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 タイムリミットは10分。宮前広場の爆破を止められるか否かでこの国の存続が決まる。
 クオンはこの国の玉座に偽りの英雄を座らせる気はなかった。クロコダイルがアラバスタ王国の王だとは絶対に認めない。

 ゆえに走る。砂地獄に落ちかけた国を拾いあげるために、落とさないよう必死に抗い続けた王と王女の手に返すために、真っ白執事はひたすらに奔る。たとえ折れた脚がさらに深く傷つこうとも、止めることは決してない。


(あと10分)


 己の武器でもある脚は人並みに駆ける力しか残していない。視線を走らせ、砲撃手が見えないか、大砲が見えないか、砲弾が見えないか、不審な動きをしている者がいないかを捜しながら考えた。
 どこにいる。どこにある。多くの民を吹き飛ばすために、どうやって広場に砲弾を撃ち込もうというのか。






† アルバーナ 8 †





 直径5kmを吹き飛ばす砲弾。それほどの威力を持つ砲弾ならば、大きさもそれなりになるはずだ。そして飛距離も落ちる。確実に広場に撃ち込むためにも広場が目視できるほど近くに大砲を用意するだろう。
 さらに、計画が周到なクロコダイルのことだ。もし万が一、砲撃を止められたのだとしたら?その可能性を考えず、止められたからとそこで諦めるような男だろうか。クオンの瞳に剣呑な輝きが灯った。


「……姫様、戻りますよ」

「え、クオン?」


 広場の外れに差し掛かったところでふいに足を止め、クオンは元来た道を振り返った。
 突然どうしたのかと目を瞬かせるビビの手を引いて走り出す。上空で地上を探っていたペルが突然身を翻したクオンに驚きの声を上げ、ワルサギもまた怪訝な目でクオンを見たがすぐに同じく方向転換してクオンに続いた。


「砲台は広場近く、1km以内。確実に撃ち込むために建物の背が高いところに砲台は設置されている。そして砲台は大きく、それだけのスペースが必要不可欠。……こちらには空を駆けるすべを持つ者がいることくらい把握されていて当然であり、それが分かっていて屋上に用意するようなバカな真似はしない」


 再び広場へ向かって駆けながら、つらつらと淀みなくクオンは言葉を紡ぐ。その顔は執事というよりも傭兵として経験を得た者の顔であり、自分の身の安全も味方の有無も勘定に入れず確実に己の計画を実行するための手段を口にした。
 目的は広場を吹き飛ばして民の命を根こそぎ奪うこと。自分はいいのだ、どうせ自然ロギア系の能力を有しているのだから砲撃を受けたところで何のダメージも負わない。国盗りという計画を遂行するためなら味方すら犠牲にする。むしろこれから英雄の顔をして玉座に座ろうというときに、後々不穏な噂を生みそうな後ろ暗い者達を一掃する絶好の機会でもあるだろう。


「ハヤブサ殿。ここ数年で広場付近に大きな変化は」
 
「いや……多少建物に変化はあるが、町並みはそう変わらない」

「ならば姫様。考えなさい、思い出しなさい。この町を一番詳しく知っているのはあなたのはずです」


 静かな鈍色の瞳が王女の顔に据えられる。手首を掴んでいた手が離れ、掴まれていた手首から視線を上げたビビは真っ直ぐにクオンを見つめ返した。


「ペル、空はどう?」

「……広場付近の建物の屋上はくまなく探しました。しかし、執事殿の言う通り、どこにも砲撃の用意は」


 高度を落としてクオンの推理を裏付けるように事実を伝えるペルにひとつ頷き、だったらどこか建物の中ねと返す。すべて探します、と即座に応えたペルが再び空高く飛翔した。クオンは空を翔ける戦士を見上げ、その姿をけぶらせる砂を視界によぎらせながら茫と呟く。


「…なぜ、塵旋風を起こした…?」


 国王軍と反乱軍の視界をふさぎたかったのか。否、お互い“敵”の姿ははっきりと見えていた方が戦いは激化してくれる。
 自分達の姿を隠したかったのか。否、この狂乱に満ちた戦場において、他者を気にかける余裕など彼らにありはしない。
 王女が顔を晒して駆け回り反乱を止められるのを防ぎたかったのか。否、王女の声はもう、砂に目と耳を覆われた民に届いていない。

 否、否、否。あらゆるメリットを考えるも、これとするには根拠が弱い。なぜ敢えて塵旋風を起こしたのか。クロコダイルが何の考えもなく能力を使うはずがない。これには確かな意味がある。
 舞い上がる砂が視界を不明瞭にして、うなる風が喧騒を運び音の出所を惑わせる。時間がない。間に合わない。追い詰められた人間は余裕を失くして視野が狭くなる。思考は焦燥に塗り潰されて鈍くなり、ひとは一番情報を得るために発達した機能にばかり頼る。だがそれを、この塵旋風は───。

 クオンは目を細めた。

 そうだ、隠したいのだ。目を、耳を潰して。この塵旋風を起こした男が隠したいものはただひとつ。
 砲台は屋上にない。屋内に用意されていて、それを発見されないようにするためのものなのだとしたら。そしてこの風に照準が影響されない場所に、砲台はある。


「塵旋風の影響を受けないほど広場付近にある、背が高い建物の中。そして大きな大砲を置けるほどに広い場所─── それはどこですか、姫様」


 既にタイムリミットは3分を切った。
 クオンは飛んできた流れ弾を針の盾で防ぎ答えを待つ。ビビの瞳が記憶を辿るように動いて、ふいにおろそかになった足がもつれ倒れ込む体をクオンは危なげなく支えた。完全に足を止め礼を言う間も惜しんで思考に耽るビビを地面に座らせる。ハリーをビビの肩に乗せ、ひとり立ち上がったクオンはビビの思考の邪魔をされないよう無言で両手の指の間に針を構えた。もしバロックワークスが現れれば即座に討ち取ってやろう。


「うをうっ!!流れ弾!!!」

「おや、狙撃手殿」

クオン!よかった助けてくれ!!!」


 いつの間に近くにいたのか、先程散って別方向に行ったはずのウソップは長い鼻ぎりぎりを銃弾が掠めたようで、思わず声を上げたクオンに気づくと一目散に傍に駆け寄って来た。
 危険に満ちた場所でウソップがひとりで行動とは珍しいと目を瞬かせれば、どうやら最初は宣言通りサンジと共に2秒で片を付けたゾロと町を駆け回っていたが、いつの間にかはぐれてしまったようだ。確かにこの塵旋風ではそれも仕方がないと背後に隠れるウソップを視界の端におさめて納得したクオンは、またもやゾロの方向音痴を知る機会を逃した。ちなみにゾロはなぜか町の外、遺跡の近くにいることをこの場にいる者は知る由もない。


「そうだ、あそこなら…」

「ん?どうしたビビ」


 ふいに目を見開いて呟きを落としたビビにすかさず気づいたウソップが顔を覗き込む。クオンも振り返れば、「クオン、ウソップさん!!」と2人を呼んだビビは勢い余ってウソップの長い鼻をがっしりと掴んだ。


「分かったの!!……あそこ・・・しかないわ!!!」

「何!?本当か!!?じゃあよしっ!!」


 それを聞いたウソップの行動は早かった。砲撃手の居場所を確信したビビに即座に応え、とにかくみんなを呼ぶぞと斜めにかけたがま口バッグを開けて中を探る。間違いねぇんだな!?と念を押して訊くウソップにビビは「うん!!」と力強く頷いた。その答えを受け、パチンコを構えたウソップが空に向かって弾を放つ。


「必殺!!赤蛇星!!!」


 ボシュッ!と音を立てて赤い筋が尾を引いて天へと伸びていく。青く晴れ渡った空に赤い煙は目立ち、きっとこの町を駆け回っているはずの仲間の目にとまっただろう。


「姫様、砲撃手は」

「時計台よ、クオン!間違いないわ!!」


 はっきりと答えるビビに、クオンはひとつ頷いて離れた場所に見える時計台を見上げた。ということはつまり、あの時計の文字盤は扉のように開くのだろう。
 ビビの答えを聞いて本当にそんなとこにいるのかと焦燥をにじませて訝しげな顔をするウソップに、ビビはそこ以外に考えられないのと返す。
 ここはビビの生まれ育った町だ。彼女がそう言うのならとビビを信じて天高く伸びる赤い煙の下にメッセージを残すウソップを置いて時間を惜しんだビビが「私先に行くわウソップさん!」と時計台へ向かって駆け出し、クオンもそれに続く。慌てたのはひとり残されたウソップで、急ぎメッセージを書き終えると「ま、待てビビ、クオン!ま…待って~~~!!」と情けない声を上げて追いかけてきた。
 早く!とウソップを急かすビビが振り返り、振り返らなかったクオンは舌打ちした。それが自分に向けられたのかと驚いたウソップがえっと声を上げ、珍しい執事の舌打ちにこちらも驚いたビビがクオンを振り返り─── そこに、複数の物騒な人影を見た。


「キャッホーゥ見つけたぁ!!王女だぜ~~!!」

「カッハッハッハッハてめぇらから居場所を───」

「邪魔だどけ」

『おぐぅ!!???』



 塵旋風の向こうから現れたバロックワークスの雑兵どもを、クオンは足を止めることなく底冷えする眼差しと冷徹な声音と同時に振り上げた右手を叩きつけるように落として勢いよく地面に這いつくばらせた。ゴゴゴゴン!!!と不可視の力に引っ張られて頭から倒れ込んだ男達のいくらかが鈍い呻きを上げて意識を潰される。それでも半分以上が残り、よろよろと立ち上がろうとする男達にもうひとつ舌打ちをこぼしたクオンはビビとウソップをそれぞれ両肩に担ぎ上げた。

 赤い煙の信号は仲間を呼ぶと同時に敵にこちらの位置を教えることになる。敵を完全に潰すこともできないほど力が発揮できてない事実にすぐさまここを離れるべきだと判断したクオンの肩の上で、ウソップがまたバッグに手を伸ばした。


「ビビ、これをつけてクオンの耳をふさげ!」

「え?あ、うん!」


 肩の上で交わされるやり取りが気になったが、すぐに答えは知れた。
 耳栓をしたビビの手がクオンの耳をふさぐ。ウソップの意図を悟ったらしいハリーもクオンの頭の上で己の耳をふさぎ、耳栓をしたウソップがバッグから取り出した黒板をバロックワークスの雑兵に向けた。


「ウソ~~~ップ!ノ~~~イズ!!!」


 キャキュキャキュキュキャキャ、と黒板が引っ掻かかれて甲高い不快な音が響く。ビビに耳をふさがれたことで回避したクオンは野太い悲鳴を上げて悶える男達に同情することなく「今だ行けクオン!!」とウソップに促されてくずおれる男達の体を思い切り踏んづけて囲いを突破した。

 ウソップのふざけた特殊攻撃はしかし肉体的なダメージを与えるほどではなく、怒りをみなぎらせた男達が少しよろめきを残して怒号を上げながら追ってくる。ハリー、と相棒の名を呼び、応えたハリーがクオンの助力なく背中の針を飛ばして男の足を貫いた。短い悲鳴を上げた男が倒れ込むが、同時に多くを仕留めることはハリーに難しく、やはり時間稼ぎにしかならないだろう。
 だがクオンは悪魔の実の能力で補わずとも俊足の持ち主であり、バロックワークスの雑兵どもから逃げ切ることは容易い。みるみるうちに距離を離していくクオンの肩の上で後ろを見ていたウソップが歓喜の声を上げ─── 時計台が近くに見えたそのとき、がくんとクオンの体が前のめりに倒れて目を剥いた。
 ウソップがクオンの肩から投げ出される。地面にしたたかに体を打ちつけて痛みに呻き、ビビだけはぎりぎり庇えたのだろう、ビビの下敷きになって倒れ込むクオンに2人は血相を変えて体を跳ね起こした。


「「クオン!?」」

「ァ…、…すみ、ません、おふたり、とも……お怪我は……」


 慌てて駆け寄ったウソップとクオンの上からどけたビビがクオンを覗き込む。2人を見ているはずなのに茫洋として焦点の定まらない鈍色の瞳が揺れ、真っ赤に染まった左手の白手袋から赤い雫を滴らせながらクオンはのろのろと体を起こした。
 動きを止めてしまったせいで引き離したはずのバロックワークスの雑兵が迫る。クオンは後ろを振り返り、再び開いた右の額の傷から鮮血をあふれさせながら指の間に針を構えた。喉の奥からせり上がる血の塊を呑み下し、顔を汚す血を雑にジャケットの袖で拭う。

 折れた脚では2人を抱えて走ることは難しい。先程能力を使ったツケが回ってしまった。それでも震える脚を叱咤して立ち上がり敵を睨んだクオンがここは自分に任せて先に行くよう促そうとしたとき─── 3人とバロックワークスの雑兵達との間に、割って入る者達がいた。

 彼らは迷いなく海賊と王女を追う男達を斬り捨てた。それぞれ身にまとったマントが翻り、その下にある制服が彼らの所属を教える。クオンは目を瞠った。


「なぜ、ここに海軍が」

「??あ…あり…ありが……ありが……???」


 驚くクオンの傍で、海軍に助けられたことに疑問符を浮かべながらも困惑気味に鈍く礼を言いかけるウソップを、海軍の制服を着用せず黒い上衣を着た女が刀を鞘に納めて振り返る。その顔には額から流れた血がにじんでいて、海賊を助けた女海兵は強い眼差しで3人を見つめた。


「あなた達を援護します!!広場の爆破を止めてください!さあ急いで!!!」


 瞬間、クオンは身を翻した。いまだ困惑するウソップとビビの腕を引いて走り出す。力の入らない脚を地面に叩きつけるようにしてひたすらに駆ける。
 海軍はなぜか広場が爆破されることを知っていたが、その理由を考える暇はない。ただ、今このときだけは彼らが敵になることはない。それは確かで、数が多く面倒なザコどもの相手は海軍がしてくれるのだとしたら遠慮なく任せることにしよう。

 クオンは鈍色の瞳を煌めかせた。砲撃まで残り2分を切っていて、つまりは1分以上の時間が残されている。
 ─── 絶望するには、まだ早い。





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