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「
クオン、ねぇ
クオン」
「はい、どうされました、ナミ」
「よーっし
クオン!おれの名を呼んでみろ!!」
「ええ、喜んで、ウソップ」
「おれは!?おれは!?
クオン!」
「チョッパー、ふふ、そう慌てなくとも逃げはしませんよ」
「……」
「そうじっと見られては穴があきそうですね、サンジ」
穏やかに微笑みひとりひとり仲間の名前を紡ぐ
クオンはナミに腕に抱きつかれながらチョッパーを反対の腕で抱き上げ、静かに傍観していたゾロに甘く目を細めると男の名をやわらかく紡ぐ。
「ゾロ。言ったでしょう、私は逃げませんと」
煌めく鈍色の瞳に不敵さをにじませて真っ直ぐに自分を見つめる
クオンに、ゾロは目を瞬かせ、薄く笑みの形に唇を吊り上げると鼻を鳴らして笑った。
† 宮殿 10 †
「さて、皆様にはもうひとつ、お伝えしたいことがあります」
ナミをやんわりと離してチョッパーを降ろしそう切り出した
クオンにウソップが首を傾げる。不思議そうに瞬く彼らをぐるりと見た
クオンは笑って「私の悪魔の実の能力についてですが」と続けた。
持っていた被り物をよく見えるように掲げ、両手を離す。当然被り物は重力に従って床に落ちる─── はずが、被り物は
クオンの両手の間で微動だにせず動きを止めていた。え!?とチョッパーが驚きの声を上げ、
クオンは気にすることなく片手を被り物に乗せると、被り物は今度こそ重力に従って落ち、しかし床につく前に動きを止めると今度は滑るように真上へ昇っていき、
クオンの開いた手の平に頭頂部をつけた。
「改めまして、私は“ヒキヒキの実”を食べました、“引力自在人間”です。文字通り物体にかかる引力、そして反対の力─── 斥力を自在に操ることを可能とします」
「ってことは……ものを引き寄せたり、逆に離したりすることができるってことか?」
「ええ。流石はサンジ、理解が早くて助かります」
分かりやすく噛み砕いてくれたサンジに
クオンがにっこりと笑いかける。美しい微笑みを真っ直ぐに向けられて息を詰めたサンジをよそに、「じゃあ、時計台のとこで落ちてきたおれ達を助けてくれたのもその力か」とウソップに答え合わせを求められた
クオンは隠すことなく頷いた。へぇと興味深げに声をもらしたウソップがまじまじと宙に浮く被り物を見つめる。
「なんつーか、超能力みたいな
能力だな」
「基本的にはそのような使い方をしていますからね。応用が利きますし、便利ですよ、色々と」
何でも動かせると思われそうだが、もちろんできないことは多くある。山や島そのものなど地続きのものはできず、また大きすぎるものや距離がありすぎるものを動かすには力が足りないことがある。他にも風や炎、雷など、形、あるいは質量のないものにもこの能力は使えない。ちなみに雨を弾くことは可能で、雲自体は不可能とは言わないが、地上の自分と空の雲は距離が遠すぎて力が及ばないことが多い上に使う意味が見出せず実行したことはない。
クオンの能力が及ぶ範囲は基本的に自身を基点としてかかる引力と斥力の強弱の調整であり、自分以外のものを基点とすることは可能だが、代わりに負担が大きい。
「便利な能力ですが、反動が少々過ぎることが難点でしょうか」
「反動?」
能力者であることを明かしてから今まで秘匿してきた能力を明かしていく
クオンの口はつらつらと淀みなく言葉を滑らせていく。
美しい微笑みに翳りはひとつもなく、被り物にかけた能力を解いて右腕に抱え今度は左手を軽く掲げる。
斥力、オン。形の良い唇が涼やかに紡いだ。
「たとえば、こういうこともできますが」
「おわっ!?」
「きゃ!?」
「おー!?浮いた!?」
「すげぇ!!」
クオンが能力を展開すると同時、その場にいる全員の足が床から離れた。突然のことに驚いたサンジとナミが短く声を上げるのを聞いてふふふと笑みをこぼす
クオンの足も同様で、しかし浮遊感はない。腰ほどの高さに見えない床があるような抵抗感が足下にはあった。
最初は驚いた面々も落ち着けば感心しきり、特にルフィやウソップ、チョッパーは楽しそうに目を輝かせた。あくまで引力と斥力を操作し宙に浮いた状態を維持しているだけなので手足を動かすことはできても移動はできず、その不思議さが尚のこと面白いようできゃっきゃとはしゃいでいる。
クオンもやわらかな笑みを深め、
ボギャ
鈍く、重い音がした。
「─── え?」
はしゃいでいた賑やかな空気が嫌な音が響くと同時に一転して凍りつく。医者であるチョッパーが、その音がひとの体内で起こった音だと耳聡く察して目を見開き、ぼとりと床に
クオンが抱えていたはずの被り物が落ちて、愛嬌があるようで間の抜けた顔を俯かせた。
被り物を抱えていた白い右腕が体の横で力なく垂れるのを気にすることなく
クオンは浮かべた笑みにほんの微かな苦みをにじませて左手を下ろした。音もなく全員が床に足をつける。異音の元である
クオンの右腕─── 正確に言えばハリーが乗る右肩に集まる視線に応えるように
クオンが口を開く。
「右肩が脱臼しました。右脚も折れる一歩手前、くらいでしょうか」
「は!?」
驚く仲間達の中でただひとり、表情を変えず静かな眼差しで見つめてくるゾロと目を合わせた
クオンは困ったように笑って左手を右肩に伸ばした。慌てて駆け寄るチョッパーが止める前に、慣れた様子で外れた右肩をはめ直す。大丈夫ですよとチョッパーの帽子を右手で撫でた。
「能力を使うたび私の肉体が損傷していきます。塞がったはずの傷は再び開き、折れた骨は砕け、内臓がねじれて破れる、そんな反動です」
そしてそれは、能力を使う際に自身が基点でない場合ほど大きく、負った怪我はさらに深いものとなる。あまりに過ぎた使用は間違いなく
クオンの命を削るだろう。
「このデメリットは黙っておくことも考えましたが……それはたぶん、悪い結果にしかならないと判断しました」
口を噤んでいても航海が続けばいずれ隠しきれずに明らかになる。事実、既にゾロは
クオンの能力がもたらす負荷に勘付いており、ゆえに時計台から落ちてくるゾロを
クオンが能力で受けとめることを拒んだ。
あとでバレたときの方が烈火の如く怒り狂うだろうことは容易に想像がついて、だから今ここで明かしたのだ。
「……能力の効果の割に…負荷がでかすぎねぇか…」
衝撃の事実に、そしてそれを今まで黙って悪魔の実の能力を使い続けてきた
クオンに苦虫を噛み潰したような顔でサンジが唸る。一応診せてみろと言うチョッパーに従って近くのベッドに腰を下ろした
クオンに思い切り眉を寄せ、ウソップが「能力者ってのはそういうもんなのか?ルフィ、チョッパー」と能力者の仲間に顔を向ければ、2人は首を横に振った。使うほど疲労がたまり動けなくなることはあるが、能力自体が肉体を削るようなことはない、と。
神妙な空気の中でただひとり、肩と足をチョッパーに診られながら
クオンはからりと笑う。
「そう心配せずとも大丈夫です。どの程度の使用でどのくらいの反動が来るのかはきちんと把握していますので」
「ひと通り試したからか?」
すぐさま飛んできた鋭い指摘に、
クオンの笑みが固まる。ちらりと鈍色の瞳を向ければ、転がっていた被り物を拾ったゾロと目が合った。誤魔化すこともできず頷いた
クオンにぷるぷると肩を震わせたナミが三角に目を吊り上げる。
「
クオン!あんたねぇ!!何でそういつもギリギリで生きようとしてんのよ!?」
「いえ、むしろ生きるために限界を見極めようとですね…」
「黙らっしゃい!!」
「えぇ……」
勢いよく詰め寄りぐいぐいと指で頬を押してくるナミに理不尽なと思う
クオンだが、ここで反論しては10倍になって返ってきそうな気がするので口を噤む。それに、怒りの表情の下にある心配と不安に気づけないほど鈍くはない。能力の使用制限はできないナミの精一杯の懇願が、「あんまり無茶するんじゃないわよ……」という小さな呟きとしてこぼれ出て、
クオンは頷かず静かに微笑むだけだった。
そんな
クオンに、そろそろ
クオンの性格がよく分かってきたナミは大きくため息をつく。たとえどれだけ苦言を呈そうと心配の言葉を重ねようと、
クオンは必要なときに能力を使うことを躊躇しない。そりゃビビもああなるはずだわと
クオンの生存と帰還を何よりも強く願っていたビビを思い出して今更深く納得してしまった。
(たぶん、私も同じようになるんでしょうね)
内心呟いたナミは、それを厭うことなく受け入れる自分がすぐにやってくることも理解していた。むしろ既に手遅れかもしれないとも。
「いいか
クオン、脚は確かに折れてねぇけどひび入ってるんだから治るまで暫く安静にしてろよ!?」
「もちろんです、無意味に怪我を負う趣味などありませんし」
「……ゾロ!」
「あっ、これは何一つ信用されてないやつですね」
「せめて国を出るまで大人しくしてろてめぇは」
心の底から湧く呆れを隠しもせず眉間に深いしわを刻んだゾロが
クオンの膝に被り物を落として白い頭をぐるんぐるんと掻き回す。被り物が落ちないよう右手で押さえ左手はささやかな狼藉を働くゾロの手を止めようとするが、男の手は構わず動き続け、さらに雪色の髪をぼさぼさにして解放した。
ひどい目に遭いました、と恨みがましげにゾロを見上げてぼやきながら乱れた髪を手櫛で梳く
クオンを見下ろし、自業自得よとナミが苦笑して白い頭を撫でる。指通りが滑らかで枝毛ひとつない艶やかな短い髪はやわらかくさらさらで、端的に言って触り心地が最高だった。
「
クオン、お前って実は世話の焼ける奴だったんだな」
一連の流れを黙って見ていたルフィがおもむろにどこかしみじみと感慨深く言い、次の瞬間「お前が言うな!」と
クオン以外の全員の声が揃った。
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