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「剣士殿、そちらは海兵がいますのでこっちを行きましょう」

「何で分かるんだ?」

「ウズマキが上から見てくれているので」

「……ああ、成程な」

「少し遠回りになりますが、この先を右に曲がって、突き当たりを左に行けば宮前広場に繋がる道に出るはずです」

「分かった」

「それにしても、やはりこの国の民は逞しい方々ばかりですね。数日前までこの町で戦争をしていたというのに、既にいくらか修復が終わって……剣士殿?えっ、剣士殿はどこに?」

「はりっ!?」

「ウズマキ!!剣士殿を捜してください!」

「ゴアー!!ゴアゴア!!」

「きゅあはりーぃ!」

「後ろ!?ということは左に行ったのです!?私は右と言ったはずですが!?もしや彼の身に何か…!?」

「はりきゅい」

「えっ、ただの迷子???」






† 宮殿 7 †





 正しい道から回れ右をして真後ろを駆けたクオンは、幸いか然程走らず小首を傾げている剣士を見つけた。


「あ?クオンどこに行きやがった?」

「あなたがどこに行っているのです!?」

「お、クオン


 呑気に振り返ったゾロはいつの間に後ろにいたんだと言わんばかりで、まるでクオンの方が道を間違えたような態度に思わず言葉を失う。そんなクオンを置いて「もうはぐれんなよ、じゃあ行くぞ」と路地を曲がって行こうとするゾロに無自覚な方向音痴を察したクオンは被り物の下で目を眇めると静かに右手を掲げた。


引力シンパ

「うぉ!?」


 強制的に動きを止められたゾロの体が後ろに、正確にはクオンの方へと引き寄せられていく。悪魔の実の能力を使われたことを悟って何すんだと眉間にしわを寄せるゾロの手をクオンは問答無用で強く握り締めた。にっこりと満面の笑みを浮かべたクオンの表情は被り物のせいで見えないはずだが、抗い難い圧力をもった笑みを幻視したゾロが頬を引き攣らせる。


「一緒に、宮殿まで、戻りましょうか、剣士殿」

「……おう」


 男の頷きを受けて、クオンはゾロの手を握ったまま踵を返した。回れ右、180度身を翻して真逆の方向へと足を進める。ゾロは大人しく手を繋がれたままついてくる。
 宮殿までの正しい道を並んで歩きながら、時折あらぬ方向へ体を向けようとするゾロの手を引っ張って都度軌道修正するクオンはゾロの意外な欠点に呆れを通り越して感心してしまう。ハリーはやれやれと肩をすくめているからきっと早々に気づいていたのだろう。自分は何で気づかなかったのかと思うが、共に行動するときは大体が気を失っていたからだと思い至ってそっと目を逸らす。
 そういえば、ユバの町でも確かゾロは見当違いな方向へ行こうとしていたが、そのときは浮かれていて気づかなかった。いや待て、療養期間に立ち寄ったあの島の本屋でもチョッパーを追おうとして別方向に曲がろうとしていたことも思い出して、どうやらそのときから兆候はあったらしい。気にするほどでもないかと軽く流してしまったツケがここにくると誰が思うだろうか。まったく世話の焼ける男である。そしてハリーがゾロをひとりにしないようクオンを引き止めた意味が分かったクオンは無言でハリーを撫で回した。グッジョブ。流石は私の相棒。


「と、剣士殿ストップ」


 宮前広場へ出ようとしたクオンはゾロと繋いだ手を引いて足を止めた。路地の影からこっそりと被り物の上にマントのフードを被った顔を出して窺えば、宮前広場にたむろする多くの海兵の姿に眉を寄せる。クオンの頭の上から同じように宮前広場を覗き込んだゾロが「海兵か…多いな」と呟く。
 海賊麦わらの一味が宮殿に匿われていることは海軍にも分かっているはずだ。それでも無理やり踏み込まないのは海賊に大きな借りができてしまっていることと、宮殿へ続く唯一の階段の前で仁王立ちして海兵の行く手を阻むペルとチャカの姿のせいだろう。
 王国きっての戦士2人を相手にするのに雑兵では分が悪い。将校クラスがこの場にいないということは、一応彼らの上司は宮殿にいる間は知らないふりをするつもりなのだろうが。そういえば、スモーカーはどうしたのだろう。ふと葉巻を咥えた男が気になったが、まぁ今は考える必要はないかと思考を流した。


「できるだけ穏便に突破したいですね」

「見つかりゃタダじゃすまなさそうだぞ」

「では見つからなければいいのです」


 クオンが呟くと同時にウズマキが頭上で鳴き、嘴で海兵が少ない場所を示す。それに従って路地を引っ込んで裏道を行き、クオンとゾロは宮殿の西側へと辿り着いた。目の前に聳える壁を見上げてゾロが首を傾げる。


「で、これをどうやって登るんだ?時計台のときみたいには登れねぇぞ。お前ひとりなら行けるんだろうが」

「何を言っているのですか。一緒に登るに決まっているでしょう」

「は?」

「舌を噛みますから、口をしっかり閉じていてくださいね」

「は───!?」


 言うが早いか、クオンは繋いでいた手を離すとひょいとゾロの体を抱え上げた。まるで重さを感じない様子でガタイの良い男ひとりを軽々と持ち上げ、まさか抱えられるとは思わず驚愕し目を見開くゾロに構うことなくクオンは地を蹴り、悪魔の実の能力を発動して垂直に伸びる宮殿の壁を顔色ひとつ変えずに駆け上がる。
 緑の男を抱えた白い痩躯は瞬く間に壁を乗り越え、芝生が敷き詰められた庭に降り立った。流れるように慣れた仕草で恭しくゾロを降ろせば瞬間被り物を取られてがしりと素顔を両手で掴まれ、男の固い手の平がつるつるもちもちほっぺをぐにぐにと揉み込む。


「ふ・ざ・け・ん・な、てめぇは…!」

にゃにをひゅるんでしゅか何をするんですか

「それはおれの台詞だ!」

「はりゃ…」


 可哀想に、とクオンの肩の上でハリーが小さくゾロに対する同情の声を上げるが2人には当然届かない。ゾロは眦をほのかに赤く染めて眉を吊り上げ、クオンのやわらかな頬をびいと左右に引っ張って「クソッ、もっと他に方法があっただろうが!」と悪態をつく。
 見た目ほど強い力は入っていないが多少の痛みはある攻撃にクオンが涙目で「いひゃいれす」と呻きゾロの腕を叩いて抗議し、文句を言い足りなさそうに目を据わらせたゾロは頬から手を離したかと思えば今度は雪色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。ぐるんぐるんと白い頭が回転する。


「一番穏便で確実な手段を取っただけじゃないですかぁ~~~」

「一番おれの羞恥を引き出す手段だったがなァ…!」

「ちゃんと誰もいないことを確認してから抱っこしたのに」

「抱っこ言うな」


 ぼさぼさに掻き回した頭をべしりと叩いて報復を終えたゾロが肺の空気をすべて吐き出すように深々とため息をつく。幸せ逃げますよ、と鳥の巣のようになった髪を手櫛で直しながら元凶のクオンが他意なく言い、イラッとしたゾロに無言でもちもちほっぺを餅をこねるようにうりうりされた。口が滑って追撃を受ける羽目になっているクオンを見やり、我が相棒ながらバカじゃないかと思ってしまったハリーである。
 そして、海兵が血眼になって捜している雪狗とあだ名されるクオンはともかく、たぶんゾロひとりなら海兵の間をすり抜け正面階段を通り抜けられたんだろうなと続けて思い、賢いハリーは全力で気づかなかったことにしたのだった。


「おれを抱えたのも能力か?」

「ええ、まぁ少しだけ。使わずとも男ひとりくらい抱えられますが、使った方が動きやすいので」

「便利な能力だな」

「重宝していますよ」


 羞恥は微かに残るが怒りをすぐに散らして自分が散々に乱した髪を存外丁寧な手つきで整えるゾロの問いに、クオンも頬にかかる髪を払いながら素直に答えた。白皙の美貌は散々いじり倒されつねられこねられたせいで両方の頬を中心に僅かに赤く染まっているが、それもすぐにおさまるだろう。

 被り物を被ったクオンは宮殿の上を旋回するウズマキに礼を言って再びゾロの手を取り歩き出す。麦わらの一味にあてがわれた大部屋に戻る道中、ゾロはその手を振り払うことはせずに大人しくクオンに引かれるままついていく。
 すれ違う宮殿の兵士と主にクオンが挨拶を交わし、大部屋の扉が見えてきたところで、ふいに快活な少年の声が轟いた。


「おや」


 被り物越しでも判るほどにクオンの語調が上がる。近くを通った兵士のひとりに船長が起きたことを伝え、クオンが足早に歩を進めようとすれば、ぐんと後ろから手を引かれてつんのめった。ゾロがクオンと繋いだままの手を引いて止めたのだ。振り返って目を瞬かせるクオンの手をゾロがもう一度引く。


「走るな。お前、足引きずってるだろうが」

「……よく見てますね」

「気づいたのはついさっきだ。街じゃ普通に歩いてただろ、壁登って悪化したか?」

「黙秘権を行使します」

「なら走るな。慌てなくてもルフィは逃げねぇよ」


 ぼすりと被り物の頭を軽く叩き、足を止めていたクオンを追い越したゾロが促すようにして手を引く。クオンはゾロに手を引かれるまま、今度は取り繕わずに能力の反動で痛んだ足を庇ってゆっくりと歩いた。
 ちらりと横目にゾロの横顔を見やる。不調はうまく隠せていたと思っていたのだがあっさりと看破されていて、もしかしたら自分が思っている以上に見られているのかもしれない。これでは隠し事のひとつもできやしないと思うが、思えばこの男はクオンが隠し取り繕っていることを既に何度も見抜いていたのだから今更か。


「少し、足が痛むだけです」


 だからクオンは正直に教え、ゾロと繋いでいた手に力をこめて己の支えとするために体重をかけた。鍛えられた男の体はその程度ではびくともせず、不満のひとつも上げることなく前を向いたまま歩く。その優しさがクオンの唇に笑みを描いた。
 麦わらの一味が集う大部屋まではあと少し。数分もかからない、その僅かな距離の間だけクオンは取り繕うことを一切やめてゾロに甘え、鈍痛を訴える足に深いため息をついて、伝わるぬくもりに目を細めた。






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