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「斬撃が…飛んだ!?そんなことありかよ!!」

「何で!クオン、私達が分からないの!?」


 まさかクオンに攻撃されるとは思っていなかったナミとウソップが抱き合って震え、再び刀を構えたクオンを見てゾロも身構える。ルフィも佇んだまま逸らすことなくクオンを見つめていて動く気配はなく、そんな一味を見てスモーカーが鋭く舌打ちした。





† レインベース 10 †





「ホワイト・ブロー!」


 柵の隙間を縫い、勢いよく白い煙が刀を構えるクオンへと迫る。ぬるりと動いた眼球がそれを認めて斬り捨てるために刀が振られたが、自然ロギア系の能力者であるがゆえにたなびく煙を薙いだだけで、クオンは開いた拳に首を掴まれて宙へと持ち上げられた。気道が締まって苦しいだろうに、美しい顔は苦悶ひとつなく微動だにしない。


「お前!やめろクオンを放せ!!」

「今の攻撃を受けてもまだ寝言を言うつもりか!!あいつはお前らを殺すぞ!!」


 ルフィが振り向きざまに怒鳴り、嵩を増していく水につからないようにしながらクオンの首を掴んだままスモーカーも怒鳴り返した。眉間に深いしわを刻み、ルフィを睨みながら「殺すわけじゃねぇ」と絞り出すように唸って葉巻を噛む。


「これ以上暴れられちゃ困るから大人しくしてもらうだけだ。このままお前らの仲間が来るまで───」


 言いさして、ふいにスモーカーは目を見開き息を呑むと放り投げるようにしてクオンの首を掴んでいた手を離した。半瞬遅れてスモーカーの手があった場所を白刃が過ぎる。白い痩躯が水面に降り立ち、虚ろな鋼が檻の中の“敵”を映して、誰かがクオンの名を呼んだときには突きの形に飛んできた無数の斬撃をゾロはすべて受けた。
 ガガガキィンガキガガガキキキィンンンン、剣戟の音が響く。突きは速く、しかして軽い。的確に柵の隙間を通るよう飛ばされた斬撃は震える鬼徹が軌道をずらし半分は柵にぶつかって消え、残る半分をいなしたゾロは決してクオンに敵対姿勢は取らなかった。敵意、闘気、それに準ずるものを何一つ表に出さず静かに相対する。
 剣戟の余韻すら薄れた空間に、水が流れ込む音に混じって抵抗するようにカチカチと鬼徹が震える音が小さく響いた。


「ゾロ」

「分かってる。何もしねぇ」


 ルフィの意図を察し、ゾロは突きの構えを取ったまま無表情にこちらを見るクオンと目を合わせながら短く言葉を返す。
 クオンはビビの“命令”に従い、生きるために己の脅威となりそうなものへ反射で攻撃を仕掛けてくる。だから敵意も害意も何もないのだと示せばこちらに手を出してくる理由はないはずだった。それが今のクオンに通じるかは判らないが、攻撃を受けても反撃をしてこない人間への追撃が途絶えたことが、望みがまったくないわけではない証左だ。

 がらんどうの鋼と真っ向から目を合わせて、ゆっくりと呼吸を5つほど数えた頃。一度“敵”と認定したものに対する虚ろな殺意が薄れ、突きの構えが微かにゆるんだ、そのとき。


「ガァアアアルル!!!」


 今まで様子を窺っていたバナナワニが3匹、一斉にクオンへと牙を剥いた。瞬時に身を翻したクオンが姿を消して空気を噛んだバナナワニの頭上に現れ、白刃をそれぞれに振り落とす。目にもとまらぬはやさでほぼ同時に水へと叩きつけられたバナナワニがそれでも何とか意識を繋ぎとめたようで身をよじって立ち上がり、低く唸りながらクオンから距離を取ると沸点を超えてキレたとき独特の鋭い目で白い獲物を睨み据えた。
 じりじりと間合いをはかり飛びかかるタイミングをはかるクオンとバナナワニ達をよそに、檻の中では太ももまで水が迫ってルフィ達が顔色を変える。


「あああああ水が~~~!!!」

「死ぬ───!死ぬ───!!ぎゃあ───!!!」


 慌てるルフィとウソップを横目に、ゾロは苦い顔をしながら刀身を鞘に納めた。今の自分では檻を斬ることはできない。足りない、剣の腕がもっとあれば、せめて今のクオンのような力があればと思わずにはいられなかった。
 クオンの導きで鬼徹の“声”をより深く聴き取ることはできるようになった。しかしそれでもまだ足りないのだ。

 焦る麦わらの一味とは違い、落ち着き払って腰を落とすスモーカーが何やら話すのを流し聞きながらゾロはクオンを見た。バナナワニを仕留めるために刀を振るうそのさまの挙動ひとつひとつをつぶさに観察し、そして気づく。


(動きが鈍くなってやがる)


 2匹のバナナワニをまとめて薙ぎ払い、同族を踏み越えて迫るバナナワニから跳躍して距離を取ったクオンが檻近くの水面に降り立つ。ばしゃりと水が跳ねて波紋が立ち、翻るマントから覗く白い燕尾服があちこち赤く染まって、ふさがらない傷からあふれる血の量に舌打ちする。
 体の内側から上がる悲鳴を無視して意識なく動き回るクオンは、あのままでは確実に死ぬ。ゾロの脳裏に人としてのぬくもりを失くして横たわるクオンの姿がよぎり、無意識に手を固く握り締めた。

 ちょこまかと動き回り絶えず痛みを与えてくる獲物に痺れを切らしたバナナワニが大きく吼える。肌が震えるほどの雄叫びにもクオンは表情のない顔を虚ろに向け、水を蹴って瓦礫に一度跳び乗るとバナナワニへ飛びかかろうとして─── がくん、と体勢を崩した。


クオン!?」


 はっと息を呑んだナミが叫ぶ。
 咄嗟に瓦礫に刀を刺して杖代わりにすることで何とかその場に倒れ込むのを避けたクオンは、しかしそれ以上一歩も動けないようで上半身をまごつかせる。白いスラックスに覆われた下半身はぴくりとも動かず、痩躯を支えることもできずに力なく瓦礫に座り込んでいた。


「……、……?」


 消えた表情はそのままに、クオンは鋼の瞳をしばたたかせる。なぜ己の脚が動かないのかが分からないとばかりに脚を動かそうとして瓦礫を滑り、刀の柄に両手をかけて体を持ち上げようとして、


「ごぼっ」


 何の前触れもなく、クオンは血を吐いた。


クオン!?おいクオン、どうしたんだ!?そのバナナが何かしたのか!?」


 唐突に異常をきたしたクオンにルフィの焦燥にまみれた声が飛ぶ。ぼたぼたと口からあふれる血に白手袋に覆われた手が濡れ、それを呆然と眺めるクオンに、限界だ、とゾロは内心で舌打ちして冷や汗をにじませた。あの様子では痛みすら感じていないのだろう、ゆえに知らず無茶を重ねて、肉体が先についていけなくなった。


「………………?」


 油の切れたロボットのように鈍く身じろいだクオンの手からも力が抜け、瓦礫に刺さった鬼徹の傍らに倒れ込む。立ち上がることもできず瓦礫の上を這う肢体が震える手を刀に伸ばし、だが触れる寸前でふつりと糸が切れたように沈んだ。同時にかろうじて持ち上がっていた頭も力なく落ち、鋼の瞳が白い瞼に覆い隠されて見えなくなる。
 “命令”を遂行することかなわず力尽きて倒れたクオンを訝しげにバナナワニが窺い、しかしすぐに隙だらけの獲物へと牙を剥いた。濁った雄叫びを上げて鋭い歯列がクオンへと迫る。


「おおおおやべぇぞクオン!!おい起きろ!!逃げろ!!食われちまう!はぅっ…力が…」

「だから柵に触んじゃねぇよルフィ!クオン!!クオン頼む起きてくれぇええ!!」

「クソッ…!」


 ぴくりとも動かないクオンを助けようにも、檻の中からでは何もできない。だからといってただ見ていることはできず、ゾロは一か八かと刀の柄に手をかけた。クオンがやってみせた飛ぶ・・斬撃・・。あれが使えれば。
 できるかどうかを考える暇はなかった。バナナワニの巨体は飛びかかるようにしてクオンへ肉迫し、鋭い牙を覗かせた口がひと息に噛み潰さんとしている。
 刀を抜き、クオンの一挙手一投足を思い出しながら振るおうとしたゾロはその瞬間、バナナワニの巨体の下へと滑り込んだ金髪の男を見た。


「“食事中は極力音を立てませんように”─── 反行儀アンチマナーキックコース!!!


 ドゴゴゴォン!!!


 決してガタイがいいとは言えない体躯から繰り出された凄まじい蹴りがバナナワニの腹に叩き込まれ、宙に浮いてひっくり返った巨体が腹におさめていた瓦礫を吐いて水に沈む。
 ゾロは半ば呆然と文字通りバナナワニを一蹴した男を見て、視界の端で崩れかけた階段に座り込むビビを認めた。どうやら間に合ってくれたらしい。


「フ───……オッス、待ったか?」

「「プリンス~~~~~!!!!」


 咥えていた煙草を手に、なぜか眼鏡なんぞかけて格好つけたサンジが言えば、ルフィとウソップが肩を組んで歓喜の雄叫びを上げる。
 だが、いかなサンジでもこの檻は蹴り壊すことはできないだろう。それでもクオンの命の危機は去ったと言っていい。内心の安堵を隅に追いやり、こちらの危機的状況は変わっていないことにバカやってねぇでさっさと鍵を探せ!とゾロが怒鳴るが、サンジは「ナミさーん♡ホ…♡惚れた?」と体をくねくねさせてアピールに余念がなく、はいはい惚れたからさっさとここ開けて!と軽く流されたにもかかわらず「ア~~~イ!!!」と元気に返事をするサンジに果てしなきバカだなあいつはと思わず罵倒がこぼれる。


「ビビ~~~!!!よくやったぞ!!!」


 階段の上に座り込むビビにルフィが親指を立て、ビビが笑って親指を立ててそれに応える。だがすぐに下へと視線を走らせ、クオンが瓦礫の上に倒れていることに気づいて顔色を変えた。


クオン!!!」

「そうだ!クオンがいきなり倒れたんだよ!!血も吐いて…!」

「あ?クオンがこのクソバナナ程度にやられるはずがねぇだろ。何があったんだ」


 言葉少なに説明するウソップを振り返り、倒れるクオンを見下ろして怪訝そうにサンジが眉を寄せるが、真っ白執事だけではなく突然現れた金髪黒スーツの男に仲間をやられて激昂するバナナワニが続々と唸り声を上げて部屋に入って来るのを見て「その話はとりあえず後だ!」とウソップが叫ぶ。全部ぶっ飛ばしてくれぇ!!と檻の中から飛んできたルフィの声援に応え、サンジは倒れるクオンと階段から飛び降りてクオンに駆け寄るビビを護るようにバナナワニの前に立った。

 一方、ビビはそのとき、クオン以外何も目に入っていなかった。仲間達が何かを話しているのは分かるが、意識の外で耳を素通りしていく。水に足を取られながら瓦礫の上に倒れ込むクオンのもとへ一目散に駆け寄り、右の額から顎までと口元を赤く汚す美しい顔を覗き込んだ。
 額から流れる血は止まっていない。口元からもこぽりと新しい血がこぼれて、浅く弱いが確かに呼吸をしているのが判る。


クオンクオン…!ああ、ごめんなさい、クオン!!」


 ぐしゃりを顔を歪めて眦に涙をため、瞳の色を瞼の裏に隠したクオンの体へと縋りつく。ぱたぱたとこぼれた涙がクオンの頬に落ち、血を少しだけ拭い取って瓦礫にしみを作った。
 ビビの“命令”は確かにクオンを生かしただろう。しかし、ビビの“命令”がクオンをここまで追い詰めてしまった。そして何より、ビビはクオンの瞳を、その鋼の色を、自分以外の者に晒させてしまった。クオン自身すら知らないその事実は、絶対に隠し通さなければならなかったのに。
 後悔がないと言えば嘘になる。けれど何度同じ時を繰り返しても自分は同じことをするだろう。クオンを死なせないために、ビビは己が立てた誓いすら破ってみせたのだから。
 ごめんなさい。ごめんなさい。こんなふうになるまで戦わせてごめんなさい。でも、よかった。生きていてくれて本当によかった。


「生きていてくれて、ありがとう……!」


 明らかな満身創痍で、きっと途中で倒れてしまって、おそらく本当にぎりぎり間に合ったのだろうけれど、こうして呼吸を確かめられる。低い体温ではあるけれど、ちゃんと人としてのぬくもりがそこにあった。
 ビビは涙を拭い、嵩を増していく水でクオンの顔を拭った。赤い汚れが水に流されていく。じわりと血を滲ませる額の傷に濡らしたハンカチを押し当て止血を試みるが、このままでは応急処置すらままならない。早くここから出て医者に診てもらわなければ。
 そのためには、彼らを檻から出すために鍵を探す必要がある。相手は獰猛なバナナワニ、しかしサンジならきっと何とかしてくれる。彼の邪魔にならないようにいつでもクオンを抱えて逃げられる体勢を取り、きゅっと顔を引き締めて前を見据えた。





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