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「ね、ねぇクオン……怒ってる?」

「いいえ?怒ってませんよ、何一つ怒ってません。何も怒ることなどありやしないでしょう、ええ、何もありませんとも。私は姫様の執事でどこまでも姫様について行くつもりだったのに姫様はそうではなかったなどと、今更知ったところで別に怒りはしませんとも」

「怒ってるじゃない!!拗ねてるじゃない!!!ごめんなさいクオン!!!!ねぇ謝るから愛してるからこっち見てよクオン───!!!」

「ツーン」

「おいこっち来んなおれを巻き込むな」

「いいんです、こうなったらめいっぱい“浮気”してやりますので」

「めんどくせぇなお前」


 ぷんすかしながらビビの謝罪と愛の叫びを遮るようにゾロの後ろに回り込んで思い切り背中合わせに凭れてきた真っ白執事に大きくため息をついて、私のことをまたひとつ知れてよかったですねとやや投げやりに返ってきた低くくぐもった声が消沈しているのを正確に読み取ってしまったゾロは、もうひとつ小さなため息をつくと拗ね倒すクオンの好きにさせることにした。





† レインベース 1 †





 地面に座り込み地図を開いてクロコダイルのいるレインベースというオアシスの場所を説明し、そこが国の反乱とは無縁のギャンブルの町と聞いてナミが目をベリーにしたのはご愛敬、トトがくれた小樽一杯の水をひと口欲しがるウソップとダメだと言って頑なに譲らないルフィの攻防を挟み、一行は次の目的地がある北へと顔を向けた。

 ビビが説明している間ゾロの背中に凭れていたクオンは立ち上がった際に一瞬ビビと被り物越しに目が合い、しかしすぐにぷいと顔を背けて視界から弾き出した。ガンッ!!!と盛大にダメージを食らったビビがその場に崩れ落ちて濁った声で嘆く。情けなくめそめそと涙混じりに名前を呼ばれたがクオンは無視をしてゾロの手を掴むとさっさと歩き出し、「浮気…浮気だわ……」となじる湿った声を聞かなかったことにする。


「いつまで拗ねてんだお前、いい加減機嫌直せ」


 宣言通り“浮気”をするクオンを呆れたように見下ろしてゾロが言えば、右肩にハリーを乗せたクオンはちらりとゾロを見上げてすぐに顔を前に戻した。


「もう拗ねてはいませんよ」

「ならさっさとビビんとこ行け。そろそろマジで泣きそうだぞ」


 クオンにつれなくされてめちゃくちゃにへこみこの世の終わりのような絶望顔で真っ白執事の背を見つめ時折恨めしげにゾロを涙目で睨みながら後ろを歩くビビを指して言われ、クオンは被り物の下で苦笑した。
 ルフィ達の命をも賭けることに決めたビビが今更クオンだけを巻き込まないわけがないと分かっているし、ゾロを背凭れにしたことでだいぶ気が晴れたこともあって口にした通りもう怒っても拗ねてもいない、そしてビビがそろそろ本気で泣きそうなことも言われずとも分かっている。


「……まぁ、あまりやりすぎては可哀想ですからね。この辺で手打ちとしましょう」

「てめぇも大概イイ性格してやがる」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

「褒めてねぇ」

「知ってます」


 軽やかに言葉を打ち交わし、クオンがゾロの手を離すと、その手がぼすりと被り物に乗って「行ってこい」とクオンの背中を押す。笑みを浮かべ小さく頷いたクオンは足を止めるとゾロに背を向けてビビの方に体を向けた。
 突然振り返ったクオンにビビがはっとして顔を上げる。クオンは無言で両腕を広げた。背後で足を止めたゾロの気配を感じながら、見えなくとも伝わると分かっていてビビを真っ直ぐに見つめて微笑む。


「おいで、姫様」

クオン~~~!!!」


 瞬時に腕に飛び込んできたビビを抱きしめ、ごめんなさい愛してるぅううと泣き叫ぶ彼女の背をはいはいよしよしと優しく撫でる。怒ってない?怒ってない?と涙目で上目遣いに窺ってくるビビに被り物の下で苦笑した。


「私はあなたの執事なのですから、きちんと巻き込んでもらわなければ困ります」

「うん…!!う゛ん!!!」

「そうでなければあなたを護ることができないでしょう。あなたが私を死なせたくないと思っていることは知っていましたが、私も同じことを思っていると理解してください」


 うん、うん、と何度も頷いたビビが目許を拭い、クオンの手を両手で握り締めて真っ直ぐに見上げる。


「改めてお願いするわ、クオン。私の国のために、その命、私に預けて」


 貫くようなその眼差しの強さと揺るぎない覚悟に満ちた声に、満足げに頷いたクオンは膝をついて応えようとして、ぐっと手を強く握り締められたことで動きを止めた。ビビと見つめ合う。ほんの数秒の沈黙を置いて、クオンはふ、と口元をゆるめた。膝をつく代わりに、クオンもまた両手でビビの手を握り返す。


「ええ。存分に使いなさい」


 嬉しそうに満面の笑みを浮かべたビビが勢いよく飛びついてくるのを、クオンは慣れた様子で受けとめた。
 仲直り、というにはそもそもケンカすらしていなかったが、とにかく穏便に落着した主従に全員がほっとして再び歩を進める。
 ごろごろと首元に懐いてすんすんすんすんすんと匂いを嗅ぐビビを好きにさせて苦も無く抱えたまま歩き、そういえば、とクオンがおもむろに口火を切った。


「思ったのですが、皆様はこのままレインベースへ、私は姫様の書状か何かを携えてカトレアの反乱軍のもとへ行った方が」

「却下」「ダメだ!!」「ダメよ」「大人しくしてろ」「いやダメだろ」「クオン一応病み上がりだって自覚しろ!?」

「あっれぇ?」

「じゃねぇよバカ野郎」


 言葉を途中でビビ、ルフィ、ナミ、サンジ、ウソップ、チョッパーに遮られゾロにべしりと被り物を横に叩かれて呆れられ、くるくると回る被り物を肩に乗ったハリーが同意するように手をかけてさらに回した。空を飛んでいたワルサギにまでそれはさすがに、と言わんばかりの声音で鳴かれ、効率の良い提案をしたつもりのクオンは被り物の回転を触れずに止めると小さく首を傾ける。
 己の脚力と悪魔の実の能力を合わせれば、単身なら数時間も経たずにカトレアへ辿り着ける計算ではあるのだが。たとえカトレアでバロックワークスが待ち受けていたとしても問題なくリーダーのもとに書状を届けられる自信がある。


「ダメよ、絶対にダメ。クオンに単独行動させたら何するか分からないもの」

「誰も見てないところでまた無茶すんだろお前、そりゃダメだ」

「死んでも離さないわよあなたはこのまま私達と一緒にレインベースに行くの」

「姫様の目がマジ」


 過去の言動から別の意味での信頼度が高すぎるようで、真顔でゆっくりと首を横に振るナミとウソップ、がっしりとマントにしがみついて凄んでくるビビの剣幕に押されて「分かりました、皆様と一緒に行きます」と前言を撤回すればそれでよしと全員に大きく頷かれた。過保護ですねぇと思わないでもないが、単独行動で無茶はしないと約束できるかと問われれば無言になってしまうのでその単語はそっと呑み込む。

 ビビを降ろし、気を取り直して先を行く一行にクオンも続く。ナミがラクダに乗り、姫様もとクオンは勧めたがビビは首を横に振った。ぴたりと横に並ばれ、さりげなく周囲を囲むようにルフィ達が歩く。全員に止められたから実行する気はないというのに、本当に心配性な仲間達である。だがその心配を素直に受け入れることにして、肩に乗ったハリーを撫でたクオンは何も言わずに歩を進めた。






 暫く灼熱の砂漠を歩き、太陽が南中した頃。あまりの暑さにアーアー言うルフィとウソップにナミが小言を言い、何だよお前はラクダに乗ってるくせによ、そうだおれ達も乗せろと返されラクダ女ナミラクダなどと続けて言われて「うっさいわね!!」とナミがキレたがまあいつもの戯れだ。気分転換にもなるだろうとクオンは気にせず砂を踏みしめて歩く。それよりもと、後ろを振り返りゾロとサンジに挟まれているチョッパーを振り返った。


「船医殿、本当に凍針こごばりはいりませんか?」

「大丈夫だよ、クオン!おれは今日は頑張るんだ!」


 砂漠の暑さはトナカイの身では相当きついだろうに、こたえた様子を見せずしっかりと己の足で立ちふんすと鼻を鳴らすチョッパーを横目にゾロが口角を上げて笑み、サンジもどこか嬉しそうに笑って煙草に火をつけた。
 チョッパーは気合十分、そして弟を見守るようにゾロとサンジが付き添っているのを見たクオンは「我慢できなくなったら言ってくださいね」とだけ言い置いて前を向き、お前が言うなと言わんばかりの目をした男2人の視線から逃れた。
 私は我慢できたから言わなかっただけでと内心ぼやくが、それを口にしたら全方向から集中砲火を食らう気がするのは決して気のせいではないだろう。口は禍の元、沈黙は金、言わぬが花、何だか違う気がするがとりあえず口は噤んでおく。


「ルフィさん」


 ふいにビビがルフィを呼び、砂漠の暑さに辟易し少し荒い呼吸を繰り返すルフィが振り返る。ありがとう、と礼を紡いだビビはふと俯き、隣を歩くクオンのマントを握ると「私じゃとてもこんな決断下せなかった…」とこぼす。ルフィは再び前を向いて進むべき方向を見据え、荒い呼吸を繰り返しながら、手に持った木の棒を杖代わりにして一歩一歩を進めていく。


「メシ食わせろよ」

「え?」

「クロコダイルをぶっ飛ばしたら、死ぬほどメシ食わせろ」

「─── うん。約束する!!」


 恩を押しつける様子もなく、一国を救うにしては安すぎる、しかしあまりにルフィらしい報酬に、ビビは心からの笑みを浮かべて頷き、クオンもまた被り物の下でやわらかく目を細めた。









「プルプルプル…プルプルプル…プルプルプル─── ガチャ」

『はいはいこちらターミナルS!』

「デバイスB。作戦の決行が決まった、明朝7時だ。……このままではすべてあいつの思う通りに進むだろうな。詳細はお前の子飼いに渡すから確認しておけ」

『おっけーおっけー。ん~でもマジでやばいね、長い長い歴史を持つアラバスタ王国もこれまでか~盛者必衰の理なりにけり~残念無念また来世~~~わーぉ世界が荒れるわね~~~』

「で、麦わらの動きは」

『ナノハナを出てエルマルに辿り着いたところまでは追えてるよー。王女が持つ古い・・情報・・の通りにユバに向かって、カトレアまで急ぎ取って返すか……こわぁいワニさんを潰しに来るかのどちらかじゃない?』

「あの甘ちゃん王女なら反乱軍を止めに戻ると思うが」

『それをあの麦わら君がよしとするかな~~~?』

「そう思ったならお前とこうして話していない」

『でしょーね。ま、あなたの予想通り麦わら君達はレインベースに向かってるはず。彼らの後を追ってエルマルを出た子達も会ってないみたいだし、間違いないでしょ』

「……そうか」

『ね、ユダまだ・・壊しちゃダメよ』

「分かってる。機は熟していない」

『そう、ならいいの!ちゃぁんと絶望させて、無力さを嘲笑って、今度・・こそ・・心を壊しきってね』

「ああ」

『じゃあ後は任せた~~~次の連絡は完遂報告だと嬉しいな!次に捨てる場所はピックアップしておくからさ!期待してるよ~~~じゃあねっ!!』

「ガチャリ」

「……」


 最後まで騒々しかった通話相手の擬態をやめて目を閉じた電伝虫を暫く見下ろし、受話器を殻に戻した男は首にかけていゴーグルをはめ直すと、暮れゆく西の空を冥い目で睨みつけた。





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