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 暑い、重い、と力なくこぼしながら荷物を運ぶルフィに「お前がジャンケンで負けたせいさ、黙って運べ」「落とさないでよルフィ!」とサンジとナミの激励が飛び、うーん、容赦ない、と内心呟いたクオンは、仲間だからこその態度に微笑ましげな笑みをこぼした。


「ややっ!!!前方に岩場発見!!」

「ほんとか!!?」


 ふいに前方でゴーグルを目にかけ遠くを見ていたウソップが叫び、瞬間表情を明るくしたルフィは活き活きとした笑顔を広げ、「休憩タイムだ───!!!」と叫び一目散に岩場の方へと駆けて行った。その速さたるや、「速ぇな!」とウソップが目を剥くほどで、瞬く間に遠目に見える岩場へとルフィの後ろ姿が消えていく。きちんと荷物ごと駆けて行ったので、ツッコミは入れつつも誰も文句は言わなかった。





† ユバ 3 †





「大変だ───!!」

「なんだ?あいつ戻ってきたぞ…」


 駆けて行ったと思えば何やら叫びながら戻ってきたルフィにウソップが訝しげに目を瞬かせる。最後尾でビビとゾロそれぞれに腕を取られたクオンも小さく首を傾げた。
 抱えていたはずの荷物も持たずに戻ってくるとはいったい何事かと思えば、どうやら岩場に大怪我して死にそうな鳥がいっぱいいるとのこと。それで慌ててチョッパーを呼びに戻ってきたようで、怪我人─── この場合は怪我鳥でしょうか、とどうでもいいことを考えるクオンをよそに、「う…うん、分かった!」と突然のことに戸惑いつつも頷くチョッパーと、怪我をした鳥と聞いてビビが血相を変える。


「鳥!!?ちょっと待ってルフィさん!その鳥って…まさか…!」

「姫様?」

「い、急いで!クオン!!」


 話す間も惜しいとばかりにビビがクオンの腕を引いて駆け出し、ビビの尋常ではない様子に全員が表情を固くして岩場に向かってビビの後に続く。同時にゾロの手が離れ、クオンは自由になった手で腕にしがみつくビビの手を軽く叩いた。


「先に向かいます」

「お願い!」


 腕を離したビビの言葉を聞き終える前に、クオンはその場から姿を消した。目にもとまらぬはやさで砂漠を駆け抜け、岩場に着くと砂に足をつける。
 辺りを見回しても何もない。ルフィが放り出しただろう荷物も、大怪我をしていたという鳥も。だが砂に残った微かな足跡までは消せず、複数の鳥の軌跡を目で追ったクオンは再び姿を消し─── 瞬間、岩場の影に隠れていた白い鳥の群れの前に現れた。
 ぎょっと目を剥く鳥達に素早く視線を走らせれば、ルフィが運んでいた荷物をそれぞれ携えている。器用にリュックを担いでいる鳥もいて、ルフィを騙したところからもそれなりに知性が高そうだ。


「私は海賊ではありませんので、大人しく荷物を返していただけるのであれば手荒な真似はしないと約束しましょう」


 足首まで全身を覆う白いマントに身を包む燕尾服の執事の温情ある言葉を、しかし鳥達は鼻で笑った。クオンの肩の上に乗ったハリーがすっと目を細める。アホ毛のようにくるりと巻いた頭頂部の羽毛にくすんだ赤い嘴が特徴の首が長い白い鳥は、サギの一種だろう。いやらしげに笑う鳥は空を駆けるすべを持っているからか、地を這うことしかできない人間の言うことに聞く耳を持たない。


「三度目の忠告は致しませんよ。荷物をお返しください」


 手をひらめかせて長い針をそれぞれ指の間に挟んだクオンの明確な忠告という名の脅しに、被り物越しにかかる声が低くくぐもっていることもあり、さすがに鳥達の顔色が変わる。緊張を呑み下すように抱えた水樽のストローに嘴を伸ばす鳥に向かって針を飛ばし、掠めた針に嘴を削られた鳥が動きを止めた。
 鳥達がざわめき、ゴア、ゴアーとクオンには判らない言葉で口々に何かを言い合う。岩場に近づいて来るルフィ達の気配を感じ取ったクオンがこのまま足止めしておけばルフィ達に軽くしばかれる程度で済むだろうと考えて気を抜くと同時、鳥達は一斉に羽を広げて空へと飛び上がった。被り物をした執事がゆったりと顔を持ち上げて空に浮かぶ鳥を見上げる。
 飛び道具を持った強い人間からすぐさま逃げる選択をした鳥達は賢く、そして愚かだとハリーは冷めた目で思った。素直に荷物を返しておけばよかったものを。


「ハリー」

「きゅい」


 被り物越しにかけられた声は低くくぐもり抑揚を削いで、素の声からもやわらかさが排除されたことを知りながら短い返事をしたハリーを肩に乗せたまま、クオンは軽く膝を曲げると、その場から空を飛ぶ鳥達と同じ高さにまで跳び上がった。
 突然地上にいたはずの人間が目の前に現れたことに、鳥達がギョゴァ!?と目玉が飛び出る勢いで驚愕する。それを気にすることなく、二度の忠告を無視した鳥を前にクオンは軽く手を掲げ、そこで鳥達は、人間と自分達よりもさらに上空に浮かぶ無数の針を目にした。
 クオンの肩の上で素早く生成した針を次々とハリーが空に打ち上げ、クオンがいまだ麦わらの一味に秘匿している悪魔の実の能力を使ってその場に留める。鋭い針の先が自分達に向けられて慌てた鳥達がどこに逃げるべきかとうろたえ、どこにも逃げるすべなどないことを悟って執事の忠告を無視した自分達に後悔する暇もなく、クオンは掲げた腕を勢いよく振り下ろした。


「─── 針雨はりさめ


 針が、雨のように鳥達に向かって音もなく降り注ぐ。避けることもできずに針に羽を貫かれ撃ち落とされた鳥が砂の地面に縫いつけられた。
 器用にも鳥が抱えた荷物や水樽には一切の傷をつけずにすべての鳥を這いつくばらせ、地面にゆっくりと降り立ってひとりその場に佇むクオンは、おもむろに一番近くの鳥の羽をブーツの底で踏みつけた。クオンの忠告を鼻で笑った鳥だ。


「さて、海賊から物資を奪い、挙句忠告を無視して逃げようとしたあなた達に2つ、選択肢を与えましょう」


 被り物越しにでもいやに優しげに響く声は、希望を持たせるようでいて、針を羽から抜こうともがくことすら許さない圧があった。今までも心優しい人間を騙し荷物を掠め取ってきただろう彼らの心をへし折らんと静かに掲げた手には、長く鋭い1本の針。


我々の・・・物資・・となる・・・か、服従か。お好きな方をどうぞ」


 白いマントを微かな風に揺らし、白い燕尾服に身を包んだ執事が優しく死か生デッドオアアライブを迫る。
 逃げることはできない。抵抗など当然許されない。ぴくりとでも羽を揺らせば脳天に針が刺さることを、鳥達は本能で知っていた。そしてこの人間は長い沈黙も許さない。すぐに答えねば問答無用で食肉にされる。
 一羽一羽に訊いてもらえるならばいい。しかしそんな温情・・を与えられると思えるほど鳥達は楽観的ではなかった。最初の一羽が後者を選ばなかった瞬間にすべての鳥が後を追うことになるのが当然だとすらも思う。
 この人間にとっては、どちらの選択肢を選ばれても構わないのだ。それほどまでに執事が纏う空気は軽く、ゆえに恐ろしい。愛嬌があるようでどこか間の抜けた被り物から目を逸らすこともできない鳥は恐怖に体が震えることは許され、その寛大さに感謝すらして、がちがちと嘴を鳴らしながら答えようとした、そのとき。


「いや物騒すぎんだろォ!!!」

「─── おや」


 岩場の影から飛び出してきたウソップに勢いよくツッコまれ、クオンは顔を上げて被り物の下で目を瞬かせた。続いて飛び出してきたルフィが「あ!こいつらだ!!」と地面に針で縫いつけられている鳥を指差し、その後ろから顔を出したビビが「やっぱり、ワルサギ…」と眉をひそめる。
 名前からして悪そうですねぇと内心呟いたクオンがワルサギという名の鳥から足をどけて手の中から針を消す。さすがに彼らの目の前で脅しを続ける気にはなれない。命を刈り取るつもりも。見る限り心をへし折ることはできたようだし、荷物さえ返ってくるならこれで手打ちにしよう。

 空に浮かぶ無数の針が見えていたのだろう、瞬間移動じみた俊足を含めたクオンの戦闘能力を初めて目にしたチョッパーが「クオンすっげーな!」と目を輝かせ、ありがとうございますと礼を言ったクオンは一応ワルサギ達を診てもらえないかと頼む。針は細いものであったし、風切り羽を傷つけてはいないから問題なく飛べるとは思うが、念のためだ。

 さすがに再び逃げるような真似はしないだろうとワルサギを貫く針を能力を使って引き抜くクオンが「さぁ、荷物を回収したら少し休んで出発しましょう」とルフィ達に声をかける。ありがとうな!と笑って礼を言ったルフィが力なく倒れ込むワルサギから荷物を取り返し、まんまと騙されたルフィに「ったく、鳥なんかに盗まれやがって!」とサンジが文句を言って、「悪ぃ!でも騙されたんだから仕方ねぇだろう!」と返したルフィに続く。荷物が無事に戻ってきたこともあり2人の軽い口喧嘩を聞き流すゾロもそれに倣い、「おれ、クオンに脅されたら秒で屈する自信しかねぇよ」「おやおや、私がそんなことを狙撃手殿にするわけがないでしょうに」とウソップと和やかな会話をするクオンは抜いて集めた針をハリーの口元に寄せ、“偉大なる航路グランドライン”産の普通ではないハリネズミはそれをバリバリと音を立てて噛み砕き呑み込んでいく。これでワルサギ相手に使った分の針がまた作れるようになり、スナックよろしく人間の指程度なら軽く食いちぎることができるハリネズミは最後の1本をジャガガガガガ、と鈍い音を立てながら食べ終えた。


「ところでビビ。この鳥、ワルサギって言ってたけど何なの?」

「ええ。ワルサギは旅人を騙して荷物を盗む“砂漠の盗賊”よ。ごめんなさい、話しておくべきだった……」


 ナミに問われて淀みなく答えたビビがワルサギを見渡し、へぇ、とクオンが短く声を発するとワルサギ達は全員揃ってびくりと大きく肩を震わせた。
 鳥が怪我をしたふり、とはまた、成程名の通り悪いサギだ。だがまぁ、それが彼らなりの生きるすべなのだから仕方ありませんねと納得したクオンは、先程容赦なく脅しにかかったことをまるっと棚に上げた。それとこれとは別なので。


「……ゴァー」

「うん?どうしましたあなた達、もう行ってもいいですよ」


 チョッパーに診てもらい軟膏を塗ってもらったワルサギ達の中の一羽がおもむろにクオンに近づいて鳴く。今更どうこうするつもりはないのでひらりと手を振るが、ワルサギは動かずにクオンを見上げて、そっと頭を下げた。まさしくこうべを垂れるようなそれにきょとんとしたクオンがチョッパーに目を向け、意図を察したチョッパーが通訳してくれた。


「『この命、好きに使ってくだせぇ、ご主人様』だって」

「……あ~……」

「はぁ!?クオン今度は鳥を誑かしたの!?」

「誑かしたと言うか…脅したと言うか……」

「はりゃりゃりゃり」

「ゴア!」

「『もちろんおれが一番の下っ端でさァ!よろしくなハリーの兄貴!!!ご主人様!!』……これ、たぶん何言ってもついて来るやつだぞ」

「そのノリどこかで見たわね」


 顔に刺青をした男含む2人組を彷彿とさせる口調のワルサギにナミが言い、どういうことよクオンと一緒にいていいのは私だけなのにハリーだけでも羨ましいくらいなのに!!とクオンをがっくんがっくん揺さぶって詰め寄るビビと、揺さぶられるがまま確かに食肉デッドオア服従アライブを迫りはしましたが荷物を返してもらうだけのつもりだったんです本当ですそんなつもりはなかったんですと言い訳するクオンを呆れたように眺める。
 これはクオンの“浮気”とは違うだろうが、原因は紛れもなくこの執事である。王女に仕える執事がご主人様と呼ばれるとは、これほど違和感がすごく、且つクオンがそう呼ばれることに微塵も違和感がないことが逆に違和感だ。違和感がゲシュタルト崩壊しそう。
 何がどうしてそうなったのか。まぁクオンが至極丁寧に心をへし折って服従をよしとした結果なのだが。いつもの優しくてビビに甘くて最近麦わらの一味にも甘いクオンの意外な一面に、片鱗は各所で見ていたからそれほどギャップには思わないが、クオンこっわ、と思わずナミが声に出せば、耳敏く聞きとめたクオンが勢いよく振り返った。


「こ…!…こわく、ない、です、よ……」


 語尾を小さくし、しおしおと肩を落とすクオンはおそらくその被り物の下にある秀麗な顔を情けないものにしているのだろう。


「おいおいナミー、クオンいじめるなよ」

「しょんぼりクオンかわいい」

「よーし大丈夫だぞクオンお前は怖くねぇからな」


 クオンの肩に飛び乗り被り物を抱えるようにするルフィ、思い切り抱きつきながら背中を撫でるビビ、落ちる肩をぽんぽんと叩いて子供に言い聞かせるようにフォローを入れるウソップに相次いで言われ、半ば反射で「別に本当に怖いとは思ってないわよ!」と返してあいているクオンの腕を抱きしめる。途端ぱっとクオンの肩と顔が持ち上がりまとう空気が明るくなった気配がして、あまりの分かりやすさに「はー……」と大きなため息をついた。
 あんた私のことそれなりに好きよね、といつかクオンに向けて言った言葉がナミの頭に浮かび、それを口にすれば今度はきちんと肯定が返ってくるだろう。偽りなく、下心のひとつもなく、ただただ純真な想いだけを真摯に伝えてくるさまが容易に思い描くことができて、だからどうしてもクオンには甘くなってしまう自分を自覚しながら、不思議そうに首を傾げるクオンの傾いた被り物に手を伸ばして撫でてやった。


「クソ…!かわいこぶりやがって執事野郎が」

「あれは素だろ」

「言われなくても分かってらァ!だから厄介なんだろうが!!」


 ビビとナミに抱きつかれているクオンを羨ましげに見てぎりぎりと煙草のフィルターを噛み締めるサンジを横目に、頭から被る布を留める輪を外して布を取ったゾロはガシガシと頭を掻くと小さくため息をついた。


「……本当にな」





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