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「行くわよアンタ達ィ!!全速前進!!!」

『ハッ!!ボン・クレー様!!!』


 オカマの鋭い号令に大きく応え、メリー号を置いて白鳥を模した船はものすごい勢いで南下していく。
 ルフィに化けたオカマと素顔を晒したクオン、そして他の麦わらの一味に変装した面々が甲板の目立つ場所にわざと立って並べば、目論見通りこちらを認識したのだろう、すべての海軍船が船首の向きを変えてこちらを追ってきた。
 再び距離を取りながら無駄のない動きで陣を組み始めるのを見て、成程よく教育されているようだと、クオンは敵ながら感心してしまった。






† 東の港 3 †





「そういえばユキちゃん、アンタどうやって麦ちゃん達のところに戻るの?能力者なんでしょう?」

「ご安心を。能力で海を駆けて戻ります」

「アラ便利~~~!あちしも鍛えたら海を走れるようになるかしら?」

「どうでしょう。あなたのバレエのような動きは素晴らしいとは思いますが、さすがに海を駆けるのは難しいかもしれません。あなたの強みはそのしなやかに鍛え上げられた肉体から繰り出される強烈な打撃と足技と見ました。中でも一切ブレない体幹とバランス力は目を瞠るものがあります」

「やっだこの子褒め上手じゃナ───イ!!!嬉しくて回るわあちし回っちゃう~~~!」

「うん?ルフィの姿ではキレがありませんね。そういえば顔と一緒に肉体も変化するのでしたか……もしや、変装しているときはうまく体が動かせないのでは?」

「そこまで分かっちゃうの!?そうなのよーう!あちしのオカマ拳法ケンポーはあちしのバディでしかあーやつれなーいのよう!レッスンレッスンまたレッスンをひたすらに繰り返して磨き上げたこの!技!!キレ!!そこんじょそこらの奴には敗けないわよ~~~う!!」

「元の姿に戻ってますよ、速やかにルフィに変装してください」

「あっごめんなサイねい」


 なんて和やか且つ賑やかな会話をオカマと交わしていたクオンの肩の上で、クオンの浮気者~~~!!と叫ぶビビの嘆きを聞いた気がしたハリネズミである。まったくもってその通り。打ち解けるのが早すぎる。確かクオンはオカマを真面目に殺そうと考えたはずなのだが、お互いそんなことまるっと忘れているようだ。


「そういえばオカマ殿、この船の名は何と?」

「快速スワンダ号よ~う!」

「成程、良い名です」


 そうしてわちゃわちゃと戯れている間に3分が経ち、その頃にはメリー号からだいぶ離れ、ルフィ姿のオカマは部下達に速度を落とすよう指示を出した。
 全速力で追ってきていた海軍船は間を置かず横付けされ、クオンの視界に海軍船の甲板に立つひとりの女が映る。薄桃色の長い髪を流した、煙草を咥えた眼差しが凛々しい美人だ。おそらくあれが“黒檻のヒナ”だろう。
 同じく彼女を認識したオカマがにんまりとあくどく笑って手すりに足をかけ、自身の存在をアピールするように大きく口を開いて笑った。


「が───っはっはっはっはっはっは!!アンタ達のお捜しの“麦わらのルフィ”ってのは……あちしのことかしら!? なんてねい」

「私は本物ですよ、言っておきますが」


 左手で顔に触れて変装を解いたオカマの後ろには麦わらの一味に変装した部下達が、隣には白い燕尾服を身にまとったクオンが立って肩をすくめる。隠されていない秀麗な顔を見たヒナが大きく目を見開いた。


「あなたは、雪狗の…!」

「けれど瞳の色が違う・・・・・・、でしょう?」

「……ッ」


 うっすらと冷ややかな笑みを浮かべるクオンにヒナが息を詰まらせる。眉間のしわは深く、明らかに敵対する位置に立つクオンを見る目にはまるでありえないものを見ているかのような困惑をにじませ、せっかくの美人なのにもったいないなと思いはするが、それだけだ。


「『羊船』が東へ抜けます!!」

「!!!」


 ふいに動き出したメリー号に気づいた海兵の報告にヒナが目を瞠って振り返る。クオンも視線を滑らせ、東の港へ向かって泳ぐメリー号を認めて目を細めた。
 まんまと騙されたことに気づいた海軍にオカマが「が───っはっはっはっはっはっは!!」と高らかに笑う。今更メリー号を追いかけようにも、相対するオカマ達やクオンが許さない。


「引っ掛かったわねい…あちし達は“変装”のエキスパート。そして…」


 追いつくのは難しいと悟って悔しげに煙草を噛み締めるヒナに、オカマは浮かぶ笑みを抑えることなく浮かべたまま背を向けてそのマントに書かれた文字を見せつける。


「麦ちゃん達の友達・・……!!」


 クオンは静かにオカマを見ていた。ゆっくりと、指先にまで神経を張り巡らせ計算し尽くされたポーズを決める、オカマだというのにどこまでも漢気あふれたその姿を見届けるように。
 純粋な男というわけではなく、しかし完全なる女というわけでもない、欠落した記憶に知識としてしかないオカマというものを間近に見て接したクオンは、オカマという存在がすべてこういうものだとは思いはしない。けれど「おかま道」を背中に背負い、一度友達になったのならその情を大事にして、自身が定めた道を踏み外すことを何よりも厭う義理人情厚き者を、己の思う「良いもの」と定めた。


「─── かかって来いや」

「……!!ヒナ屈辱」


 その2人の言葉が、開戦の合図となった。鉄の槍が放たれ、快速スワンダ号に海兵が飛び移ってきて、オカマ達もまた砲弾を海軍船へ放ち、それぞれ武器を手に船を飛び出して行く。


「さァ!!行きなサイ、ユキちゃん!!!あちしにはアンタを無事に麦ちゃんに返す義務があるのよう!!!」

「ええ。ありがとうございます、オカマ殿」


 名を呼ぶまでには至らない、けれどクオンの定めた「良いもの」、ボン・クレー。それが実名なのか偽名なのかはクオンには知る由もなく、そして気にすることもない。己でボンちゃんと名乗り、ルフィ達がそう呼んで、クオンもまたそう認識するだけのこと。

 襲いかかってくる海兵達をまとめて鋭い蹴りで薙ぎ倒したボン・クレーの叫びに言葉なく応えたクオンは、一足飛びで快速スワンダ号から海軍の船の端へと飛び移った。目にもとまらぬはやさではなかったために姿は追えたのだろう、手すりに足をつけてその場から跳ぼうとするクオンをヒナが振り返る。


「……!雪狗、クオンさん!!」


 その呼び声に、燕尾服の尾をたなびかせたクオンは一瞬動きを止めた。どうやらスモーカーと違って顔見知りであるらしい、かつては味方だったはずの人間がどこか必死な顔で見つめてくる。ありえない、信じられない、どうして。あなたはこちらにいるべき存在なのにとその目が語っていた。伸ばされた手は捕まえるようであり、引き止めるようであり、縋るようでもあったけれど。─── やはりクオンの胸は冷えたまま、何の感慨も湧かなかった。

 クオンは振り向きざま、躊躇うことなく海軍船から海へと身を投げた。同時に左手をひらめかせて指の間に数本の針を挟み、すべてをヒナへ向けて放つ。音もなく駆け抜けた針はヒナの咥えた煙草の先を斬り飛ばし、薄桃色の髪を数本薙ぎ、その細い首を掠めて赤い筋を描いた。

 ヒナが息を呑んで表情を強張らせる。無意識に手を伸ばしたヒナに返されたのは、明確な敵対の意思だ。据えられた鈍色の瞳に温度はなく、どこまでも凪いでいる。何の感情も浮かばない冷えた秀麗な顔は見知ったものだが、“敵”に向けるものはこれほどまでに冷徹さを帯びるのかと、ヒナはそのとき初めて知った。


(甘いな)


 海軍船から海へと自然落下しながら、クオンは冷ややかに内心で呟く。彼女不在で組まれていた陣形を見るに部下への教育はよくできているが、スモーカーからクオンのことを聞いていただろうに、明らかに敵対位置にいる者へ手を伸ばすような真似をするなどと。
 彼女がするべきは問答無用でクオンを捕らえることだ。かつての味方だとか記憶がないなどと関係ない。海賊麦わらの一味と行動を共にしている時点で海兵として迷ってはならない。ゆえに、クオンはヒナをそう評した。
 戦わないと約束したから牽制のみに留めてヒナの実力をはかることはできなかったが、あの若さで大佐の地位に就いている事実がある以上彼女を侮るつもりはない。けれどその「甘さ」は、今出すべきではなかった。そのせいで、そら、お前達が捜し求めている雪狗と思しき人間は、いとも簡単に逃げてしまうぞ。


「ハリー、しっかり掴まっていてください」


 言わずとも分かっているだろう相棒にそう優しく声をかけて、能力を発動したクオンはしぶきひとつ立てずに海面に足をつけた。同時に戦場へと背を向けて駆け出す。白い燕尾服を翻し、帰ると約束した、仲間の待つメリー号へと一目散に。たとえ背後でどれだけ爆発音が鳴り響こうとも、誰かの悲鳴や雄叫びが轟こうとも、決して振り返ることはしない。


クオン!!」


 メリー号が目の前に迫り、甲板に並ぶルフィ、ウソップ、チョッパー、サンジを視界に入れたクオンは、身を乗り出したルフィに呼ばれ、それに視線だけで応えると足下にある海面を踏む足に力をこめて跳び上がった。トッ、と軽い音を立てて手すりへと着地して「怪我はねぇな」とかけられたウソップの問いに頷く。
 4人はクオンの帰還を喜んだのも束の間、轟音と共に激しくなるボン・クレー達の戦闘にすぐさま顔を向けた。その顔が今にも泣き出しそうに歪み、すぐにだばっと涙をあふれさせて拭うこともせず今もなお戦っているだろうボン・クレーの名を叫ぶ。


「ボンちゃん!!」

「おれ達、お前らのこと絶っっ対、忘れねぇがらな゛ァ~~~!!!」


 クオンは手すりから下り、自分が駆けてきた方角に上がる炎と黒煙を見やるとすぐに踵を返した。現状一番厄介な佐官海兵はボン・クレーが引き受けてくれたお陰で背後を気にする必要はなくなったが、それでもこの島の周りには海軍が大勢いることには変わりない。すぐにまた戦闘へと入るだろう。だがそれまでは、ルフィ達にはボン・クレー達の勇姿を見届けさせてやりたかった。

 前方甲板へ向かいながらメリー号の周囲に敵船がないか視線を走らせていたクオンは、ラウンジの前に立って海を見つめるナミに軽く手を上げて帰還を教え、船首近くに佇み周囲を窺っていたゾロの隣に並んで「ただいま戻りました」と声をかけた。ちらりと目だけで振り返ったゾロに顔を寄せれば、その腕に抱えていた被り物が被せられる。


「ゾロ、私はひとつ良いことを知りました」

「……『良いもの』を見た、じゃねぇのか、浮気者」


 被り物越しに低くくぐもり抑揚を欠いた声で言葉を紡いだクオンへすかさず言葉が返ってきて、まるでビビのように軽くなじってきたゾロを見上げたクオンは小さな笑声を被り物の中にとかす。


「ええ、あなたの言う通り。私は『良いもの』を見て、良いことを知りました。仲間ではなく、ましてや敵ですらあったけれど、“友達”ならばそんなこと関係なく己が心を優先して貫いてもいいのだと」


 目の前が開けたような気がすると同時に、過去ウイスキーピークでビビを“友達”と呼んで裏切り者であることも構わず盾になって戦おうとした女を思い出した。彼らのようにひとりのために戦いたいと思い、それを許されるのが友というのであれば、やはりビビに願い出た関係性は間違っていなかったのだ。
 それを教えてくれたオカマは遥か後方にて戦ってくれている。だからボン・クレーのことを忘れないよう胸に刻んだクオンは、ふいに遠目に海軍船を見つけるや目許を引き締めてすぐさま鋭く声を飛ばした。


「─── 敵襲!戦闘準備を!!」


 途端、隣の気配が研ぎ澄まされ、そして後方甲板から4つの気配が飛んでくるのを感じながら、クオンは船の行く道を塞がんとする敵を迎え撃つために鈍色の瞳を剣呑に細めた。






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