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 光の塊が爆発した。腹の奥底に響く重い音が町を押し潰し、衝撃の槌が容赦なく地上に振り下ろされる。
 背の高い建物の首を折り、町中の窓ガラスを割り、戦う者達を吹き飛ばして粉塵を巻き上げた。それでも巨大な爆発は直接人の命を奪うことはなく、衝撃の名残に空気を震わせながら静かに光を消していく。

 ビビは呆然と膝を折った。光に呑まれた執事はどこへ行ったのだろう。ビビの声を聞き届けたあのひとは。
 見開いた目で捜す。捜す。落ちる白を捜す。捜して、捜して、捜して。


「───、……、……!!クオン!!!


 見つけた。






† アルバーナ 11 †





 砲弾が爆発する直前、クオンの手によってひとりの男が地上に叩きつけられた。相当な衝撃だったが死ぬほどのものではなく、息を吸って身を起こす間もなく爆発が起こって蹲ったのは、王国最強の名声をもった、真っ白執事によって生きながらえたペルだった。

 誰もが呆然と空を見上げる。相棒の手によって地面に縫い留められていたはずの仲間が、気づけば空を飛ぶペルのもとにいて、彼を地上へ叩き落として砲弾を空へと打ち上げた。
 ─── それじゃあ、クオンは。ペルの代わりに爆発の光に呑まれたクオンはどうなったのか。
 最悪の想像が全員の頭によぎる。


「……?」


 コツン、と頭を叩いた何かにゾロは目を瞬き、次いでぱらぱらと降ってくる細かい欠片を手の平で受けとめる。それは時計台前にのみ降り注ぎ、「なに、これ?」とナミが訝しげに眉を寄せて、くすみ煤けた欠片を見ていたゾロははっとして空を見上げた。握り締めた欠片は、クオンがいつも使う針の残骸だ。


クオン!!!」


 ビビも存在を認めたのだろう、名を呼ぶ声に導かれるように視線を動かせば、空から落ちてくる白い人間が見えた。
 クオンは意識があるようで、空中で身をひねって足を下にし、あれほどの高さから落ちてきたというのに小さな着地音だけを立てて時計台前へと降り立った。ふわり、翻ったマントが静かに執事の背中を覆い隠す。
 あわやと思ったクオンの生還に全員の気が緩み、ナミがクオンのもとへ駆け寄ろうと足を踏み出した、その瞬間。


「ウオオオオオ!!!」

「オオオオオオォオ!!!」



 猛る男の絶叫が轟く。不穏な雄叫びに呼応するように叫びが伝播して上がり、爆破の余波で静まり返った宮前広場が再び喧騒に満ちる。否、それは先程の比ではなく。狂気に駆られ理性を失くし、誰もが敵の命を奪おうとする、狂乱に支配された異様な光景がそこにはあった。

 せっかく砲撃は止めたのに。砲弾も、クオンがその身を張って無効化させたのに。地上に届いたその爆発は確かに彼らを一度は止めたのに。なのになぜ、また立ち上がる。武器を取る。殺し合わねばならないのだ。


「─── いを、──てく── い!!」


 塵旋風の名残が砂塵を巻き上げる地上を見下ろし、ビビは声の限りに叫んだ。声が嗄れようとも構わない、血を吐こうとも構わない、喉が潰れたとしても構わない。この声が誰かひとりでもいいから届くように、クオンが命懸けで広場の爆破を防いでくれたことを無駄にしないように、叫び続けた。


「…戦いを!!やめてください!!!」

「ビビ様…!」


 王女の声に、ペルが呻いて即座に立ち上がる。全身が痛むがそれがどうした。ビビの心はどれほどに傷つき、今も血を流しているというのだろう。国を想うほどに王女の心は引き裂かれているはずだった。


「やめろお前達!戦いを…!やめるんだ!!」


 身を翻したペルが戦場へと飛び込んでいく。反乱軍はできずとも、国王軍だけでも止めるために。そのためなら力ずくでも構わなかった。
 次いで動いたのはナミだ。叫び続けるビビを見上げていたナミは目に涙をにじませ震える声でバカねと呟き、呆然としている男達を振り返って眦を吊り上げる。


「あんた達、何ぼーっとしてんのよ!!!殴ってでも蹴ってでもいいから反乱を止めるのよ!!」


 男達を順に小突き、捲し立てて急かす。早く行って、止めて、ひとりでも犠牲者を減らすのだ。ビビの心を潰してしまわぬように。
 身を翻して駆け出した男達に続き、ナミもまた天候棒クリマ・タクトを握り締めて戦場へと飛び込んで行った。


「…………」


 クオンは、濁った呼吸を繰り返しながら時計台で叫ぶビビを見上げていた。爆発は針の盾でかろうじて直撃を防いだが、もはや痛覚すら鈍い体がなぜ立っていられているのか、自分でも分からない。くわんくわんと揺れる意識は霞み、五感は鈍い。うまく体が動かない。指一本動かすことすら難しい。呼吸はできているのか。光に潰れた目に映る景色は白く紗がかかっている。それでもクオンはその場に立ち続け、戦場に飛び込んでいった仲間を振り返ることもなく、ただビビを見ている。戦いをやめてくださいとひたすらに叫ぶ王女のことを。


「おいあれ…!!!あれ見ろ!!!」


 ふいに無視できない声が耳朶を鈍く打って、クオンはのろりと首をめぐらせて空を舞う小さな人影を認めた。
 町の一角から飛び出してきた何か。あれが何なのかは今のクオンには判らない。けれど、あいつが勝ったんだ!!!と重なる歓喜の声が聞こえたから、クロコダイルが倒されたのだと理解した。


(敵は、倒された)


 本当の敵は、この国を荒らし回り食い潰さんとした黒幕は確かに倒された。ならば国民同士が戦い傷つけ合う理由などどこにもない。
 否、最初からなかった。そうだ、王家は敵ではなく。煽動された民をひたすらに護ろうと、傷つけまいとずっと奔走してきた。それは国王然り、国を飛び出して外で動いていた王女然り。

 なのにその声が、どうして届かない。なぜ聞こうとしない。戦いをやめるよう懇願するあの声が、想いが、お前達の望むものが、そこにあるというのに。

 戦場の狂乱が耳を衝く。うるさい。そうだ、うるさい。誰もが声を上げるから王女の声が霞んでしまう。我こそがと吼えるから王女の声が届かない。うるさい。おれ達の敵を討ち取れと反乱軍が叫ぶ。うるさい。王家の敵を討ち取れと国王軍が叫ぶ。うるさい。この方を誰と心得ている。お前達が戴く王の系譜だ。傾聴せよ。拝聴せよ。口を噤め、こうべを垂れろ、




「─── 跪け」




 マントを翻して振り返りながら右手を払い、冷酷な響きをもってその言葉が紡がれた瞬間、白い痩躯から不可視の力が迸った。同時に発動した悪魔の実の能力が宮前広場すべての人間の膝を砕き、言葉の通り膝をつかせる。脳を揺らし肌を震わせる“力”に呑まれた幾人かが意識を刈り取られて倒れ込んだ。


「……クオン…?」


 ペルでさえ膝をついたその場で唯一、麦わらの一味だけは立っていた。それでも頭を揺さぶる圧にウソップが尻もちをつき、よろめきはしたものの天候棒で体を支えたナミが呆然とクオンの名を呼ぶが、執事は応えない。いつになく荒々しく、そして冷えた空気でアラバスタの民に圧をかけながらこちらを一瞥もしなかった。

 武器が地に落ちる耳障りな音が響く。膝をつかせた上にこうべを垂らすほどの力で地面に引き寄せられた者達は驚愕し動揺して、いまだ狂気を宿した目に恐れをにじませて自分達の膝を折った白い誰かを見上げた。
 ばちり、クオンの痩躯を取り巻くように黒い光が弾け散る。ぼろぼろで傷だらけで満身創痍の、しかしこの世のものとは思えないほどに美しい人間は一部が血に汚れてもなお輝く雪色の髪を揺らし、温度のない瞳でアラバスタの民を映した。鋭利な鋼をゆらゆらと不規則に揺らした鈍色が細められる。


「聞け、アラバスタの民どもよ。王女の声を聞け。この戦いが不毛なものであると知れ」


 白いマントから燕尾服を覗かせた執事は、男にしては高めの声にひどく冷たい響きをのせた。そのときには思惟を刈り取るような力の圧と地面に膝をつかせる力は消えていたが、触れれば斬れるほどに鋭い鋼の眼差しに呑まれて立ち上がれる者は誰もいない。
 クオンの右手がゆっくりと上がる。王女を指し示すために土のついた白手袋が掲げられ─── ぴちょん、と、雫が落ちてきたことで動きを止めた。
 ぽつぽつと地上に滴るそれは瞬く間に数を増し、舞い上がる砂塵を晴らしていく。


「─── 雨……」


 誰かの呟きがこぼれた。膝をついたままいつの間にか雲に覆われた空を見上げ、雨、雨だ、とざわめきが広がっていく。髪が濡れ、体が濡れ、傷ついてあふれた血と共に戦場に塗り広げられていた狂気が洗い流されていく。


「もうこれ以上…!!!戦わないでください!!!」


 降りしきる雨の中、ビビの絶叫が響く。弾かれたように誰もが顔を上げて、時計台から身を乗り出す王女の姿を認めた。
 ここ数年行方が分からなくなっていた王女は全身を血と土と砂に汚している。ふらふらと立ち上がった者達が呆然とビビの名を紡いだ。王女の帰還を知らなかった反乱軍は特に何が起こっているのかよく分からず困惑した様子で、さらに国の英雄と名高いクロコダイルが倒れているのを見つけた者の戸惑いもすぐさま伝わってくる。
 いったい何がどうなっているのか、どうしたらいいのか。雨は降ったが、王家は、この反乱は。敵としていた国王軍側であるはずの王女が、戦うなと叫んだ。なぜ。
 ざわめきは大きな波になる前に鎮まり、縋るようにして誰もがビビを見上げる。クオンは掲げていた手をそっと下ろした。


「今降っている雨は…!昔のようにまた降ります。─── 悪夢はすべて…終わりましたから……!」


 ビビの言葉が雨を伝って国民の間に広がっていく。しかし、それですべてが終わるほどクロコダイルの立てた作戦は甘くはなかった。


「…だが!!『悪夢』なんて言葉では済むはずがない!!」

「おれ達は“国王”のナノハナ襲撃をこの目で見たんだ!!」

「そうさ!!コーザさんも撃たれた!!!」


 武器を再び手に取り、反乱軍は王女へ向かって叫ぶ。今までの国王軍の乱行はいったいどういうことなのか。この反乱で倒れた者達が王女のひと言で納得するものか、と。
 クオンはもう一度膝をつかせるべきかと考え、すぐにその思考を払った。あらん限りに叫ぶ反乱軍の声は震えている。強く王女を見つめる目は大きく揺れ、武器を持ち掲げる手はあまり力が入っておらず、迷いが隠しきれていない。言葉の裏にある、怒りよりも説明を求める声が、まだ王家の信頼と権威が完全に失墜してはいないことを示している。それほどまでに王家への信は厚く、長い歴史の間、王家は真摯に民と向かい合ってきたのだろう。
 武器を握り締める反乱軍を見て応戦のために武器を取った国王軍を「やめろ!!」とペルが制し、同時に鋭い声が飛ぶ。


「武器を捨てよ!!!国王軍!!!」

「チャカ様!!」


 宮殿から国王軍を制止したのは、血を流し肩で息をするチャカだった。アラバスタ王国護衛隊副官の地位に就く2人に挟んで止められ、国王軍がうろたえる。


「おま…ゴホン!マ…マ~…お前達もだ!!!反乱軍!!!」

「……は」


 たたみかけるようにして現れたのは、ひとりの少年を抱えた男─── イガラム。クオンはさすがに目を瞠ってイガラムを凝視した。彼は確か、ミス・オールサンデーに殺されたはずでは。
 いや、と思い直す。確かに船を爆破されたところは目にしたが死体は確認していなかったし、ミス・オールサンデーも「会った」とは言ったが「殺した」とは言っていなかった。彼女が敢えて生かしたのかどうかは分からないが、とにかく無事に生きていてくれて何よりだ。

 イガラムは抱えた少年に話せるか?と声をかけ、傷だらけの少年はイガラムの腕の中で頷いて僅かに身を起こす。あれはナノハナの、と呟く声が聞こえ、国王軍にやられた子だと反乱軍のひとりが言い、それに少年が涙をにじませた目で首を振った。


「違うんだ!おれがやられたのは別の奴で…、みんな聞いて!おれ、見たんだよ…!ナノハナを襲った“国王軍”は…みんな偽者だったんだ!!!」


 被害者である少年の言葉に、反乱軍が絶句して息を呑む。


「国王だって偽者さ!!誰かの罠だったんだよ!!!」

「……そうだ。この戦いは…はじめから仕組まれていたんだ」


 少年に続き、低い男の声が言葉を繋ぐ。声のした方を誰もが振り返り、人の波が割れてひとりの男の姿をあらわにする。足を投げ出し、仲間に支えられて上体を起こした男─── 反乱軍のリーダー、コーザだ。
 国王軍に撃たれたはずの彼の言葉が、反乱軍をさらに戸惑わせた。


「この国に起きたことのすべてを…私から説明しよう……。全員武器を捨てなさい」


 イガラムの言葉が最後のひと押しとなり、反乱軍も国王軍も関係なく全員が武器を手放す。濡れた地面に武器が転がる音を聞いていたクオンは、ゆっくりとこちらに近づいてくる仲間を見て微笑んだ。鈍色の瞳がやわらかくゆるむ。そこに先程までの冷酷な白はどこにもいなかった。

 これ以上海賊の出番は何もなく、むしろ余計な混乱を招かないためにもいない方がいい。それに、ゾロ達はクロコダイルを倒したルフィを迎えに行くのだろう。きっと彼も傷だらけだ。クロコダイルが飛び出してきた一画は建物が崩壊し瓦礫の山になっているが、それが何よりの目印になる。
 クオンもルフィを迎えに行きたいが、自分は王女の執事であるからここで降りてくるビビを待たなければならない。心配そうに近づいてきたチョッパーの帽子を撫で、大丈夫だと言うように笑みを深めた。


クオン


 名を呼ばれて顔を上げ、ゾロに何かを差し出されて反射的に両手を出せば、クオンの相棒が手の平に乗った。背中の針をたたみ、俯いて顔を伏せるハリーを見下ろすクオンのつむじをゾロがこつりと小突く。


「あんま泣かせるな」


 それだけを言い、ゾロはクオンに背を向けたまま振り返ることなく仲間と共に通りの向こうへ歩いていく。クオンはじっとその背を見送り、いまだ顔を上げないハリーを見て首元へ抱き寄せた。


「すみません、ハリー。そしてありがとう。あなたのお陰で助かりました」


 相棒を死なせたくなくて必死に止めるハリーの小さな手を振り払ったのはクオン自身だが、ハリーの気持ちはちゃんと分かっている。けれど決して譲れないものがあった。だから言い訳はせずに謝意だけを口にし、そしてクオンを生還させた針を作り出した彼に感謝を述べる。流石は私の相棒です、と誇らしげに、心から。
 濡れたハリネズミの体は雨に濡れているが、その顔は涙にも濡れていたのだろう。ぎゅうぅ、と濁った声で低く唸ったハリーが縋りつくのを受け入れ、小さな背中を撫でたクオンは困ったように微笑んだ。





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