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考えないようにしていたことがある。考えたくはなかったことだ。
クロコダイルは己の目的のために確実に作戦を遂行できるよう、あらゆるアクシデントを想定し実行する男だと、
クオンは十分に分かっていた。それでも敢えて思考を止めていた。
もし万が一、砲撃を止められたのだとしたら?宮前広場の爆破はクロコダイルにとって確定事項。作戦は、計画は、狂ってはならない。ゆえに対応策を用意しておくべきだ。その場に自分がいない予定であるならば尚のこと。
砲撃手を捜しながら、確かに
クオンの頭にはその可能性がよぎっていた。だが深く考えはしなかった。砲撃手を捜して砲撃を止めさえすれば、あとは何とでもなると、そう楽観的に思って。
時計台は広場のすぐ傍だ。もしここで砲弾が爆発するようなことになれば、宮前広場に撃ち込まれるのと被害は変わらない。
果たして、ようやく時計台から顔を出したビビは顔を青褪めさせながら、砲弾が時限式であり、このままでは爆発しちゃうと叫んだ。
─── なぜそうも楽観的でいられる
レインベースで
ユダに言われた言葉を、今更思い出して苦く顔を歪めた。
† アルバーナ 10 †
砲撃手を倒し、導火線の火を消して砲撃を止めた─── しかし、肝心の砲弾は時限式だった。
このままでは数十秒もせずに爆発してしまう。そうなれば広場も町も、多くの民やここまで来てくれたみんなも、
クオンも、誰も彼もが死んでしまう。
ここまで探させておいて、砲撃予告をわざわざしておいて、そしてこの結果だ。どこまで人をバカにすれば気が済むのか。どこまで人を嘲笑えば気が済むのか。ふざけるな、ふざけないで、許さない!!ビビは砲台に拳を叩きつけて悔しげに叫び、憎しみを隠すことなくクロコダイルの名を絶叫した。
絶望してはいけないのに、心が折れそうになる。だってどうしたらいい。この砲弾をどうにかするすべをビビは持たない。どこか遠くへ投げ捨てることなど、この細腕ではできるはずもない。タイマーを止めるだけの知識も技術も能力もない。どうにもできない。見ていることしかできない。愛すべき民を、このまま見殺しにすることしかできないのか。
(───
クオン)
ビビの脳裏に、ひとりの執事がよぎった。それは大海に落ちた人間の前に浮かぶ一本の藁ではない。絶望に沈みそうになる己に手を差し伸べて引っ張ってくれる、優しくて美しくて強くて格好良い、愛すべきひと。
クオンなら、まだ、どうにかできる。何とかしてくれる。ビビが願えば、
クオンはそれを叶えてくれるだろう。そこに“命令”など必要ない。ただ
クオンの名を呼んで、助けてと願えば。
だが─── 代わりにビビは、
クオンを失うことも、分かっていた。
クオンは既に限界だ。傷はふさがらず、おそらくは立っているのがやっとの満身創痍。刻一刻とタイムリミットが迫っていた中、治療すらまともに受けられていない。その状態で助けを求めれば
クオンは迷わず応え、そしてその肉体は砲弾に砕かれるだろう。
国のため─── 私のために死んでと言うのと同じだ。そうなれば、あの美しい人を殺したのが自分であり、二度とやわらかな笑みを見ることができない現実をビビは一生後悔することになる。
しかし、このままでは砲弾は爆発し、国ごと
クオンも死ぬ。どちらがまだましなのか、追い詰められたビビは考えたくはなかった。けれど王女として、民の上に立つ者として、
クオンがそう望む者として、血の気を失くして震える唇を動かし、からからに乾いた喉から言葉を落とさなくてはならない。
「……ゃ、だ…でも、どうしたら、
クオン…やだ、いや、でも、そうしたら、……ぅ、う……!」
砲台の前で蹲るビビの様子を知るすべのない
クオンは、ひどく静かな、凪いだ鈍色の瞳で時計台を見上げていた。
砲弾は時限式。既に残り数十秒しかない。この状況でどうにかできる手札を、麦わらの一味は持っていない。けれど───
クオンには、あった。
(姫様)
自分ならどうにかできる、何とかしてみせる。たとえこの身が砕け散ろうとも、ビビがそう望むのなら。王女に膝を折ったそのときから、
クオンはとっくに覚悟を決めていた。
だからこそ、何よりも
クオンを一番に考える相棒のハリーは
クオンを止めようと
凍針を足に打って動きを封じている。ビビのひと声で即座に駆け出していってしまうことを分かっているから。
ハリーの想いを知っていながら、それでも
クオンはビビの声を待った。“命令”ではない懇願、時間が迫る中で追い詰められ、苦しみ悩み抜いた末に落ちてくるその声を。
それでいい。それでいいのだ。そうでなければならない。ビビからもらったあふれんばかりの愛に報いるためなら、この身など惜しくはない。
残された短い時間を数えていた
クオンは、ふと空から時計台に舞い降りた大きな鳥を認めて目を瞬いた。あれは、確か。
同じものを見たのだろう、見たか今の…とウソップが呆然と呟き、鳥の野郎だとゾロが返す。
王の忠臣、アラバスタ王国最強の戦士。ビビが心から頼りにしている男のひとり。名を、ペル。
その男が─── 砲弾を掴んで空に舞い上がるのを、
クオンは見た。
遠く、速く、空を翔けて真っ直ぐ天へ。
ビビが身を乗り出しているのが、見えて。
ビビは精悍な顔に浮かんだ誇りに満ちた微笑みと、覚悟に染まった眼差しで砲弾を抱え空を飛ぶペルに手を伸ばした。
止めようとしたのかもしれない。止めてどうするかなんて考えてない。ただペルのやろうとしていることを悟って、ひとり国のために死のうとする彼を止めたくて、けれど止められなくて───。
嫌だ。
誰も死んでほしくない。
けれど私には止めらない。助けられない。どうにもできない。手が、届かない。
「─── ぃ……」
お願い、お願い、お願いよ。
助けて。死なせないで。これ以上、誰もなくしたくないの。だからお願い、
何とかして───!
「クオン───ッ!!!」
血を吐くような絶叫が届いた。─── 刹那、
クオンの姿が地上から掻き消える。
凍針に縫い留められた足を無理やりに動かして氷の檻を砕き、ハリーをその場に残して赤がにじんだ白い影が砂塵を駆け抜ける。
クオンは迷わず半ば凍ったままの足で地面を踏みしめ残像を残すことなく高く高く跳び上がった。時計台の土台となる建物の壁を蹴って加速し、ビビの目の前を通り過ぎ、さらに時計台の頂点を蹴って大きく跳ぶと瞬く間もなく砲弾を掴むペルの眼前に姿を現す。
突然ペルの前に現れた執事に、地上に残された仲間の驚愕の声が上がるが
クオンの耳には入らない。鈍色の瞳でペルを見据えたまま砲弾に右手で触れ、呟く。
「───
引力、オン」
悪魔の実の能力を発動し、砲弾がぴったりと右手に引き寄せられてくっつく。そのまま限界まで目を見開いたペルの胸倉を血に濡れた左手で掴み、
クオンが現れたことで思わず僅かに力がゆるんだ足を砲弾から引き剥がす。
「なに、を…!」
タイマーは5秒を切っている。まだ間に合う。
クオンはペルの胸倉を掴んだ腕を大きく振りかぶった。躊躇うことなく地上へ向けて腕を振りかぶり投げ落とす。
その瞬間、愕然と見開いた目で
クオンを見つめることしかできなかったペルは、その、この世のものとは思えないほどに美しい相貌に浮かぶ、あまりに優しくやわらかな笑みを確かに見た。
(さて、あとはこれを)
地上へ墜ちていくペルを見送ることなく
クオンは砲弾の取っ手に両手をかける。軋む体を無視して振り回し、自分の真上に来るように位置を調整する。取っ手から両手を離し、左腕を引く。鈍色の瞳が煌めいた。
「
斥力─── オン」
自身を基点として音もなく能力が展開される。己から引き離すための力を最大限にこめた左の掌底を、
クオンは思い切り砲弾へ叩き込んだ。同時に砲弾自体にも地上から離れていくよう力をかける。ぎしみしぼきばきごきゃ、あらゆる箇所の骨が折れて砕けたが呻きひとつ上げなかった。
砲弾が黒い軌跡を描いて真っ直ぐ空へ昇っていく。高く高く、内部に仕掛けられたタイマーに残された時間だけ、さらに遠く高くへ。
行け、行け、もっと、もっとだ。地上にいる仲間を、この国の民を巻き込まないほど天高くに。気高き王女を害なす不届きものを、真っ白執事は決して許さない。
カチ。いやに鮮明に聞こえる耳に、秒針が刻み止まる音が届いて。
最初に襲いきたのは、視界を灼く光。
─── そうして
クオンは、爆発の光に呑まれた。
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