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クオンの浮気の気配を察知!!!!!!」

「おや、大変綺麗に磨かれてきたようですね。流石は給仕長殿、良い仕事をします」


 ドバン!!!とけたたましい音を立てて大部屋に乗り込んできたビビが弾丸よろしく脇目も振らずタックルしてきたのを朗らかに微笑みながら受けとめ、「私が“浮気”をしても、許してくれるのでしょう?」と穏やかに微笑んだクオンは、艶やかに手入れされたさらさらの髪を優しく指で梳いた。






† 宮殿 11 †





「ルフィ達と共に行くことにしました」


 ビビを腕に抱えてベッドからソファに座り直したクオンがそう言えば、そのひと言ですべてを察したビビは泣き出しそうに顔を歪めてクオンの首に腕を回して抱きつき、スゥ───…と勢いよく匂いを嗅いでぺしりと後頭部を軽く叩かれた。「石鹸の良い匂い…くっ、何で私はお揃いのシャンプーを用意しなかったの…!?」と心底悔しそうにこぼれた呟きは聞かなかったことにする。いつものビビの様子に今更ツッコミを入れる者はいない。
 ビビがクオンの膝の上で落ち着いたのを見て、仲間全員をぐるりと見回したナミがおもむろに口を開く。


「今夜ここを出るわよ」


 その言葉に、今夜!?と驚いたチョッパーにそうとナミが頷く。ゾロは驚きもせず「ま、おれも妥当だと思うぜ。もう長居する理由はねぇからな」と言い、サンジも同意して海軍の動きも気になると続ける。ウソップがルフィに船長としてお前が決めろと促し、よし!としかつめらしい顔をしたルフィはもう一回アラバスタ料理食ったら行こうと言って「すぐ行くんだよバカ野郎!!」とクオンとビビ以外の全員に同時に殴られて呻いた。お前が決めろと言われて決めたのに殴られるのは理不尽ともいえるが、まぁここでさらに長居するのは明らかに悪手なのでクオンは「今夜出ましょうね、ルフィ」と優しく微笑み「あい……」と船長の同意を得る。


(クロコダイルを倒して3日、早ければ既に手回しをされて懸賞金が跳ね上がっていてもおかしくはありませんからね)


 あまりナミやウソップ、チョッパーに不安を与えたくはないのでその呟きは胸中に留める。王下七武海のひとり、クロコダイルがルフィに倒されたことは世間に公表できるはずもないために隠蔽されるだろうが、渦中の人物であるルフィは当然見逃されるはずもなく懸賞金は更新されると見て間違いない。それに、バロックワークスのエージェントに名の知れた人物がいればそれを倒した誰かもまた懸賞金をかけられてもおかしくはなかった。海軍本部の将官クラスが動かないうちに国を出たいですねとクオンはビビの頭に頬をうずめて苦く笑う。


「ご歓談中、失礼致します」


 ふいに扉をノックして現れたのは電伝虫を乗せた盆を持った衛兵で、どうやら麦わらの一味宛に入電があったと言う。
 宮殿にいる海賊に、いったい誰が。訝しげに眉を寄せたクオンが「どなたからですか?」と問えば、秀麗な顔に見惚れながらも衛兵は“ボンちゃん”という方ですと答えた。クオンが鈍色の瞳を細めて該当しそうな者を少ない記憶から引き出そうとして、“ボンちゃん”なる者に心当たりのないルフィ達が首を傾げ、麦わらの一味の反応に衛兵は困り果てた様子で「ですが友達だと言い張るので……」と言い、呑気なルフィはまぁ話してみようと笑って、ゾロは罠かもしんねぇぞやめとけと忠告するが、衛兵はルフィの言葉にこれ幸いと電伝虫をベッドに置いてすぐさま部屋を出て行った。
 恩人に不審な入電を取り次ぐのは躊躇われるが本当に友達なのだとしたら勝手に切っては困るだろうと配慮してくれた衛兵を見送りながら頭の中の引き出しをあさっていたクオンは、サンジが受話器に手を伸ばすと同時、脳裏に奇抜なオカマの姿がよぎって「あ」と声を上げ、


『モシモシィ!!?モッシィ!!?が───っはっはっは!!!あァちしよォ~~~う!!!あ!!!ち!!シ~~~!!!』


 大音声で響いた低く甲高い声に頭を抱えた。
 ガチャン、と何とも言えない微妙な顔をしたサンジが受話器を電伝虫に戻す。グッジョブと思わず親指を立てたクオンだった。
 さて海軍に包囲されているだろうこの国をどうやって出るかは船に戻る道中で詰めるとして、早速荷物をまとめようと思考を切り替えたクオンが口を開くよりも早く、電伝虫が歯を剥いてジリリリリリリリリリリリリリと入電を伝えてきた。
 出ずとも判る、相手は間違いなくあのオカマだ。バロックワークスにおいてMr.2の地位にいた人物。どうやら海軍からうまく逃れられたらしいが、今更ルフィの友達と名乗るとは何のつもりなのか。クオンの目が冷たく据わった。


「おうオカマか?おれ達に何か用か?」

『アラ!?その声は麦わらちゃんねーい!?アンタ達強いじゃなーい!?あちしびっくらこいたわ!!』


 サンジに代わってルフィが出た電伝虫ははっとした顔で向こう側の表情と声を伝えてくる。所属していた組織を潰されたというのに恨み言は一切なく、また敵意や害意はなさそうだが、どうにも意図が読めない。自分のことをMr.2と呼ばないように頼むオカマは、電波が海軍に捕まったら大変だからと言うが、まさにたった今自分で言った迂闊さに気づいてはいないようだ。ううん、これはどうにも、何というか、気が抜ける。
 ゾロが眉間にしわを寄せて用件を言えと鋭く促し、オカマは『あ…そうそう、アンタ達の船あちしがもらったから!』ととんでもないことを言って全員から「ふざけんな!!!」と当然の怒声を返された。


「やはりあのときしておくべきだった……?」


 殺意をみなぎらせながら絶対零度の眼差しで電伝虫の向こう側にいるだろうオカマを睨み据えるクオンの殺気が届いたか、『ヒェッ』と電伝虫が顔を青褪めさせる。


『この殺気、白い執事ちゃんね!?あっそれとも雪狗ちゃんって呼んだ方がよかった!?ワンちゃんも可愛いからあちし的にはアリだと思うんだけど』

「ふふふ、あなたがそんな生き急ぎ野郎だとは思いませんでした。今どちらに?すぐに参ります」

『ごめんなさいアンタ達の船の上だけどごめんなさい殺さないで!!!』


 にっこり笑顔で大きな青筋を浮かべる器用なクオンに即座に謝罪したオカマ曰く、本当にメリー号を奪うつもりはないとのこと。あちし達友達じゃナ~~~イ!?と笑いながら脂汗をにじませた必死な表情の電伝虫越しに『サンドラ河の上流にいるわ!!あっ執事ちゃんはひとりで来ないでね絶対麦わらちゃん達と一緒に来てちょうだい!!まだあちし死にたくないの!!!』と言い残して通話を切った。途端姦しい声が消え、ビビのすべすべほっぺをむにむにすることで苛立ちを抑えていたクオンが小さくため息をつく。そう言われずとも、ルフィ達はクオンの単独行動を許しはしない。


「……信用できるか?」

「一度は友達になったんだけどなー」


 この地で明確に敵として相対したオカマの言に乗るかどうか、胡乱げに眉を寄せたサンジが問いを投げれば、ルフィが微妙な顔で悩む。お前ならまたなれそうで怖ぇよとゾロが呆れ混じりに言い、アラバスタに着く前に意気投合して“友達”になった彼らを思い出したクオンも内心同意する。


「でも行くしかないぞ?」

「そうだな。船を取られてる。おれ達をハメようってんなら…そんときァぶちのめすまでだ」

「その際には私にお任せを。正確に心臓を貫いてやりますとも」

「きゅあはり」


 選択肢がないことを分かっているチョッパーに頷いて立ち上がりながらサンジが言い、クオンは輝く美しい笑顔で煌めく針をちらつかせ恐ろしいことをのたまい、ハリーは一歩間違えればやってくるオカマの末路に手を合わせた。
 そうと決まりゃさっさと支度だ、と動き出したゾロに続いて各々が荷物をまとめる。とはいっても着の身着のままアルバーナまでやって来たためにこの数日で買い揃えた僅かなものしかなく、準備はすぐに整った。
 神妙な顔で荷造りをする彼らを見つめるビビを膝に乗せたままクオンが「町の外にカルガモ部隊を待機させています、給仕長殿からいただいた食料などもそちらに用意していますので」と言えば、ルフィが「肉もか!?」と目を輝かせて、クオンはにっこりと笑って頷く。
 そういえばイガラムにカルガモ部隊の使用許可を取っていないが、ビビの執事と認識しているクオンの頼みに彼らは快く頷いてくれたので構わないだろう。事後ビビが許可したという体裁であればイガラムも何も言えまい。


「ねぇ、みんな」


 ふいにビビが身を固くして声を発し、全員がビビの方を振り返る。クオンは静かに微笑んだまま彼女の言葉を待った。


「……ねぇ、みんな…私……どうしたらいい……?」


 膝を固く握り締めて俯き、アラバスタの民を心から想う王女の葛藤が頼りなく震える声としてもれる。仲間と共に行きたいと思い、けれど民を置いてもいけないとも思うビビの内心を読んで真っ先に声をかけたのは、ナミだった。


「よく聞いてビビ。『12時間』猶予をあげる。私達はサンドラ河で船を奪い返したら、明日の昼12時ちょうど!“東の港”に一度・・だけ・・船を寄せる!おそらく停泊はできないわ」


 12時、と音なくビビの唇がリミットを紡ぐ。時間に追われてばかりですねと、ふいにクオンはそんなことを思った。


「あんたがもし…私達と旅を続けたいのなら、その一瞬だけが船に乗るチャンス!!そのときは…歓迎するわ!海賊だけどね」


 に、と不敵に、海賊らしく笑うナミを見て、クオンはぽんとビビの背中を叩いた。はっとしたビビが振り返る。やわらかな微笑みを浮かべたクオンがビビを横に降ろして立ち上がり、右肩に乗ったハリーが黒いつぶらな瞳でビビを見下ろした。
 迷うビビに、クオンは何も言葉をかけることはない。共にとは言わない。ここで待っていてとも言わない。クオンがひとり迷いながら選んだように、自分の往く道を選ぶのもまた、ビビ自身でなければならないからだ。

 海賊らしく部屋の窓からこっそり外に出ようとする彼らの輪の中に入るために足を踏み出したクオンの白い背を、ビビはじっと見つめる。
 ずっと見つめていた背だった。6年前のあのときから、ずっとずっと目で追っていた白い背中だった。
 1年前に再会してからは、あのときよりずっと近くに寄り添ってくれた白い人。愛するほどに愛してくれた美しい人。共にある未来を夢見ていたビビはしかし、その未来があくまで“夢”であることも、きちんと理解していた。
 けれど今、その“夢”が現実になる道が目の前に示されている。海賊になれば。彼らと共に行けば。
 クオンのことを抜きにしたとしてもきっと深く迷うことになっただろう麦わらの一味との別離は、胸を抉られるような寂しさがある。彼らとまだ共にいたいという思いは間違いなく本物だった。


(でも、私は王女だわ)


 アラバスタ王国の、たったひとりの王女。代わりのいない、替えの利かない、いずれ父である王に代わって民を導かねばならない存在。
 王女として生まれ、王女として育ち、王女として生きてきて、海賊になる未来なんて考えたこともなかった。ましてやその選択が自分次第だと、過去の自分が聞いてもそんなバカなことはないと一笑に付しただろう。


「君は一国の王女だから、これがおれ達の精一杯の勧誘だ」

「来いよビビ!!絶対来い今来い!!」

「やめろってルフィ!」


 サンジが笑い、ルフィが身を乗り出して勧誘し、それをウソップが慌てて止める。真っ直ぐにビビを見て強い瞳で誘うルフィを見返し、ビビは笑みを浮かべた。
 その力強い声に何度励まされたことだろう。何も迷うことなく頷けたらよかったけれど、サンジが言う通り、やはり自分はこの国の王女なのだ。責任ある地位にいる者として安易に頷くようなことはできなかった。けれど向けられたあたたかな心が嬉しい。

 クオンの鈍色の瞳がビビを振り返る。甘く優しい、けれどそこには、クオン自身ですら気づいていない静けさがある。見極めるような透明な瞳がビビを見ていた。だがそれに、ビビは今更怯えることはない。ビビがどんな選択をしたとしても、その透明さはすぐに消えてやわらかくほころぶだろう。それが確信できるほどに甘やかされて愛されていると自覚している。だから本当に、あとは自分次第なのだ。


「何だよお前ら来てほしくないのか!?」

「そういうんじゃねぇだろ、ビビが決めることなんだ!」


 ウソップにぴしゃりと言われても不満そうなルフィだが、一応アラバスタの王女という点を自分なりに考慮しているのか無理やり宮殿から連れ出そうとはしない。チョッパーのときの強引さもないのは、ビビの迷いを感じ取っているからだ。一緒に海に出たいとわがままは口にするがビビの意思を尊重するその姿勢は大変に好ましい。クオンは麦わら帽子越しにルフィの頭をぽんと撫でて目を細めた。


「行きましょう、ルフィ」

「……分かった」


 たとえどれだけ言葉を重ねても、決めるのはビビの心ひとつ。
 渋々頷いたルフィが先に窓の外に垂らしたロープを伝って降りていき、サンジ、ナミ、ウソップ、ゾロ、チョッパーと続いて、ひとり残ったクオンはビビを振り返った。
 形の良い唇は何の言葉も紡ぎはしない。自分のひと声がビビの決め手とならないように。どの道を選ぶのかはビビの自由であり、彼女の権利であり、そして義務だ。
 だからクオンは心からの笑みだけをビビに向けた。これが確かな別離だと、分かっていて。
 ビビは、王女は、民を置いて海に出ることなどできはしない。それができるのなら、イガラムと共にバロックワークスに潜入することなどできはしなかった。心に楔ともいうべき芯を持った王女がしかし、万が一海賊になる道を選んだのなら。


(それはそれで、きっと楽しい日々になる)


 万が一もないことを分かっていて夢見るように内心嘯いたクオンは、彼女と違う道を往くため、被り物を被るとひらりと窓の外へと身を躍らせた。


「「「飛び降りるなバカ───!!!」」」

「あっはっはっはっは」

「おお、ゾロナイスキャッチ!」

「いやこいつおれ目掛けて落ちてきたぞ」

「ゾロ、そのままクオン捕まえとけ!行くぞてめぇら!」


 最後まで賑やかな声が離れていくのを聞きながら、ビビは小さく微笑み、「……クオンの浮気者」と寂しげな声でなじった。






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