109
巨大な自然災害を前に、人間は無力だ。
クオンでもそればかりはどうにもできず、誰もが砂嵐に襲われるユバを眺めることしかできない。
ふつりと途切れるように砂嵐がおさまるや否や、一行は誰も何も言わずユバに向かって駆け出した。
† ユバ 6 †
なだれこむように町に入ると、砂嵐のあととあって、あちこちが乾いた砂にまみれていた。建物が損壊した様子はあまりないが、整えられていたのだろう道路は砂に覆われ、背の高い木々は力なく項垂れている。ユバはオアシスと聞いていたが、水の気配がどこにもない、ひたすらに乾いた町だ。そんな、とビビが呆然と呟いて絶句する。
「こりゃひでぇ……!あのエルマルって町と大して変わんねぇぞ」
「ここはオアシスじゃねぇのかよ、ビビちゃん…!!」
町を見回したゾロとサンジの言葉に、絶句していたビビが「砂で地層が上がったんだ…」と固い声を絞り出す。オアシスが呑み込まれてる、と続けたビビの傍らに立つ
クオンが人の気配を探ると、すぐ近くに誰かがいることに気づいた。
クオンが視線を下げると同時、砂にシャベルを突き立てる誰かがこちらに声をかけてきた。
「旅の人かね…砂漠の旅は疲れただろう。すまんな、この町は少々枯れている……」
クオン達が留まる場所より下、おそらく池があったと思しき場所に積もる砂を掻いては端に寄せるのは、ひとりの年嵩の男だった。砂に汚れ、顔にはひげがたくわえられてしわが刻まれているため外見年齢は高く見えるが、声はまだ若い。おそらく実年齢は外見よりも低いだろう。頬がこけ、ふらつく体の手足は細く筋肉があるようには見えず、明らかに栄養が足りていない。
クオンがそっと前に出て男の視線からビビを庇うようにして立つ。だがこちらを見やり、ゆっくり休んで行くといい、宿ならいくらでもある、それがこの町の自慢だからなと穏やかにゆっくりとした語調で続けた男は王女の存在に気づくことなく再び地面に視線を落としてシャベルを構えた。
「すみません、お伺いしたいことが」
男の邪魔をするのは気が引けるが、訊かなければならないことがある。
クオンが声をかけると、男は何だねと動きを止めないまま返した。
「この町には反乱軍がいると聞いて来たのですが、どちらに?」
辺りを見回しても、男以外の人の気配がない。反乱軍はおよそ70万人、全員がこの町にいるとは思っていなかったが、リーダーは確実にいるはずで、となれば幹部クラスの人間や彼らが率いる者達も多数いるはずだ。だというのにその気配が一切なく、宿ならいくらでもある、ということはそれらは使われていないという事実に嫌な予感がひしひしとした。
「……、反乱軍に何の用だね」
クオンの問いを聞くや否や、表情を一変させ血走った目でギロリと睨み上げられた
クオンはその強い眼差しと明らかな怒気を感じて反射的に左手を翳し能力を発動すると同時、男の怒号と共に樽やバケツが勢いよく飛んできた。
「貴様ら、まさか反乱軍に入りたいなんて輩じゃあるまいな!!!」
「うわっ!!なんだなんだいきなり!!!」
「落ち着いてください、私達にそのつもりはありません」
飛んできた樽やバケツが
クオンから一定の距離を保って空中でぴたりと止まり、砂の地面に落ちて微かな音を立てる。突然激昂した男にルフィが目を見開くが、
クオンはそちらを気にすることなく真っ直ぐに男を見返した。被り物越しの低くくぐもった声は抑揚を削いで感情をあらわにしない。だが先頭に立つ執事の伸びた背筋と能力を垣間見せてから決して反撃はせず答えを待つ姿勢に、眉間に深いしわを刻みながらも男は顔を逸らして再びシャベルを砂に突き立てた。
「あのバカ共なら…もうこの町にはいないぞ…!」
苛立ちがにじむ声音は、反乱軍そのものに対して向けたものだ。先程の激昂とその言葉に、この男はまだアラバスタ国王を心から信じているのだと察した。必死に砂漠を越えてきた町に反乱軍がいないと知りショックを受けるルフィ達の声を背に
クオンは無言で男の背を眺める。
「…たった今…この町に砂嵐が来たが、今に始まったことじゃない。3年前からの日照り続きで砂は渇ききって、この町は頻繁に砂嵐に襲われるようになった!少しずつ少しずつ蝕まれて、過去のオアシスも今じゃこの有様さ」
砂を掻きながら、男は吐き出すようにして語る。
物資の流通もなくなったこの町では反乱の持久戦もままならず、反乱軍は「カトレア」という町に本拠地を移したという。その町の名を聞いて、ビビが「カトレア!?」と息を呑む。
「どこだビビ!それ近いのか!?」
ルフィが思わずアラバスタ王女の名を紡いだことを、
クオンは止めなかったし誤魔化しもしなかった。そして、カトレアがナノハナの隣にあるオアシスだと説明するビビを振り返るようにして、男の視界に背に庇っていた少女の姿が見えるように位置を調整する。物資補給のために寄った最初の町のことを思い出して何のためにここまで来たのだと頭を抱える彼らは
クオンの行動には気づかない。
「ビビ…!?…今…ビビと…!?」
期待した通り、ビビの名を聞いた男が訝しげにこちらを振り向く。白いマントを羽織った真っ白執事の傍らに、黒い上着から覗く鮮やかな水色の髪をした少女が立っているのを見た男が呆然と目を見開いてシャベルを手から滑り落とした。
「おいおっさん!!ビビは王女じゃねぇぞ!?」
「言うな!!」
とどめを刺すようにルフィが慌てて誤魔化そうとするが、それはもう言ってるのと同じなんですよねぇと、
クオンはビビを男の目から庇うこともせずに内心で苦笑する。ゾロが肩に担いでいたウソップでルフィを殴りつけたことも少女がビビで王女であると言っているようなものなのだが、やはり
クオンはツッコまなかった。
「あの…私はその…」
王の威信が薄れ国民に不信感が募っている今、国王の娘である王女の存在は敵視されやすい。今更誤魔化せる状況ではないが顔を強張らせて
クオンの背に隠れるようとするビビを、
クオンは無言で男に差し出すようにして背中を押した。驚いたようにビビが
クオンを見上げるが、
クオンがひとつ頷けば、悪いことにはならないと執事を信じたビビが真っ直ぐに男を見る。正面から少女を視界に入れた男は、目の前にいる存在が信じられないとばかりに口を開けて彼女の名を紡いだ。
「ビビちゃんなのか…!?そうなのかい!?」
「……え!?」
ビビちゃん、と随分と親しげな呼称にビビが目を見開く。まろぶようにしてビビの目の前に上がってきた男は、その勢いのままビビに駆け寄ると彼女の肩を掴んだ。それを、やはり
クオンは黙って眺めるだけ。
「生きてたんだな、よかった…!私だよ!!分からないか!?無理もないな、少し痩せたから」
「……!!トトおじさん……!?」
明らかに顔見知りの言動に、肩を掴まれたビビは記憶を辿り目の前の男の面影を探すように視線を動かし、記憶の中の人物と合致したのだろう、その変わりようが信じられないのか、ビビもまた呆然と男の名を呼んだ。
トトというらしい男は顔を歪め、「そうさ……」と肯定してその目に涙を浮かべた。はっとしたビビが口を手で覆って絶句する。
縋るようにしてビビの肩を掴む男はさらに顔を歪ませ、涙をこぼしながら王女に訴える。
「私はね…ビビちゃん!!国王様を…信じてるよ…!!あの人は決して国を裏切るような人じゃない…!!そうだろう!!?」
国王に絶対の信頼を寄せる男とビビに過去何があったのか、
クオンは知らない。だがいち国民がこうして王女を気安く呼び、王女もそれを許し、そして王もそれをまた良しとしていると察することはできた。
良い国だ。良い国だったのだ。バロックワークス─── クロコダイルが、この国に暗い影を落とすまでは。
「反乱なんてバカげてる…!!!…あの
反乱軍を…頼む!!!止めてくれ!!!もう君しかいないんだ!!!」
震える膝を落とし、力なく蹲りながら、男は王女に懇願する。
この町が反乱軍の拠点であったということは、反乱に嫌悪を示す男はずっと肩身の狭い思いをしていたに違いない。それでもこの町に留まり続け、枯れたオアシスにひとり残り、幾度となく襲いくる砂嵐に心を折らずに立ち続けた。
それでももう、限界は近かったのだろう。反乱軍が王都に攻め込むのは時間の問題だ。戦争が始まれば互いに被害が甚大であり、国は荒れ狂い、無実と信じる王の首が危うい。
「たかだか3年…雨が降らないから何だ…!!私は国王様を信じてる…!!まだまだ国民の大半はそうさ…!!!」
男と視線を合わせるように膝をつくビビの強張った顔を見ながら、
クオンは男の声を聴く。男が信じる王の影を見る。ビビの父が、国王がここまで反乱軍を押し留め続けた事実を思う。反乱軍が
押し留まっていた事実を考える。
クオンは既に認めている。─── この国の王は決して、無能で迂愚ではい。民が信じるような善き王であるかは、さて、この先を見てみなければ判らないが。
「何度もねぇ…何度も…何度も止めたんだ!!!だが何を言っても無駄だ…反乱は止まらない。
反乱軍の体力ももう限界だよ…─── 次の攻撃で決着をつけるハラさ。もう追い詰められてるんだ…!!死ぬ気なんだ!!!」
一番近くで反乱軍を見続けてきた男の言葉に、目を見開いたビビが息を呑む。
クオンはでしょうねと内心で頷いた。
戦争は秒読みだ。そんなことは、新聞で国王軍と反乱軍の形勢が逆転したと知ったときから分かっていた。
「頼むビビちゃん…あのバカ共を止めてくれ!!!」
俯き涙をこぼしながら絞り出された血反吐を吐くような懇願に、ビビは─── 王女は、一度唇を噛み、そしてやわらかな微笑みを刷くとおもむろにポケットからハンカチを取り出すと男に差し出した。
「トトおじさん、心配しないで」
「……ビビちゃん……」
促されるまま顔を上げた男が唯一の希望である王女を見上げる。くずおれそうになっている民を前に、フードを払い素顔をあらわにした王女は安心させるような明るい声音で、何も不安などないのだと言わんばかりに力強く笑ってみせた。
「反乱はきっと止めるから!」
たとえその内心がどうであろうと、不安も悲しみも怒りも悔いも、胸に渦巻くそのすべてをひた隠して取り繕って笑う王女に、彼女の内心を察しながらも誰が何を言えるだろう。
ありがとう、と震える声で礼を紡ぐ男と王女を視界に入れ、さて今夜はどうやって甘やかしてあげましょうかと、
クオンは固く握り締めていた手からゆっくりと力を抜いた。
← top →