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 水が苦手で河を渡れないヒッコシクラブから降りることになった一行はサンドラ河を泳いで渡ることになり、ゾロに背負われゾロの肩に乗ったチョッパーとハリーに落ちないよう掴まれても突如サンドラマレナマズという大型水棲生物に襲われても間一髪現れたクンフージュゴンによって倒されたナマズに乗って河を渡ることになっても途中ビビに頬をつつかれ心臓の音を聞かれ何も反応がないことにめそめそぺしょぺしょしながら抱きつかれてもぴくりともせず死んだように眠り続けるクオンは、サンドラ河を渡り切ったところで合流したビビの相棒、カルー率いる「超カルガモ部隊」が迎えに来たときでさえ瞼を開けることはなかった。


クオンどうする?起こすか?」

「いや、今は寝かせてやれ」


 レインベースで満身創痍となったクオンは削がれた体力を回復し怪我を少しでも癒やすために深い眠りについている。これから戦場に乗り込もうというのだから、ぎりぎりまで寝かせてやるべきだろう。
 起こすかと訊いたがあまり乗り気な様子はなく、気遣うようにゾロに背負われたクオンの寝顔を覗き込むウソップにゾロは静かに返し、ビビに2人乗りはできるかと問えば大丈夫と頷かれた。ビビがカルガモ達に顔を向ければ、話を聞いていたのだろう、葉巻を咥えたモヒカンのような頭をしているカルガモがぴしりと腕を上げて立候補する。それに頼むと短く言って、ゾロは白い痩躯を背負い直した。





† アルバーナ 2 †





 ─── いいかマシロ。おれ達は傭兵だ。傭兵ってのは仕事を受ければ依頼の通りにひとを殺す。老若男女関係なくな。

 ─── そして、昨日味方だった奴と翌日敵対することはよくあることだ。

 ─── だからまぁ、おれ達は恨まれやすい。今日は味方でも明日には敵となるような奴は長生きできるものじゃない。

 ─── うん?じゃあなぜ傭兵をやってるのかって? ……そうだな。おれ達はそれしか生き方を知らないからだ。

 ─── どうせおれ達の残り時間は短い。他の生き方を模索しているうちに死ぬだろう。

 ─── だったらおれはおれらしく生き、そして死ぬんだ。他の誰かが決めたことじゃない、押しつけられてもいない。おれが決めたからそうする。他の連中もみんなそうだ。だからおれ達は傭兵なんてのをやってる。


 全身を黒い衣服に身を包み、愛嬌があるようで間の抜けた黒い猫の被り物を被った男は低くくぐもった声でそう言い、記憶ごとすべてを失った白い女を適当につけた名前で呼んだ。
 今日も今日とて仕事をこなし、昨日の味方の心臓を抉ったナイフを引き抜き、刃についた血を拭いながら愛嬌があるようで間の抜けた被り物をした若い傭兵へ被り物の下で微笑みかける。


「マシロ、けれどなマシロ。そんな終わりを待つだけのおれ達も欲を得た。おれ達一族の、カオナシのすべてを受け継ぐに相応しい、我らがめぐし子。おれ達のもとに落ちてきたお前にすべてを与え、けれどおれ達の運命に巻き込まれることなく生きてほしいと誰もが思っている」


 そのとき彼女は、マクロと名乗った傭兵団のリーダー─── 一族の長に何と言ったのだったか。よく分からないと首を傾げたような気もするし、ふざけたことを言うなと被り物の下で眉を吊り上げたのかもしれないし、出会って数ヶ月も経っていない記憶喪失の人間になんて重いものを背負わせるつもりなのかと呆れたような気もする。
 退廃的に、且つ刹那的に生きてきた彼らは残された命の残量すべてをマシロと呼ぶ女ひとりにつぎ込むようにあらゆるものを教えた。本当に何一つ惜しむことなく、彼らのすべてを。


「おれ達は死ぬ。残された命は短い。誰かに殺されるか、寿命が尽きて死ぬか、どちらが早いかは分からないが。……なぁマシロ、これだけは覚えていてくれよ」


 白い女に与えた名を呼んで、全身が真っ黒の男は被り物の顔を向けた。


 ─── 愛している。おれ達はお前を、愛しているんだ。






「…………」


 瞼を押し上げて目を開いたクオンは、揺れる視界に広がる一面の砂に瞬き、ゆるりと首をめぐらせて周囲を見た。視界の端にカルーに乗ったビビが映る。他の仲間達も全員それぞれカルガモに乗っていて、なぜかラクダまで乗っているが今はスルーし、ハリーがチョッパーの帽子に乗っているのを認めた。頭上を仰げばワルサギが飛んでいるのが見える。
 ヒッコシクラブの上で眠ったのが最後の記憶だ。そのあとどうなったかは分からないが、一度別れたカルーが仲間を引き連れて迎えに来てくれたということは、何とかサンドラ河を越えて一路アルバーナへ向かっているとみていいだろう。陽の高さから現在時刻を導き出し、瞬く間に後ろへ流れていく景色からカルガモの速さを計算すれば、反乱軍の前に滑り込むことはできる可能性がある。
 寝起きの頭でそこまで思考を働かせたクオンは小さく息をつくと後ろへ思い切り体重をかけて凭れる。ずっとクオンを支えてくれていたのだろう男の体はびくともせず、そしてクオンが目を覚ましたことに気づきながら何も言葉を発することもなかった。
 視界は良好、全身はまだ軋むように鈍いが、痛み止めは効いているし眠ったお陰で少しは体力も回復している。おもむろに手を持ち上げて手を開閉させれば問題なく動いた。これなら戦える。
 背中から伝わる体温に目を細めて瞼を下ろし、ゴアァ!とふいにワルサギが鳴いたことで押し上げた。


「アルバーナが見えたって!」


 ワルサギの言葉を通訳したチョッパーに、本当!?とビビの声が飛ぶ。まだ遠いらしいけど、まだ反乱軍も見えていないと付け加えたチョッパーが頷き、サンジが思慮深げに咥えた煙草を揺らして顎に指を当てた。


「ビビちゃんがアルバーナを目指してるのは向こうにバレてんだ、間違いなく町の外に敵はいると考えていい。反乱軍を止めるためにもそいつらをどうにかしないことには……」

「反乱軍が来る前に倒すとか?」

「それが簡単にできりゃ苦労しねぇよ」

「町の中に引き入れた上での各個撃破が一番望ましい展開でしょう」


 ウソップの提案に苦い顔をするサンジに続いて口を開いたクオンをゾロ以外の全員がはっとして振り返る。クオンはいまだ遠くにあるアルバーナを見晴るかすように目を細めた。


「バロックワークスの標的は姫様ただひとり。姫様さえ反乱軍と接触できればいいのです。たとえ何らかの理由で反乱軍を止められず戦争になったとしても、姫様が生きていれば戦争を止められる可能性はゼロにはなりえない」

「けどよクオン、奴らを町に引き入れるってのァそう簡単にゃいかねぇだろう。どうするつもりだ?」

「……さて」


 敵もバカではない。敵の狙いがビビなのだとしたら、ビビ以外の者がどう誘導しようとも簡単には乗ってくれないはずだ。サンジに問われたクオンは眼前を見据えながら思考をめぐらせた。
 アルバーナはもう目の前に迫っている。考えている時間はない。だが妙案が浮かばない。ううん、と他の仲間も考えるが、なかなか口を開けなかった。鈍色の瞳でちらりとビビを見やったクオンが呟く。


「姫様は町の外に。しかし、敵は町の中へ。姫様を一度町の中へ入らせ、敵を撒いてから町の外へ……は、時間がかかりすぎますか」


 クオンの能力を使えばできないことはないが、おそらく確実に邪魔が入る。特にあの、赤い槍を持った男はクオンを決して逃さないだろう。そうなれば手間取っている間に戦争が始まってしまう。それでは意味がない。


「うーん……んん!そうだ!!じゃあ、誰がビビか判らなくすればいいんじゃねぇか!?」


 そう妙案を出したのはウソップだった。
 さすがに敵はビビがどのカルガモに乗っているかは判らないはずだ。そこで全員が同じマントを着てフードを被り町の中に入る。そうすれば、敵はビビが誰なのか判らない以上、確実に消すために追ってくるしかない。詳細な説明を聞いたクオンは成程と頷いた。


「そして、実際に姫様は町の外に待機してもらい、やって来た反乱軍と接触するということですね」

「そういうことだ!」

「いいわね、それでいきましょう」


 ナミも頷き、反対意見もないことでその作戦でいくことになった。ビビが言うにアルバーナには町に入るために5つの門があり、ならば西、南西、正面と見せかけて東側へとそれぞれ別れて戦力を分散させようと一旦足を止めて作戦を詰めていく。
 クジでの組み合わせで多少のいざこざ─── ウソップの駄々があったものの容赦なく切り捨て、早速それぞれが同じマントを羽織り、その中でクジには参加しなかったクオンは静かな眼差しをビビに据えた。


「姫様。今回の作戦、私は別行動となります」

「え?」

「私は執事です。姫様の執事。姫様と共にいるのが当然の存在。それもまた向こうに知られているはず。だからこそ、私は姫様と共にはいれません」


 主と執事は一緒に動く、と敵は思っているだろうし、執事が誰かと一緒にいればそれが主であるビビだと勘違いもするだろう。それに、執事が一緒にいる人物がビビでないという確証もないのであれば追って来るしかない。
 クオンはゾロから体を離し、仲間と同じようなマントを元々着ていた白いマントの上に重ねて着るとビビへ視線を戻した。


「アラバスタを取り戻すために、私はあなたと共にはいれません。なので、あなたを護ることもできません。……町に入ったあとすぐに駆けつけると、約束もできません」


 クオンは己の力を過信しない。特にユダという男は手早く片付けられるほど簡単な男ではないし、全力で相対しなければこちらが地に伏せさせられることはレインベースで身に染みて分かっていた。彼もアルバーナへ来ているはずだ、ならばその相手は自分以外の誰でもない。
 素顔を晒し、いつになく真剣なクオンの鋭い視線をビビは真っ向から受けとめる。


「姫様、アラバスタ王国王女ネフェルタリ・ビビ様。それでも、たったひとりで立ち向かう覚悟はありますか?」

「……いいえ、クオン。違うわ。私はひとりじゃない。カルーがいて、イガラムがいて、あなたやハリーがいて、ルフィさんやみんながいる。みんながいるから私はここまで来れたし、これから反乱を止めるの。止めてみせるわ。だって私は、この国の王女だもの」


 意地の悪いひと、でもそういうところも好きよとビビは笑う。敢えて試すような物言いはクオンの憎らしいところで、けれどそれに応えることができたなら、クオンは心から満足したようなやわらかい微笑みをくれるのだ。今のように。


「それでこそ、この私が膝を折った甲斐があるというもの」


 誇らしげに頷き、クオンは懐から愛嬌があるようで間の抜けた被り物を取り出した。上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物を被る。マントのフードを被れば少し小さく、被り物が隙間から覗くがそれでいい。王女の執事は視認してもらわなければならないのだから。


「さて、航海士殿。相乗りを希望しても?」

「ああ…ビビと似た体格は私だけだものね。いいわよ、けどその代わり、ちゃんと私のこと護るのよ!」

「もちろん、最大限の努力は致します」

「いやいいわ。あんたにそれ言われたら最大限どころじゃない努力されそうだし。敵はゾロにまとめてやっつけてもらいましょ!」

「てめぇはちったァ戦う姿勢くらい見せろ!」

「ナミさぁ~~~ん♡おれに任せてくれたらすべてあなたのお望みのままに♡♡♡」


 くねくねしながら♡を飛ばすサンジをナミがはいはいと軽く流す。
 クオンはナミのカルガモに移るために腰を上げようとして、ずっと背凭れになってくれていたゾロを振り返ると被り物の下で笑った。


「ありがとうございました、剣士殿。お陰でよく眠れました」

「ああ」

「航海士殿はああ言いましたが、いざというときは戦える方だというのはあなたも知っているかと」


 ナミはとても強い女だ。肉体は女のもので戦闘に特化しているわけではないが、それでも心得があることくらいは動きを見れば分かる。心などクオンが舌を巻くほど頑強であることは既に知っている。ウソップに新しい武器を作ってもらっていたようだし、本当にすべてをゾロに押しつけるつもりもないだろう。まぁ、できることなら戦いたくないし本音では自分以外に押しつけたいと思っているのも確かだろうが。
 ゾロはどこか苦く顔を歪め、しかしクオンの言葉を否定したりはしなかった。それにクオンは小さな笑みをこぼす。


「ゴア!ゴアゴガァ!」

「正門の方に向かってくる反乱軍も見えたって!それと、不審な奴らが町の外に5人!」


 ワルサギの報告をチョッパーが全員に伝え、瞬間空気がぴりりと張り詰める。クオンも笑みを消した。ナミが乗るカルガモに移る前に2人を運んでくれたカルガモを撫でて礼を言う。


「さて、ウズマキ。あなたはどうします?」


 チョッパーの頭から跳んできたハリーを受けとめて肩に乗せ、言葉なく全員がカルガモに乗って走り出す中、クオンはナミの後ろに腰を下ろすと空を飛ぶワルサギに顔を向けた。
 そもそも、ワルサギはユバまでの案内役を務めるよう頼んだだけで、ユバを出て以降は彼の意思でついて来てくれていたからそれに甘えていた。本来なら既にお役御免、解放されてしかるべきなのである。


「あなたはよく働き、そしてこの強行軍によくついて来てくれました。しかし、ここからは命の保証は致しません。私としては逃げることを推奨しますが」

「ゴア───!!ゴアゴゴアゴアァ!」

「『おれは最後までお供するってとっくにハラァ決めてんだ、いくらご主人様の命令でもここでのリタイアは聞けねぇ!』だって」

「……そうですか。では、あなたの意思を尊重しましょう」


 低くくぐもった声はにじむ感情が削がれて抑揚を欠いていたが、言葉の通りにワルサギの同行を許したクオンが唇をゆるめているさまは、その場にいる誰もが容易に思い描くことはできた。





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