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 始末対象のネフェルタリ・ビビを庇うように自分達の前に立ちはだかるミス・マンデーを片付けようとした右腕は、突如視界を白が掠めたと思った瞬間、強制的に空へと跳ね上げられていた。
 腕が爆発し、炎と爆風が吹き荒れる。それでもその中心部で左脚を振り上げた姿勢の執事は、鮮やかに夜闇に浮かぶ白い燕尾服に焦げひとつつけず、その場に静かに立っていた。

 ふざけた被り物の向こうから飛んでくる鋭い視線をサングラス越しに睨み返したMr.5が苛立ちに奥歯を軋ませる。びきびきとこめかみに青筋が浮かぶさまを、クオンは被り物の下から冷ややかに見ていた。





† ウイスキーピーク 6 †





「執事風情が、このおれを止めただと…!」

「その執事風情に止められてはその名が泣きますね、“Mr.5”」


 言いながら左脚を払ったクオンはミス・マンデーを抱えてその場を跳び退る。思わず足を止めてしまったらしいカルーとビビのもとへと一足跳びで戻り、腕に抱えた彼女を片膝ついて優しく地面に下ろしたクオンは左手で首を撫でた。
 ゆっくりと腰を伸ばして立ち上がり、Mr.5と向かい合う。


「おれは全身を起爆させることのできる爆弾人間。この“ボムボムの実”の能力によって遂行できなかった任務は、ない。─── ないんだ……!!!」


 歯を食いしばって唸るMr.5へ無言を返し、クオンは両手の指の間に針を挟んで構えた。
 油断なく佇む白い執事と睨み合うMr.5は、鼻に指を突っ込みほじりながら背中に冷や汗をにじませる。
 事前に聞いていた白い執事の情報と実態があまりに乖離していて、己の技がことごとくいなされるたびに脳に刻まれる実力差が背筋を冷たくするようだった。
 バカな、ありえない。このおれがMr.9の相方、ミス・ウェンズデー程度に仕える執事を殺すどころか、傷ひとつつけられないなどと。いったい何者だ、この執事は。


「……得体の知れない執事野郎だが、まず殺すべきは王女」


 この執事が容易に仕留められない人物だということは判ったが、自分とミス・バレンタインが組んでかかれば始末できる。さらに言うなら、執事を王女から引き離して王女だけを先に殺せればいい。執事のふざけたナリと予想外の強さに冷静さを欠いたが、落ち着けば何てことはないのだ。


「おれ達からは決して逃げられねぇ」


 クオンは、ゆっくりと呼吸を繰り返して感情を落ち着けるMr.5が丸めた鼻クソをこちらに向けるのを認めて被り物の下で鈍色の瞳を眇める。
 先にビビをサボテン岩の裏へ行かせようかと思うが、Mr.5は止められてもミス・バレンタインに追いかけられたら少し面倒だ。
 彼女はその能力ゆえに身軽で、ビビに簡単に追いつくだろう。それに、こちらにはミス・マンデーもいる。さっさと逃がしたいが、身を隠す場所が少ないこの場ではひとり別行動させるのは狙ってくださいと言っているもので、せっかく助けたのだから無駄な傷は負ってほしくはなかった。

 ここまで追われたのならもう倒しておくべきか。肩の上でシュッシュと拳を前に突き出すハリーはやる気満々だが、所詮ハリネズミができることと言ったら金属を噛み砕くか人間の指を食いちぎるくらいだ。……十分すぎるな、と思い直した。とんだ獰猛なハリネズミもいたものだ。己の相棒だが。

 そういえば何でこの2人を倒さずに逃亡を選んだのでしたっけ、とふと考える。襲いかかってくるかもしれないこの町の人間を傷つけたくなかったからだと思い出し、その気配がないことを察した今、別に逃亡にこだわる必要はないのだと思い直すまで、約1秒。執事はとても判断が早かった。
 倒しましょうか。そろそろ相手するの面倒ですし。クオンの適当な戦意が一本の鋭い針のような殺気へとすり替わると同時、Mr.5が指で弾いた鼻クソ爆弾が飛んできた。


鼻空想砲ノーズファンシーキャノン!!!!」


 クオンの右手が翻る。針を飛ばそうとして、唐突に眼前に緑色が割り込んできたことで動きを止めた。
 おや、と被り物の下で目を瞬いた瞬間、切っ先を地に向け縦に構えたゾロの刀が鼻クソ爆弾を両断する。断ち切られた鼻クソ爆弾は勢いを殺さぬまま左右に割れ、ビビを庇うクオンの視界の端で道の両側に被弾した。
 爆発の衝撃でサボテン岩が砕けて道が塞がれビビが「道が!!」と慌てるが、抱えて飛び越えればいいのでクオンは特に慌てることなく剣士の背中を見ていた。「ハナクソ斬っちまった!!!」と心底嫌そうに自分の刀を見つめるゾロに分かりますとうんうん頷く。


「余計な世話だったか、執事野郎」

「いいえ、助かりました、剣士殿」


 さすがに2人抱えてはどうしようかと思っていたので、と肩をすくめるクオンにゾロは鼻を鳴らす。どうしようも何も、お前ならどうにだってできただろうが、と内心で吐き捨てながら、きっとこれも本心ではあるのだろうなと抑揚のない低くくぐもった声の素を知ってしまったゾロは思う。思って、口の中で舌打ちした。


「こんなときにMr.ブシドーまで…!!」

「ご安心ください、姫様。彼は大丈夫ですよ。そもそも、私達を狩りに追ってきたのであれば助けず弱ったところを狙えばいいのです」


 こちらに背を向けたままMr.5とミス・バレンタインと向かい合うゾロを見て、さらに追手が増えたと顔を青くするビビを諭しながら、まぁそんなこと剣士殿がするとは思いませんがね、と付け加えたのは内心でだ。あのあまりに真っ直ぐな太刀筋が逃げに徹する戦意のない者へ振るわれるとは到底思えなかった。


「護衛隊長殿は交渉が上手くいったようですね」

「乗ったのはあの悪魔みてぇな女だがな」


 クオンの軽口にゾロが顔を歪める。そうだろう、この男ならイガラムにどう請われたとしても頷くまい。航海士であり陰の絶対権力者でもあるナミが受けたとしか思えなかった。
 海の女は基本的に男よりもしたたかだ、彼女も酒に溺れるような真似をしなかったのだろう。そして状況を見て交渉に乗った、おそらく一国を相手取っての金目当てで。
 流石ですねとクオンは素直にナミを称賛する。口に出せば最近過敏なビビに「浮気?」と詰め寄られそうなので心の中に留めたが。今も後ろから「何でそんなに仲良しなの…?」と言わんばかりに真顔で下から顔を覗き込もうとしているので尚のこと。姫様、顔がものすごいことになっていますよ、とは口に出せなかった。藪蛇は勘弁したい。


「…あなたね、この町の平社員を斬りまくってくれた剣士って」

「んん?そいつがなぜアラバスタの王女を庇う?」

「おれにも色々と事情があるんだよ」


 ミス・バレンタインとMr.5に言葉少なに返し、ゾロは意識を執事から目の前の2人に据えた。
 クオンはゾロを囮にさっさと逃げ出すか否かを考え、交渉が成立したということはイガラムは無事であり、イガラムの回収もしておきたいしそう慌てて出航することでもないかとのんびり傍観を決める。それにひとつの選択肢としてビビだけでも海賊船に乗せれば、まさか海賊と行動を共にしているとは思われず追手の目を誤魔化せるだろうし。
 あとついでにゾロの実力も見ておきたかった。実際に相対したことで、実力は申し分なく決して油断はできない剣士だとは判ったが、これから手を組むのなら動きの癖を正確に把握しておいた方がいい。

 そんなわけで針を仕舞い、ミス・マンデーに手を貸して立ち上がらせたクオンは肩に乗ったハリネズミを指でくすぐって完全に静観の姿勢に入る。そうしている間、Mr.5とミス・バレンタインが何やら話していたが耳に入っても特に意識に残ることはなかった。


「……ん?」


 ふいに通りの向こう、Mr.5とミス・バレンタインの後ろに人影が立ったことにクオンは気づく。
 随分と体を膨らませた、麦わら帽子を被った人物を見てやっとルフィが起きたことを知る。ルフィも合流したとなれば懸念することは何もないだろうと思ったクオンはしかし、ルフィの顔が怒りで歪んでいるのを見て目を瞬いた。


「ゾロ~~~~~!!!!」


 ルフィが大声でゾロの名を呼び、突然の闖入者にその場にいた全員が振り返る。


「どうした、手伝いならいらねぇぞ。それともお前もあの女に借金が?」


 成程、ゾロが頷かざるを得なかったのはナミにお金を借りていたからか。それにしても、そんなこと関係ないと反故にしたっていいだろうにこうしてビビ達に手を貸そうとは、何とも律儀な男だ。
 クオンはまたひとつゾロのことを知って、けれど意外には思わなかった。端的に言えば好感を持って気分が上向く。
 そうして一瞬ルフィから気が逸れたクオンは、


「おれはお前を許さねぇ!!!勝負だ!!!!」


 鼻息荒くゾロを睨みつけるルフィの思ってもみなかった言葉に、「は?」と思考を止めた。ゾロも同じように船長の突然の発言に「はぁ!!?」と驚いている。それはそうだろう、何でそうなった。


「てめぇはまた何をわけの分かんねぇこと言い出すんだ!!!」

「船長殿、落ち着いてください。何をどうしてそう怒っているのです?」

「うるせぇ!!お前みてぇな恩知らず・・・・はおれがブッ飛ばしてやる!!!クオン、危ねぇからそこどいてろ!!!」

「えぇ…?」


 むしろぶっ飛ばされるべきはあなた達をはめようとした私では、と困惑しながらもルフィの激しい剣幕に押されてクオンは言われた通り一歩下がる。
 ルフィが何かを勘違いしている─── というよりは、何だか食い違いが起きている気配がして、ゾロを恩知らずと言い放ったルフィの言葉に被り物を被った頭を傾げたクオンは、あ、とひとつ思い当たる。
 ルフィは単純で素直で、人を疑うということをあまりしない。たとえ表面上のものでも恩を受けたら返そうとする気概があり、つまり───


「おれ達を歓迎してうまいもんいっぱい食わせてくれた親切な町のみんなを!!!ひとり残らずお前が斬ったんだ!!!」


 クオンは頭を抱えた。そうでしょうね、船長殿から見たらそうなりますよね、と納得してしまった。
 事実と真実は違うが、ルフィにとっては事実こそが真実なのだ。確かにルフィからすれば、親切な町の住民に突然刀を振るった恩知らずなのである、ゾロは。
 ゾロもルフィの言い分が間違ってはいないがそうじゃない、と言いたげに「いや…そりゃ斬ったがよ…」と返す。分かります、その気持ち。思わず頷いてしまったクオンだった。


「おいルフィ、よく聞けよ。あいつら実は全員───」

「言い訳すんなァア!!!」


 気を落ち着かせたゾロが説明しようとする暇もなく、瞬時に距離を詰めてきたルフィがゾロに飛びかかる。振りかぶられた腕がゾロの顔面に飛んできて、それを躱したゾロは背後の岩がいとも容易く砕けたことに目を剥いた。
 クオンもさすがに被り物の下で焦る。別に仲違いを望んでいるわけではない。そもそも、ルフィの怒りは正当なものでもゾロをぶっ飛ばすのは不当だ。だって事実と真実は違うから。しかし残念なことに、次々とゾロに攻撃を加えるルフィにその声は届かないようだった。


「船長殿、話を聞いていただけますか」

「下がってろクオン!!大丈夫だ、ゾロはおれがブッ飛ばす!!!」

「違うそうじゃない何も大丈夫じゃない」


 思わず素で返し、ぶっ飛ばされては困るのですよ、と続けた言葉はやはりルフィに届かず、ゾロもまたいくらかルフィの猛攻を躱し続けていたが、ルフィが本気であることを悟ると顔色を悪くした。

 クオンは次々と破壊されていく岩や壁を見て、わー船長殿強いですねーと被り物の下で遠い目をした。完全なる現実逃避である。だって聞きやしませんもん、この船長。いっそ拗ねたくなった。
 眉を軽く寄せ、むぅと形の良い唇をとがらせたクオンを見れば「は?かわいい」とビビが真顔でキレそうな顔をするが、それは被り物に覆われて誰の目にも触れなかったためビビを発狂させずに済む。

 止めるためにルフィとゾロに割り込もうとは思えない。割り込んだらさすがに無事ですまない気がするし、それでルフィを落ち着かせるなんてことも難しい気がした。できはするだろうが、無傷とはいかないだろう。というか、クオンが割り込んだらルフィがさらにヒートアップするような気がしてならない。

 何でこうなった、と被り物の額を押さえるクオンの肩を、ミス・マンデーが同情の眼差しで優しく叩いた。





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