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 耳がいいらしいスモーカーの言う通りに部屋に入ってきた3番目のバナナワニを仕留め、食った鍵を吐き出させるためにサンジが腹に蹴りを叩き込んで出てきたのは、白く丸い大きなボールのようなものだった。それが割れたかと思いきや現れた男は見たことのある自己主張の激しい髪型をしていて、どうしてバナナワニに食われていたかは分からないMr.3だった。
 見るからに干からびていたMr.3はあふれる水を飲んで生気を取り戻し、ルフィ達の存在に気づいてバナナワニから身を護った蝋でできたボールに付着していた鍵を元に状況の分析を始めて、頭の回転がよろしい男はすぐさま現状を把握するやあくどい笑みを浮かべた。
 Mr.3は鍵を放り捨ててせせら笑う。それに頭に血を昇らせたサンジがぶちのめそうとしたとき、制止の声をかけたウソップもまた悪知恵がよく働くがゆえに、手っ取り早い方法を口にした。


「そいつのドルドルの能力で…この檻の合鍵・・、造れねぇかな」





† レインベース 11 †





 ガチャリ、と軽い音を立てて錠が回る。ギイと蝶番が軋む音と共に檻の扉が開き、Mr.3をボコボコにして合鍵を造らせたサンジは紙を1枚貼りつけると用済みとなったMr.3を容赦なく蹴り捨てた。
 急ごう、時間がねぇ!と急かすサンジに頷いたビビが「奴らが一旦行こうとした通路がきっとアルバーナ方面よ」と言い、ようやく檻から出たゾロはルフィと共に通路から巨体を揺らしてやって来るバナナワニを見上げ、それぞれ己の得物を構えてフラストレーションをぶちまけるようにしてすべてのバナナワニを瞬殺した。彼らの視界の外では、私があれ1匹にどれほど、と嘆くビビを「いやおかしいのはあいつらの強さの方だから気にすんな!」とウソップが慰めている。


「はりーぃ!」


 高い鳴き声を聞きとめ、振り向いたゾロは相棒の危険を分かっていながら檻を齧り続けることをやめなかったハリーが見慣れた猫を模した被り物を背中に引っ掛けて泳いでくるのを認めた。
 結局檻の穴は子供ひとり分ほどもあいておらず、それでも相当な量を齧り取ったハリネズミの目には怒りがにじんでいる。その対象はクオンだ。ゾロに被り物を押しつけて瓦礫の上に転がるクオンへ飛びかかり、はりゃりゃはりりきゅっきゅいはりゅ!と何やら文句を言いながらぺちぺちと小さな手でクオンの顔を叩いている。クオンにはクオンなりの意図があってハリーに檻を齧り続けることを頼み、ハリーは内心を大荒れにしながらもクオンと仲間を信じてそれに応えたのだろう。


「お前も頑張ったな、ハリー」


 だからクオンに取り縋るハリーにそう声をかけてゾロは傍らの鬼徹を瓦礫から引き抜き鞘に戻す。クオンが斬らないよう抵抗してくれた鬼徹を褒めるように鞘をひと撫でした。
 ハリーはゾロの言葉に驚いたように顔を上げ、つぶらな瞳を真ん丸にして小さく頷くときゅぅと弱々しく鳴いてクオンの首元に顔をうずめた。気が済むまでそうさせてやりたいが、生憎時間がない。ゾロは意識を失ったクオンに被り物を被せて背負い、ハリーは自分の肩に乗せる。ハリーは抵抗なく肩に乗ってゾロの右肩に頭を預けたクオンに寄り添った。

 部屋が崩壊する前に一同は通路を行こうとして、ピシッと壁に嫌なひびが走ると同時、バナナワニを仕留めるために大暴れした余波をもろに受けた部屋の壁が限界に達し一気に崩壊した。


「うわあっ!!壁が壊れたぁ!」

「アホォ!!やりすぎだ!!」

「通路まで壊れた!!脱出だ!脱出するぞ!!」


 大きくあいた穴から大量の水が流れ込む。通路までが壊れてしまった以上そこは使えない。この部屋に残された扉を行くのはやめておいた方がいいとサンジが言い、では残る選択肢はひとつだけだ。
 ゾロは素早く腕に巻いた手拭いでクオンの両手首を縛って固定した。そこに自分の首を通して引っ掛ける。これで万が一両手がクオンから離れても大丈夫だろう。


「おいゾロ!!あいつを助けろよ!!」


 ふいにルフィに名指しで言われ、あいつ、とルフィが指を差す男を見たゾロは思い切り眉間にしわを寄せた。ルフィと同じく悪魔の実の能力者であるスモーカーと目が合う。


「あァ!?敵だぞ放っとけ」


 スモーカーは海兵だ。助ける義理など欠片もなく、しかも“東の海イーストブルー”のローグタウンからわざわざ“偉大なる航路グランドライン”まで追いかけてくるほど執念深い者を助ける理由などどこにもなかった。
 海賊としての正論を返したゾロに、しかしルフィは譲らない。 


「放っといたらお前!あいつ死んじまうだろ!!カナヅチなんだぞ!」

「いや…そりゃ分かってるがよ…あいつは」


 敵を助けることに特に理由を挙げないルフィが、らしいと言えばあまりにもらしく、ゾロは反論の言葉を失くした。有効な説得の言葉が思いつかなかったとも言う。というか、この状態のルフィに説得など効かないだろう。


「はりり!」


 ハリーの鋭い鳴号が飛ぶ。はっとしたときには壁にあいた穴がさらに広がりドドオオオッと轟音を立てて勢いよく大量の水が部屋の中へとなだれこんできた。
 逃げ場のない水は瞬く間に部屋の中を埋め尽くしていく。流れ込んだ水にルフィをはじめとした仲間が呑まれ、なすすべのないスモーカーもまたクソ!と悪態を残して激流に呑まれたのを見たゾロは、流されていくルフィをサンジが追うのを視界に入れてクオンを背中から前に抱え直した。片腕で意識のない体を支える。そうしている間にも水位はどんどん上がって既に足は地面を離れていた。


「ハリー、流されねぇようにしっかり掴まってろ!」

「きゅあぃ!」


 任せろ!と言うようにハリーが応えてゾロの肩からクオンの胸元へと飛び降りる。短く小さな両手でしっかとクオンのマントとゾロの上着を握り締めたハリーを見ることなく、大きく息を吸ったゾロはクオンを抱える腕に力をこめて水の中へと潜った。






 レインディナーズを囲む湖を泳ぎ、岸に上がる仲間の後に続いて水面に顔を出したゾロはまず先に不本意ながら運んできたお荷物を水から引き上げた。次いで前に抱えたクオンごと水から上がる。途端、スモーカーを見たサンジがうわっ!と顔を歪める。


「おいおいゾロ、てめぇなに敵連れてきてんだよ!」

「うるせぇ不本意だよ。…どうせくたばり損ないだ」


 サンジの言葉はもっともだが、ゾロとて助けたくて助けたわけではない。しかしそのことで言い争うつもりもなく言葉を切れば、サンジは物言いたげな顔はしたが優先順位を間違わず「まぁいい、とにかく先を急ごう!」とすぐに思考を切り替えた。
 服が水を吸って幾分か重くはなったが負担に思うほどではないクオンの手首を縛っていた手拭いを解いて右腕に抱え直し、ゾロは肩の上で心配そうに相棒を見やるハリーに大丈夫だと声をかける。クオンの被り物は被せる前に防水機能に切り替えておいたから水は飲んでいないし呼吸も遮られていない。ちらとゾロを一瞥したハリーが小さく頷く。

 さて、これからどうするか。確かなのは、とにかくアルバーナへ急がなければならないということ。
 サンジがビビに間に合うかと訊き、ビビは正直に分からないと答えた。国王軍と反乱軍がぶつかり合い“戦争”が始まるまで8時間を切っており、レインベースからアルバーナまでは直線距離でもそれ以上はゆうにかかる。だがサンジは特に焦燥を顔には出さず、今度はナミに向かってナノハナで買った香水を持っているかと訊いた。髪留めで髪をまとめたナミが頷き、すかさず体につけるんだと言われて言われた通りに香水を首元に振る。


「こう?」

「ア~~~~~あの世の果てまでフォーリンラブ♡」

「いやマジでイっちまえお前」


 目を♡にしてメロメロと崩れ落ちるサンジにゾロが呆れを隠さずにツッコむ。ハリーも目を半眼にしてため息をついた。
 と、視界の端を何かが掠め、ゾロは本能が命じるまま左手で刀を引き抜く。「ロロノア!」とスモーカーが低く名を呼び、同時に突き出された十手の先と顔の前に掲げた刀の腹がぶつかってギィン!!と鋭い音が響いた。


「なぜおれを助けた」


 剣呑な眼差しと共に短く重い問いが飛んでくる。ゾロはすぐには答えず、ただこの男を助けろと言ったルフィを思い出した。
 ゾロからすれば不本意極まりないことだ、わざわざ厄介な海兵を助けるなど。助ける義理も道理も何もない。だが、ただひとり船長と戴く男が言ったからそうしただけのこと。
 大した力も入っていない十手を弾き、ゾロは表情を変えないまま答えた。


「“船長命令”をおれは聞いただけだ…別に感謝もしなくていいと思うぜ?こいつの気まぐれさ、気にすんな」

「……。…じゃあ…おれがここで職務をまっとうしようと…文句はねぇわけだな?」

「……」

「見ろ、言わんこっちゃねぇ。海兵なんか助けるからだ!」


 得物を手に向かい合うゾロとスモーカーにサンジが割って入る。だがゾロもスモーカーも互いに何も言わずに睨み合い、張り詰めた空気に反応したか、ゾロの肩の上でハリーがぶわりと背中の針を逆立ててスモーカーを威嚇した。


「ッア───シ!!!野郎共アルバーナへ一目散だ!!!」

「クロコダイルはどこだ───!!!」


 一触即発の空気が場違いな気合い十分の雄叫びに掻き消される。どうやら気を失っていたウソップとルフィが目を覚ましたようで、ゾロの意識もスモーカーから2人の方へ逸れた。ついでに気も削がれてため息ひとつついて刀を納め、腕に抱えていたクオンを背負い直して肩に被り物をした頭をのせる。
 目を覚ましたかと思えば騒がしい2人にハリーも気が抜けたようで、やれやれと首を左右に振って臨戦態勢を解いた。


「うおっ!けむりっ!やんのかお前!!」

「ぐあァ!スモーカー!!おいルフィやめとけ逃げるぞ!!」


 十手を手にするスモーカーに気づき真剣に拳を構えるルフィを見て、スモーカーはふいにちらりとゾロに背負われたクオンへ視線を滑らせる。


それ・・は置いていけ。てめぇらに御しきれるものじゃねぇってのは分かっただろう。何より、雪狗は名を馳せすぎている。クロコダイル同様恨みを抱いてる奴もごまんといるぞ。ここで手放しておいた方がてめぇらのためだ。……これは親切心で言ってやってる」

「ギョすとかユキイヌとかなんとか知るか!何があっても絶対に手放さねぇし、海軍にも渡さねぇ!!クオンはおれの仲間だ!!!


 強く拳を握り締めてルフィが怒鳴り、白い脚を抱える腕に力をこめたゾロに背負われたクオンの傍にビビとナミが寄る。サンジもまたすぐに動けるように前に出て、ウソップは後ろに下がりつつパチンコを構えた。
 全員が譲らぬ意志を宿した確固たる眼差しでスモーカーを睨み据える。スモーカーはそれに目を細め、近づいて来る海兵達の微かな足音を耳に、ふと肩の力を抜いて瞼を下ろすと浮かせていた十手の先を地面につけた。


「……行け」

「ん?」

「─── だが今回だけだぜ…おれがてめぇらを見逃すのは。……次に会ったら命はないと思え、麦わらのルフィ」


 海兵でありながら職務放棄を明言したスモーカーがルフィを鋭く睨む。ルフィはスモーカーを無言で見つめ、やおら腕を下ろすと拳を解いた。
 スモーカーの思ってもない言葉に驚いていた麦わらの一味の中で、ひとりゾロはハハと笑みを浮かべた。いつの間にか移動し緑の髪に埋もれるようにしていたハリーがそれでいいのか海兵、と言いたげにため息をつく。


「あそこだ!!麦わらの一味だぁ!!!」


 集まってきた海兵に叫ばれ、追いつかれる前に一同はさっさと背を向けて駆け出す。スモーカーが見逃すと言ったのだから後ろからの攻撃を気にする必要はない。ここで己の言ったことを曲げるような男なら“偉大なる航路グランドライン”までルフィを追って来はしない。
 アルバーナがある東へ向けて真っ直ぐ向かうサンジ達に続こうとしたゾロは、じっとスモーカーを見つめて佇むルフィに「おいルフィ、急げ何してる!」と声をかけて促した。ああ、と答えたルフィはしかし何か余計なことをスモーカーに言ったようで、「さっさと行けぇ!!」と青筋を浮かべて怒鳴り振るわれた十手から逃れるべく慌てて駆け出した。
 そのまま先頭にまで突っ走るルフィの背を見送り、追ってくる海兵の呼号を背景に最後尾を走りながらゾロがおもむろに口を開く。


「余計なことは考えんな。お前はビビのことだけ考えてりゃいい」

「……」


 返事はなく、身じろぎひとつない。けれど聞いていることは分かっている。
 意識の有無でかかる重さは変わる。既に数度クオンを背負ったことのあるゾロにとって、クオンが意識を取り戻した瞬間を悟ることは容易かった。
 目を覚ましたのはスモーカーの十手を受けたときで、だが身じろぎひとつせず様子を窺っていたようだったからそれに合わせてやったのだ。そしてクオンを置いていけと言い忠告を重ねたスモーカーの言葉を聞いて微かに体を強張らせたのも見逃さず、頭が良い分どうせごちゃごちゃと余計なことを考えているに決まっているクオンに釘を刺す。


「揺らぎそうになったらビビやルフィを思い出せ。あの2人だけじゃなく、ナミもウソップもコックも、……おれも、お前が何だろうと仲間であることに変わりはねぇ」

「……、……」

起きるまでに・・・・・・その無駄に良い頭にしっかり叩き込んどけ」


 それきり口を閉ざして仲間に続き町の外へと駆けるゾロの首に、しがみつくにはあまりに弱く、躊躇いをにじませた白い腕が恐る恐る回る。拒絶されるのかもしれないと今更怯えるその腕をゾロが何も言わずに受け入れて好きにさせれば、被り物をした頭がやわく肩口にすりつけられた。


「……うん」


 こぼれた幼い声は低くくぐもり、被り物が声量を僅かに削ぐせいで気のせいかと思うほどに小さい。けれど確かに耳に届いたそれを、ゾロは決して聞き逃さなかった。





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