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 宮前広場が近い。砂塵が不自然に渦を巻き、怒号と銃声が飛び交う苛烈な戦場はすぐ傍に迫り、血と硝煙と乾いた砂のにおいが鼻をついた。


「ビビはどこに…」


 宮前広場へと一直線に駆けながら辺りを見回すナミに応えるように、空から鳥の鳴き声が降ってきた。






† アルバーナ 7 †





 聞き慣れたワルサギの鳴き声が耳朶を打つと同時、クオンは静かに目を開けた。僅かに身を起こして空を見上げ、塵旋風に視界がけぶる中、こちらを見下ろして嘴を動かす鳥を認める。ウズマキ、と名を呼べば即座にナミが反応した。


「てことは、あっちにみんなはいるのね!?」


 ナミがゾロに背負われたクオンを振り返る。それに頷きを返せば、唐突にルフィの呼号が聞こえた。クロコダイル、と敵の名を紡ぐ声が轟いた方角は、ワルサギが示した先と同じだ。ゾロとナミが無言で進行方向を修正してそちらへ駆ける。
 戦場と化した宮前広場を一目散に走る2人を、国王軍も反乱軍も見向きはしない。ただ目の前の“敵”を見据え、祖国のために武器を持って討ち取らんとしている。
 終わらせなければ。こんな不毛な戦いなど、戦うべき相手を誤った戦争など、あってはならない。


「あれは…」


 宮殿へ至る大階段の前に、誰かがいる。思わず声をもらしたクオンは舞い上がる砂塵に細めた目を凝らした。大きな樽を背負った麦わら帽子の少年。水色の髪の少女。小さなトナカイ。全身に包帯を巻いた長鼻の少年。黒いスーツをまとった金髪の男。レインベースでミス・オールサンデーに倒されたペルという男もその場にいて、どうやらルフィを連れて来てくれたのが彼のようだと悟る。
 全員大なり小なり傷を負ってはいるが、仲間がその場に揃っているのを見て小さく安堵の息をつく。きっと生きて再び会えると信じてはいたが、実際に目にすれば張り詰めていた心の糸が僅かにゆるんだ。

 と、ふいに彼らの後ろで立ち止まったナミは全身包帯に覆われたウソップの後ろでその手に持った天候棒クリマ・タクトを固く握り締め、怒りに眉を吊り上げると思い切り振りかぶって怒声と共にウソップの後頭部を殴りつけた。


「ウソップ~~~!!!」

「ホゲェ!!!」



 ガン!!と痛そうな音が響き、油断しきっていたところの不意打ちに悲鳴を上げたウソップが見事なたんこぶをこさえて地面にくずおれる。うわぁ痛そう、とクオンが同情の眼差しでウソップを見下ろすが、何やら怒り狂ってるナミに口を挟むことはしなかった。触らぬ神に何とやら。南無。
 それにしても、誰が宴会の小道具作ってって頼んだのよ!!と言っているから、ウソップ作の天候棒はなかなかのものだったらしい。それでも手放していないあたり、使い道は確かにあったようだが。
 相変わらず賑やかなことだと頬をゆるませ、クオンは潤んだ瞳を震わせるビビと目を合わせて微笑む。ゾロに降ろしてくれるよう肩を叩き、ゆっくりと地面に足をつけたがうまく力が入らずにふらついた体を支えられた。肩を掴む男を見上げて礼を言う。


クオン…!」


 どう見ても満身創痍なクオンへビビが駆け寄る。恐る恐る伸びてきた手にクオンは己の頬をすり寄せ、ほっと息をついたビビの頬についた砂を感覚の鈍い指先で拭い取った。
 共にいたはずのカルーは傍におらず、反乱軍は止められず戦争が始まってしまったが、ビビの瞳に絶望はない。煌めく意思に満ちた目はまだ諦めていない。仲間が全員揃っていっそう輝くその眼差しに、それでこそ、と満足げに微笑んだ。それでこそ、クオンが唯一膝を折ることを許した王女だ。

 ビビとクオンとの再会を邪魔しないよう頭に乗せたハリーと共に数歩下がったゾロは、離れた体温に何かを思うよりも先に耳朶を打ったサンジの怒声に振り返った。


「クラてめぇ!!何でナミさんとクオンが怪我してんだオロすぞ!!」

クオンはともかくあの女は元気じゃねぇか」


 ウソップに重い一撃を入れて短いやりとりを交わしたのち、すたすたとビビに歩み寄り状況を問いながらクオンにマントを着せるナミは負傷こそしているがどう見ても大変に元気だ。それなのに最初明らかにナミより重傷な自分に背負わせようとした悪魔みたいな女を半眼になって親指で示したゾロはクオンを背負って駆けたために乱れた呼吸を整える。
 ハリーが針で傷を塞いでくれたから、シャツの前は真っ赤な血に濡れているが余分な血を流すことはなくふらつくこともない。余計な体力を削らずに済んだことに感謝して頭に乗るハリーの顎を指でくすぐれば、クオンの手つきを真似るゾロの指に目を細めたハリーが一度すり寄ってからかぷりと甘噛みをした。


「悪ぃみんな。おれ、あいつにいっぺん負けちまったんだ」


 クオンはナミに着せてもらったマントを整え、宮殿の壁の上に腕を伸ばしたルフィの声に振り返る。それまで個々で話していた仲間全員の意識もまたルフィに向いた。
 あいつ─── クロコダイルに一度負けたと言うルフィは、しかし強い瞳で宮殿に立つクロコダイルを睨み、目だけで仲間を振り返った。


「だからもう負けねぇ!!!あとよろしく」


 クロコダイルは必ず討ち取る。だからそれ以外のことを頼むルフィにクオンもまた強い光を湛えた鈍色の瞳で頷き、ゾロがさっさと行ってこいと背を押して、お前で勝てなきゃ誰が勝てるってんだ!!とウソップが叫んだ。

 ─── ルフィはクロコダイルに勝てるか。

 ふと、クオンはウイスキーピークでその可能性を考えたことを思い出した。
 あのときは正直、ルフィがクロコダイルに勝てるとは思っていなかった。けれど今は。長くはない航海で麦わらの一味を知り、ルフィという男を知った今、思うことはただひとつ。

 勝つのだ。ルフィがもう負けねぇと言ったのだから、たとえどれだけ実力差があろうとも、ルフィの拳は必ずクロコダイルに届く。届くまで挑み続け、死んでも倒れない。それを疑うことはできなかった。


「終わりにするぞ!!全部!!!」


 船長の号令に、応とこたえた仲間の声が揃う。クオン同様、誰もルフィの勝利を疑ってはいなかった。
 あふれる涙を拭うビビの肩を撫でたクオンはゴムの反動で勢いよく宮殿の上へと飛んでいくルフィを見送り、すぐさま顔を戻してビビを振り返った。


「姫様、状況を教えてください。私達は何をすべきなのか」

「うん。みんな、聞いて」


 クオンの問いに即座に頷いたビビが言うには、今から約10分後、午後4時半に直径5kmを吹き飛ばす砲弾が宮前広場に撃ち込まれるという。多くの国王軍と反乱軍が入り乱れて戦う、この場所に。
 砲弾が撃ち込まれればどうなるか。この場にいる人間ごと広場は吹き飛ばされ、町の景色は一変することだろう。そしてその罪をもクロコダイルは王に被せるつもりなのだ。この国の雨を奪い、土地を疲弊させ、国王軍ごとあまりに多すぎる民を鏖殺した、愚王として。

 そんなことはさせない。何よりも民を殺させるわけにはいかない。だから砲撃手を捜してほしいとビビは言い、しかしウソップは迫るタイムリミットに顔色を悪くさせながら「砲撃手を捜すって!?どうやって!!」と声を上げた。確かに、あてのないまま闇雲に捜し回るのは悪手が過ぎる。
 だが考えている暇はない。時間はこうして話している間にも過ぎていく。手掛かりとなるのは、砲弾が直径5kmを吹き飛ばすような代物であるということと、砲撃手はおそらくこの広場の近くにいるということ。冷酷非道なクロコダイルのことだ、味方がどうなろうと構わないあの男は砲撃手を巻き込むことを厭いはしない。そして用意された砲弾が自分すら巻き込むものであることを伝えてもいないのだろう。


「……」


 クオンは無言のまま塵旋風を睨んだ。砲撃を止めるための情報が少なすぎる。この広場をくまなく捜すにも圧倒的に時間が足りない。万全の状態ならともかく、今の脚では十分に走ることすらできないだろう。ゆえに考えていた。脚が使いものにならないのなら、頭を使うしかない。

 しかしその思考もまた唐突に途切れた。クオンは視線を鋭くすると傍らのビビの肩を引いて庇い、同時にゾロの刀がビビを背後から狙っていた剣を止め、サンジの蹴りが男の顔にめりこむ。
 BWの文字を胸元に書いた刺客が気絶して倒れ込んだことで存在に気づいたウソップが目を見開き、そして背後に立ち並ぶ男達にうげぇっ!!と呻いた。


「見つけたぜビビ王女ォ!!おめぇを殺せばどこまで昇格できることやら!!」

「ビリオンズ!!!」


 はっと目を瞠ったビビがクオンのマントを掴む。クオンは冷ややかな目でバロックワークスの雑兵を見据え、幾人かがあらわになっているクオンの美貌に気づいて見惚れるさまを無視してゾロから飛び移ってきたハリーを視界の端におさめた。ビビを庇いながら左右に立つゾロとサンジを一瞥することもなく言葉を落とす。


「任せました」

「ああ」


 クオンはゾロの短い返答を聞く前に身を翻した。砲撃手を捜さねばならないのに突然現れた邪魔者達に気を取られていたナミ達に手を振って行動を促す。


「10分引く…何秒だ」

「おいおい話してる時間ももったいねぇぞ」

「「2秒だ」」


 まったく、本当に頼もしい仲間である。
 背後で交わされるゾロとサンジの声にゆるめた唇を引き締め、クオンは「行きましょう!」と鋭く声を上げる。それだけで全身が軋み痛んだが、今は苦痛に顔を歪めている場合ではない。痛み止めの針を雑に打ったクオンは、ウソップの「散り散りになれ!!とにかくまず塵旋風の外へ出るんだ!!」という声に従ってビビと共に足を進めた。
 ペルが鳥の姿を取って空へ舞い上がり、ワルサギもまた空から地上を捜してくれる。クオンは再び砲撃手の居場所を考えながら、バロックワークスの邪魔や流れ弾が飛んできても対応できるよう神経を研ぎ澄ませた。





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