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「ビビ!乗って!」

「ううん、大丈夫。私はまだ歩けるわ」


 お供のワルサギ一羽だけを残して群れを解散させた頃にはそろそろ出発となり、ナミにラクダに乗ることを促され一度遠慮するものの、いいからと再度促されたビビは「姫様、お乗りください」とクオンにまで言われては固辞することもできないようで少しだけ申し訳なさそうな顔でナミの後ろの鞍に乗った。
 クオンがラクダにいくらかの荷物を括りつける。これで少しは早くユバに着けそう、とフードを被ったナミは唇に笑みを刷きながら手綱を握り締めると、


「それ行けマツゲッ!!!」


 軽快な号令と共に勢いよく飛び出して行ったラクダに、ちょっと待て───!!!と男達の叫びが砂漠に虚しく轟いた。





† ユバ 5 †





 そういえばあのラクダはトカゲの猛追を何とか逃れられるほどの俊足だったことを思い出したときには既にラクダに乗った2人の姿は遠く、「ほらみんな急いで!はぐれたらあんたら生きて砂漠を出られないわよ?」といけしゃあしゃあとのたまうナミにフザけんなー!!と罵倒が飛ぶ。そんなナミさんも好きだー♡というサンジの告白は流すとして、盗られそうになった荷物もそっくり返ってきたし、あのラクダと並走するとなると相当な体力を消費しそうだとクオンは内心ひとりごちる。
 だがここで悪態をついていても仕方がない。荷物を抱えて後を追おうと足を踏み出したクオンはしかし、「津波が来るぞォ───う!!!」と唐突に叫んだルフィに驚いて思わず顔を向けた。


「おい、どうしたルフィ!?」

「次は何だよ!!!」


 両手を振り回してその場で足踏みをするようにして暴れるルフィにゾロの額に青筋が浮かぶ。いったい何事か、と思えば、お供としてついてくるワルサギがはっとしたように傍にあったサボテンを翼で示した。


「何です?サボテンがどうかしました?」

「あ!それ、さっき肉と一緒にルフィが食ってやがったサボテンじゃねぇか!」

「ダメだぞこれはメスカルサボテンだ!!幻覚剤を作るやつさ!!」

「うーん、ここまで目が離せない方は初めてです」


 クオンが見下ろすサボテンを見て声を上げたウソップにチョッパーが顔色を変え、慌てることなくクオンがしみじみと呟く。
 短い付き合いでも分かってはいたが、本当に休む間もなく次々とトラブルを持ち込むルフィは目の奥をぐるぐるとさせ、幻覚を見て混乱しているのがよく分かる。ただ騒ぐだけならまだいいが、幻覚に向かって攻撃を仕掛けようなどとされたら困りますねとクオンが立てたフラグは、「よ~~~しみんなまとめてぶっ飛ばすぞォ!!!ゴムゴムの~~~」と叫ぶルフィに秒で回収された。肩の上でハリーが何やら鳴き、答えるようにワルサギも何事かを鳴く。その声音には明らかに呆れの色がにじんでいるのが読み取ろうとするまでもなく分かる。

 さて麻酔針でも打とうかとクオンが針を構えるよりも早くにチョッパーがルフィに麻酔を注射して眠らせ、サンジが親指を立ててでかしたチョッパー!!!と褒め、クオンもお見事な手際ですと称賛しているうちにナミとビビを乗せたラクダは随分遠くまで行ってしまったようで、ここからでは米粒ほどの大きさしか見えない。慌てるウソップと追うぞ急げと急かすゾロに従ってすぐさまルフィを担ぎ上げたクオンが踵を返した。


「ウズマキ、空から姫様達を追って案内を」

「ゴア!」


 クオンの命にひと声鳴いたワルサギが空を飛ぶ。これなら2人を乗せたラクダを見失っても大丈夫だろう。
 遠目に見えるラクダの影とゆっくり飛んで案内するワルサギの後を追ってクオンが男達を先導する。荷物があるためただでさえ慣れない砂漠は走りにくそうだが、どうにか頑張ってほしい。


「おいクオン、ルフィよこせ」

「これくらい大した負担にはなりませんし、問題はありませんよ」


 隣に並んだゾロにそう返したクオンは、今更自分が信用されていないのかと疑うことはない。単純にこちらを慮ってくれての言葉だと、再び頭に巻いた布の下から覗く目を見れば分かる。
 眠っているルフィが持つはずだった荷物をゾロが抱え、出遅れて後方にいるウソップの分はサンジが文句を言いつつもいくらか持ってあげている。先程のような大トカゲがまた出ないとも限らないため、すぐに戦えるようこれ以上の負担はと考えていたのだが、眉間にしわを寄せたゾロは問答無用でクオンの手からルフィを奪い取った。代わりに、持ってろと投げ渡されたリュックを肩にかける。リュックはルフィと比べれば随分と軽かった。

 それから、ナミとビビを乗せたラクダに追いつこうとクオン達はひたすらに砂漠を駆けた。ラクダを見失っても空から地上を見てくれているワルサギの案内があったためにはぐれることはなく、そして時折現れる砂漠の怪物達とのエンカウントも事前に回避することができたのは僥倖だった。

 陽が傾いた頃に風が強くなりはじめ、砂が巻き上がる中さすがに飛び続けさせるのはとクオンがワルサギを呼び寄せて休憩させる。だが空から降り立ちはしたもののまだできると言わんばかりにゴアゴアと鳴くワルサギは、「はりゅり」と目を眇めて短く鳴いたハリーのひと声によって嘴を閉ざした。何を言ったのかは分からないが、いいから黙って従え的なニュアンスがあったのは分かる。
 クオンは背負った荷物に足を置かせ、被り物に覆いかぶさるようにして羽を休ませるよう言いつけた。遠慮がちにそろそろと羽が回され、ゆったりと重心がかけられたが鳥一羽程度でぶれるような体幹はしていない。

 それからまたクオンはひたすらに足を進めて先導し、途中目を覚ましたルフィに青筋立てたゾロとサンジが容赦なく蹴りを入れ、なぜ蹴られているのか訳が分からずルフィが疑問符を浮かべるというひと騒動があったが、クオンは傍で倒れ込むウソップに騒動がおさまるまでは膝を貸そうとして「許さない、絶対許さないわクオンの膝枕だなんて許さないわよ……!」というおどろおどろしいビビの怨念じみた声が直接頭の中に響いたらしいウソップが飛び上がり「未遂です!!!!!」と顔を真っ青にして叫んだくらいで、何はともあれ立ち上がる気力が湧いたのならいいかとクオンは特に気にしないことにした。

 ようやくナミとビビを乗せたラクダに追いついたのは陽が傾いて赤く染まりはじめた頃。やっと傍に戻って来たクオンにビビが喜び勢い余って抱きついて愛を叫んだがいつものことで、サンジが羨ましげに睨んでくるのもいつものこととクオンは全力でスルーした。

 その頃には強く吹いていた風も落ち着き、気温も明らかに下がって凍針こごばりの効果が切れたチョッパーでもひとりで歩けるほど。だが代わりに体力が限界に近づいているウソップはふらふらで、休憩を終えて再び空を飛ぶワルサギも夜の間は休ませた方がいいだろう。
 この辺りで夜を明かすことをナミが提案したが、灼熱地獄であり砂漠の生き物達が跋扈する昼をまた繰り返すよりも、気温が落ちてまだ歩きやすい夜のうちにユバに着いておきたいとビビが首を振ったことで一行は先を急ぐことに決めた。


「ナミさん、ここからは私も歩くわ」


 日が暮れ、月明かりに地上が照らされる時分にはユバがすぐ近くに迫り、ビビはクオンに抱き上げられるようにして砂に足を下ろした。クオンはちゃっかりぎゅうと抱きついてきたビビの背を軽く叩いて砂を払う。
 ユバが近いということは、反乱軍との邂逅も近いということだ。表情を固くするビビがしっかりと前を向いて足を踏み出し、縋るように腕を絡めてきたのは好きにさせた。
 夜行性ではないワルサギはクオンが背負う荷物に足を置いて被り物に凭れるようにして体重を預け、うとうととまどろんでいる。先程までご主人様の負担になるわけにはとせめて起きていようと踏ん張っていたが、日中の行軍で溜まった疲労には勝てなかったのと、クオンが「休みなさい」と背に乗せ半ば無理やり能力を使ってまで歩くことすら許さなかったことで大人しくなり、この分では数分もせずに寝落ちしそうだ。


「夜になっちゃったわね…」

「しかしなんだ、この昼と夜との温度差は」

「砂漠の夜は氷点下まで下がるから」

「ニッキシッ!!!氷点下ァ!!?」


 サンジがぼやき、ビビが教えたように砂漠では日が暮れてから時間が過ぎるごとに気温は下がっていく。くしゃみをしたルフィが驚いて目を剥いた。
 砂漠はひたすらに熱いというイメージであり、それはもちろん間違っていないのだが、昼に太陽の光を遮るものがない砂漠では地面を直接強く熱して暑くし、夜には地表の熱がそのまま奪われて気温が下がる。乾いた気候であることも温度差が大きい理由のひとつだ。水は熱しにくく冷めにくい。ゆえに、水分があれば温まるのに時間はかかるが下がるのにも時間がかかり、気温は一定に保たれる傾向にある。即ち、水がなく乾いている砂漠は熱しやすく冷めやすい、温度差の大きい地域というわけだ。

 夜には氷点下まで下がると聞いて不思議そうな顔をしているルフィにそう説明しようかと思ったクオンだったが、たぶん理解されないだろうなとリヴァース・マウンテンを不思議山と片付けたルフィを見やって「風も強くなってきましたから、砂が口に入らないようしっかり口元を覆ってくださいね」と言うだけに留めた。
 定位置であるクオンの右肩に乗っていたハリーにマントの胸元を広げてやれば、躊躇うことなくひょいと飛び込んでもそもそと居心地の良い場所を探すように動き、やがて落ち着く。ビビがそれを羨ましそうに見ていたのは気づいていて素知らぬふりである。

 頭にはワルサギが乗っているので気配だけで後ろを探る。ウソップは少し前にダウンしていて、道中傍で様子を見ていたゾロが担いで運んでいた。初めての砂漠ではよく頑張った方だ。ラクダに乗っているナミと途中眠っていたルフィはまだ体力に余裕があり、砂漠に慣れているビビと寒さにも暑さにも耐性のあるクオンや昼間に刺した針のお陰で体力が思ったほど削られなかったチョッパーも同様、しかしサンジは疲労が隠しきれず足元がおぼつかない。町までもってくれればいいのだが。
 荷物に加えてウソップも運んでいるゾロも、足取りはしっかりしているし顔色も平常と変わりなく平然を装っているが、確実に疲労はたまっているはずだ。当然クオンも自身の疲労具合を理解しているが、首に癒えない傷を抱えて毒を含みながら極寒の中過ごしていたときと比べれば雲泥の差である。そう思うと、もしかしてあのときの私、自分で思っていたより結構マジでやばかったのでは?それが分からなかったということはどうやらストッパーである生存本能も機能してなかったみたいですねと超絶元気な老医のブチギレ具合に心底納得してしまった。納得して、このことは絶対誰にも言えないなと墓場まで持っていくことを決める。うっかり口を滑らせれば集中砲火を食らって過保護にされそうだ。

 誰にも言えない秘密を抱えて奥深くに仕舞い込むと同時、クオンはふと、風に吹かれて舞う砂の狭間、まだ随分と距離がある向こう側に、ちかりと光るものを確かに認めた。


「姫様、あれを」

「あ!あそこ!!明かりが見える!?」


 クオンが促した先を見てはっとしたビビが声を上げて指差す。チョッパーが「着いたのか!?ユバに!」と喜色をにじませて言い、ビビが指す先に目を凝らすも「砂が舞っててよく分かんねぇや」とルフィがこぼした。
 近づく町の気配に一行の足取りが軽くなる。だが、近づくにつれ耳朶を打つ、唸るような地響きにビビが顔色を変えた。クオンも異変を察知し足を止めたビビの隣に並んで町のある方角をじっと見る。


「……!町の様子がおかしい…!!!」


 遠目に見える町が、巨大な煙のようなものに巻かれている。違う、とクオンはすぐにその考えを否定した。唸る地響き、ねじれる風。煙のように舞い上がっているものはおそらく大量の砂───。
 クオンは被り物の下で目を見開く。あれは、まさか。思わず呆然とこぼれた言葉に続くように、ビビが叫んだ。


「砂嵐!!!ユバの町が砂嵐に襲われてる!!!」


 悲鳴のようなその声と目の前の光景に、クオンはただ息を呑んで棒立ちすることしかできなかった。





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