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 海の様子や天候が変わるのが急であるならば、島の海域に入って落ち着くのもまた、急だった。
 嵐のような海を抜け、ふつりと風が穏やかになった頃にはあちこちに死屍累々ができており、その中でひとり、ぐったりとくずおれるナミの横で腰を真っ直ぐに伸ばして静かに佇むクオンはむくりと身を起こした緑に気づいて視線を向けた。


「ん~~~くはっ、あ─── よく寝た…」


 ぐっと伸びをするゾロに本当にまあと呆れるべきか感心するべきか。
 寝そべるように肩に張りつくハリネズミが呆れたような声で鳴いたから、クオンはゾロの豪胆さに感心することにした。





† 一本目の航路 3 †





「おそようございます、剣士殿」

「あ?」


 結局一本目の航海が終わるまで起きることのなかったゾロがここにあるはずのない声を聞いて訝しげに振り返る。被り物を被った全身真っ白執事を見て「何でてめぇが」と呟き、床に倒れ込む仲間に気づいて少し視線が鋭くなった。クオンが軽く肩をすくめる。


「私は何もしておりませんよ。皆様大変お疲れなのです、少し休ませてあげてください」

「はァ?おいおい、いくら気候がいいからって全員だらけすぎだぜ?ちゃんと進路は取れてんだろうな」


 呆れたように言う、波乱に満ちた慌ただしい航海を何もせず寝て過ごしたゾロにクオン以外全員の心の声が揃う。お前この野郎、と。
 おやおや手厳しいとクオンは被り物に削がれながらも楽しそうな響きをにじませた声で微かな笑みをもらす。額に青筋立てるのは簡単だが、そうするほどの怒りなど皆無であるし結局は乗り切れたのだから楽しまなければ損である。

 ゾロはクオンがいるなら、と視線を滑らせて存外近くの床に転がっていたミス・ウェンズデーとMr.9に気づくと目を瞬かせた。


「……何でお前らがこの船に?」


 今更気づいたゾロにMr.9が遅い!!とツッコむ声を聞きながらクオンはよろよろと身を起こすナミに手を貸してやり、びきりと額に大きな青筋が浮くのを認める。あいつ、と地を這うような低い声がひとつ。うーん、怒っている。当然だろうが。
 ナミの体から湧き上がる怒りのオーラが目に見えるようだ。そんな航海士の様子など気づく様子もなく、ゾロの疑問に前方甲板の柵に座ったルフィが答える。


「今そいつらの町へ向かってるんだ」

「まさか送ってやってんのか?何の義理があるわけでもなし」

「うんねぇよ」


 ゾロの返しにあっさりとルフィが頷き、でもクオンに頼まれたからな、と笑う。
 クオンはラウンジ前の手すりを飛び越えて主であるミス・ウェンズデーへと近づくと彼女に手を差し出した。ちらりとゾロから向けられる視線を背に彼女の手を引き身を起こさせる。つられてMr.9もよろよろと上体を起こすと、目の前にゾロがしゃがみこんで床に座り込む2人の顔を覗き込むように目線を合わせて不敵に笑った。


「おーおー悪ぃこと考えてる顔だ…。名前…何つったかなお前ら…」

クオンと申します。こちらはハリネズミのハリー」

「てめぇには聞いてねぇ」


 背筋を伸ばしてすっと横から名乗ればすっぱり切り捨てられ、つれない方、とクオンが肩をすくめる。
 ミス・ウェンズデーが縋るように見上げてきたが、まあ尋問じみた問いからは逃れられないだろう。何かしら気になる点もあるようだし。諦めてくださいと言葉を落とす代わりに肩を叩けば、ミス・ウェンズデーとMr.9はゾロの眼光の鋭さに気後れしながらも名乗りを口にした。


「ミ…Mr.9と申します」

「ミス・ウェンズデーと申します……」


 2人の名を聞いて、ゾロはひとつ頷くとその名を初めて聞いたときから引っ掛かってんだ、と口端を吊り上げた。ぎょっとミス・ウェンズデーとMr.9の2人が息を呑んで身を竦め、隠れるように左右からクオンの足に縋りついた。大変邪魔である。主は別に構わないが。


「どこかで聞いたことがあるような…ないような…!」


 核心に指を伸ばしてくるゾロにクオンの足の後ろに隠れた2人が冷や汗を流す。クオンはのんびりとゾロの後ろからやってくるナミを見て、振り上げられた拳を目で追い、「まあいずれにし」ろ、と言いかけたところでゴン!と鋭い拳がゾロの後頭部に叩き込まれるまでを無言で眺めた。
 突然の痛みと衝撃に驚いたゾロが後ろを振り返ってナミを睨み上げる。


「あんた今までよくものんびりと寝てたわね…起こしても起こしてもグーグーと……!!」

「あァ!?」


 当然寝ていて一本目の航海がどうだったかなど分からないゾロが何のことだと言わんばかりに眉を寄せるが、まだ怒りの治まらないナミは次いでもう3発、怒りに満ち満ちた重い拳を振り下ろしてゾロの頭に大きなたんこぶを3個こしらえた。
 なぜここまで怒られなければならないのか分かっていないゾロが目を白黒させながら痛みに頭を抱える。まあ自業自得ですね、とクオンは被り物越しに生ぬるい視線を送った。


「気を抜かないでみんな!!まだまだ何が起こるか分からない!!」


 とりあえず怒りを治めたナミが声を上げ、やっとこの海の恐さを認識できたと続ける。“偉大なる航路グランドライン”と呼ばれる理由が理解できた、と。


「この私の航海術が一切通用しないんだから間違いないわ!!!」

「それでもこうして無事に乗り越えられたのですから、誇ってもよろしいかと」


 自信満々に不安になるようなことを言ってのけるナミに言えば、振り返ってありがとうと微笑まれた。
 “記録指針ログポース”すら知らない、“偉大なる航路”の情報もまったくない無知状態であの荒れ狂う海を越えられたのだから将来有望な航海士であることをクオンは素直に評価する。
 その航海士でもどうにもならないことは、もちろんあるが。遠くから聞こえる微かな音を聞きとめて顔を上げ、空の彼方を見たクオンは被り物の下で目を細めた。


「皆様、鳥の肉はお好きですか?」

「肉なら何でも好きだ!!!」

「でしょうね」


 クオンの唐突な問いに食い気味に答えるルフィにひとつ頷き、そこでようやくギャアギャアと鳴く声が微かに聞こえたか、全員が揃って空を見た。
 空に浮かぶ小さな鳥影が次第に大きくなる。そしてそれはひとつではなく、数十羽もいる大きな群れだと分かって「何あれ!?」とナミが目を剥いた。
 ただの鳥であるなら問題はない。だがその鳥は嘴が太く鋭く、首は細いが胴体が楕円を描くように太かった。全長が1mをゆうに超え、獲物を見つけた鳥の眼光が愉悦に煌めいている。グギャア、とひと鳴きして大きな翼を翻した。


「あれはライフルマガン、“偉大なる航路”に生息する獰猛な鳥です」

「ガン!?あれがか?いやでかすぎんだろ!」

「“偉大なる航路”ですので」


 流石コックとして食用鳥の知識はあるらしく、目を見開くサンジにクオンが淡々と返す。


「唐揚げ、焼き鳥、塩漬け、南蛮、チキンカツ、何にしてもおいしいですよ。私は照り焼きが好きです」

「てめぇの好みは聞いてねぇ!つかあいつら、こっち狙ってねぇか!?」

「彼らは船を襲って沈める習性がありますので。ついでに人間の肉が大好物」

「早く言え!!!」


 眦を吊り上げてクオンにツッコんだサンジが、空中でぎゅるりと体を回転させる鳥に身構える。しかし鳥の狙う先は人間ではなく、メインマストに張られた帆だ。クオンはウソップへと顔を向けた。


「狙撃手殿、撃ち落とせますか?」

「さすがに遠すぎる、あれは無理だ!」


 ウソップが武器であるパチンコを構えるも、それの飛距離は心もとない。ライフルマガンの大群は見張り台よりも高い位置にあった。
 そうこうしている間も鳥の大群がぎゅるぎゅると回転を始めており、帆を破って船を破壊したあとにゆっくりと人間の肉を食むつもりの彼らがこちらへ襲いかかってくるまで時間はない。
 ぐっと拳を握ったルフィが空を見上げ、「船長殿」とどこかのんびりとした色をにじませたクオンの声がすぐさま飛び出していこうとした船長を止めた。


「どの鳥が食べてみたいですか?」


 言いながらクオンは両手をひらめかせてすべての指の間に2本ずつ、細く長い針を挟んで構えた。
 邪魔をしないようにか、慣れた様子でミス・ウェンズデーとMr.9が縋りついていたクオンの足から離れてメインマストの裏に隠れる。
 ルフィは投げられた問いにぱちりとひとつ瞬き、ひょいとクオンの隣に並ぶと空を飛ぶ鳥の群れを指差した。


「おれはあれ!一番でっかいやつ!!」

「群れのボスに目をつけるとは、流石お目が高い。ではあれと……そうですね、適当に10羽ほど狩っておきましょう」


 空を見上げたまま、ルフィの食べっぷりを思い出したクオンがまず右手を振りかぶって針を飛ばした。
 弾丸のように一直線に鳥の群れへ飛んでいった針が、ルフィご指名の回転する鳥の嘴や喉、胴体へと刺さってその動きを止める。
 ギュガ、と濁った声が聞こえて、ぐらりと体を大きく揺らした群れのボスが空から落ちてきた。それに回転をやめて慌てふためき、統率を欠いた鳥へと次々に針が刺さって落とされていく。
 前触れなく突如自分達が狩られる側へと回され、戦慄が群れに広がるのを見てクオンは左手の針も空へと飛ばした。針は真っ直ぐにうろたえる鳥へと容赦なく突き刺さり、瞬く間に甲板は打ち落とされた鳥でいっぱいになった。


「すっげぇな~クオン!!」

「ありがとうございます。これは船賃代わりに受け取ってくださいね」


 声を弾ませるルフィに必要以上に腕前をひけらかすこともせず、蜘蛛の子を散らすように逃げていく鳥の群れを見送ったクオンは賞賛の礼だけを返して鳥に刺さった針を抜いていく。
 すべての針を回収し、あっという間に獰猛な鳥の群れを片付けたクオンへ向ける警戒度を増したゾロとサンジの鋭い視線を受け流して、ぽかんと口を開けっ放しにして驚くナミを振り返った。


「まぁ、このようなことも多々ありますのでお気をつけて」

「あ、はい」


 素直に頷いてしまったナミがはっと我に返って咳払いをひとつ。


「んん!大丈夫よ!!航海もこういったのも、きっと何とかなる!!その証拠に…ほら!」


 ナミが全員の目を前へと向けさせ、薄霧が立ち込める先を指し示す。するとふいにふわりと霧が晴れて、遠くに島の影が見えた。


「一本目の、航海が終わった」


 どこか感慨深げに呟いたナミの横顔を一瞥する。
 目を輝かせるルフィとウソップ、鳥の処理にかかろうとするサンジ、刀の柄に手をかけたままのゾロをそれぞれ被り物越しに見やって、どうしましょうかねと内心で自問したクオンは、なるようにしかなりませんねと自答して、肩に乗ったハリーの顎を指先でくすぐった。



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