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「ヒナ嬢!!奴らの船です!!サンドラ河上流よりっ!!!」


 伝令からの報告に、ヒナは表情を変えず「雪狗…と思しき、白い人間は」と問う。アルバーナに張っていた海兵から麦わらの一味が出奔したという報告はなかったから、おそらく夜の闇に紛れてサンドラ河まで辿り着いたのだろう。
 では、王女の執事は。今もまた宮殿にいて王女の傍に侍っているのかと思いながらも一応問うが、「いえ、それは……」と執事の確認まではできていなかった伝令が言葉を濁らせる。

 雪狗ならどうするだろうか。ヒナは考える。己が海軍本部准将であることはクロコダイルによって明らかにされ、王女の反応がそれを裏付けさせた。大将赤犬を筆頭に全海兵から捜されていると知ったのなら、今まで通り王女の傍にい続けるとは思えない。彼女に懐いているのならば尚のこと。その事実が既に信じられないが、スモーカーがそう言うのだからそうなのだろう。
 王女に迷惑をかけないために執事もまたアラバスタを離れるとしたら、同じく出航するだろう麦わらの一味に乗り合うと見るのが筋だ。それもやはり、雪狗という海兵を知っているヒナからしたらありえないと一蹴したくなるが。
 いずれにせよ、アラバスタの海岸を完全封鎖しているのだから白い影の存在は必ずヒナの耳に入るだろう。雪狗かもしれない執事のことも捜さねばならないが、今は姿を見せた麦わらの一味の方に専念しなければ。

 頭の中に居座る雪狗の影をかぶりひとつ振って追いやり、黒い手袋をはめたヒナはキリッと表情を引き締めて「戦闘準備」と短く部下達に命じた。






† 東の港 2 †





 アラバスタ外海へ出たクオン達は、すぐさま一定の距離をあけて海軍船に囲まれた。東西南北に2隻ずつの陣形を決して崩さず追ってくる彼らは、その砲台から砲弾ではなく鉄の槍を同時に撃つことで船を確実に沈めようとする。少人数では一面を護るのがやっとで、そこを護れば他の面ががら空きになってしまう。これではじり貧だ。
 メリー号に乗り込んだままのオカマを含めた戦闘に長けた者が何とか飛来してくる槍を防ぎ、クオンもその中に混じってはいたが、がら空きの面に槍を受けたことですぐにこの陣形の厄介さに気づくと被り物の下で小さく舌を打った。

 ナミが海を見てウソップとチョッパーが船の全速力を出し包囲網を突破しようとするが、アラバスタ海域の波は落ち着いており、元は遊覧船のメリー号とそれなりの設備で整えた海軍船ではスペックが違いすぎるためぴったりついてきて振り払えそうにない。
 砲弾ならばルフィが撃ち返すことができるが、鉄の槍である以上それも難しい。
 ここは反動を気にしている場合ではないと判断したクオンは立っていた手すりから跳んで甲板へと足をつけ、そのまま腰を落として屈むと床に左の手の平をつけた。戦闘中だというのに前線を離れて突然甲板にしゃがみこんだクオンに訝しげな声がかかるが、それを無視して被り物の中に低い呟きをとかす。


斥力アンチ、オン」


 音もなくメリー号を中心に能力が展開される。同時に飛来してきた鉄の槍がメリー号に迫り、しかしそれはメリー号に届く前に動きを鈍くした。メリー号から引き離される力によって下に傾いだ槍をルフィ達が海へ叩き落とす。
 一方でがら空きの面にかける力を増せば、メリー号に刺さる前に鉄の槍はひとりでに力を失くして海に落ちた。ぴきりと脚の筋肉が反動で痛むが、鉄の槍を弾き返すのではなく落とすことに留めているため最低限で済んでいる。クオンは被り物の下で顔色ひとつ変えずに能力を発動し続けた。

 突然攻撃が無力化されたことに海軍船がざわつき、しかし数で押し切れと言わんばかりに次々と鉄の槍が放たれる。クオンはそのすべての槍を無力化して、そのたびに体内が傷ついていく音を聞いた。確実に反動に苛まれているだろうに呻きひとつ上げず、身じろぎすらしないクオンを肩越しに見たルフィが悔しげに叫ぶ。


「くっそ~~~!!砲弾で来い!!跳ね返してやるのに!!」

「まったくジョ~~~ダンじゃナーイわよーう!!!」


 クオンのお陰で今のところ船が沈む心配はないが、長引くほどにクオンの命が削られていく。また飛んできた鉄の槍を撃墜するも、このままでは状況は変わらず、そして突破口が見つからない。クオンが押し留めてくれている間にどうにかしなければ。

 自身の命を度外視するのであれば、クオンにはいくらかの手があった。同時に飛来した鉄の槍がメリー号に当たる前に止め、海軍船に返すことはできるが8隻分を相手取れば腕の一本や二本では済まされない。1面だけならば多少の負荷で何とかなるが、ビビを迎えに行くのならばここで1隻も逃すわけにはいかないだろう。
 もうひとつの手として、距離はあるが海上を駆けれるクオンは海軍船に乗り込んで沈めることは可能だ。しかし当然船を沈めるまで乗っている海兵の相手を多少はせねばならず、その間メリー号に迫る鉄の槍は一面しか防げず、クオンがすべての海軍船を沈めるのが先か船が沈むのが先かを賭けなければならない。
 他に凍針こごばりを飛ばして船を凍り漬けにする方法もあるにはあるが、残念ながら今の凍針の威力では足りない。というかそもそも、アラバスタで凍針のほとんどを使い果たしているため圧倒的に数が足りなかった。この熱砂の国では良質な氷を手に入れられる機会はなく、ハリーの体内には凍針を作るためのストックはない。
 ゆえに今の最善の一手は、こうしてクオンが鉄の槍を防いでいる間に他の仲間に何とかしてもらうこと。クオンはすべてをひとりで「何とかする」必要はないと既に学んだから、あとは彼らを信じて任せることにした。本当にどうしようもなくなったら、この身を削ることも厭いはしないが。

 飛来する槍を防ぎながらも好転しない状況に焦れたナミが何とかしてよあんた達!と叫び、同じくしてはじめの攻撃であいた穴を塞ぎ終わったチョッパーが「穴は塞いだよ!!」と顔を出した。


クオンのお陰で暫くは大丈夫だが、このままじゃ埒があかねぇ」

「8隻相手じゃ手数が違いすぎるぞ」

「白兵戦ならこっちに分があるってのに、追おうが逃げようが…こいつら絶対にこの陣形を崩さねぇ」


 次に撃つ鉄の槍を補充しているのだろう僅かな時間に、ルフィをはじめとした戦闘員達が顔を突き合わせる。だが妙案は浮かばず、取り囲む8隻のうち南の2隻に見たことのある顔が何やら話しているところへ、唐突に一発の砲弾が撃ち込まれた。
 まさか反撃があるとは予想していなかったのだろう、南の2隻の片方は撃ち込まれた砲弾にメインマストを折られて船体を傾がせ、隣に並んでいたもう片方の船を巻き込んで沈んでいく。あーあー、と連鎖的に消えていった船を眺めていたルフィは、それがまさかあれほどの功績を生むとは思わなかった様子で呆然と砲台の横に立つウソップの仕業だと気づいて目を剥き喜びをあらわにした。


「ウソップお前かぁ!!すげぇな!!!」

「よ…よぉし!!計算通りだ、おれにかかりゃあんなモンああだぜ!!!」

「鼻ちゃんすごいわ!!やったわねい!!南の陣営が崩れた!!あそこを一気に突破よう!!!」


 喜びに沸く声を耳に、どうやらウソップが上手くやってくれたらしいと悟ったクオンはゆるりと被り物の下で目を開く。一度能力を解除して立ち上がり目を向ければ確かに南側が崩れており、逃げるのならばそこを行くべきだろう。
 ふと、クオンは陣形の向こうからやって来る、他の海軍船と比べてひと回り大きな船に目をとめた。同時にオカマの部下が「ボン・クレー様大変です!!“黒檻”です!」と慌てて報告を入れ、オカマがウゲッ!!と呻く。
 “黒檻”が分からず不思議そうに何なんだ?とルフィがオカマに訊けば、オカマは「“黒檻のヒナ”!!」と丁寧に教えてくれた。この海域を縄張りとする本部大佐よう!と続けたオカマはどうやら黒檻の実力をよく知っているようで、厄介な奴が出てきたわと即時撤退を決め「さっさとトンズラぶっこくわよう!!」と言い、部下が声を揃えて頷く。
 クオンは“黒檻のヒナ”が乗っているだろう船に目を凝らしたが、まだ遠くその姿は見えない。しかしオカマの慌てぶりからその実力は窺えた。

 船の進路を変えるべく動き出したオカマ達とは対照的に、メリー号は船首を東に向けたままで麦わらの一味の誰も進路を変える様子もなくその場に佇み海軍からの攻撃を警戒する。クオンも再び槍が飛んできたときに即座に動けるよう構えながらも動かなかった。


「何やってんのアンタ達ィ!!逃ィ─── ゲルのよう!!!あの南の一点を抜ければ被害は最小限に逃げ出せるわ!!このまま進めば必ずやられるわよう!?」

「行きたきゃ行けよ。おれ達はダメだ」


 急かすオカマにルフィが冷静に返す。ダメだってナニが!?と当然の疑問をオカマが絶叫し、動く様子のない麦わらの一味を見てオカマの部下がおれ達だけで逃げましょうとオカマを促す。だがそれにすぐ頷いて背を向けるでもなく冷や汗をにじませながらも留まるオカマに、おや、とクオンは被り物の下で瞬いた。


「“東の港”に12時。約束があるの。回り込んでる時間はないわ、突っ切らなきゃ」


 オカマの問いに答えたのはナミだ。詳細までもは話さない彼女の答えを聞いたオカマが一転してバカバカしい!!と不機嫌もあらわにこちらに背を向ける。


「命張るほどの宝でも港に転がってるっての!?勝手に死になサイ!」


 失望もあらわなオカマの声に、ある意味で命張るほどの宝ですねぇとクオンは思い、けれど口にはしなかった。別に言う必要性を感じなかったからだ。
 約束のために“東の港”に向かうのはオカマ達にはまったく関係のないこと、だからさっさと逃げてくれて構わない。メリー号を海軍から護ってくれた上にここまで付き合ってくれただけで十分だ。
 内心でオカマの評価を上げていたクオンに気づくことはなく、ルフィに背を向けたまま自分の船に飛び移ろうとしたオカマはしかし、真っ直ぐ東を見据えながら笑って言ったルフィの言葉に魂が震えるほどの衝撃を受けて動きを止めた。


「仲間を迎えに行くんだ!!」

「!!!」


 仲間ダチのために、麦わらの一味は誰ひとり逃走を選ぶことなく危険を顧みず突き進もうとしている───。オカマは己の魂が震える音を確かに聞いた。
 財宝なんて即物的なものではない、確かな絆が、あまりに美しい友情がそこにはあって、そのために行くと言う。それに付き合えなどとひと言も口にしないで、自分が問うまで理由を明かすこともなく、逃げるのならばそれで構わないと態度で示している友達を見捨てていくのは果たして、ひととして、オカマとして正しいことなのか。オカマは自答し、瞬間答えは出た。
 ─── そんなこと、考えるまでもない。


「……ここで逃げるは、オカマに非ず!!」


 オカマは覚悟を決めて声を張り、麦わらの一味に背を向けて叫ぶ。
 その声は当然クオンにも聞こえ、逃げるでもなく突然叫んだオカマを訝しげに見上げた。いったいどうしたのか。


「命を賭けて友達ダチを迎えに行く友達ダチを…見捨てておめぇら明日食うメシが美味ぇかよ!!!」


 クオンの視線の先、「おかま道」と書かれたマントが大きく翻る。
 オカマの言葉が響いてどきりと胸を跳ねさせ、目を見開いたオカマの部下の表情が変わった。


「いいか野郎共及び麦ちゃんチーム。あちしの言うことよぉく聞きねい!!」


 いつもの口調で、しかしふざけた様子のない真剣な響きがクオンにも届く。こちらに背を向けたままのオカマの顎から伝うものが陽の光を浴びてきらりと光るのが見えた。

 オカマは、自分が囮になると言った。己の能力をもって麦わらの一味であるルフィに化け、他の者達にも麦わらの一味の変装をさせて陣形が崩れた南へ向かうと。
 確かに、そうすれば海軍は間違いなくオカマ達を追うだろう。ぎりぎりまで海軍を引きつけてくれれば、ルフィ達は難なく東の港へ向かうことができる。


「あちしの船が離れて3分後、行きなさい」


 そう締めたオカマの説明の間にも既にオカマの部下達は動き出していて、すぐさま変装する者を決めるとそれぞれ特徴を捉えた変装を施していく。それがたとえ近くで見ればまったく似ていなくとも、海軍側にルフィ以外の詳細な顔写真がなければ十分に騙すことはできる。

 仲間友達を迎えに行く友達のために。ただその一点だけで囮になると決めたオカマは、麦わらの一味に反論を許さなかった。自分達の覚悟を曲げさせてくれるなとその強く輝く瞳が言っている。損得を一切考慮していない─── 否、友達を見捨てることこそが人生の最大の損であり恥だと言わんばかりの真っ直ぐな眼差しに、返したいだろう言葉を苦しそうに呑み下したルフィの横顔を見たクオンは被り物の下で笑みを描いた。そして、オカマの覚悟に応えるべきだとクオンもまたひとつ決めた。


「私も同行しましょう、オカマ殿」


 言い、オカマに歩み寄ったクオンは躊躇うことなく被り物を外してその白皙の美貌をあらわにした。短い雪色の髪が陽の光を浴びて星のように美しく煌めく。髪と同色の長い睫毛に縁取られた瞼は伏せられることなく開かれ、確固たる意志に満ちた鈍色の瞳がオカマを真っ直ぐに見ていた。形の良い唇から男にしては高めの声が厳かに紡がれる。


「海軍の狙いのひとりは私です。私とルフィに化けたあなたがいれば、海軍はこちらから完全に目を離すでしょう」

「ほ…ほんとに……びっくりするほど綺麗なのねい、アンタ…。それ以外の言葉が出てこないわ」


 クオンのあまりの美しさに涙も引っ込んだようでまじまじと見つめられ、で!も!あちしだって負けてないわよ~~~う!!と素晴らしい体幹でもって美しいポーズをキメるオカマに、クオンはそっと微笑んだ。その笑みに胸を撃ち抜かれたオカマの部下が呻きを上げて甲板に転がるが誰も気にしない。


「同行すると言いましたが、最後まで付き合うわけではありません。あなたの言う3分後、私はあなたの船を離脱します」

「もちろんそれで構わないわ。……麦ちゃん達がいいのなら、だけど」


 ちらとオカマがルフィ達に視線を走らせる。クオンは難しい顔をする仲間を見て、安心させるように笑った。


「大丈夫ですよ、私は必ずあなた達のもとに戻ります。それと、決して戦わないと約束致しましょう」

「……分かった!ボンちゃん、クオンを頼む!」


 船長の許可を得て、クオンは笑みを深めるといつものようにハリーを右肩に乗せ、手に持った被り物をゾロに投げ渡した。不意打ちの一投だったが落とすことなく受け取ったゾロに笑いかける。


「預かっていてください、私の大事なものです」


 かつてそのひとつを斬り捨てた男に預け、クオンは返事を待たずにすぐさま身を翻すとオカマと共に白鳥の船首が目立つ船へと飛び移った。






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