11





 梯子の下に辿り着いたところで、クオンはルフィから被り物を外した。なんだもう終わりかと口を尖らせるルフィに「またいずれお貸ししますよ」と言って懐へしまい直す。


「分かった!約束だからな、クオン!」

「……ええ」


 まるで人を疑うということを知らないような明るい笑顔を眩しそうに見て、小さな頷きを返した。





† 双子岬 6 †





 梯子を登りきったクオン、ミス・ウェンズデー、Mr.9の3人は、あらさっきの、と目を瞬かせたナミの前に膝をついた。


「どうしたのよクオン?」

「ええ、実は少々お願いが」

「いいぞ」

「船長殿、まずはお話を聞いてください」


 むい、と思わず隣に屈むルフィの頬を引っ張ったクオンが「うわ、めっちゃよく伸びる」と驚きをにじませた声を上げる。
 ゴムゴムの実を食ったからな!と笑うルフィの能力は何度か見て分かっていたが、それでも実際に伸ばしてみるとめちゃくちゃ伸びて面白い。
 どこまで伸びるのか試してみたくなったが、まずは自分で言った通り話が先だ。咳払いをしてルフィの頬から手を離せばぱちんと元に戻って思わず笑ってしまった。が、それは小さなものだったから被り物の下に消えた。クオンに触れてもらえて羨ましい妬ましいずるい私もと口よりも雄弁に語るミス・ウェンズデーの眼差しにはもちろん気づかないふりだ。

 ルフィが丸テーブルの上に座り、クオンが改めて一同をぐるりと見渡すとゾロの姿ないことに気づいたがとりあえず気にしないでおくことにしよう。船長の許可があれば─── 話を聞く前に既に出しているがとにかく、ルフィが頷いたのなら否やはそうそう言いはしないだろう。


「実は、諸事情あって帰るための船を失くしまして。もしよろしければ、ウイスキーピークまで乗せていっていただけないかと」

「ウイスキーピーク?何だそれ」


 ルフィがきょとんと首を傾げ、私達が住む町の名前です、とクオンが返す。
 不審げに眉を寄せたウソップがお前らいったい何者なんだ?と当然の問いを口にして、


「王様です」

「嘘つけ」


 しれっと嘯いたMr.9へナミが即座にツッコミを入れて彼の頬を思い切り引っ張る。いで!!と悲鳴を上げたがくだらない嘘をついたから自業自得である。針二千本ノック、とMr.9の知らぬ間にお仕置きがまた増えた。


「言えません!!」

「しかし!町には帰りたいんです!!受けた恩は必ず返します!!」

「私達だって、こんなこそこそした仕事やりたくないんですが、なにせ我が社は“謎”がモットー。何も喋るわけにはいかないのです。あなた方の人柄を見込んでお願い申し上げます」


 がばりと頭を下げて情に訴えようとするミス・ウェンズデーとMr.9を一瞥し、それはそれとして、とクオンがゆったりと口を開く。


「多少の船賃も払います。それと、“偉大なる航路グランドライン”を進むための基本的な知識も。航海士殿、“記録指針ログポース”の扱い方はお聞きしましたか?」

「……成程。当然、あんた知ってて私に教えなかったのね」


 クオンの言葉にじとりと半眼になったナミが口の端を吊り上げて呻くように言う。理解が早くて何よりだ。
 ナミが航海士としての腕が良いのは察していた。海図の理解力や天候の読み方は素晴らしいとルフィに自慢されたからその通りなのだろう。が、必須アイテム“記録指針”は持っておらず、その存在すら知らないことは察していてクオンは黙っていた。

 ナミは圧倒的に“偉大なる航路”の知識が足りず、また“東の海イーストブルー”の常識に囚われている部分がこれからの航海をいくための足を引っ張るだろう。
 “偉大なる航路”に入ってすぐの航路は初見殺しだ、先人の話は聞けるなら喉から手が出るほどに聞いておきたいことくらい分かっていて交渉の材料にする。


「私は役に立つと思いますが、いかがでしょう」

「ふぅん、まあ……その2人のやり口よりは余程信用できそうね。報酬も出るんなら尚更」

クオンはあげないわよ!!?」

「誰がクオン自体をよこせっつったのよ」


 何を勘違いしたか、血相変えてクオンに抱きつくミス・ウェンズデーにナミが呆れてため息をつく。
 クオン達を船に乗せる方向でまとまりそうな気配を察して、傍観に徹していたクロッカスが苦い顔をする。それでも何も言わないでいるのは、ひとえにクオン自身へ向ける一定の信頼からだ。
 クオンの主ことミス・ウェンズデーとその同僚Mr.9は信用ならないゴロツキだが、別に弱みを握られているわけでもないらしいクオンがついているのだからそうそう悪いことにはならないのかもしれない、と。


「─── ところで私達、“記録指針ログポース”壊しちゃって持ってないのよ。それでも乗りたい?」


 そう言いながら指針の部分が粉々に壊れた“記録指針”を掲げるナミに、Mr.9とミス・ウェンズデーがぎょっと目を剥いて立ち上がり、あら、あれは確かMr.9の、とクオンが被り物の下で目を瞬かせた。何をどうしたらああもきれいにもぎ取れるのだろう。


「な…なにぃ!?壊しやがっただと!!?そりゃおれのじゃねぇのか!!?」

「こっちが下手に出りゃ調子に乗りやがって!あんた達もどこへも行けないんじゃないか!!」

「2人共、正座おすわり

「「すみませんでした」」


 いきり立つ2人に低い声でぴしゃりと言うと、2人は従順に再び地面に膝をついた。これではどちらが主なのか分からないが、クオンとしてはれっきとした主のための(ついでにその同僚含む)教育的指導を行っているだけである。
 今までのクオンによる“教育的指導”及びお仕置きを思い出して顔を青くした2人が膝に手を置いてがたがたと震え出し、それを見たナミに「あんたこいつらに何やってきたの」と視線で問われて肩に乗ったハリネズミと一緒に軽く肩をすくめる。あれほど強気だった2人が瞬時に身を縮こまらせるのを見てウソップがそっとサンジの陰に隠れた。別に何もしないのに。

 そして、下手も何も、どうしたってこちらはルフィ達に温情を請う立場なのである。それにMr.9のものは壊れたが、クロッカスが“記録指針”を持っていることをクオンは知っていた。事実、ナミは「そういえばクロッカスさんにもらったのがあったか」と嘯いてMr.9とミス・ウェンズデーから「あなたがたのおひとがらでここはひとつ…」と屈辱にまみれた低い呻きを得る。手の平でころころされてるなぁと思いながらクオンはもう何も言わなかった。


「なぁクオン、話は終わりか?」

「ええ、終わりましたよ」

「ならもういいか?」

「いいですよ」

「じゃ、いいぞ乗っても」


 どうやら律儀にクオンの「お話を聞いてください」という言葉をルフィは守っていたらしい。当然のように彼が出した結果は変わらず、やっぱり問題なんか何もなかったじゃないかと言わんばかりである。頭を抱えるべきか人を疑うことについて諭すべきか、少しだけ考えたクオンは被り物の下で笑みを深めただけだった。


「ではまた、少しの間だけですがよろしくお願いしますね」

「おう!」

「……ところで、随分と静かですがラブーンはどうされました?」


 立ち上がったクオンが膝についた砂を払いながら辺りを軽く見渡して問う。
 クロッカスが投与した鎮静剤が効いているとしても、ラブーンは吼えることだけはやめない。ここまで長く静かだったことはあまりないと思っていれば、にししとルフィが笑顔を浮かべた。


「あのクジラとライバルになったんだ!おれ達が一周したらまた会いに来るから、そしたらまたケンカしようって約束した!」


 随分と大雑把で端的な説明だったが、大事な部分を理解することはできた。
 それは、50年前にラブーンを置いていった海賊達と似た約束だ。だが決して同じではない。ルフィはラブーンとライバル・・・・なのだから。

 もうとっくに亡くなったかつての仲間を待ち続ける意味を失くしたくなくてラブーンは“赤い土の大陸レッドライン”にその身をぶつけ続けてきた。吼え立ててきた。己はここにいるのだと、お前達はきっとここへ戻ってくるのだと、主張するように。

 孤独と悲しみを湛えて生きてきたラブーンは、新しく交わした約束をよすがにするだろう。
 ルフィがどのようにラブーンと対話したのかは分からない。それでもこうして穏やかな海がそこにあるということが、山に向かって孤独にむせび泣く声がないことが、あのクジラの心に澱む闇を晴らした証左だ。その瞬間を見られなかったことが惜しいなと、心から思った。


「ラブーンに“戦いの約束”を描いたんだ!おれのマークだぞ!!」


 自慢げに胸を張るルフィに、彼が掲げる海賊旗を思い浮かべた。麦わら帽子を被ったドクロ。あれを描いたのはもしかして船長殿なのでしょうか、そうですよね船長ですし、と内心自問自答する。何となくルフィは絵心がなさそうだと思っていただけに申し訳なく、人を見た目で判断してしまった自分を反省した。やはり偏見はよくない、と思いながら、クジラが出てきたら見てくれよな!とルフィに言われて頷く。
 それは楽しみですねと無意識にこぼれた言葉には被り物越しでも判るほど確かな笑みがにじんでいて、肩の上で相棒の上機嫌を察したハリネズミも、嬉しそうに鳴いた。





  top