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 髪飾りを外し、ぽいと道端に捨てたクオンは白手袋に包まれた手で長い水色の髪を梳き、被り物越しに主と目を合わせするとそっと真面目な声で囁く。


「後で私に結わせていただけますか?」

「喜んで!!!」

「お前らいちゃついてる場合か!?」





† ウイスキーピーク 4 †





 現状を忘れクオンの手を握って目を輝かせる相方に、ただいま命の危険がバリバリ迫っている気がするMr.9が目を剥いて叫ぶ。
 連帯責任、という言葉が脳裏をちらついているようで顔色が悪い。今のうちに逃げたらいいのに、裏切り者らしい相方を捕らえてMr.5へ突き出すでもなく逃げ出すでもないMr.9にクオンは被り物の下で柳眉を下げる。

 ふと、クオンはノールックで左手の針を1本投げた。それは散弾銃を放っていたイガラムを越えて土煙を貫き、瞬間大きな音を立てて爆発した。
 爆風に煽られ吹き飛ばされたイガラムが地を滑って転がる。はっとした主が血相を変えてイガラム!!と叫ぶが、直撃を受けたわけではないので死にはしないだろう。大丈夫ですよと背を撫でて落ち着かせた。


「罪人の名は、アラバスタ王国護衛隊長イガラム!…そして、アラバスタ王国“王女”ネフェルタリ・ビビ……!!」


 イガラムの攻撃を受けても平然と立つMr.5を、ミス・ウェンズデー ─── ビビが奥歯を噛んで睨みつける。クオンはビビの表情を静かに見下ろした。


(化け物、とでも思っているんでしょうね。でもそれを口にしたら私もそう呼ばなくてはならなくなるから言えないのでしょう)


 別に、化け物と言われてもクオンはまったく構わない。それで傷つくような繊細な心は持ち合わせていないし、ビビから向けられる想いが濁っていると勘違いするわけでなし、クオンがビビに抱く忠誠だって揺らがない。それに何より、クオンはMr.5とミス・バレンタインくらい、どうにだってできるのは事実だ。


「お…王女であらせられましたかミス・ウェンズデー!!」

「バカなことはやめてよMr.9!!!」


 ビビが一国の王女と知って地に這いつくばるMr.9にビビが怒鳴る。そこそこ長い付き合いだ、今更手の平を返されても困るのだろう。
 とりあえず害にはなりそうにないMr.9は適当なところで捨てていくか肉盾くらいにはしてもいいかと後半人でなし方面へ振り切りながら、クオンはどさくさに紛れてえっほえっほとルフィを引きずってその場を離れていくゾロと目が合って軽く手を振った。勝手にやってろ、とため息をついていたゾロがクオンを睨むように見て腰の刀に手をかけ口を開く。「次はおれが勝つ」、音もなくそれだけを紡いだ唇を読み、小さく肩をすくめたクオンはそのまま2人を見送った。


「お前達2人……執事合わせて3人をバロックワークスの社長ボスの名のもとに、抹殺する!」


 言いながら鼻に指を突っ込んでほじくるMr.5に、相変わらず品がないですねとクオンは被り物の下で冷ややかに目を細めた。それでも普通の人間─── ビビやイガラムからしたら十分脅威になるのだから侮れない。
 クオンひとり、Mr.5を倒すことは可能でも、ビビに被害が及ぶのは困る。背後でカルガモのカルーが立ち上がった気配を察したクオンはそっとビビの肩を後ろに押して一歩前に出た。


「随分となめられたものですね」

「あァ?」

「あなた程度がこの私を殺せるだなんて世迷言、よく吐けたものです」


 せせら笑うように低くくぐもった声音が正確にMr.5の精神を逆撫でするだろうと分かっていて言えば、案の定Mr.5の額に大きな青筋が浮かぶ。
 バロックワークス上層部は、クオンの存在をあくまでミス・ウェンズデーの執事─── 多少腕が立つ金稼ぎが上手い使用人、程度の認識だ。そうなるよう“出稼ぎ”以外で得られた手柄は全てMr.8をはじめとした他の人物のものとして、ビビ達に上への報告は多少偽るよう指示してきた。でなければビビとイガラムの正体がバレた際に出てくるのはMr.3以上の人物になりかねず、逃亡のリスクが跳ね上がる。結果として任務を命じられて来たのはMr.5とミス・バレンタインなのだから、やはり余計な真似はしなくて正解だった。


「執事程度が必死になって小賢しい知恵を振りかざしていたようだが、金を稼いでくるから見逃されていたことを知らねぇのか。……だが、お前はまだ使える。もしお前が王女を裏切っておれ達につくのなら使ってやると、我らが社長ボスは仰せだ」

「……!!!」


 びきびきと青筋を浮かべながらも寛大なことを言うMr.5に、クオンの後ろで逃走のタイミングを計っていたビビは頭にカッと血を昇らせた。胸の奥で怒りの炎がごうと音を立てて燃え盛る。
 使ってやる、ですって?クオンを、この、どこまでも誰よりも美しく優しい真っ白な人を?何を偉そうに───!
 激情のまま食ってかかろうとしたビビの口を振り返ることなく手の甲で塞ぎ、クオンは鼻を鳴らして笑った。


「お断りです。私、そもそも弱い男は嫌いなので」

「そうか─── なら、死ね…!」


 クオンを始末できる名分を得られ、抑えていた殺気を解放したMr.5が鼻へ指を突っ込む。
 姫様、とひと声かけるとビビはぐっと唇を噛んで激情を呑み込むと素直に下がった。そしてカルーのもとへと後退る。
 Mr.5と相対し、ミス・バレンタインの様子も窺うクオンが両手の指に針を構えるのと、ふいにクオンの前に金属バットを持ったMr.9が庇うように立つのは同時だった。被り物の下でクオン鈍色にびいろの瞳を瞬かせる。


「事情はさっぱり呑み込めねぇが…長くペアを組んだよしみだ、時間を稼いでやる…!クオン、あんたがいないとミス・ウェンズデーが泣くんだから一緒に行きな!!」

「Mr.9!!!」


 相方を呼ぶビビに声に、クオンの小さな呼び声が重なって掻き消える。
 クオンは半ば呆然とMr.9の背を見つめた。なぜ、ここで彼はMr.5とミス・バレンタインの前に立ちふさがろうとするのだろう。
 「長くペアを組んでいた相方」に、裏切られていたというのに。何も知らなかったとしらを切って、あるいはさっさと逃げ出せば命を危険に晒すようなことにもならなかったはずなのだ。
 逃げ出して当然だと思っていたし、逃げるタイミングが掴めないのであればクオンがMr.5と相対している間にどさくさに紛れて逃げればいいとも思っていた。そういう戦い方くらいはできたしするつもりだった。
 なぜならクオンは、Mr.9を見捨ててもいいとは思っているが、本当にそうするまでに多少の便宜を図ってやるくらいには、気にかけていたのだ。

 彼は弱い。Mr.5やミス・バレンタインには敵わないとクオンは知っているし、Mr.9自身だって分かっているだろう。だがそれでも震える足を無視して前に立つMr.9を「弱い男」だとクオンは思わない。だからクオンは彼を、嫌いではない。


「─── バイバイベイビー」


 ミス・ウェンズデーとよく声を合わせる掛け声をひとりで紡ぎ、男としての覚悟を決めたMr.9が「熱血ナイン根性バット!!」と叫んでMr.5へ飛びかかっていく。


「姫様、あなたはお逃げください」

クオン…!」

「彼は……私が、何とかしましょう」


 本当に仕方のない人です、とため息をひとつ。今まで、敵わなければ即時撤退をあれほど口酸っぱく言い聞かせてきたというのに─── だからクオンは、Mr.9の男気を無下にするつもりはないが、雑に扱うことに決めた。それに何よりも、主たるビビがMr.9を気にかけているのなら、Mr.9云々をまるっと無視してそちらを優先するのは執事として当然のことだ。


「くだらねぇ仲間意識は死を招くだけだぜ…」


 Mr.5がほじった鼻から出した鼻クソを丸めて構える。絶対その悪魔の実の能力別の使い方あったでしょう汚いですね、という苛立ちも、まあ多少なりともあったクオンは「きゅぁ……」と肩の上で嫌そうに顔を歪めるハリネズミをいたわるように撫でた。

 瞬間、クオンはその場から姿を消す。目にも留まらぬはやさで駆け抜け、金属バットを振り上げるMr.9の襟首を掴んだ。


「身をもって知れ。鼻空想ノーズファンシー

「りゃああ おぐぁっ!?


 勢いが止まれないMr.9を、クオンは勢いを殺さぬまま横にぶん投げた。そのまま飛んでいったMr.9を気にすることなく眼前に爆弾となった鼻クソを指で弾こうとするMr.5を捉える。両手すべての指の間に2本ずつ挟んだ針の内、1本をMr.5へと投げつけて残りは全て目の前に針の腹を見せるようにして楕円状に広げ盾とした。


キャノンっ!!!」

池之端芋茎いけのはたのずいき


 投げつけた針はMr.5へと向かい、進路上にある鼻クソ爆弾と衝突して爆発した。
 衝撃波と轟音が空気を震わせる。それらを針でできた盾で防ぎきり、針の盾の隙間から流れてくる爆風にたなびいた燕尾服をそのままに、クオンは爆発によっていくらか欠けた針の盾を軽く叩く。すると空中に浮かぶ針の先がすべて、爆発によってできた土煙の向こうにある敵へと向く。


魚虎ハリセンボン


 その声に従うように、針は弾丸のように音もなく風を切って飛んでいく。合計15本の針が土煙の向こうに消えて、また爆発音がした。ぶわりと広がる爆発の余波からMr.5を仕留め損なったことを知るが、時間稼ぎとしては十分だ。
 ちらりと後ろを見れば既にカルガモのカルーとビビの姿はなく、もうひとつ先程自分が投げ飛ばした男の気配を探ると、少し離れたところにあるのが判った。あれ以上ダメージを負わないように能力・・を使って着地させてあげたことだし、気絶くらいはしていても朝には目を覚ますだろう。

 イガラムは、と視線をめぐらせれば、何やら這いつくばりながらゾロの足を掴んで話しかけているのが見えた。話しかけている、というよりはゾロの強さを見込んで助力を懇願しているのかもしれない。
 今の状況では、彼は相手が海賊だろうが縋るしかないのだ。私がいるというのにと思わないわけではないが、バロックワークスに追われることになる今、戦力が多いに越したことはない。

 それに─── ある日突然ビビが拾ってきた執事を、イガラムが心の底から信用していないことくらいには、気づいている。ので、クオンは交渉をイガラムに任せてビビを追うことに決める。
 イガラムを視界に収めて2秒後、白い執事は左手で首を撫でると音もなくその場を離れ、自身の主の後を追った。




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