144





 ガチャ、と大部屋の扉を開けて中に入ったゾロはベッドの上にあぐらをかいて座るルフィに気づき、「……おお、ルフィ起きたのか」と声をかけ、続いてゾロの横に並ぶクオンが「おはようございます、船長殿」と被り物越しに朗らかな挨拶を述べれば、ルフィは軽快に手を挙げて応えた。


「ああゾロ、クオン久しぶり!!」


 言って、久しぶり?と自分の発言に首を傾げる。本人的には然程時間が経っていないのだろうが、ルフィは3日間も眠っていたのだ、そういう気分になるのも仕方がない。不思議そうに首を傾げたままゾロとクオンを見つめるルフィは、ふと目を瞬いて口を開いた。


「何で手ぇ繋いでんだ?お前ら」

「あ?」

「おや、忘れてました」


 ルフィの視線の先、ゾロとクオンのがっちり繋がれた手に全員の視線が突き刺さった。






† 宮殿 8 †





 クオンの浮気者ぉおおおお!!!!!という盛大な涙混じりの悲鳴が宮殿内に轟く。宮殿に住まう者にとっては突如として上がった王女の叫びにぎょっと目を剥いたが麦わらの一味にとってはいつものことで、クオンはするりと繋がれた手を離すと瞬時に飛びついてきたビビを正面から受けとめてコアラよろしくクオンの肩口に顔を埋めて抱きつくビビを危なげなく抱き上げた。
 その抱き方が先程自分がされた抱き方と同じであることに気づいたゾロが顔を苦くしてうなじを掻く。と、こちらにはすぐさま船医が飛んできてまたトレーニングしてきたんじゃないだろうな!?と詰め寄られ、何だよおれの勝手だろと返せば、ダメだったらダメだ!!おれは船医だぞ!!!ともっともな言葉が返ってきた。
 包帯も取るな!と続けて医者として咎めるチョッパーに動きにくいだろアレと悪びれる様子もないゾロに動くなよ!!とチョッパーがツッコみ、それはそう、と2人の会話を聞きながら内心呟いたクオンだがゾロを止めるつもりは一切なかったのでお口チャックだ。


クオン、ゾロと一緒にいたんだろ!?止めろよ~!!」

「おやおやおやおや、そうですね善処します」

「それ止める気ねぇやつだろ!!」


 ゾロの服を引っ張りながらぐるんとこちらを向いたチョッパーに矛先が向けられ、しれっと答えれば船医が頭を抱えてしまった。これからも苦労しそうな船医を内心いたわるクオンを、肩の上に乗ったハリーがものすごく物言いたげな目で見たがクオンはまるっと無視をした。

 ビビを抱えたままルフィのベッドの横に置かれたイスに腰掛け、膝の上に座らせる。ルフィはいまだ「久しぶり???」と自分の違和感に首を傾げていて、それにウソップが「ま、そういう気分にもなるだろうなぁ」と呟いた。
 そしてルフィが3日は寝ていたのだと教えれば、3日も寝てたのかとルフィは驚き、


「15食も食い損ねてる」


 数秒の沈黙ののち導き出した計算結果に「何でそういう計算早いのあんた」とナミが呆れ、「しかも一日5食計算だ」とウソップがさらにツッコミを入れる。クオンは被り物の下でふふふと笑みをこぼした。ビビもクオンに抱きついたままいつもと変わらないルフィに笑みを浮かべ、食事ならいつでもとれるように言ってあるから平気よと告げる。

 そして間を置かず大部屋にやってきた、明らかに女性なイガラムそっくりの人物に、イガラムの生存を知らなかったルフィが驚いたりテラコッタを初めて見たゾロがイガラムに本物の女装趣味があるのではと慄いたりとにわかにざわついたが、クオンの膝から慌てて降りたビビが彼女の横に立って彼女がイガラムの妻であり宮殿の「給仕長」であるテラコッタであると紹介して何とかゾロの疑惑は晴れた。それでも「似た者夫婦にもほどがあるぞ」と呆れていたが。

 テラコッタの紹介を終えて戻ってきたビビに膝を叩いてみせれば、嬉しそうに破顔したビビがクオンの膝に乗って首に腕を回して抱きつく。ぽんぽんと優しく背中を叩いて撫でるクオンクオンに懐くビビをやわらかくあたたかな、けれど少しだけ寂しそうな、そんな複雑な眼差しで見ていたテラコッタは、しかし瞬きひとつで瞳に浮かぶ感情を散らすとルフィの方を向いた。
 あと30分で夕食だが、それまでつなぎに果物でもつまんでてくれるかと言い、一緒に部屋に入ってきた給仕係に果物を大量に乗せたワゴンをルフィのベッドの近くに運ばせる。
 分かった、と頷いたルフィは瞬間そのすべてを腹におさめ、目にもとまらぬ早業に「手品かよ!!!」とゾロとサンジの声が揃う。クオンが思わず感心して拍手をしてしまうほどの、瞬く間もない早食いだった。


「おばちゃん、おれは3日分食うぞ!!」

「望むところだよ!給仕ひと筋30年、若造の胃袋なんかにゃ負けやしないから存分にお食べ!!!」


 意気込むルフィに腕を曲げ力こぶを示して応えるテラコッタは、王と長く行方知れずとなっていた護衛隊長を交えた会食にて、宣言通り絶え間なく食事を運び入れてくれた。

 広い大食堂はシンプルながら気品のある造りをしており、隅々まで手入れされているのが判る。壁際に配された兵はこの国を救ってくれた海賊達を物珍しそうに眺め、食事のため被り物を外したクオンの美貌に見惚れて何人かが形式上携えていた武器を落としたが、クオンの顔の良さを知っている麦わらの一味はスルーした。
 一応は王女の執事として給仕を手伝うべきかと席に着くのを迷ったクオンを問答無用で座らせたのはゾロで、コブラとは対面に座るビビの右手側にクオンが、その隣にゾロ、その隣にはウソップ、そして反対側にはコブラ側からルフィ、ナミ、サンジ、チョッパーがそれぞれ腰掛けた。

 中央に据えられた長方形のテーブルは長辺に5人が座ってもまだゆとりがある。コブラの挨拶もそこそこに白いクロスをかけられたテーブルには色とりどりの豪勢な料理が隙間なく置かれ、待ちきれなくなったルフィが早速手を伸ばしたことで騒々しい会食は始まった。

 手掴みで料理を手に次々と口に入れ、まさしく貪るという表現が正しいルフィの様子に、壁に居並ぶ兵達は気品のかけらもないとどよめき眉を寄せる。伝統的な大食堂での会食はもっと静かなものであるはず、と誰かのぼやきがこぼれたが、凄まじい食いっぷりを見つめる兵達を大食堂に料理を運び入れる給仕係が「ほら、どいたどいた邪魔だよ!」とすげなくあしらった。
 並ぶ料理は普通なら食べきれないほどだが、ことルフィが席に着いているとなれば明らかに足りない。事実縦横無尽に手を伸ばして次々と口に突っ込んでいくルフィは瞬く間に皿を空にしていき、追いつかないのではと思わされるほどだ。
 ルフィが自分どころか仲間の皿にのっている料理も構わず手を伸ばし、料理を取られてウソップがイスから立ち上がって怒鳴り、やべっ!と言いたかったのだろうが料理が口に詰まっているせいで「んが!!」と鈍い呻きと共に食べこぼしが口から飛び、ルフィの隣に座ったナミに青筋立てて「飛ばすな!」と殴られた。ぎゃーぎゃわーわーと、まったくもって騒々しい、賑やかな会食だが、およそ経験したことのないそれにコブラとイガラムは楽しそうに笑っている。

 クオンは自分の皿に少量盛った食事をつつきながらちらちらと仲間の様子を窺った。正確にはテーブルの上、あいた皿や水が入ったグラスを。ルフィの食べこぼしは拭ってやりたいし、あいた皿は片付けて慌ただしい給仕を手伝いたい、中身が減ったグラスには水を入れて、姫様にもあちらの料理を取り分けて、と無意識にシミュレートしてしまうのは、もはや執事としての癖だった。ルフィに取られないよう慌てて食べるチョッパーに別の料理が盛られた皿を差し出すビビはあまり食事の手が進んでいない様子だが、量はあるからと慌てることなく賑やかな食事を楽しんでいるようだからいいのか。


クオン、おら食え」

「もぎゅ」


 食事から意識が逸れているのを見抜かれたようで、つい手を止めたクオンの口に横から肉が突っ込まれた。ゾロは無言で咀嚼しながら振り向いたクオンに「早く食え、なくなっちまう」と言い、自分もフォークに料理を刺して口に入れようとしたところで、斜め向かいから伸びてきたゴムの手に掻っ攫われてガチンと空気を噛んだ。眦を吊り上げたゾロがルフィを睨んで舌打ちする。クオンは思わず噴き出すとくすくすと笑みをこぼしながら自分の皿に乗った肉をフォークで刺して差し出した。


「ふふ、どうぞ、剣士殿。お返しです」

「ん」


 躊躇うことなくゾロが差し出された肉を口に入れる。おいしいですね、と笑えばゾロが頷いて、白皙の美貌をゆるめたクオンのやわらかな微笑みを見てしまったがゆえにまた数人兵士が倒れたが2人は気にもとめなかった。視界の外ではウソップが仕掛けたらしいタバスコを大量にかけた料理を口に入れたルフィが驚いて火を噴いていたが、まぁこちらも些細なことだろう。


「ゴア!ゴアゴア!」

「おやウズマキ、あなたいつの間に」


 功労者のひとりでもある、国に害鳥認定されているはずのワルサギも招かれていることに王の器の広さに改めて感嘆しつつ、ついでにちゃっかりラクダのマツゲもいることにも気づく。だがすぐに器用に大皿を持って差し出すウズマキに視線を落とし、どうやらおいしいからと勧めてくれているらしいことを察して「ありがとうございます」と礼を言って皿に盛られた料理を少しもらった。首のあたりをくすぐられて満足げに頷いたウズマキが席に戻っていく。ちなみに相棒のハリーはテーブルの上で無心で料理を貪り食っていたりするが、クオンは微笑ましげに眺めるだけだ。

 麦わらの一味もクオンも各々好きに食事を楽しみ、喉の渇きを覚えたクオンは傍らのグラスに手を伸ばした。はて、これは自分のものだったかと考えたのは一瞬で、間違ってもゾロのだから別にいいかとそのままぐいと一気に呷り───


「バッ!クオンそりゃ酒だ!!!」

「へあ?んふふふふふふふふ」


 アルコールに即落ち二コマしたクオンはへにゃんと相好を崩した。
 どうやらゾロは度数の高い酒を割らずにストレートで頼んでいたようで、酒を飲んだクオンに気づいたゾロが慌ててすぐさまグラスを取り上げるが、コップ1杯を飲み干したクオンはアルコール耐性が低いため即座に酒精に呑まれてゆるんだ頬に赤みを差した。


「あっ!クオンまたお酒飲んで!!」

「姫様、あーん♡」

「あーん♡」


 こちらも目聡く気づいたビビがはっとして水に手を伸ばすが、ふわふわぽわぽわしたクオンに料理を差し出されて素直に口を開けて迎え入れた。


「やだ…クオンのあーん♡100倍おいしい…♡」


 こちらも即落ち二コマである。
 上機嫌ににこにこ笑うクオンが次々とビビに料理を食べさせる横で、ゾロは新しい酒を、今度は樽のジョッキで持ってくるよう頼んだ。それならクオンがまた間違えて飲むことはないだろう。たぶん。
 アラバスタ料理のレシピを聞くサンジ、ラクダと戯れながら食事をするウソップ、コブラと何やら話しているが食べながらなので話が通じないルフィ、ひたすらに舌鼓を打つナミ、届いた酒を呷って追加を頼むゾロ、食事を喉に詰まらせたチョッパーに今度はサンジが水を頼んで、クオンは美しい顔を蕩けさせてビビに給餌しビビはうっとりと受け入れている。時折「うっ、顔が良い…!」と呻き、頬がくっつくほど至近距離で囁くクオンに王女が出してはいけない声を上げて胸を押さえ崩れ落ちた。


クオン、水飲めそれ以上やるとビビが死ぬぞ」

「ほ…本望だわ…」

「まるでダメな王女じゃねぇか」

「りゃくしてマダオ?」

「いいから水飲め」


 しかたないですねぇと鷹揚に押しつけられた水を受け取ったクオンは水で満たされたグラスを矯めつ眇めつ、そっとテーブルに置いた。代わりに樽のジョッキに伸ばした手をゾロが掴んで眉を吊り上げる。


「水飲めっつってんだろうが!」

「きぶんじゃないので!!」

「わがまま言うなてめぇ!」

「ひめさま!けんしどのがいじめる!!」

「はーわがままなクオン可愛すぎてたまらん宝物庫で一生保管しなきゃ……」

「ほんっとダメな主従だなお前ら」


 もはや人格が違うのではと思うほどのクオンと口調が変わっていっそ悟りの境地に入っているビビに呆れ返って二の句が継げないゾロは、ぶんぶんと手を振って逃れようと足掻くクオンを見下ろして目を眇めた。
 前回ひどく酔っ払ったときはドラム島を出てすぐのときだったが、あのときはこれほどひどい酔い方はしなかった。量はあのときの方が多いが、今回これほどまでにひどいのは度数の違いか、それとも─── 甘えか。
 時を重ねるごとに執事としての顔が剥がれ、隠し通してきていた素が出ている。寝ぼけても酔っ払っても面倒くさいクオンを許容し続けてきた結果だと分かっているゾロは深いため息をつき、皮を剥かれてきれいに切られた果実を手に取るとクオンの口に突っ込んだ。きょとんと鈍色の瞳が瞬き、すぐに口を動かしてもぐもぐと咀嚼する。唇からこぼれた果汁を赤い舌が舐め取った。


「おかわり」

「はぁ……」


 なるべく水分の多い果実を選んで口に突っ込みながらゾロも酒を口にする。なんでこの程度で酔っ払うのか、酒豪のゾロにはさっぱり分からないが、それがクオンなのだからもう仕方がなかった。
 そろりと反対側から伸びてきた細い指につままれた果実をクオンが口にすれば、今までは執事として滅多に受け入れてこなかったクオンに食べさせることに成功したビビが感極まって震える。だがぱちんと瞬き「姫様?」と鈍色の瞳が理性を戻しかけるのを見るやすぐさまビビがゾロの酒をひったくってクオンに飲ませ、


「おれの酒!?」

「へにゃほわ」


 ゾロの叫びが芯のない気の抜けたクオンの声を掻き消した。


「ふー……危なかったわ」

「危ねぇのはてめぇだ!!」

「けんしどのがーひとーりふたーりさんにん……さんのつぎは…はち…?」

「はいクオン、あーん」

「あーん……?」


 容赦なくクオンを潰しかけたビビが満面の笑みで果実を差し出す。クオンは促されるまま口を開け、閉じ、咀嚼し、ふにゃりと笑ってビビを沈めた。同時に流れ弾を食らい心臓を撃ち抜かれた兵士が倒れたが気にすることなくゾロが水の入ったグラスを渡せば、今度は拒否することなく素直に飲む。よしよしそのまま大人しくしておけと願ったゾロは、腹をそれなりに満たしてからは酒にひたすら手を伸ばした。

 言われるがまま水を飲んでいたクオンはコップから口を離してじいとゾロを見つめる。見つめる。見つめる。見つめる。「クオン!私の方も見て!!」にこー。「すき」ゾロを見る。見て、首を傾げた。水を飲んで戻ってきた理性の欠片が鈍色の瞳に浮かぶが、それは不規則にゆらゆらと揺れて頼りない。


「そんなにお酒ばかりではいけません。すきっぱらは悪酔いしますからね、おつまみをたべて、ときどきは水をのまなければ。まったくしょうがない方ですね、せわの焼ける」


 困ったように笑いながらも目は据わっているという大変に器用な表情でクオンは右手でフォークを取ると近くの皿に盛られた料理を刺した。アラバスタ特有のスパイスが使われた揚げた肉をずいとゾロの口に寄せる。水もですよ、とほわほわ微笑むクオンの左手にはおしぼりが握られていて、肉を拒否すれば問答無用でおしぼりが口にねじ込まれることを察したゾロは内心で頭を抱えつつ差し出された肉に齧りついた。もぎゅもぎゅと咀嚼すればクオンの眦がゆるみ、そのあどけない笑みを肴に酒を呷る。
 クオンがにこにこと笑って次のつまみをフォークで丁寧に刺して差し出すのを半眼で見たゾロは重いため息をつくとぐいぐいずいずい力ずくでも食べさせようとしてくるクオンになされるがまま口を開きつつ酒を飲み、お返しとばかりに水分量の多そうな果実をつまんでクオンの口に突っ込んだ。






  top