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 地下に潜っていった3人が地下空間の崩壊を悟ると時を同じくして、地上では。
 唐突に大きな地震を感じたクルー達は慌てて周囲を見渡し、けれど大きな揺れは一度だけで、以降は腹の奥底に響くような重い音と地震とは明らかに違う震動に顔色を変えた。「撤退!!!」と鋭く叫んだ白クマの号令に従って全員が倉庫から飛び出す。


「集落の方に!キャプテンは大丈夫だから!!」


 殿を務める白クマに促されるままクルー達は静かな集落へ向かってひたすらに駆けた。地下にはまだ船長をはじめとした仲間達が残されているが、白クマの言う通り船長の悪魔の実の能力があれば問題ないことを経験としてクルー達は知っていた。
 キャプテンとあいつらは大丈夫、そうではないのは自分達だ。何かあったら自分達の身を最優先に、と船長と旗揚げ以前からの付き合いであるクルーに言われた通り、誰一人として白クマに反論することなく振り返らずに集落の方へと一目散に駆ける。

 集落に近づくほどに地下からの震動は小さくなる。やはりこれは地震ではないと誰もが確信し、地上に戻らない3人の身を案じた、そのとき─── 微かに空間をたわませる、“膜”が見えた。






† ×××の島 3 †





 音もなく地上へ現れた3人に驚きはなく、しかし安堵をにじませてクルー達が「キャプテン!」と声を揃える。「あとペンギンとシャチ」と誰かが付け加えた。


「集落へ向かえ!ここは沈むぞ!!」


 鶴の一声ならぬ船長の一声にアイアイ!!と応えたクルーが思わず止めていた足を動かして駆け出す。震動は倉庫に近いほど大きくなり、そして少しずつ地盤を沈めていくのを船長である男は確かに見た。
 己の能力で地上に連れ戻したクルー2人も慌てて集落へ向かって駆けていく。その背を一瞥した男は再び左手を下に向け、ROOMルームと呟いて膜を広げる。シャンブルズ、そのひと言で男の姿が掻き消え、次の瞬間にはその場からだいぶ離れた場所へと移動した。


「キャプテンずるい!」

「おれ達も運んで!!」

「甘えるな、自分で走れ」


 喫緊の命の危機が去ったクルーにすげなく言い捨て、男はまたシャンブルズ、と呟いて姿を消した。
 数度能力を行使し集落に辿り着いた男は先に集落に辿り着いていた己の部下が誰一人として欠けていないことを確かめ、遠目に全力疾走してくる2人を見て、足裏から伝わってくる震動が落ち着くのを待って集落の中で一番背の高い建物に能力を使って登った。
 そこからは先程自分達がいた森の近くが微かに見えた。倉庫はない。ぽっかりと底の見えない黒々とした大穴だけがそこにあり、すべてがその穴の中に呑み込まれたのだと悟るのは容易なことだった。少しでも脱出が遅ければ穴の底に生き埋めにされたのは間違いなく、今更ぞっと寒気が走る。

 ゆっくりと息を深く吐き出し、男は再び能力を使って地上に集まるクルー達の輪の中に戻った。そこには肩を大きく上下させたキャスケット帽子とPENGUINと書かれた帽子のクルーもいて、白クマが2人の背を撫でてやっている。
 キャスケット帽子のクルーに「キャプテン、あそこ、は、どう、なって、ました」と息も絶え絶え問われ、見た通りのことを教えれば周りのクルーの顔が引き攣った。


「地下に何があったの?」


 恐る恐る、頑なに地下に行きたがらなかった白クマが訊いて、それに答えたのは男ではなく一緒に地下へ下りた2人だった。身振り手振り、長い階段の行き止まりにある大きな部屋、海楼石でできた扉、その扉に刻まれた無数の引っ掻き傷と血の痕、四方の壁にびっしりと書き込まれた愛を綴る血文字、そして誰かの独白文。
 話を聞いていたクルーの顔色が悪くなり、その地下空間に閉じ込められていた「マシロ」なる人間への同情が募る。愛というより呪いを一身に背負わされるなど、あまりに重すぎる。幸いなのはおそらくその事実を「マシロ」が知らないことだろう。


「で、その独白文を読んでたらいきなり地震があって……」

「これを読むために近づいたら崩壊のスイッチを踏むように罠が仕掛けられてたからな」

「「あんたのせいかよ!!!」」


 しれっと脇に抱えていた石板を掲げながらのたまった船長へ巻き込まれた2人のツッコミが飛ぶが、男は意に介さず担いでいた大太刀を白クマに預けると石板に目を落とした。


「キャプテン、それ何?そういえば地上に戻ってきたときからずっと持ってたよね」

「独白文が書かれた箇所を斬って持ってきた」

「はえー、あの状況で流石ですね」

「キャプテンちゃっかりしてんなぁ」


 地下空間を穴の底に沈めるほど外に流出されたくなかった文言が刻まれた石板は大きめの図鑑サイズ程度で、大した苦もなく片手で持つ男の後ろから白クマも覗き込んだ。
 白クマの低い声が男が一度読んだ文を読み上げ、前半の独白文を読み終えて「何でそんなひどいことするんだよぉ…」と肩を落とす。白クマが聴いたのはあの地下室に閉じ込められていた人間の慟哭や苦悶だったのだろう。その人間の心境がダイレクトに伝わってきたからこそ、歪んだ愛を注ぐカオナシの一族が理解できない。


「我らが滅びの血族のすえにして祖。終わりの始まり。願わくば、……あれ?ここから先、削られてる」

「書いたあとにわざわざ削って消したみたいだな」


 万が一のために地下空間を崩壊させる罠を敷いておいて、その万が一が突破されたときのために最重要文はきちんと削る周到な誰かにいっそ称賛の念を抱く一方、そこまでするくらいなら刻むなとも思う。だがもしかしたら最初は全文遺すつもりで刻んで、その後考え直して一部を消したのかもしれない。
 男は石板の文字に目を落とし、かろうじて残った一部から予測できる文字を頭の中で繋ぎ合わせた。


『×××××を××す最後の××。×××た運命に×××××の宿××××こと××××ず×消え×××の恨××、呪×××××る××を×××罪を、どうか××の×で××でくれ』


 成程さっぱり分からん。ところどころ不穏な単語が混じっていることしか読み取れない石板に深いため息をついた男の後ろで白クマが大きく首を傾げ、ひょいと横から覗き込んできたキャスケット帽子とPENGUINと書かれた帽子を被ったクルーもまた首を傾げた。分かるか?分かるわけねぇよ、なんて頭の悪そうな会話が聞こえて、しかしそれを男は否定できない。分かるかこんなもん。


「あ、でもまだ何か書いてあるよ」


 白クマが読める文章に気づいて僅かに声を弾ませ、男も石板に目を落としてはっきりと読める文章を目で追いながら読み上げる白クマの声を聞いた。


『我らはお前を愛さずにはいられなかった。愛するしかなかった。愛している。愛しているんだ。ただのお前を愛せたらよかった』


 一番最後の一文がこの独白文を刻んだ者の深い懊悩と苦悶、それでもなお注がずにはいられなかった深い愛を表していて、その悲痛さを少しでも感じ取ってしまった者─── その場にいる全員が、発するべき言葉を失くした。あの地下室に綴られた呪いのような愛の言葉は、重苦しい呪いのようでいてそうではなく、ただひとりに向けられた紛うことなき心からの愛なのだと理解してしまったからだ。
 男は少しだけ己の過去を思い出し、自分と違い「マシロ」なる人間はきっと、最期に自分を愛してくれた者の笑う顔すら見せてもらえなかったのだろうと思えば鼻の根元にしわが寄る。被り物が十字架に残されているから、死に顔くらいは見れたのかもしれないが。


「……もうこの島に用はねぇ、行くぞ」


 石板から顔を上げ、男はクルー達を一瞥して踵を返す。誰も異論なく男に続いて静かに佇む墓を過ぎ、集落を抜けて森に続く坂を下り、石板を片手に持って歩く男におもむろに白クマが声をかけた。


「でも、キャプテンよかったね。みんな死んじゃってたけど、キャプテンが探してた“滅びの血族”の情報は確かにこの島にあった」

「ああ」


 自分のことのように喜び目を細める白クマに軽く頷き、何度も読んだ石板に目を落とす。
 「我らが滅びの血族」と書いてあることから、文脈的にはおそらくカオナシの一族はイコール“滅びの血族”だ。自分が探し続けている、ある特徴を有した血族。「裔にして祖」「終わりの始まり」という文が示す意味は分からないが、ひとつ読み取れるのは、「マシロ」と呼ばれる人間もまた、そう・・であること。
 男は脳裏に“滅びの血族”の特徴を思い浮かべる。その血を引く者は血が濃いほどに容姿に強く特徴が現れるという。

 輝く雪色の髪、人外じみた美しい顔、そして─── 白刃のような鋼の瞳。

 ひとつひとつは大して珍しくないものだ。けれどその3つを揃えた者は“滅びの血族”を除いて他にいない。
 航海の合間に片手間がてら集め、2年前からより積極的に手を伸ばした、急速に数を減らして世界から消されつつある“滅びの血族”についての情報は得られた。ならば次は、この生き残りを見つけ出すこと。

 ぼんやりと思考に耽っている間に森へと入った男はふと周囲を見渡し、森に生えた木々や薬草を改めて見て、あとで少しいただいて行こうと決める。必要なものは手に入るときに手に入れておくべきである。そこに遠慮や躊躇など抱く方が損であり、海賊であるのなら奪ってこそだろう。まぁ、採取するにしても必要なだけなので乱獲とまではいかない。


「そういえば、“滅びの血族”って結局何なんです?」


 一行が森を抜け、自分達の海賊船である黄色い船体が見えたところでふいにPENGUINと書かれた帽子を被ったクルーが問う。
 男は一度瞬き、振り向いて「言っていなかったか」と返した。聞いてませんねと笑って肩をすくめたクルーは船長が探しているものの詳細を知らず、けれど船長が求めているのならと文句ひとつなく寄り道することも厭わずついてきていた。おれも知りたい、とキャスケット帽子のクルーにも言われては口を開かざるを得ない。とはいえ、元々隠すつもりのなかったことだ。単純に言うのを忘れていただけで。


「滅びの血族とは呼ばれているが、正式な名は別にあるらしい。だが誰もが……特に国王だとか領主だとか、組織の頂点に立つ奴らは知っていても絶対にその名を口にはしないと聞く」

「何で?」

来る・・からだ」

「何が?」


 テンポ良く帽子を被った2人のクルーが首を傾げて問いかける。男は船の甲板から腕を振って出迎える船番を眺め、降り注ぐ陽光の眩しさに帽子の陰で目を細めて答えた。


「災厄と破滅、末の滅亡。“滅びの血族”は、国や組織を破壊し蹂躙し尽くして放棄する、名の通り“滅び”を撒き散らす呪いそのものだそうだ」


 ひとたびその血族の名を紡げばどこからともなく現れては滅ぼす、とまで誰かは言っていたが、まぁそれは誇張されたものだろう。多少は事実だろうが、すべてが真実だとは思っていない。だがこの噂を恐れた組織の長は誰もが口を噤み、その存在をなかったものとするように記録からも抹消している。それは世界政府も同じだ。確実に“滅びの血族”が関わっていたとされる事案も、ただの内紛や戦争、あるいは第三者による鎮圧として世間に公表している。
 しかし必ずどこかからこぼれ落ちる情報を、男は入念な調査と選別眼をもって手に入れていた。まことしやかに囁かれる不穏そのものに構うことなく手を伸ばしている。


「へぇー、おっかねぇなぁ。でもそのひとりをカオナシ達は愛して生かそうとしたってこと?」

「でもカオナシを殺したのもたぶん同じ一族…というか血族ってことだろ?変なことしてるよなァ。何ていうか、共食い?相討ち?仲間割れ?」

「ゆるやかな自滅、って感じはする。何となく」


 キャスケット帽子のクルーが自信なさげに呟いた言葉に、言い得て妙だなと男は感心した。
 カオナシの一族を滅ぼしに来た血族は何を思ってこの島で生きていた同族を殺し回ったのかは分からない。分かるのは、カオナシの一族は自分達にもたらされた滅びを抵抗することなく受け入れ、その死をもって唯一の人間の心に傷を残した。
 仇討ちをしてほしいのかまでは分からないが、直感的にそれは望んでいないような気はする。理由を訊かれても答えられないが。


「まーキャプテンが探してるんならそこまでの厄ネタにはならなさそう」

「生き残った奴もあんだけめちゃくちゃド重い愛情注がれてたから、悪い奴じゃない……といいなぁ」


 愛を綴った血文字はともかく、ひとり地下室に閉じ込められて生かされた、という時点で受けた愛情は疑うべくもないだろう。それに応えるように丁寧な墓が建てられていたのだから、「マシロ」なる生き残りも受けた愛情をきちんと返せるだけの器があるのは分かる。だからたぶん、悪い奴じゃない、と思う。というのが男から不穏な話を聞いた者達の感想だった。


「ここを出たら、次はどこに行くの?キャプテン」


 白クマに問われ、情報を得たことで寄り道を終えた男は手に持っていた石板を躊躇うことなく海に放り投げて答えた。ぼちゃんと重い音を立てて石板が落ちて海の底へと沈んでいく。


「当然、先に行く。ここの“記録ログ”がたまる前に出航するぞ」


 男にとって、“滅びの血族”を追うことはあくまで寄り道であり、ついでであり、血眼になってまで「マシロ」と呼ばれていた人間を捜し出すつもりはない。“次”の目的はできたが、これは言うなればサブクエスト、しなくとも何ら影響のない範疇で、優先順位はそこまで高くないのだ。

 ─── ただ、ふとしたとき。
 目の前で燃え盛る炎を睨み続ける男は、月明かりのひとつもない真っ暗な空の下、頭上を覆う闇を仰いで。
 天高い場所で瞬き、きらきら煌めく白い星の美しさに詰めていた息を吐き出すように、その軌跡を追っている。





 ××××××××××



 第1部 end.



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