込んで、はりゅ…と息を呑んで震えたハリネズミがそっとクオンの被り物の後ろに隠れ、後ろでカルーもがたがたと震えているのが分かった。動物2匹に序列が叩き込まれた瞬間である。

 何はともあれ、とりあえず事態は収束した。
 詳しい話をするためにも場所を移しましょうと提案するナミに頷いたクオンは、ついとミス・マンデーへ顔を向ける。


「さて、ミス・マンデー。あなたはここまでです」

「あ…」

「Mr.9を拾い、丘の家へ。あなた達にはやってほしいことがあります、聞いていただけますね?」


 静かだが有無を言わせない響きが被り物を通してミス・マンデーを頷かせる。クオンが彼女を連れて行くことはできないし、ここにいても足手纏いだと理解したようだった。それに何より、クオンの頼みだ。聞かない理由はなかった。
 ビビとミス・マンデーは一度見つめ合い、お互い頷いて小さく笑う。それだけで十分で、クオンに顔を向けて「ありがとう」と言い残したミス・マンデーが駆け出して行く。その背を見送って、ビビがちらりとクオンを見上げた。


クオン、彼らは…」

「クジラのいる岬に、老いた医師がいます。あそこは海賊達が必ず通る場所。護衛のひとりやふたりあった方がいいでしょう」


 つまりはクロッカスを案じて手を回したクオンの紹介状を見たあの老医はものすごい苦々しい顔で物言いたげに口を歪めるだろうが、そこに書かれた「これで寂しさも紛れますね」の一文を見てあのクソガキと吐き捨てながら受け入れることをクオンは知っている。そうでなければ50年も置いていかれたクジラに付き合わないし、取引相手でしかなかったクオンの世話をあれこれと焼かない。
 二度と会うこともないだろうから有無を言わせず押しつけた形になるが、二度と会わない、は何だかフラグになっている気がしたが気にしないことにした。クオンが立てたフラグをすべて回収しきった麦わらの一味の船長が、地面に倒れながらクオンを見上げてにししと笑う。


「やっぱ良い奴だな、クオン

「……多少、甘いことは自覚しています」


 その声音に乗る感情は被り物によって削がれて淡々としたものではあったが、どこか苦笑じみていたことをその場にいる全員が疑わなかった。










 場所を変え、暴れ回った跡のある通りを少し外れた川の近くに腰を据えた一同は、とりあえず事情の説明が先だと、ルフィにこのウイスキーピークの住民すべてが賞金稼ぎでありルフィ達をはめるために歓待したのだと伝え、「そういうわけで、私はあなたの敵だったのですよ」とクオンに言われて納得し、何だ早く言えよと大笑いした。早くも何も、話を聞かずにゾロへ殴りかかったのはあなたでしょうにと呆れたクオンが被り物の下で苦笑する。
 だった、という言い回しの意図を正確に汲んだのはゾロとナミで、しかし彼らは視線を向けただけで何も言わなかった。

 ルフィへの説明が終わったところで、ナミが持ちかけた“契約”へと話が移る。10億ベリーでアラバスタ王国へとビビを無事送り届ける、という話だが、無理でしょうねと念入りに櫛で梳かしたビビの髪を手袋に覆われた指ですくいながらクオンが内心で呟き、やはりビビも「それは無理!」と言い切った。悩む素振りも見せないあたりが潔く、同時に国の現状を理解していて大変よろしい。助けてくれたことに関してきちんとありがとうと礼を言ったところも好印象で、よくできましたとクオンはビビの頭を撫でた。ぱっと嬉しそうに頬をほころばせたのがビビの周りに散った花の幻覚から分かった。大変分かりやすい。


「王女なんでしょ?10億ぐらい…」


 一国の王女の命の代金としては決して高くはない額を出せないと言い切るビビに怪訝そうにするナミへ、ビビは表情を戻して静かに問いを口にする。


「…アラバスタという国を?」

「ううん、聞いたこともない」


 首を振るナミに、「“偉大なる航路グランドライン”有数の文明大国と称される、平和な王国だった…昔はね…」と語るビビの声を聞きながら髪を編み込んでいく。簡単には崩れないように、しかしビビの頭皮には一切の痛みが走らないような、絶妙な力加減で。

 昔は?と首を傾げるナミへビビは語る。
 ここ数年、民衆の間に“革命”の動きが現れはじめ、民衆は暴動を起こして国は荒れている。そんなある日、ビビの耳へ飛び込んできた“バロックワークス”という組織が暗躍して民衆を唆していると知り、しかしそれ以外の情報は一切が閉ざされているために組織へ手を出すこともできなかった。
 そこで小さい頃から何かと世話を焼いてくれているイガラムに頼み、何とかその噂の尻尾だけでも掴んでバロックワークスへ潜入できないかと画策した。そうすれば、祖国アラバスタ王国をおびやかす黒幕とその目的が見えてくるはずだから、と。

 威勢のいい王女だな、とこぼしたゾロの言葉には同意をしておいた。
 本当に、王族とはいえまだ庇護されて当然の子供が国を想ってよく立ち上がったものだ。それだけ国を愛し、国民を大事に想っているのが判るから、クオンは胸に抱く忠誠を揺るがすことはない。
 手際よくサイドを編み込んでビビの髪をハーフアップにしたクオンは、ふんわりとやわらかく波打つ髪に櫛を入れた。


「バロックワークスの目的なら、“理想国家”をつくることなんでしょう?……あ、…まさか」


 ナミが組織の真意に気づいた声を上げるのを聞きながら、髪から手を離してビビの左側に立ち完成を眺める。完璧に仕上がったさまに満足げに頷いたクオンのジャケットにおもむろにビビの手が伸ばされ、ぎゅうと強く掴まれたが驚きも振り払いもせず受け入れた。縋るような仕草だが、それでも説明だけは決して執事に任せず己の口で紡ぐビビがナミへと顔を向ける。


「そう。社長ボスは社員達に理想国家の建国・・をほのめかしているけど」


 その実態、バロックワークスの真の狙いは“アラバスタ王国の乗っ取り”だと眉を寄せて苦しそうにビビが言う。
 クオンはもちろんそのことは知っている。ビビの執事になると決めた際にすべての説明を受け、それでも頷いた。あなたが望む限りあなたの傍にいましょうと誓いを立てたのだ。心優しい少女のために身を尽くすと。


「早く国に帰って真意を伝え、国民の暴動を抑えなきゃバロックワークスの思うツボになる」


 バロックワークスの社長ボスの正体を掴めたのはつい最近。正体を知り、まさかあの人が、と顔を真っ青にさせたビビを目にしたクオンは、さすがに私が何とかしましょうとは口にできなかった。地位的にも能力的にも、単身相手取るには分が悪すぎる。
 対策を考えているうちにこちらの正体を掴まれたのは想定内だが、下された任務に時間を食ってしまったために追手が来てしまい、けれど麦わらの一味が意図せず追手を潰してくれたのは幸か不幸か、彼らの実力を鑑みると前者だろうか。

 クオンは今、できることならあまり戦闘を行いたくはなかった。ゾロに針を向けたのは、まぁ「個人的な衝動」だったのでその辺りは気にしない。


(できれば彼らを巻き込みたいところですが)


 ビビの説明を受け、成程と納得したナミを一瞥してクオンは打算的なことを考える。内乱中ならお金がないと察したナミがこの件から手を引くのは目に見えていて、それを引き留めるすべをクオンは持たない。
 しかし、麦わらの一味、特にルフィとゾロの戦闘能力は惜しい。クオンにはいまだ届かないと過信なく言えるが、それでも手を貸してもらえるならクオンひとりでは不可能だと冷静に判断した、バロックワークスの社長ボスの首に手をかける可能性は飛躍的に上がる。
 彼らの成長が目覚ましいものであれば、もしかしたら彼ひとりでも、とクオンがルフィへ視線を据えたのは、無意識だった。





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